第7話 神の使徒が、追ってくる
その夜、神の審判は静かに下された。
天蓋の彼方、星々のさらに奥――
世界の因果を司る“神域”の空間は、音も温度もない。
無限に広がる光の糸が網のように時空を縫い合わせ、その一筋一筋が世界の定義を支えていた。
「……Rewrite、起動確認」
無機質な声が虚空を震わせる。
言葉というより、世界そのものに直接刻まれる指令。
「使用者:特定。対象名、リク。書き換え対象:エル」
「修正不能の波紋を確認。“世界律破壊者”と認定──抹消対象に指定」
淡々と告げられるたび、光の糸が赤く瞬き、さらに強く締まる。
跪く天使たちが翼を畳むその中央で、ひとりの少女が立ち上がった。
長い金髪は陽光を凝縮したように輝き、一本一本が微細な粒子を帯びて揺れるたび、宝石の粉を散らすような煌めきを放った。
白磁の肌は冷たい月光を受けた水面のように淡く光り、まつげの影が頬に落とす弧は儀式的な静けさを帯びる。
鎧は雪を溶かした水面のように白く、胸元から腰へと女性らしい曲線をわずかに描きつつ、装飾は刃のように研ぎ澄まされていた。
外套の裾には溶け残った霧の水滴がまとわりつき、歩くたびに床へ零れて消える。
ノア=クローディアス。
神聖騎士団・異端審問官の最高位にして、“神の使徒”。
使命はただひとつ――Rewriteの使用者を滅し、世界の原初を護ること。
* * *
森の外れ、小さな谷間。
かつて信仰の場だった廃教会は、湿った石壁と埃の匂いに沈んでいる。
外は霧雨。打ちつける音もなく、冷たい湿気だけが肌を撫でる。
リクとエルは、その奥に身を潜めていた。
「……来るよ。今日か、明日か、それとも今か」
エルの声に、不安の影はない。
ただ、何かを待ちわびるような熱が潜んでいた。
「リク。もし“神の使徒”が来たら、どうする?」
「逃げる。全力で」
「……逃げられなかったら?」
「それでも、お前を連れて逃げる」
エルは小さく笑った。
「ありがと。……でも、私が“おかしくなっても”、逃げてくれる?」
「おかしくなんて……ならない」
「……ふふ。なってるよ、もう」
焚き火の残光に銀髪が揺れる。
その冷たさと温もりの対比は、リクの胸にざわめきを残した。
――そのとき。
教会の扉が、音もなく開いた。
古びた蝶番は軋みすら許されないかのように沈黙し、冷たい空気が礼拝堂の奥まで流れ込む。
湿った埃の匂いに、ひんやりとした金属の香りが混じった。
そこに立つのは、一人の少女。
陽光を凝縮したような長い金髪が、湿った空気を断ち割るように揺れ、動くたびに細い肩の上でさらりと流れる。
首筋には一筋の水滴が伝い、鎖骨で光を弾く。
氷青の瞳は、相手の奥底に潜む罪を暴く光であり、同時に「価値を計る天秤」のような冷たさを宿していた。
「……神の使徒、ノア=クローディアス」
自ら名乗る声は澄んだ鐘の音のように冷たく、響きには感情の温度が一切なかった。
「Rewriteの使用者、および書き換え対象に告ぐ――」
「これより、世界律違反の罪により、即時処刑を執行する」
その宣告に合わせ、右手が剣の柄を静かに握る。
白く細い指が締まるたび、金属がわずかに鳴り、革のベルトが低く軋んだ。
「……やっぱり、来たね」
エルが立ち上がる。背筋はまっすぐ、視線は逸らさない。
「リク、下がってて」
「待て、エル!」
制止は届かない。
「ねえ、ノア。神って、全部正しいの?」
「当然だ。神の定義が世界律だ。疑う理由はない」
「……そっか。なら、私が間違ってるんだね」
ふっと笑う。
その直後――廃教会の床が裂けた。
血のように紅い花が、石を突き破って咲き誇る。
花弁から立ち上る赤い霧が、空気を染める。
「なに……?」
ノアの眉がわずかに動く。氷青の瞳が、今度は狩人の光を帯びた。
「神が定義した世界を、もう一度、塗り替えてあげる――Rewriteの“続きを”」
エルが手を伸ばす。
だが、その瞬間。
「神聖障壁・第七層――『記述の凍結』!」
ノアの詠唱とともに、空間が氷のように凍りつく。
Rewriteが発動しかけた“瞬間”を、神の加護が封じ込めた。
「……君、“書き換え”じゃない」
「君は、“改ざん”だ」
「それは、存在罪。世界への反逆。神への背徳」
「――なら、殺す」
剣が抜かれる音が、廃教会に鋭く響く。
「やめろォォォォォォ!!」
リクの叫びが、崩れかけた天井を震わせた。
――神の使徒と、世界を狂わせた少女の戦いが、今、始まる。




