勇者、死す。
───勇者パーティー、全滅。最後の一人から伝えられた凶報は、国家間の秘め事として秘匿された。しかし、魔王城に立った光の柱と魔物の撤退が、終戦を告げていた。確かに、魔王は死んだのだ。
「帰って、きちゃったな」
勇者フィンラルと二人で村を出て数年、とうとう故郷の村へと帰ってきてしまった。春の種まきは終わったのだろうか、耕された畑が一面に広がる普通の村。その景色を見て、言いようもなく懐かしい気持ちが湧いてくる。しかし、俺の足取りは重かった。
勇者、僧侶、魔法使い、戦士、みんな死んだ。それを遺品と共に知らせなければならない、救われた世界の失った人たちに。最寄りだった故郷の村を最初にしたのは、俺自身もどうしたらいいのか整理出来ていなかったからだ。
斥候レダール、それが俺の全て。アイツらに、全部託された者。戦いにすら連れて行って貰えなかった者。
グルグル回る思考をどうにか纏めようとしながら歩いていた。気がつけば、実家の目の前にいた。変わらないボロ家、玄関の木扉は左側が欠けている。昔、俺が壊したんだ。歪んだドアを叩いてしばらく待つ。
「はいはい……。レダール!?」
「ただいま、母さん」
出て来たのは、かなり皺の増えた母だった。白髪も増えたように思う。かなり、負担を掛けてしまった事を思えば、心がかなり重くなる。
母は俺を見るなり抱きしめてきた、とても強く。俺も抱きしめ返す、もう会えないと思っていたから。少しだけ涙が零れた、それは母も一緒だった。
とりあえず中に入り、椅子に座る。母もその対面へと座った。さて、何から話したものかと悩んでしまう。
「お父さんは村の集まりに行ってるから……。そうね、大丈夫だった?」
「俺は大丈夫だったけど……。まぁ、そうだね」
「あんた、少し痩せた?後、クマも出てない?」
「ちょっと疲れてて……。ま、気にしないでくれ」
「そんなこと言われてもねぇ……。しっかり、休みなさいね」
「そうするよ。少し疲れた」
母には分かるんだな。俺は勇者たちが帰ってくると約束してた日、帰ってこなかった日から眠れていない。眠ろうとすると、責任と悲しみが頭の中を喰らい尽くしてくる。でも、休む前にやるべきことをやらなければならない。
勇者は同郷だ。両親を流行り病で亡くしたアイツには、妹が一人いる。村を出る前は三人でよく遊んだ、旅立ちの日に大泣きしてフィンラルをめちゃくちゃ困らせていたのを覚えている。名前はメルリア、フィンラルが度々パーティーのみんなに自慢して困らせていた、勇者最愛の妹。俺は今から、彼女に兄が死んだことを伝えに行く。
「メルリアにも挨拶しようと思うんだけど、家にいるかな?」
「だと思うわ、今から行くの?」
「こういうのは早い方がいいから」
「そう、気を付けていくのよ」
旅立ちの日と同じ言葉で見送られる。母の言葉一つ一つが、懐かしくて仕方ない。帰ってきたんだ。そう思うと共に、帰ってきてしまったんだと苦しくて仕方ない。今からを考えると余計に重い。
少し歩いたところに、フィンラルの家はあった。三人で遊んでいた関係で、よく俺も泊まっていた。何も言わずに泊まって、翌日母に怒られたのは言うまでもない。実家と同じ雰囲気で、あの日から時が止まっているような気さえする。いるんだろうか。いないでくれ、いてくれと相反した感情が渦巻いている。扉の前で手が止まる、しばらくして、ようやくノックが出来た。してしまった。
「誰ですかぁ……?レダール!帰ってきてたの!?」
「ちょうど今、帰ったとこ」
「そうなんだ!ねぇねぇ、お兄ちゃんが世界を救ったってほんと!?」
「……ああ、アイツは誰よりも勇者だったよ」
「もうちょい早く帰ってくれたら、お祭りもあったのに!」
「色々あってな、早く帰れなかったんだ」
あぁ、辛い。明るい声で兄の功績やお祭りの話を語ってくれる彼女に、こんな残酷な話をしないといけないのか。再会を喜んで、旅の話を一日中、兄とする気だっただろうこの無邪気な彼女に。だが、それが責任なんだ。一人生き残らされた、俺の。
「それでさ、お兄ちゃんは?」
「それは……」
「最初に私のとこに来ないなんて、後で叱ってやるんだから!」
「なぁ、メルリア」
「なに?」
「兄さんは……勇者フィンラルは、死んだ」
「……え?」
「魔王との最後の戦いで、亡くなった」
「は……?え……?」
困惑する彼女を努めて見ないようにする。腰に付けた皮袋から、一つのペンダントを取り出した。それを彼女に見せる。呆然としている彼女は、ペンダントと俺を何度も見比べる。
「これ……」
「アイツが、渡してくれと」
「昔、兄さんにプレゼントした……。うそ……」
「『僕はいつも、君の傍にいる。幸せになってくれ』アイツからの遺言だ……」
「うそだ……。あぁ、あぁぁぁぁぁ!!!」
彼女は遺言を聞いた瞬間、ペンダントを握ったままの両手で顔を抑えて崩れ落ちた。言葉にならない叫び声と、間から流れている涙が、その悲しみの深さを物語っている。それはそうだろう、幼少から二人で生きてきた、最愛の兄をこの瞬間、亡くしたのだ。俺は、どうすることもできず立ち尽くす。涙は、流せなかった。
「……ねぇ、なんで……?」
「…………」
「お兄ちゃんの、最期は……?」
「……すまない。俺も、知らないんだ」
「知らない……?」
「俺は、行ってない」
「行ってないって何……?」
「俺だけ、残った」
「……どういうこと!?」
悲しみから一転して怒りに歪んだ彼女が、俺の胸倉を掴んで来る。そうだ、俺は残されたんだ。最後の戦いに、ついていけなかった。黙って、胸倉を掴まれている。抵抗する気なんて、毛頭なかった。
「一人だけ残って!逃げ帰ってきたの!?」
「怖気づいて!?信じられない!」
「その通りだ」
「お兄ちゃんは親友って言ってたのに!私もレダールなら大丈夫って思ってたのに!!」
「……すまない」
「すまないってなに!?見殺しにしといて!!」
「申し訳ない」
「もういい!二度と顔見せないで!!」
ペンダントを抱えたまま、扉が勢いよく閉められる。奥から、泣き崩れる声が大きく響いていた。もう何も感じられなかった。実家に戻るまでの道のりは覚えていない、彼女の鳴き声とあの顔がずっと、頭の中でグルグルと回っていた。
「レダール!無事だったのか!」
実家に戻ると、父が戻ってきていた。やはり薄くなった髪と、増えた皺の数がその労苦を物語っているように思えた。父と抱きしめ合う、父も泣いていた。さっきの光景が頭の中で再生され、頭が痛くなる。母は、静かにそれを見ていた。
しばらく話していると夕食時になり、母が野菜スープとパンを用意してくれた。話の間、他の仲間の話は一つも出なかった。
「さ、食べましょうか」
「今日はめでたい日、だからな」
「そうだね……」
三人とも、静かに食べ始める。その空気は、英雄の凱旋とは程遠かった。パンを齧り、スープをすする。記憶に残っているいつもの味だった、少しだけ心が暖かくなる。顔を上げると、二人が気づかうような顔で俺を見ていた。
「それで、何があったんだ?」
口火を切ったのは、父だった。俺は少し迷った後、話すしかないと、口を開いた。
「……俺だけ、生き残ってしまった」
「……そうだったのね」
「……そうか」
それ以上は、何も聞かれなかった。二人とフィンラルは全く知らない仲じゃない。両親を失った二人の世話を焼いていたのが、俺の両親だった。だから、フィンラルのことが気になるに決まってるんだ。でも、何も言わないでいてくれる。その優しさが、嬉しくて辛かった。
「これから、どうするの?」
「……俺は、伝えに行かなきゃいけない」
「そう……。気を付けて、行ってくるのよ」
「戦いは終わったんだ、無理するなよ」
「……ありがとう」
そのまま、久しぶりに実家のベッドで眠った。少しは安心していたのか、珍しく眠ることが出来た。その晩、夢を見た。
「これは、君にしか任せられないんだ」
魔王城近郊、最後の野営。俺が、残された日。勇者は、ペンダントを俺に渡しながらそう言った。
「それに、ここから一人で帰れるのは君だけだ」
嫌がる俺に、フィンラルは頭を下げる。長年の付き合いだ、コイツは決めたことを決して曲げないのを知っていた。
「妹をよろしく頼む。君にしか、任せられない」
頭を上げたフィンラルの顔には、哀しさと覚悟の混ざった、不器用な笑みを浮かべていた。俺は、頷くことしか出来なかった。
「んん……」
そこで目が覚めた。あの日は、絶対に忘れられない。この使命だけは、絶対に成し遂げなければならない。決意が、再び宿った。周りを見渡すと、母だけが居た。父は農作業に行ったようだ。昨日の残り物を食べ、荷物と装備を確認する。
「また、行くのね」
「うん、これだけは俺にしか出来ないから」
「あのね、レダール」
「?」
「どんな形でもね、あなたが帰ってきて嬉しいわ」
「……ありがとう」
「だから、死なないでね」
嬉しさを感じるには苦しく、苦しさだけを感じるには嬉しすぎた。これ以上話していると、もう動けなくなりそうで、荷物を抱えて家を出ていった。母は、俺が見えなくなるまで見送ってくれた。
父にも挨拶をしなければ、と畑の方に向かった。父は、畑を耕していた。近づくと俺に気付いて、手を振ってきた。
「もう行くのか?」
「これ以上いると、動けなくなりそうだから」
「……そうか、気を付けて行くんだぞ」
「あぁ、勿論」
それ以上、話すことは無かった。旅の色々は、全てが終わった後に話せばいい。俺の旅は、まだ終わってない。背負った全てを届けるまで、終わらない。父に背を向けて歩き出す。父も、俺が見えなくなるまで見送ってくれた。
入り口について、村の方を見る。メルリアが、彼女の家の先に立って俺の方を見ていた。手を振る事も無く、ただ見ていた。俺は何をすることもなくただ彼女の方を少し見て、振り返って歩き始めた。
───これは、一人残された斥候レダールが死を伝える物語。彼の戦争は、まだ終わっていない。