7話 アキレスと亀は現実に
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「おはようございます」
6月9日金曜日。
正門近くのバス停で降車してすぐの事だ。背後から聞き慣れた声が聞こえた。
「おはよ。朝に会うなんて珍しいな」
振り向きながら挨拶を返す。声の主は砥部弥生。
昨日の秋月との一件があったから、放課後にでも訪ねようと思っていたので手間が省けてラッキーだ。
「それは私のセリフです。あなたの方こそどうしたんです?普段ならあと2本は後ろのバスですよね」
「早く起きなきゃいけない用事があったんだよ」
今日は平日。ということは勿論、学校がある。それは妹の桜だって同じだ。急におしかけてきたせいで、桜は7時前に家を出なければならなかった。桜の通う区立中学が遠いわけではないのだが、一度両親のいる方の家に帰って時間割に合った教科書やらを揃える必要があるからだ。
そのため今朝は6時に起きて朝食を作る羽目になった。朝は少しでも長く寝ていたい派の俺にとってはいい迷惑。世の中には『早起きは三文の徳』なんて言葉もあるが、俺からしてみれば三文を払ってでも寝かせて欲しいぐらいだ。
「ところで砥部」
2歩後ろを歩く砥部へ語りかける。それからゆったりとした彼女の歩みに合わせるように、歩くスピードを少しだけ遅めた。
「なんでしょうか?」
「あったぞ」
「頭に異常がですか?」
桜といい砥部といい、こいつらはどうしてすぐに俺の頭がおかしいと決めつけるのか?俺からしたら、お前らのその発想の方がよっぽど狂ってると思う。
「いいや、俺の頭は至って正常だ。そうじゃなくて例の噂についての進展だよ。この間話したばっかだろ」
「分かってますよ。少しふざけただけです。それで、どうだったんです?」
俺の真横まで追いついた彼女が凛とした表情で問いかけてくる。その瞳は透き通るほど澄んでいて、全てを見通すかのようだ。
「噂の正体は秋月で間違いなかったよ。でも、真の正体は超常現象だった」
「なんだ、やっぱり頭がおかしいんじゃないですか」
「……」
2人並んで正門をくぐる。いつもの登校時間より20分ほど早い。そのせいか辺りに人影は見られない。駐輪場にも自転車は10台ぐらいしか停まっていなかった。
「去年の夏にした俺の相談。覚えてるか?」
仕切り直すように問いかける。
「追いつけない、とか言ってたやつですか?」
「そうだ。例え自分が走っていて、目の前の奴が歩いていても抜かせなくなる現象。それが再び起きてるんだよ」
「あの、前から思ってたんですが、それってあなた視点だとどんな感覚なんですか?」
どんな感覚って言われてもな……。理解が及ばないから超常現象な訳で、いい例えがなかなか浮かばない。
「そうだな。無理やり例えるなら時空が歪んだかのような感じ、かな?」
「それ、全然例えになってません」
「だよな」
案の定ダメ出しされる。言ってる途中、例えになっていない事に自分でも気づいた。
「うーん、強いて言うならランニングマシンみたいな?確かに俺は走っているんだ。その証拠に体力は相応に使ってるし。つまり、その場で走ってるって感覚が1番近いかもな」
「なるほどです。少しはマシな例えになりましたね」
「それはあれか?マシンだけにマシっていう高度なギャグか?」
「もう帰ります」
「嘘嘘、冗談だって。本当に困ってるんだよ。だから見捨てないでくれ」
まだ1時間目も始まってないのに帰ろうとするとは、とんだ非行少女だ。そう言おうとしたが、本当にキレられそうだったので取り敢えず謝っておいた。
まあ、今のは俺が悪いな。
そうして話しながら歩くこと数分、俺たちはいよいよ昇降口までやって来た。砥部とはクラスが違うため、下駄箱の位置も離れている。
なんの会話も無しに俺たちは一度別々の方向へと別れる。それから、これまた何の会話も無しに2階へと登る階段で合流する。
「で、その現象が秋月さんにおきていると」
階段の踊り場付近、合流して少し経ってから砥部が唐突に呟いた。どういう意図の発言なのかは分からない。
それにまだ何か言葉が続きそうな気がした。だから、その後に続く言葉を黙って待つことにした。
「……」
けれど、砥部は一向に話し出さない。何やら、顎の先に手を当てて考え込んでいる。俺は焦れったい気持ちを抑えながら平静を装ってもう少し沈黙を貫いた。
「抜かそうとして必死に走り込む、そのせいで足音は大きく声も荒くなる。でも絶対に抜かすことはできない。それなら、『変なストーカー』の辻褄は合うかもしれませんね」
考えた末にようやく発した彼女の言葉は意外にも肯定的だった。それを聞いた俺はここぞとばかりに畳み掛ける。
「そうだろ。ならさ、何か関係のありそうなこと知らないか?何でも良いんだよ」
「関係のありそうなこと……ですか?」
「ああ。今更の事だ、無理に信じてくれとは言わない。でも何か解決のヒントになりそうなことがあればと思ってさ」
「そう言えば、似たような話はありますよね」
「似たような話?」
そう言われてもあまりピンとこない。実際問題、今の今まで手掛かりらしきものは何も掴めていないのだから。
「ほら、あれですよあれ。アキレスと亀です」
「ああ、あれか。コツコツと努力をした者が報われるって教訓の」
「馬鹿なんですか?それはウサギと亀です。私が言ってるのはアキレスと亀。流石はスポーツ推薦、学がないですね」
呆れた表情で言いたい放題の砥部。何もそこまで言わなくてもいいだろ……。
「スポーツ推薦の馬鹿で悪かったな。それで、馬鹿な俺にも分かるように教えてくれよ」
「そうですね。じゃあ、それは放課後と言うことで」
その言葉にハッとさせられる。気づいたら俺たちは大分進んでいたらしい。3階の2年6組の教室、つまり砥部のクラス前までたどり着いていた。
砥部は足を止める様子もなく、俺のことを気にも止めず教室へと入っていく。このまま別れるつもりなのだろう。
「じゃあとにかく放課後な。頼むからな!」
引き留めたところで彼女の性格上無駄だろう。放課後になったら話を聞いてくれると言ってる訳だし、今は一旦食い下がるのが吉だ。
そう判断した俺は彼女の背中に言葉を投げかける。すると予想通りこちらを振り返る事はなかった。
「以前、超常現象について書かれた本を読んだことがあったのでそちらも探しておきますから」
それでも砥部は最後にそう言い残すのだった。
一見してそっけない奴だけど、意外と面倒見は良いんだよな……。
「これがツンデレってやつなのか?いや、それは違うか。砥部がデレてるとこなんて見たことねえし」
そうして朝のやりとりを終え、8時を告げるチャイムを煩わしく思いながら俺も自分の教室へと向かう。
2年1組の教室はここから間反対の場所にある。2年6組は校舎の最西端に位置し、1組は最東端なのだ。
それからしばし歩いて自分の教室に着いた俺は教室に誰もいないのを確認し、二度寝に勤しむのだった。
「遅いです」
放課後になって図書室へと向かった俺に無慈悲な言葉が飛んでくる。特に急いで移動した訳ではないが、かと言って別にゆっくりと向かった訳でもなかい。
帰りのホームルームが終わり次第、特に他の事はせずに歩いて図書室へと向かった所存だ。
つまり、何が言いたいのかというと、
「そんなに遅くないだろ!ていうかむしろお前が早すぎるんだよ」
こうやって砥部に遅いなどと文句を言われる謂れは無いという事。
「いえ、遅いです。干からびるかと思いました」
「干からびるって、お前は魚かよ」
「何言ってるんですか?」
キョトンとした顔で、頭にハテナを浮かべて砥部が首を傾げる。それから俺のツッコミを無視して話を進めだす。
「それより本を取ってくるので少し待ってて下さい」
自分からボケたのだからその対応は無いだろうに。完璧にスルーされるとなんだか悲しくなる。
やりきれない気持ちの俺をよそに、砥部は迷いのない足取りで隅の方に配置された本棚へと向かって行った。それはまるで全ての本の位置を把握してるかのような足取りだった……ってそんな訳ないか。
とにかく、彼女は2冊の本を胸に抱き直ぐに戻ってきた。それからその本をドサっと少し乱雑に図書室の受付机に置いた。
1つは小さめで分厚い本。表紙には『パラドックス大全』と記されている。
もう一冊は打って変わって派手派手しい色使いの雑誌。どうやら『月刊超常現象』という本の8月号のようだ。何年度の8月号なのかは分からない。そして表紙に記された『超常現象"パラドックス"は現実だった!?』という見出しが胡散臭さをこれでもかというほど醸している。
いや、ほんとに何だこの嘘くさい本は。
何より驚いたのは砥部がこんな本を知っていたこと。
「お前もこういうジャンル読むんだな。俺はてっきり興味すらないもんだと思ってたよ」
「私もそう思ってました」
「……?」
「他に読む本が無かったので仕方なくです」
読む本が無いって、本なんてここにはいくらでもあるだろう。周りを見回してみても本棚が所狭しと置かれている。図書室としての規模はやや小さい気もするが、それでも十分過ぎるほど本で溢れている。
「おまえって偶によく分からない冗談言うよな」
「そうですか?」
「ああ」
「まあそんなことより今はこっちが先です。まずは『アキレスと亀』について説明するのでその足りない頭と耳でよく聞いてください」
「あ、ああ。分かったよ」
そうして砥部の解説コーナーが始まった。
「〜という話です。理解できましたか?」
「まあ、大体は」
分厚めの本、『パラドックス大全』の記述と照らし合わせながら砥部は『アキレスと亀』について聴かせてくれた。まずは彼女の話を簡潔に纏めてみる。
ある所に足の速い人間、アキレスがいた。そして、またある所にノロマな亀がいた。
とある日、彼らは100メートルの競走をすることになった。しかし、力の差は明白。そこで1つハンデを設けた。
そのハンデとは、亀が20メートル先の地点からスタートするというもの。それだけが与えられたルール。他には何の条件もない真剣な勝負。
ハンデがあるとはいえ、アキレスは亀より何百倍も足が速い。勝負は圧倒的と思われた。しかし、結果は亀の勝利。アキレスは亀を追い越す事ができなかったのだ。
その理由はこうだ。
アキレスのスタート地点をAとする。そして、アキレスより20メートル先の亀のスタート地点をBとする。
勝負が始まって数秒後、アキレスはあっという間に地点Bに到達した。けれどその時点で亀もいくらか先の地点まで進んでいた。この亀の位置を地点Cとする。
そのまた数秒後、今度はアキレスは地点Cへと到達した。しかし、その時点で亀は更に先の地点Dへと進んでいた。同じように、今度はアキレスが地点Dに到達した時も、亀は僅かではあるが更に先の地点Eへと進んでいた。
アキレスと亀の差は僅か数ミリかもしれない。それでもこの試行は無限に繰り返す事ができる。
それ即ち『無限回の試行』。
試行が無限にも繰り返せるのだから、アキレスはいつまで経っても亀に追いつけなかったのだ。
これが『アキレスと亀』のお話。難しい理屈はともかく、実力が覆りあり得ない事が起きている。秋月の抜かせないという話、俺が体験した超常現象と殆ど一致する。
「つまり今回のケースに当てはめるなら、秋月がアキレスで通行人が亀ってことだよな」
「そう言うことです」
「でもさ、この話って架空の話……っていうか間違った理屈だよな。どうしてそれが現実に起こるんだ?」
現実ならいくらハンデがあったところで人間が亀に徒競走で負けるはずがない。この理論は間違っている。
「そんなの私にも分かりませんよ。それに何度も言いますけど、私は信じてる訳じゃないですから」
「そっか。そういやそうだよな」
「でも、こっちの馬鹿げた本にそれっぽい事が書いてあったので参考程度にはなるかもしれません」
そう言って次に見せてくれたのは胡散臭い雑誌の8月号。都市伝説にまつわる雑誌。
「確かこのへんのページに……あった、ありました」
砥部がパラパラとページを捲る事20ページぐらい。そこには、パラドックスについての記事が記されていた。
「ここです。この記事読んでみてください」
「分かった。ちょっと貸してくれ」
砥部から雑誌を受け取り記事に目を通してみる。するとそこには『パラドックスは現実に発生する』という旨の文章が数行に渡って書いてあった。
その記事の言う通りに、もし『アキレスと亀』が実際に発生するというなら現状にピッタリ当てはまる。当てはまるのだが……。
「いくらなんでも胡散臭すぎるだろ」
ようやく見つけた唯一の手がかり。それはあまりに怪し過ぎる。小学生でももう少しまともな嘘をつく。
「でも、他に手がかりは何にもないんですよね?」
「そうだけど」
「じゃあ取り敢えずは信じるしかないじゃないですか」
「……だな」
そうだよな。今はこんな雑誌でも信じるしかない。贅沢を言える状況ではないのだから。
それに砥部がわざわざ調べてくれた訳だし、無下にするのは良くない。ひとまず礼をしておくのが筋だろう。
「よし、ひとまずはこの本を信じて対策を考えてみる。わざわざ調べてくれてありがとな」
「べ、別にわざわざ調べた訳じゃないですから。それより、対策って言っても何か具体的に考えはあるんですか?」
「いや、それはこれから考えようと」
「はぁ、策無しですか……。だったらまずは秋月さんに悩みとか迷いが無いか聞いてみることです」
「悩みや迷い?」
「ええ。その雑誌によるとパラドックスの原因は人の悩みや葛藤だと書かれていますから。ほら、左のページのこの辺りです」
彼女が23ページ目の真ん中あたりを指差しながら告げる。示された辺りを読んでみると確かにそう書いてある。
『矛盾が現実に生じる不思議な現象、その名も"パラドックス"。パラドックスの正体は負の感情による歪みである。
古来から、応援や声援は人々に力を与えてきた。明るい感情……それは力になるのだ。
だとしたら……、葛藤、怨恨、後悔、暗い感情はどこへゆくのだろう。積もり積もった負の感情達はどこに溜まっていくのだろうか?
空気を入れ過ぎた風船が破裂するように、空気を入れすぎたタイヤがパンクするかのように……。ある時、積もり積もった負の感情は限界点を超えて破裂した。
そうして日常に歪みが起きた』
「これがパラドックス発生のメカニズムか。意外とそれっぽいことが書いてあるな」
「ですね。なんだかあり得てしまいそうな説明です」
「にしても悩みや不安か」
「さらに詳しく絞るなら、躊躇いという言葉の方が相応しい気もします」
「それまたどうしてだ?」
「アキレスと亀の原因が無限の試行によるものだったからですよ。秋月さんも心の中で無限に試行している、言い換えれば何度も躊躇しているからパラドックスが起きていると考えるのは自然でしょう」
「なるほど。確かにその通りだ」
やはり砥部に相談してよかったとこの時強く思った。
さて、明日は土曜日だったはず。バイトも入ってないし、ならば向こうの都合さえ良ければ聞いてみるか。
時間は有限だ。確か桜が似たようなことを言っていたな。急ぐに越したことはない。
「そういうことなら秋月本人に聞いてみるよ」
「それが最善ですね」
「それでさ、この2冊の本なんだけど」
「いいですよ。図書室に人なんて滅多に来ないですから。好きなだけ借りて行ってください」
「そっか。助かるよ」
言われて辺りを見回す。これだけ大きな声で喋っておいて今更だが、図書室には俺たち以外に人はいない。
去年は俺も図書委員だったから分かるのだが、課題で辞典が必要になったりしない限り、図書室に人が来ることは殆どない。自発的に来るような意欲ある生徒は駅前の大きな図書館に行くからだ。
駅前の図書館は最近できたばかりの建物で綺麗で大きい。蔵書数もうちの学校の古びた図書室とは桁が違う。
それになにより、ここから歩いて10分もかからない距離にある。本が好きな生徒はそっちに行くに決まってる。
砥部から2冊の本を受け取った俺は通学用カバンに押し込む。本というのは意外と侮れず、背負ってみると大分重い。
「それじゃあ後は自分でも調べてみる。ほんと、毎度毎度ありがとな。いっつもお前に助けられてる気がする」
「ほんとですよ。いっつもあなたの世話をしてる気がします」
「その通りだな。それじゃあ何かあったらまた頼むよ。それと、何かあったら偶には俺を頼ってくれよ」
俺はめんどくさがりな方だし嫌われ者だけど、受けた恩を忘れたり情が無い訳ではない。むしろその辺の所は人一倍しっかりしてる方だと思ってる。だから困った事があったら言って欲しいと本気で思う。
最後にそんな日頃の感謝を伝えて、予想以上に重い鞄に苦しみつつも俺は図書室を後にした。
それから正門前のバス停でバスを待つ間、スマホを起動しLINEを開く。普段誰とも連絡を取り合わない俺がLINEを開くのは実に2ヶ月ぶり。
火球の要件なら電話でいいし、急ぎじゃなければ直接会って話せばいい。無論、雑談なんてする相手はいないのだが。そんなこんなで気づけばLINEを開かなくなっていた。
ぎこちない操作でグループ『2年1組』をタッチする。未読のメッセージが数百件も溜まっていたがどれもくだらない内容だ。カースト上位の生徒達がくだらない雑談で盛り上がっていただけ。
とっくに退会させられていると思い込んでいたが、一応クラスメイトという事でそこまではされてなかったようだ。
特にメッセージを送る訳でもなく、今度はメンバー一覧を開く。そこから一つのアカウントを探し出し、友達に追加する。
アカウント名は『rena』。プロフィールアイコンは風景写真で和風な建物が並んでいる。恐らく鎌倉辺りの街並みだろう。どこか見覚えがある気がする。
突然友達追加した訳と軽い挨拶をテキストボックスに打っていると、その途中でバスがやってきた。打ち掛けた文字をそのままに、俺はスマホを閉じでズボンのポケットにしまう。
「まあ、後ででいいか」
ICカードをかざして乗車し、定位置となった最後部の窓際に座る。それからさっきまでの続きを打ち終えて彼女に送信した。
「ブブッ!」
送ってものの数秒、ポケットにしまったスマホが振動する。恐らく、いや十中八九返信が来たのだろう。
「速すぎだろ。暇人なのか?あのギャルは」
作者は物理や哲学の専門家でないため、もしかしたら本文内の説明に誤りがあるかもしれません。
感想等で意見いただけると参考になります。
ここまでお付き合い頂きありがとうございます!