第11話 Rewriteの使者
──深夜。
リクは、浅い呼吸を繰り返しながらうなされていた。
肌を内側から焼き焦がすような高熱。
瞼の裏に広がるのは、すべて“上書きされた白”の世界。輪郭も影もなく、ただ真っ白な静寂が支配している。
そこに、耳鳴りのような声が貼り付いていた。
囁くでも、叫ぶでもない。
それは、耳ではなく頭蓋の内側に直接、終わりなく刻まれる音。
(やめろ……やめろ……Rewrite……やめろ……!)
必死の拒絶も、虚空に溶けていく。
声は止まらない。まるでリクの鼓動と呼吸の間に、勝手に入り込んでくるようだった。
自分が誰なのか、わからなくなる。
肉体も、思考も、Rewriteの“副作用”に蝕まれ、元の形を失いつつあった。
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「……私を、呼んだの?」
唐突に、部屋の空気が揺れた。
扉が開く音も、足音もなかった。
けれど“それ”は、当たり前のようにそこにいた。
エルでも、ノアでもない。
──見たこともない少女。
黒いローブを纏い、足は床を踏んでいない。
なのに、その存在は奇妙なまでに現実味を持ち、視界から外せなかった。
「ねえ、リク。あなた、もう壊れかけてる」
澄んだ水音のような声が、湿った夜気を震わせる。
「だったら、私が“直して”あげる。……Rewriteで」
リクの背筋に電流が走る。
「おまえ……Rewriteが使えるのか?」
「うん。でも、私はあなたたちと違って、“ちゃんと訓練されたRewrite保持者”だから」
その笑顔は冷ややかで、狂気も善意も感じられない。
ただ、秩序に属していない静かな危うさだけがあった。
「私の名前は──ミレイ。神域直属の“特務記述官”」
響くその肩書は、世界の修正を担当する存在であることを意味していた。
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「あなたたちが撒き散らしたRewriteの波紋。神様たち、ほんっとに困ってるの」
ミレイは人差し指で頬をなぞり、退屈そうに視線を彷徨わせる。
「だから、観察のついでに来たの。もしあなたが暴走するなら、Rewriteで“消去”するために」
淡々とした口調で、殺意と慈悲を同じ比重で告げる。
「……リクが壊れたら、あの子……エルって子、きっと世界ごと書き換えるよ?」
唇が、ゆるく吊り上がる。
「それってさ、“面白くなりそう”じゃない?」
ぞわり、と背骨を冷たい刃が這い上がる。
この女は神の命令で動く歯車ではない。
観測の隙間に入り込み、純粋な好奇心で世界に手を伸ばす──真の異端。
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「さあ、リク。選んで?」
彼女は距離を詰め、吐息がかかるほど近くで囁く。
「このまま壊れてRewriteに呑まれるか」
「それとも、私に修正されて“神の器”として生き延びるか」
言葉は甘い誘いのようでいて、選択肢のどちらも救いではなかった。
リクが息を呑んだ、その瞬間──
轟音と共に、扉が爆ぜ飛んだ。
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「触んないで……ッ!」
破片の向こうに、エルが立っていた。
蒼白な顔に怒りと焦燥が滲み、その瞳はまっすぐミレイを射抜いている。
「……エル?」
「その子に、手を出すな……!」
空気が押し潰されるように軋む。
床から紅の花弁が噴き出し、茎が木の根のように伸びて床板を裂く。
「えぇ〜、こわい〜」
ミレイは、まるで芝居を観る観客のように軽く笑った。
「でも安心して。今回は観察だけ。……次は、“修正”に来るけどね」
その声が空気に溶けると同時に、彼女の輪郭は霧となって崩れ、跡形もなく消えた。
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──残されたのは、咲き乱れる紅の花々と、震えるエル、そして血の味を口に残したまま立ち尽くすリク。
「リク……リク、大丈夫……?」
駆け寄るエルに、リクは微かに首を振った。
「……エル……俺、怖いよ」
「このままじゃ……きっと、俺……おまえも、世界も……」
「大丈夫。私が守るから」
エルはリクの額に手を当て、そっと微笑んだ。
「神だろうとRewriteだろうと、全部、壊してあげる」
その声は、優しく包み込むようでいて、底には鋼の棘があった。
それは誓いだった。
狂気と愛の、最も深い場所で交わされた──二人だけの約束。




