27話 昼下がりの待ち合わせ
7月11日、火曜日の昼過ぎ。俺はバイト先のカフェの前で砥部を待っていた。
スマホで確認すると時刻は15時20分。待ち合わせは15時半丁度。
流石は真夏。暑さはとどまる事を知らない。それでも南の方から吹いて来る海風がジメジメとした空気をマシにしてくれている。
風で乱れた前髪を直しながら、俺はスマホを操作する。予定の時間までほんの少し余裕があったので、電話をかける事にしたのだ。
LINEのアプリを起動して、ぎこちない操作で電話をかける。相手のアカウント名はrena。古い街並みの風景画をアイコンにしているそいつは俺の数少ない友人だ。
その相手とは絶賛体調を崩している最中の秋月玲奈。見舞いのついでにパラドックスの話をしたい。時間停止についてと諏訪愛菜花の件など……話したい事はいくらでも出てくる。
そして電話は5コールほど鳴ってからようやく繋がった。
「もしもし、突然ごめんな。体調は大丈夫か?」
メッセージ上のやりとりではそんなに心配するほどの症状じゃないと言っていたが、真実は分からない。秋月のことだ。心配をかけまいと強がっているのかもしれない。
「辛いようならまた掛け直すから遠慮せずに言ってくれ」
電話だって、多少の無理をしてでも応じようとする、彼女はそういう性格だ。だからこそ無理をせたくない。そう考えた俺は会話の始めであらかじめ断っておくことにした。
「あら、もしかしてあなたが逆巻君?」
しかし、返ってきたのは予想していなかったパターン。聞こえてきたのは秋月の声じゃない。
「ええと……はい、逆巻説也です。もしかして電話先を間違えたかもしれないです」
聞き慣れない声にビックリして、1度スマホを耳から離して画面を確認する。
「そんな事ないわよ。これは玲奈のスマホだもの」
けれど相手の言葉通り、やっぱり画面にはrenaと表示されている。すると、考えられるのはこの線だろうか?
「ええと、もしかして秋月のお母さんだったりしますか?」
「せいか〜い!玲奈の母です。いつもあの子がお世話になってるみたいね」
なんだか随分はっちゃけたお母さんが電話に出た。
「い、いえ俺は別に何にもしてないです。むしろこちらこそお世話になってますよ」
「そう?だってあの子、毎日あなたの話をしてるのよ。リレーでの活躍とか雨の中見つけに来てくれた話とか……。何もしてないなんて事は無いわよ」
「ははは……、そんな事もあったかもしれないです」
秋月のやつ、母親にどこまで話してんだよ。なんかこっちが恥ずかしくなるだろうが。
「それに会いたかった人にまた会えて良かった、とかなんとか言ってたわね」
会いたかった人?その件はよく分からない。うちの高校に知り合いでもいたのだろうか?
「……そうですか。それよりどうしてお母さんが電話に?」
「それがね、玲奈ったらインフルエンザに罹っちゃったのよ。熱はほとんど下がったんだけど、安静のためにまだ寝ていてね。それで、スマホをリビングに置きっぱなしで自室に篭ってるの」
「インフルエンザですか?それは大変でしたね」
インフルエンザって……。あいつ、LINEではそんな事一言も言ってなかったのに。
それに、そういえば前に砥部もそんな事言ってたな。感染症が流行ってるって。
「それでね、置き忘れたスマホをあの子の部屋に持って行こうとしたら、偶然にもスマホに電話がかかってくるじゃない。勝手に出るのも悪いと思ったんだけど、相手が噂の逆巻君だったからついついって事なのよ」
なるほど、それで今に至るというわけか。全く運が良いというか悪いというか、絶妙なタイミングで電話をかけてしまったみたいだな。
「そうでしたか」
それにしてもなんだよ噂の逆巻君って。俺は噂になる程なのか?
「とにかく、そういう事でしたらまた掛け直します。秋月にはお大事にと伝えといてください」
「あら、いいの?何か用事があったからかけてきたんでしょう」
「別に大した事じゃないので今度で大丈夫です。わざわざありがとうございました」
「そう……。分かったわ。それじゃあ逆巻君、これからもあの子と仲良くしてあげてね」
「ははは、一応そのつもりです。では一旦これで失礼しますね」
これ以上のやり取りはなんだか気まずい。男友達の親とかならまだしも、女子の親は身構えてしまう。だから俺は通話を早々に切り上げることにした。
それにしてもまさか母親が出るとは……。これまたラブコメでよくある展開だったな。
「お待たせしました」
通話を終えると、想定外の出来事にどっと疲れが押し寄せてくる。けれど、どうやらこの世界はひと息吐く暇も与えてくれないらしい。
背後から聞こえたその声の方を振り返ると、そこには見慣れた格好の少女が立っていた。
足元は黒のローファー。上下の洋服は学校指定のもの、いわゆる制服に身を包んでいる。いつもと違う部分と言えば髪型ぐらいだろう。肩より下まである長い黒髪を今日は後ろで結んでいる。ポニーテールってやつだ。可愛い。
電話をしていて気づかなかったが時刻は既に15時半を回っていた。約束の時間だ。
「悪いな。わざわざ来てもらって」
スマホをポケットに仕舞いながら、挨拶を返す。
「コーヒー、ご馳走様です」
「……分かったよ。それぐらいは俺が持つよ」
彼女を呼び出したのは俺だ。頼み込んで付き合わせた負い目もあったので、砥部の強請りに渋々応える事にした。
いつもは図書室に行けば必然と砥部がいたし、特に約束をせずとも相談ができた。しかし今日だけは違った。
と言うのも、本日7月11日は俺たちの通う紅葉高校の創立の日。つまり今日は開校記念日で学校が休みなのた。学校がやっていないのだから図書室だって当然入れない。
裏を返せば、明日以降なら砥部とはいつでも学校で会えるということでもある。しかし俺は、時間停止と諏訪についての問題を出来るだけ早く相談したかった。
なぜなら、時間停止というのは憧れていたよりも格段に面白くないのだ。本当にやる事がないし、無音の世界に一人でいるのはそろそろ限界が近い。
心の底から一刻も早く解決したいと強く思う。
そういう訳で、今日はわざわざお願いをしてまで砥部に来てもらったのだ。せっかくの休日を潰しておいて、お礼もしないというのは流石の俺でも気が引ける。そう考えれば安いもんだ、コーヒーの一杯ぐらい。
「とにかく店に入ろうか」
「そうですね。外は暑いですし」
「暑いならもう少し楽な格好をすれば良かったのに」
休みの日だと言うのにわざわざ動きにくくて堅苦しい制服を着る必要はない。とはいえ砥部の私服姿を想像がつかないのも事実だ。
「私にとってはこれが楽なんです。組み合わせとか色合いとか、ファッションに気を遣わなくて済みますし」
「それも一理あるな。でも高校生なんてお洒落をしたい年頃だろ」
そういう俺はそこまでお洒落に気を遣っている訳ではないのだが、ひとまず自分のことは棚に上げておこう。
「そうかもしれません。本心では私だってしたいのかもしれません」
「他人事みたいな言い方だな」
「本当はお洒落をしたい気持ちもどこかにある気がします。でも、どうして良いのか分からないんです。自分でも分からないのだから、他人事みたいな物じゃないですか」
「その気持ちはちょっと分かるかも」
何かを変えたくても勇気がでない。あと一歩が踏み出せない。どこから手をつけたらいいのか分からない。
そういう事はたまにある。
「まあ、無理に何かをする必要はないな」
「ではどうしたら?」
「それは分からん」
「そんな無責任な……」
「でもきっと、そうやって悩んだ挙句、収まるところに収まるはずだ」
「本当にいっつもいっつも適当なことを言いますね。でも、それも一理あるかもしれません」
何かを変えようと足掻いたところで劇的に変わるなんて事は滅多にない。かと言って諦めてしまったら何も変わらない。
現実はきっと、なるようにしかならない。悩んで躓いて、そうした過程の中で言い訳を得て、たどり着いた結末を受け入れるのだ。
「まあ何はともあれ、お前にも女の子らしい所があるみたいで安心したよ」
ふと、口からこぼれた言葉に悪意は無かった。これまで接して来た砥部はいつも冷静で、彼女に悩みを相談する事はあれど、彼女の悩みを聞く事はなかった。だから、不意に触れた砥部の人間らしい部分が新鮮に感じられた。
「何を今更。逆巻さんは私の事を何だと思ってるんですか?」
その問いには、なんだか少し怒りが含まれていた気がする。答えを間違えたら砥部の機嫌を損ねてしまいそうな、そんな気がした。
「カワイクテタヨレルユウジン……かな?」
そこで俺は、逃げるようにカタコトで言葉を返した。
「ホントにそう思ってます?」
ジト目でこちらを睨みつける砥部。身長は俺よりやや低い。そのはずなのに、ヒシヒシと感じる見下されているかのような威圧感。それは彼女の鋭く冷たい瞳のせいだろう。
砥部はしばらく俺を睨みつけた後で、はぁと気の抜けた溜め息を吐いてから呆れたように言葉を続けた。
「逆巻さんは誤解してるみたいですが、私だって普通の女の子なんですからね」
機嫌悪そうに口を尖らす砥部を見て、自分の発言がデリカシーを欠いていた事に気づく。
「悪かったよ。フードも一品奢るからそれでチャラにしてくれ」
「それはもともと奢って貰うつもりでした」
「なんでだよ!」
「お腹が空いてたからです」
「理由になってねえって……」
「それに物で釣ろうなんて最低ですよ」
「それは悪かった。じゃあやっぱり奢りは無しの方向で」
「……そんなんだから嫌われるんですよ」
「まあまあ本当に悪かったって。それに頼りにしてるのも本当だし、可愛いってのも別に嘘じゃないからな」
こんな事を口にするのは気恥ずかしいが、砥部の容姿が整っているのは本当のことだ。
そんないつものくだらないやり取りをしながら、俺達は自動ドアをくぐる。
誠意が伝わったのかひとまず機嫌は治ったようで、地雷を踏み抜かずに済んだようだ。そうして俺は、思いの外弾む出費を泣く泣く受け入れるのだった。




