31話 決着に向けて
昨日抱いた決意。その思いは一晩経っても変わることはなかった。
今日は7月12日、水曜日。いよいよ夏も本番、暑さは日に日に増していく。そんな猛暑日の今日、俺は全てにケリをつける覚悟で登校した。
最悪の未来では、二人の仲が壊れることだってあるかもしれない。むしろ、初めから壊れていた可能性だってある。だが、もはや後には引けない。
この真実を突き詰めずにはいられない。
「なんだか怖い顔ですね。いつもの酷い顔が台無しです」
すると、そんな強い決意は周りからも分かるほどだったらしい。登校中、バスを降りて正門をくぐったところで背後から声をかけられた。
「朝っぱらから相変わらずのあいさつだな。お前らしいと言えばそれまでだけど」
突然身に降りかかった悪態に対して俺も悪態で返す。最早恒例の挨拶とも言える礼儀正しい口調とそれに反した粗暴な言葉遣い。その声の主は砥部弥生に決まっている。
「昨日は世話になった。せっかくの休日を悪かったな」
校舎への歩みを止めることはなく、声の方へと振り返りながら言葉を投げかける。
「ほんとですよ、せっかくの休日だったというのに……もったいないことをしました」
やや口を尖らせて呟きながら、砥部は右手で前髪を耳にかけるようにかきあげる。
それからいくつかのくだらない世間話と、ある約束を1つした後でじゃあなと一声かけてから俺たちは別れた。
そうして俺は1人で自分の所属する2年1組の教室を目指して歩くのだった。本来なら東階段を通って登校するのだが、砥部と出会ったおかげで遠回りをしてしまった。
しばらく歩いて教室へとやってきた俺はあえて後部のドアをくぐって入室する。なるべく注目を浴びないためだ。
教室内にいる生徒は全部で7人。いつもよりやや早く登校したからだろう、まだ来ていない生徒が多いようだ。狭い教室だがどこか広く感じる。全部で35人近くもいるこのクラスもこれだけ人が少ないと流石に静かだ。
そして誰かと特に挨拶を交わすわけでもなく、俺は窓際最後尾の自席へと歩みを進める。そこで、あの問題と向き合うことにした。
今日中にやらなければいけない事の1つ。諏訪愛菜花についての問題だ。
あいつは不定期に別の人格へと変化している。スワンプマンか、はたまたテセウスの船による影響……というのが俺と砥部の見解だ。
最後に観測した諏訪は転校生というキャラ付けで俺の隣の座席に転校してきた。あれから2日が経ったわけだが、彼女はどうなっているのだろうか。
今のところ、諏訪にまつわるパラドックスによって不利益を被ってはいない。それでも問題解消のために得られる情報は得ておきたいと思うのは普通の判断だろう。
そして、その解は教室内に既に存在していた。
自席へとたどり着いた俺は通学鞄を机の脇にかけ、ひとまず席につく。それから目当ての人物と目が合わないよう、さりげなく隣の席に座る人物に横目を配る。
「あ……」
するとわずかな一瞬だったというのに隣の座席に座る人物、是時時雨と見事に目が合ってしまった。気まずい状況につい声が漏れる。
「……」
そして流れたのは沈黙。怪訝そうに見つめる是時と、苦笑いを浮かべる俺。この空気、まさに地獄だ。
「ねえ」
微妙な空気をどうしようかと悩んでいると、ぶっきらぼうな口調で是時が口を開く。その言葉は間違いなく俺に向けられたもの。
「なんか最近、逆巻って変わったよね」
それからどこか他人事のように言葉を続ける是時。世間話の延長のような、場を和ませるためだけの会話だ。
だけど今はその問いかけがありがたい。気まずい空気を変えるため今は乗るしかない、このビッグウェーブに。
「俺自身そんなに変わった気はしないけどな……。それともあれか?皮肉的な意味か?」
「もちろんそれもある」
あるんかい、と俺は心の中でツッコミを入れる。だがまあ、この学校にいる大半の人間が俺のことを変わった奴だと思っているだろうし、嫌っているわけで……。そう考えれば是時が俺に対して良くないイメージを持っているのは何ら不思議ではないか。
「でもそれだけじゃない。私が言いたいのは入学当初みたいにイキイキ……とまではいかないけど、最近の逆巻はすこし楽しそう」
楽しそう……か。それはなんとも無責任な言葉だな。俺がどれだけパラドックスとかいう意味の分からない現象に苦しめられているのかも知らずに。
今だってほんと、時間停止とかいう現象にさんざっぱら苦労してる真っ最中だってのに。
だが……、
「楽しいかどうかは置いておいて、変に充実してるってのはあるかもな」
日々の苦悩とは裏腹に、この言葉は本音でもある。パラドックス解決のため秋月と言葉を交わし、2人で東奔西走したあの日々は退屈しなかった。砥部とあれこれ議論を交わした時間もかけがえのないものだった。
パラドックスに追われていた日々は、これまで無機質に過ごしていた学生生活に色がついたようで悪いことばかりでもなかった気がする。
「そう。それは良かった。学級委員としてもクラスメイトが苦を感じてないのは良いことだから」
「……」
「何?黙り込んで?」
「いや、お前いい奴だなって思って。感心してたら言葉が出てこなくて」
是時時雨。俺が彼女に抱いていたイメージはクールでぶっきらぼう。そしてルールに厳しくどこかとっつきにくいという印象だ。
実際に授業中に寝ていたところ、幾度か小言を言われたこともあったのでそう思い込んでいた。だが、実は意外とそうでもないらしい。
というか思い返してみれば小言の内容も俺の寝言がうるさいとかそんな内容だった気がする。たしか、寝てたことには対して怒っていなかった。まわりへの迷惑だけは考えて、とかなんとか言ってたような……。
つまり悪いのは俺で、そのうえ勝手に厳格な人間だというイメージを抱いてたのか。
「もしかして馬鹿にしてる?」
「いやいやしてないって。本当に感心してたんだ。それと少し反省してた」
「反省?突然なんで?それも何に対して?やっぱり逆巻って変な人なのね」
秋月との一件を通して人の本性について改めて考える機会があった。俺が普段見ていたギャルで高飛車な秋月の姿は仮初の姿に過ぎなかった。
今回だって同じようなものだ。俺の思い込みが思考を狭め、周囲への理解を弱めていた。そんな自分の不甲斐なさに、俺は省みるところがあると感じているのだ。
だが、そんな大真面目な話を突然するわけにもいかない。
「それより、そういう是時はどうなんだ?」
俺は彼女に問い返す形で話題を自分から逸らす。
「どうって何が?」
「俺はあまり是時と接したことが無かったからさ。是時は楽しいのかなって。ほら、是時が笑ってるところってあんまり見ないから」
あんまりというか、本当は一度たりとも見たことがない。愛想笑いのようなものをしている時は幾度かあったが、声を出して笑うような様子は俺の知る限りでは1度もなかった。
関わりが薄い俺になにが分かるわけでもないが、笑っているところが想像つかないというのも正直なところだ。
「そう……ね。最近は少し楽しいかも。私は誰かが何かをしてるのを見るのが好きだから。だから最近は色々面白い」
「そりゃ良かった」
本音か建前か、真実は分からないがその言葉を聞いて少し安心する。
しかしまあ、是時とこんなに話をする日が来るとは思わなかった。そして、彼女が何を考えているのか、少しだけ知れたような気がする。
「それじゃあそろそろ私はこの辺で。私、職員室に用があるから。朝のホームルームで全体へ伝える連絡事項について、先生に確認しないといけないの」
是時との初めての会話がぼちぼちの盛り上がりを見せたところで彼女が席を立つ。
「そうか、偉いな」
「別にこれぐらい大したことじゃ……」
「でも毎日だろ。1日や2日、せいぜい1週間ぐらいは頑張れるかもしれないけど、何ヶ月もってなると立派だよ」
「ありがと。そう言ってくれるともう少し頑張れるかも」
「それは良かった。あまり無いだろうが俺に協力できることがあったら言ってくれ」
「ん、分かった。じゃあまたね」
そうして是時は鞄からメモ帳とペンを1つ取り出すと、俺に背を向けた。
「なあ、最後にもうひとつだけいいか?」
「どうぞ」
「少し変なことを聞く。意味が分からなかったら流してくれていい」
「変なことって……いまさらでしょ、そんなの」
そう言って彼女は少し微笑んだ。
「俺と是時って、ずっと前から隣の席だよな?」
「なにそれ、ほんとに変な質問」
おかしな問いかけに是時は更に砕けた笑みを見せる。それから質問の意図について心底不思議そうにしながら淡々と答える。
「進級して数日は出席番号順、それでその後1度だけ席替えをした結果が今の座席でしょ」
「やっぱそうだよな」
「ええ、だから私の記憶ではもう4ヶ月近くこの座席だと思うけど」
なるほどな。これでようやく今日の目的の1つが達成だ。その言葉が聞ければ十分。つまり、例に漏れず転校生として現れた諏訪の存在は皆の頭の中から消えてるわけだな。
河原で出会った1年生の諏訪や体育祭で出会った金髪の諏訪がそうだったように。
聞きたい言葉も聞けたところで俺は再び是時に向き直る。これ以上彼女の限られた時間を奪うのは酷だろうし、軽い礼を言って話を切り上げるとしよう。
「それとも、逆巻の記憶では違うわけ?」
「……」
急な是時からの問いかけに僅かに思考が止まる。
「なんだよその質問。俺も一緒に決まってるだろ。ただ、今まであまり話してこなかったもんで、隣の席だった実感がなくてさ」
適当な理由で誤魔化してみたものの、なんだか違和感が胸につきまとう。
「なんだそういうこと。だって私も逆巻も中身の無い世間話が好きなタイプじゃないでしょ。それに、以前の逆巻は塞ぎ込んでたしね」
「そりゃそうだな。悪い、忙しいのにこんなくだらないことで時間をとらせた」
「これぐらい別に。それじゃあ今度こそ、またあとでね」
そう言って今度は本当に是時が教室を後にする。
是時時雨……か。
最後の質問はなんだか不思議な問いかけだった。俺はしばらくの間、立ち去った彼女の座席を眺めていた。
それから今日は、授業間の休み時間でも幾度か是時と会話をする機会があった。その最中で彼女と、ある約束を1つしたが、それ以外には特筆すべきこともなく時間は過ぎていった。
そしてようやく訪れた昼休み。俺は体育館裏にて、購買で買ったパンとお茶を片手にとある人物へ電話をかけていた。これも全てにケリをつけるためにこなさなければいけない事の1つだ。
「おはよう!」
電話は2コールも鳴らずにすぐに繋がった。そしてやかましいほどの声量で嬉しそうな声があたりに響く。
ちなみに現在の時刻は13時手前。おはようと言うにはあまりに遅い時間である。まったく、いつまで寝ていたのやら……。
「その声量だと心配は要らなそうだな」
「えー、嘘嘘。やっぱり急に気持ち悪いかも」
「おい、それだと俺と話をした途端に気持ち悪くなったみたいだろ」
「あ、確かに。もしかしたら説也菌がうつったのかも」
「電話相手にも感染するとかその菌どんだけ強いんだよ」
「あはは!確かに!」
それに、その〇〇菌というからかい方はガチで効くからやめておけ。トラウマで死人が出るぞ。
だがまあ、お互いに心から悪態をついているわけではないことは十分に理解できている。だからだろう、特に相手を気遣うこともなく素で話し合うことができて心地よく感じる自分がいる。
「で、本当のところ調子はどうなんだ?」
「それならもう大丈夫。熱は下がってるし喉の調子もいいしね。でも、お母さんに今日まで様子を見なさいって」
お母さん……っていうとあの人か。脳裏に昨日の記憶が蘇る。
あの時は娘と正反対な性格だと思ったが、今思えば不思議なことはなにもないな。
「それより説也君こそ何の用?電話なんて珍しい……というか初めてじゃん」
今更ながら、俺のことを唯一下の名前で呼ぶこの通話相手の正体は秋月玲奈。アキレスと亀のパラドックスを解決したのも束の間、その後すぐにインフルエンザにかかったアホな奴だ。
それにしても、俺からの電話が初めてということは、俺が秋月の母親と通話をしたことはまだ知らないのだろう。打ち明けたところでややこしいことになりそうだし、あの件はひとまず置いておくことにしよう。
「少し確認したいことがあってな。あれからパラドックスについてはどうだ?」
「特には何にも起きてないけど」
何も起きてない……か。その一言でなんとなく察しがつく。ということは少しアテが外れたな。
「了解だ」
「もしかしてまた何かあったの?」
「んー、いやまあな。それより学校は明日から来られるのか?」
「うん、そのつもり。でも説也君がどうしてもっていうなら今からでも会いに行けるけど」
「その言葉が聞けてよかったよ。どうやら本当に元気らしいな。これで微塵も心配する気はなくなった」
「ふーん、心配してくれてたんだ。やっさしー」
「そりゃ……まあな」
秋月の言葉を受けてあの日のことを思い出す。雨の降る深夜の街で彼女は路頭に暮れていた。家に帰ることもできず、橋の欄干近くにずぶ濡れで座っていた彼女。
ツンケンしていて高飛車だった彼女がよくもまあ、こんだけ明るく社交的になったもんだ。いや、正しくは本来の自分に戻れたものだ。
「パラドックスは不安定な心や葛藤が原因だ。あの時、その原因を作った一端は俺にもあったからな」
「そうやって素直に褒め言葉を受け取らないとこ、説也君らしいね」
「俺らしい……か」
そうして俺たちはその後もいくらかたわいない話を続けた。着飾らず、遠慮もしない、素を見せながら行う秋月との会話はやっぱり楽しい。
話の内容は中身のない世間話が大半で、加えてある約束を1つしてから通話を終えた。
そして、この秋月との通話をもってして全ての準備は整った。ここまできてもやはり俺の覚悟は変わらない。
「今日の17時、葛西臨海公園南部の海岸で待っている。もし、お前が俺の予想通り時間停止を巻き起こしている張本人ならそこに来てくれ。そこでケリをつけたい」
俺はこの言葉を既に1人のある人物に伝えてある。そして、その言葉に返事だって貰っている。話し相手は自分がパラドックスの発現者だと認めこそしなかったが、俺の言葉に了承の姿勢を見せた。
約束が成立したわけだ。だから俺のやるべきことはあとはその時が来るのをただ待つのみ。
それから5時間目、6時間目と時は淡々と流れ、チャイムが校舎に響くとようやく放課後が訪れる。午前中とはうってかわって午後は特に何のイベントも起こらなかった。誰かと会話をすることもなく、あっという間の時間だった。
俺は校内でしばらく時間を潰してから、約束には少し早めの16時半に1人で学校を出る。そのまま寄り道もせずまっすぐ緑道を南へと進む。
飛ぶ矢のパラドックス。第二のパラドックスの終結を心から願いながら、それと同時に相反する一縷の希望を願いながら、ひたすらに待ち合わせ場所を目指すのだった。
気づけば空にはどんよりとした灰色の雲が浮いていた。




