第15話 神罰代理官【ラズ】
──空間が、裂けた。
低く、耳鳴りのような音が響き、視界の中央に黒い亀裂が走る。
空気が一瞬で冷え、湿った金属の匂いが鼻をつく。
その裂け目の奥から、ゆっくりと“それ”は姿を現した。
神罰代理官──ラズ。
神域において粛清のみを目的に造られた、無慈悲なる代行者。
姿は人間に近い。だが、立っているだけで重力の方向が歪むような異質さがある。
漆黒の法衣は、胸から腰へと沿う立体的な曲線を容赦なくなぞり、呼吸のたびに柔らかく上下する。
その下には、戦闘者として鍛え抜かれた筋肉と、女性特有の豊かな肉感が同居していた。
腰のスリットから覗く太腿は白磁のように滑らかで、それでいて一歩踏み込めば鋼のような張りを帯びる。
背中には光の槍が浮遊し、まるで呼吸するかのように脈動している。
「対象:リク。Rewrite共鳴レベル、限界値を超過」
低くも澄んだ声が、仮面の奥から響く。
金色の瞳が細く光を放ち、その視線は氷の刃のように冷たかった。
形の良い唇がわずかに動くだけで、耳の奥に直接囁かれたような生々しさを伴う。
「処置:“世界律による再定義”を行う」
槍が微かに傾き、彼女が一歩前へと踏み出す。
黒衣の裾がひるがえり、腰のひねりと共に引き締まった尻のラインが一瞬浮かび上がる。
その動きに意図された色気はない──だが、戦場にしか存在しない艶があった。
「逃げて、リク!」
ノアが前に躍り出る。剣を抜き、同時に光の結界を展開。
だが、次の瞬間──
「意味はない」
冷ややかな宣告とともに、ラズの槍が振るわれる。
結界は触れられた瞬間に、まるで砂を崩すように音もなく解けた。
その動きは時間ごと切り裂く神速で、黒髪が一拍遅れて宙に舞い、仮面の下の頬に薄く汗が光る。
エルが指を鳴らす。紅の花が足元から爆ぜ、血色の蔦がラズを絡め取ろうと迫る。
しかし──
「貴様は対象外。許可されていない」
金色の瞳が一閃。
その瞬間、エルの輪郭が一瞬だけ霧散し、存在そのものが揺らいだ。
冷たく無感情な声に、獲物を見据える肉食獣のような光が混ざる。
「こいつ……存在そのものが、“神の定義”を強制する兵器だ!」
ノアの叫びが響く。
ラズの光の槍が、音もなくリクの胸元へと迫る。
だが、その穂先が触れる直前──
「……Rewrite」
リクが低く呟いた。
空間が反転する。槍の軌道が不自然な角度で逸れ、床が花で覆われていく。
リクの背後に、黒と白が混ざり合う“定義外の記述”が立ち上がった。
「……私のRewriteが、君の定義を拒絶してる……?」
ラズの声音に、初めてわずかな揺れが走る。
リクの瞳は紅と白に二重化し、息が荒い。
「わからない……でも、“僕の中の何か”が勝手に書き換えてる!」
次の瞬間、ラズの仮面が真っ二つに割れた。
露わになったのは人間に近い整った顔立ち──無表情だが、頬はかすかに紅潮し、呼吸は乱れている。
それは戦闘の緊迫感と、不可思議な官能を同時に滲ませていた。
「対象:定義不能。危険階級を再設定──“異神位階”へ移行」
ラズは短く告げると、自らの存在を空間ごと再定義し、音もなく消えた。
残されたのは、膝をつくリクと、その傍らで息を呑むノアとエル。
「リク……今、Rewriteに飲まれかけてた。でも、そのRewriteがラズを拒絶した……?」
「それって……まさか──」
──“神”に代わる存在の兆し。
木の上から、その光景を見下ろす影があった。
黒衣を揺らす少女──ミレイだ。
袖口から覗く白い指先を口元に寄せ、楽しげに目を細める。
「……本当に、“Rewriteの神格化”が始まってる」
「ラズが逃げるなんて……ほんっと、最高」
「ねえ、リク──君、神になっちゃえばいいじゃん?」
その声は、誰にも届かないまま夜に溶けた。




