33話 迫る真実
投稿順番にミスがあったため訂正しました。
混乱した方がいたら大変申し訳ありません。
振り返るとそこには砥部弥生が立っていた。
そして、砥部がこの場所に現れたことは彼女が時間停止を巻き起こしていることを自白したのと同義だ。
俺は確認のために声をかけようと、石段の上からこちらを見下ろす砥部のもとへ歩み寄る。
すると、俺より先手を打って彼女が口を開いた。
「いつ、気づいたんですか?」
その問いかけからして、砥部がパラドックスを引き起こしているかどうかの最終確認は必要がないらしい。いよいよ彼女も言い逃れる気はないようだ。
「昨日だ。お前とカフェで相談をして、そのあと駅で別れてからこの場所で少し考えてた。なんだか胸に違和感があったからな」
斜面を少し登り、砥部と目線の高さを同じにしたところで俺は彼女の問いに答える。
「流石は逆巻さん、肝心な時は勘が働きますね。秋月さんを見つけた時といい意外と鋭いですよね」
「褒めてるんだか貶されてるんだか分からない言い草だな」
「それは……どっちでしょう。それよりどうして私だと?これまで結構うまくやってきたつもりなんですけどね」
うまくやってきた、と言うのは俺にバレないようにやり過ごしてきたということだろう。そうしてとうとうしくじったとばかりに、苦笑いを浮かべて砥部は残念がる。
「以前、転校生として現れた諏訪とやりとりをした。それがヒントになったんだ」
以前、諏訪に声をかけたと同時に時が止まったことがあった。その時俺は、声をかける前に時が止まったのだと勘違いをしてしまった。
だが実際には「あのさ」という呼びかけが彼女の耳に届いたところで時は止まっていたのだ。
呼びかけすらも届かなかったと勘違いをしたあの時の俺は、止まった時の中で諏訪から目線を離しふて寝を始めた。その結果、時が再び動き出したときにすれ違いを生むこととなった。
客観的に見れば俺は、諏訪に声をかけた途端机に突っ伏して寝たことになるわけだ。諏訪の目にはおかしな奴に映ったことだろう。
そしてヒントはそれだけじゃない。昨日の海岸での出来事も俺に大きな気づきを与えてくれた。遠くから聞こえてきた汽笛の音。あれが鍵となったのだ。
汽笛が聞こえてきた瞬間、俺はつい音に気を取られて辺りを見渡した。しかし、その音に慣れていた周囲の人々は気にも留めていなかった。
諏訪の件も汽笛の件も、音に対する反応というのが重要なポイントだった。
「昨日、俺はお前に相談に付き合ってもらったよな。問題なのはあの日の別れ際の一幕だ。
お前は俺に何かあったのかと聞いたな。確か、俺が大きな声を出したから気になったとかなんとか言っていたはずだ」
「……ええ、確かに聞きました」
砥部は俺の言葉で自分が出したボロに気付いたようだ。相槌を打ちながら、小さな声で「ああ、そうか」と呟いた。
それでも俺は彼女の態度を気に留めず、話を続ける。
「でも、考えてみればそれはおかしなことだったんだ。そしてその言質を取るために昨日の夕方、千種先輩のもとを再び訪ねて確認をとった」
「証拠集めまで完璧という訳ですか。言い逃れのしようもありませんね。これはやられました」
「俺がカフェで大きな声を出したのは千種先輩が食器を落としそうだったからだ。でもそれは重要なことじゃない。肝心なのはあの一連の出来事の中で、いつ時が止まったのかだ」
ここまで話せば大体は察しがつくだろう。ここで重要なのは周囲の反応だ。
「危ない、と大きな声をあげて俺は千種先輩の手元から落ちそうになった食器を拾い上げた。そして、俺が自席に戻ったところで時は動き出した。それが一連の流れだ。
そして、時が動きだした瞬間の周囲の反応が重要で、店内の他の2組の客は無反応だった。千種先輩も同じく、これまで通りに接客を続けていた。
このことから分かるのは、俺が大声を出したタイミングでは既に時が止まっていたってことだ。
転校生の諏訪の時のように大声をあげたあとに時が止まったなら、何事かと俺に注目が集まるに決まってるからな。
実際、千種先輩の元を再訪した際に確認した内容が正にそのことだ。あの時、店内で何かおかしなことは無かったかと尋ねてみたが、何も無いからかむしろ怪訝な反応をされた」
長々と話をしたところで俺は一旦呼吸を落ち着ける。乱れた息を整えるために、そして最も決定的な根拠を告げるための心の準備のためだ。
それから2、3拍置いて再び口を開く。
「よってだ。つまり、普通の人間は俺が大声を出したことにはそもそも気づかないはずだったんだ」
「もう十分です。やはり言い逃れはできないことがよく分かりましたから」
俺が大声をあげたタイミングで砥部はトイレに行っていた。あの瞬間、彼女が時間停止の影響を受けていたのか否かは俺に観測できない状況にあった。正しくシュレディンガーの猫状態だったと言えるだろう。
そして、そもそもパラドックスとは制御など効かない代物だ。恐らく砥部自身、時間が止まっていたことに気づかなかったのではないだろうか。トイレにいたんじゃ周囲の反応は分からないし、辺りが無音でもおかしくない。
だから、本来なら俺の大声は聞こえていない体をとらなければいけなかったのに、別れ際でボロを出してしまったのではないか。
というのが、熟考の末に俺が導き出した推察だ。
「その反応だ。最早確認するまでもないかもしれないが、認めるってことでいいんだな」
「ええ、その通りです。時間停止……もとい飛ぶ矢のパラドックス、それは私に降りかかった厄災で間違いありません」
「……そうか」
つい全身から力が抜ける。ようやく真実を突き止めた達成感による安堵……などではなく、やるせなさによるものだ。
彼女は認めた。これまで散々はぐらかして否定してきた事実をついに認めた。
きっと簡単に人に話せないような胸に秘めた想いがあるのだろう。葛藤や後悔があるのだろう。それを無理に聞き出すつもりは別にない。今まで俺に話してくれなかったことだって責めようとは思わない。
だが、やっぱり腑に落ちない。どうしても納得できないことが1つある。
「1つ、考えてみてもどうしても分からないことがある」
「なんでしょうか?」
「なぜ、パラドックスについて否定し続けていたんだ?お前が持ってる悩みとか葛藤について黙秘していたことは別に構わない。だが、お前がパラドックスという存在を信じてくれたなら……。それだけで俺はどれだけ救われたことか」
そう、それこそが一種の裏切りだ。
彼女はいつも相談に乗ってくれた。嫌々ながら俺のそばにいてくれた。そして打開策を一緒に考えてくれた……でも、その本心はどこにあったのだろうか。
「やはり、怒っていますか?」
「怒っている……というより、まずはどうしてなのか?その背景を知りたいというのが本音だ。パラドックスなんて現象を引き起こすほどだ。並々ならぬ事情を抱えているのは明らかだしな」
怒りなどではない。今の俺の感情を言葉で表すなら、それはきっと悲しいのだ。
俺の知ってる砥部は、俺が砥部と過ごした時間はなんだったのか。共に過ごした時間がただの上辺だけの付き合いだったのかと想像すると、どうしてもやりきれない。
少なくとも俺は多少は心が通じ合えていると感じていたのだ。
「そうですか。分かりました。でしたらここで全てを話しますよ。だって私、本当はパラドックスの原因、なんとなく分かってるんです」
「分かってる……のか?」
一瞬驚きを隠せなかったが、すぐに俺は正気を取り戻す。そういえば秋月の時も本人はうっすらとパラドックスの原因を自覚していた。
ただ、秋月には原因を認識していてもそれと向き合う勇気が無かったのだ。だから葛藤に打ち勝つことができなかった。
そう考えれば砥部が原因を自覚しているのは不思議ではないのかもしれない。俺は彼女の口から言葉が語られるのを静かに待つ。
「逆巻さんは私のことをどう思っていますか?」
だが、話は単刀直入には進まない。砥部はなんだか要領を得ない質問を向けてきた。
「それは頼れる奴だって思ってるけど……。なあ、この質問がパラドックスに関係あるのか?」
その場をはぐらかすような質問に、俺はたまらず問いかけながら抗議の目を向ける。
「ええ関係ありますとも。私は前にも同じ質問をしたと思います。その時も逆巻さんは同じように答えました。正にその言葉、それこそが原因なんですから」
「俺の言葉が原因?」
「頼れる奴って発言です。そもそもそれが違うんですよ」
それがきっかけだったように思う。これまで感情的になった砥部は見たことなかった。
それが、このセリフをきっかけに一気に流れ始めたのだ。溜まっていた感情が溢れて止まる様子はなかった。
「私が頼れる人間ですって?冗談じゃない。私は最も醜くて無能な人間なんですよ」
「無能?いったい何を言って……」
「言葉通りの意味です。無知で低脳で低レベル、それが私なんです」
「そ、そんな訳ないだろ。だってお前はいっつも頼りになってきた」
唐突に自虐を始めた砥部に俺はつい否定の言葉を投げる。事実、お世辞などではなく俺は戸部に幾度も世話になってきた。何度も頼ってきた過去がある。だからこの言葉は嘘ではない。
「今までの出来事が、その全てが時間停止があったからできたことだったとしたら。もし私がそう言ったなら逆巻さんはどうします?」
「まさか、そんなことが……」
ポツリと小さな声だが、そのセリフは俺の心臓をキュッと縮めた。頭のいい人間ではないが、自分は時たま妙に勘だけが冴える時がある。特に最悪の想定を俺に思考させたら右に出るものはいないとさえ思う。
今だってそうだ。砥部が口にした一つの仮定の話。それだけで過去に抱いた違和感が頭の中で輪郭を持ち始める。
「考えてみてください。思い当たる節があるはずです」
俺は更に記憶を掘り返す。前々から砥部の行動には驚かされることがよくあった。でもそれは、彼女の察しのよさや要領の良さによるものだとばかり考えていた。
だが、それだけでは説明がつかないことがいくつかあったことも確かだ。
「体育祭の最後、俺が倒れかけたとき……」
真っ先に浮かんだ一つ目の出来事をポツリと呟く。
「それもそうですね。運動神経の悪い私が、尚且つトラックの反対にいた私がどうやって倒れる逆巻さんの元へ行けたのでしょうか」
言われてみればそうだ。気が利くやつだから俺の異変に気づいたのだと思っていたが、そもそも砥部はトラックの反対にいた。物理的にも色々と難しい条件下だったはずだ。
そして思い当たる出来事はこれだけじゃない。
体育祭よりも前のことだが、俺と秋月が水族園に行った時に砥部と通話したことがあった。あの日の前日は到底1日じゃ終わらない量の課題が出ていた。提出期限は2週間後。毎日計画的にやってようやく終わる量だった。
でも、それを砥部はたったの半日で終わらせていた。あの時確かな違和感を感じたものの、秋月のことで頭がいっぱいだった俺は深く考えようとしなかった。
思い当たる節はまだある。ある時には図書室の本を全て把握し、読破してるかのような言い草をしたこともあった。止まった時の中で……という可能性を考慮すれば、それは不可能ではないかもしれない。
「本当にお前の今までの行動はパラドックスのおかげだったっていうのか?」
本当にそうなのだとしたら大きな誤算だ。俺は何にも分かっていなかった。周りが、俺が、なにより俺の言葉が彼女を縛っていたことに。
飛ぶ矢のパラドックスの原因が砥部にあることは昨日の時点で分かっていた。そして何か人に話しにくい訳がある事も予想していた。
しかし、その根幹にあったのは砥部という人物像そのものを崩壊させうるほどの真実だった。俺の見ていた砥部という人物は全て演じられたペルソナに過ぎなかった。
「はい、全ては時間停止があったから。だから本当の私は逆巻さんの思ってるような人間じゃないんです」
本当の私じゃない……、それがさっきの砥部が無知で無能な人間という主張に繋がるわけか。
「さて、本題に戻りますね。私がなぜパラドックスを打ち明けず、しかも逆巻さんの訴えを信じなかったのか、でしたよね」
「ああ……」
短い相槌を打ちながらも、俺の心は既に暗いものへと変わっていた。されど、砥部は俺の心の内なんて知りもしない。構うことなく話を続ける。
「さっきも言いましたが私、パラドックスの原因が分かってるんです。でも、分かっているからこそ逆巻さんに言えなかった。
だってパラドックスなんてものを受け入れてしまったら、それは自分で自分の低脳さを認めるのと同じことですから。だから私はあなたの言葉を信じるわけにはいかなかったんです」
自分の弱さを受け入れるのはひどく辛いことだ。似たことに秋月も悩んでいた。でも、それを乗り越えることがパラドックスの解消につながるということも事実だ。
「ねえ逆巻さん、私はずっと変わりたかったんです。こんな惨めで何にもできない自分から。変わって、成長して、そして誰からも認められたかった。
でも、いつまでも何にも変われていない。
時間停止なんて現象に縋っておきながら、その恩恵を認めようとしなかった。自分の力、自分の実力だって思い込んで、現実から目を背けていたんです。
逆巻さんの悩みよりも、自分の心の安寧を優先していたんです。そんな最低な人間こそが私なんですよ」
今まで素の砥部は幾度か見た気でいた。本音を聞いた気でいた。でも、これが初めて聞く彼女の本音なのだろう。
「……」
すぐに返す言葉が見つからないくらいには彼女の心からの叫びは印象的だった。その叫びは痛々しいほどに胸に届いてくる。
そして、その染み入る痛さと同時に理解する。
まさに彼女が口にした『変わらない』という言葉。それこそが飛ぶ矢のパラドックスの原因だと。
以前、超高性能のカメラの話をした。1秒間に1億枚の写真を撮るというトンデモ性能のカメラの話だ。
その連射機能をフルで使い、連射した写真の1枚目と2枚目を比べてみる。すると、恐らく写真に違いは見られない。100枚目と101枚目を比べてもそこに違いは見つけ出せないだろう。
それと同じ、過ぎていく日々、過ぎていく時間の中で砥部は変わろうとした。しかし、どれだけもがいても変わることができなかった。
昨日と今日を比べてみてもそこに変化は無く、そんな日々が何日も続いたのだろう。そうして、変わりたくても変われないという思いは日々強くなっていき、積み重なっていった。
そんな思いが胸の内で増幅した結果、影響は現実世界にまで及んだ。
前後で変わりのない写真から運動の非存在性を提唱したように、日々に変化を見出すことができず、現実世界の変化すらもなき物にした。それが「飛ぶ矢のパラドックス」の正体だったというわけだ。
でも、俺は知っている。
パラドックスなんてものはあくまで希望的観測に基づいたありもしない話だ。
距離は縮むし、時だって止まることはない。だから俺は砥部に立ち向かう。彼女の葛藤を吹き飛ばすほどにぶつかるのだ。パラドックスを解決するには確かな思いを伝え、そして相手の迷いを晴らしてやればいい。
でも、相手の思いを変えると言ってもそれは決して打算的なものではない。秋月の時だってそうだ。俺は俺の生活の安寧を守りたい。そういう気持ちは確かにあるが、それ以上に秋月や砥部の方が大切なのだ。
今だって砥部の心情を聞いて、やはり彼女の力になりたいと思う。1年もの間嘘をつかれていたことは事実だが、それでも変わらない事実がある。それは彼女がしてくれた事、乗ってくれた相談、そして何より彼女の言葉は確かに俺の力となっていたことだ。
隠し事をしていたとしても、彼女が相談に乗ってくれたことで俺は救われていた。それは揺るがない事実だ。それになにより、嘘をついていた理由は悪意によるものじゃなかった。
悪意でもなく俺と心を通わせたくなかった訳でもない、それが分かれば……それさえ分かっただけで俺の心は救われた。
とすれば、今度は俺が彼女の助けとなりたいと考えるのは自然なことだろう。
だから俺は砥部に語りかける。パラドックス解決のため確かな本心を告げる。
「なあ砥部、お前は勘違いをしている」
「勘違い……なんのことです?」
思いの丈を叫び、活力を出し切ったように俯く砥部に俺はようやく語りかける。
「お前はいつまでたっても自分が変わらないままだって言ったよな?この1年間の間、本気で何にも変わってないってそう思うのか?」
「だって、私の心は弱いまま。結局、今の今まで逆巻さんに打ち明けることもできず、運動や勉強だって時間停止がなければ低レベルのままです」
そう、私は弱い。弱くて醜くて低劣で無能で……。
私を形容する言葉は他にもたくさんある。
「私はなんにも成長していませんよ。だからパラドックスなんて現象が起きてるんじゃないですか」
言葉を紡ぎながら私は昔のことを思い出す。高校生になってからだけでなく、もっと小さかった時のことを……。




