26話 もう一つの可能性
「なんかいつも待ってる気がするな」
遠くから運動部のかけ声が聞こえてくる。そのもっと遠くからは蝉の鳴き声が、更に耳を澄ますと飛行機が飛ぶ音が聞こえる。
放課後の下駄箱は不思議な雰囲気がする。決して無音ではないのに、静かでどこか寂しいような。
そんな物寂しい空気に浸りながら1人佇んでいると、後ろから肩をトンと叩かれた。
一般生徒の多くはほとんど下校している。残っているのは部活や委員会に所属している生徒、若しくは一部の物好きな生徒ぐらいだ。
後ろを振り返り答え合わせをする。予想通り、そこには目当ての人物が立っていた。
「昼休みにしなくて正解だったな」
学校案内をする約束をする際、昼休みか放課後にするか悩んだのだが、案の定昼休みは諏訪の元にたくさんの人が押し寄せていてそれ所でなかった。
「だね。ていうか今だって沢山話しかけられて断るのが大変だったよ」
目新しさ故に群がられ質問責めに会う、転校生の宿命だ。
「もし今後も人が集まりすぎるようなら言ってくれ。人を追い払うのは得意なんだ」
「あはは、やっぱり逆巻君って面白い。変わってるね」
「変わってるかどうかは分からないけど面白いのは確かだな」
「え〜それ自分で言う?」
「褒め言葉は素直に受け取る主義なんだ。純粋なんだよ」
「あはは、やっぱ変だよ君」
「そうかもな。それより早速だけど、ここだけは見ておきたいっていう場所はあるのか?」
この後は一応バイトが入ってる。現在の時刻は16時10分。バイトは17時半からだから、そんなに急ぐこともない。少なく見積もっても1時間は時間がある。
だけど、後ろがある以上は呑気にもいられない。そのため、俺は本題に戻すよう促した。
「音楽室とか、美術室とか……後は体育館とか!そういう知っておかないと困るのは教えて欲しいかな。でも、個人的に興味がある場所とかは特にないかも」
「そっか。それなら楽で助かる。じゃあまずは一階から回るとするか」
「うん!お願いね」
そうして俺はひとまず西側へと歩き始める。それを追うように、諏訪がパタパタと足音をたてて付いてくる。
「ここが体育館であっちが柔道場だ」
廊下を歩き、少し広めのホールになった空間を通り過ぎるとすぐに体育館と柔道場が見えてくる。それらを順に指差しながら彼女に説明した。
「へえ〜、体育館は結構広いね」
「まあそれなりの広さはあるな。ただ、エアコンがないから覚悟しとけよ」
「都内の学校なのに?」
「それは全校生徒が思ってる。エコの精神が凄まじいんだろうな。特に今の季節、夏場は死にそうになるから気をつけた方がいい」
「げえ〜、私暑いの苦手だよ」
「まあ、夏場の体育はプールもあるからそこまで心配しなくて大丈夫だ」
「プール!!」
プールという単語に諏訪の表情がパァッと明るくなる。まあ気持ちは分からなくもない。楽しいからな、プール。
「後で連れてくけど、プールは西階段からしかいけないんだ。3階にある部室棟の上にあるんだが、これがなかなか分かりにくい場所にあるんだよな」
そんな調子で、1階では他に図書室と購買を。2階では職員室と自動販売機の場所、後は書道室とパソコン室を案内し、3階では音楽室や美術室などの特別教室を見て回った。
そして最後に4階。この階で今後利用しそうなのは1年の教室とプールぐらいしかない。1年の教室に関しては、後輩に知り合いでもいないと滅多に来ないので素通りしてプールへと向かった。
現在の時刻は16時半。1年の教室にはまだ数名生徒が残っていたようで、前を通った時に笑い声が聞こえて来た。この調子ならバイトにも余裕で間に合いそうだ。
そして、特にこれといった大きなアクシデントもなく、諏訪にプールを案内して一通りの紹介が済むのだった。
「まあ、ざっとこんなもんだな」
これで知っておかないと困る場所は全て教えた。と言っても全てを覚えられた訳ではないだろう。一目見ただけで覚えるのは難しい。
それでもなんとなくの場所は分かったはずだ。困った時にはクラスメイトや教師にでも頼れば良い。
「他に見たいところがなければこれで帰るけど、なんかあるか?」
「特にない」、そんな言葉が返ってくるだろうと確信しつつ、一応聞いてみる。けど、予想は見事に外れた。
「じゃあさ、逆巻君のお気に入りの場所教えてよ」
「……お気に入りかぁ」
うーむ、そう言われても困る。すぐに浮かばないけど、つまりは居て落ち着くとこだよな。
トイレにいる時は落ち着くけど……それじゃああまりに情緒が無い。ていうか、女の子にオススメの場所としてトイレを案内するとかシンプルに頭がおかしい。
流石にトイレは却下だ。それで言うと俺の行きつけである体育館裏もパッとしないよな。地味だし見晴らしも悪いし。
消去法で考える事約20秒。
「そうだ」
ようやくマトモな案が浮かんだ。それはこの4階からすぐ近くにある場所。
「屋上なんてどうだ?」
「え!?行ってみたい!」
その提案に諏訪も分かりやすくテンションが上がっていた。
校舎には3つの階段がある。今いるのがプールへと繋がる西階段。そして名前の通り校舎の真ん中にあるのが中央階段。そんで、こことは真反対にある東階段からしか屋上へはいけない。
「付いて来てくれ」
「うん」
パタパタとした足音で諏訪がついてくるのを確認して、俺は東階段へと向かった。
そこから掃除の行き届いていない階段を更に上へと昇る。すると、これまた薄汚れた古めのドアがある。ドアには張り紙がしてあり、『生徒立ち入り禁止』と書かれている。
「え?いいの?」
そんな事もお構いなしにドアノブに手を掛けた俺を見て、諏訪が口を開いた。
「いいんだよ。立ち入り禁止って事は他に人が来ないって事だ。つまり、見つかる可能性が低いって事だろ」
「え〜、怒られても知らないよ」
「構わないよ。怒られるのは慣れてるし」
「私が構うの」
諏訪は呆れたようにため息を吐いて小言を言う。けれど、本当に行きたくない訳ではないらしい。口元は微かな笑みを浮かべ、この状況を楽しんでるようだった。
「じゃあ辞めとくか?怒られるといけないし」
思ってもない言葉で判断を急かす。
「ううん、行くに決まってる」
「そう言うと思ってた」
「そう言わせようとしてるのも分かってたけどね」
「はは、とにかく共犯だな」
そう言いながら、力を込めて錆びついたドアを押す。
するとギャリギャリ、という削るような音を立ててドアが開いた。途端にブワッと涼しい風が入ってくる。風の直撃を避けるため後ろを振り返る。
「えへへ、すごい風」
そこには風を受けて髪を靡かせながら笑う諏訪がいた。なんてことないこれまで通りの諏訪の姿なのに、なぜか脳裏に深く焼き付くような感覚がした。
ドアをくぐり屋上に出てみると、そこからは観覧車が見えた。自分のクラスからも見えるけど、屋上からだとより鮮明に大きく見える。
「綺麗だね」
「だろ……って言っても実は、俺も来たのは初めてなんだけどな」
「ふふっ、なにそれ?お気に入りの場所を教えてって言ったのに」
「だって普段は立ち入り禁止なんだ。ルールを破るわけにはいかないだろ」
「たった今破っといてよく言うよ」
「それはほら、3年間で1度ぐらいは来とかないと勿体無いし」
「それはそうだ。これならルールを破るだけの価値はあったかも」
「だな。それに嘘は言ってないぞ。だって、たった今ここがお気に入りの場所になったし」
「屁理屈ばっかり。やっぱり逆巻君って変わってる。面白いね」
「……」
褒められるのはあまり慣れていない。返す言葉が見つからず、つい無言になってしまう。
気恥ずかしさを誤魔化すために、俺は辺りをぐるりと見渡した。そして視界に入ったのは一際存在感を放つ大きな建物。
それは隣の県……と言っても自転車で10分程の所にあるテーマパークのアトラクションだ。
「そんなことよりあれ、見えるか?」
これは良いタイミングだと思い、話題の転換を図る。
「あの、お城みたいなの?」
作戦は成功。諏訪はテーマパークの建造物に興味を移した。
「隣の舞浜にあるテーマパークだよ。夜には花火も上がるぞ」
「へぇー。小さい頃に遊びに行った事はあるけど、まさか学校からこんな近くにあるなんてビックリだよ」
関東圏に住んでいれば大体誰しも1度は行ったことがあるほどにメジャーなテーマパークだ。諏訪も例に漏れず行ったことがあるらしい。
「花火かぁ……。いつか見てみたいな、ここから」
「大丈夫、いつか見れるさ。学校生活はあと2年もあるんだし」
「ううん、そうじゃなくて。あなたと見たいなって」
彼方の一点を見つめたまま、諏訪はこちらをチラリとも見ずにそんな事を口にした。
その横顔はなぜだか強く印象に残った。笑みは無く、どこまでも真っ直ぐで真面目な表情だった。
「じゃあ、今度見に来よう。俺は大抵暇だからお前の予定次第だ」
こんな事を口にするのは少し気恥ずかしかった。それでも、なんだか言わなきゃいけない気がした。
諏訪の言い回しが変だったからだろうか。この約束は叶わない気がしたから。だからせめて、口約束だけはしておきたかった。
後になって考えればきっと、この諏訪もそのうちいなくなる事を薄々感じていたのだ。
「うん、約束だよ」
そうして、なんだか不思議なやり取りをして、俺たちは屋上を後にする。その後もモヤモヤした気持ちは晴れる事はなく、下駄箱まで諏訪を見送って俺たちは別れるのだった。
一緒に校門まで行かなかったのは、1つやり残した事を思い出したから。
1年3組の諏訪。ふと彼女の事が気になったのだ。
3組で嫌がらせを受けていた彼女の存在を知った時、河原で出会った諏訪と金髪の諏訪の存在は消えていた。学校の名簿から抹消されていたのだ。
とすると、2年生に諏訪愛菜花が転校してきた今の状況、1年3組の諏訪はどうなっているのだろうか。
差し込む夕陽と影が作り出すコントラスト。そんな茜色と灰色の2色で染まった校内を歩き、たった今降りて来た階段を登って4階へと向かう。
夕暮れ時のこの明るさは眠気を誘う。現在の時刻は16時55分。少し1年の教室を覗くぐらいしてもバイトには余裕で間に合う。
俺は焦る事なく、ゆっくりと階段を登っていく。
「ふう、到着っと」
しばらくして1年3組の教室へとやって来た。
さっき通りかかった時と変わらず、中からは話し声が聞こえてくる。教室を覗いてみると男子生徒が3人で談笑をしていた。
1人は眼鏡をかけた子、もう1人はやや太り気味の子、最後の1人は背の高い子。
どうやら3人は最近発売されたゲームについて話しいるようだ。
「話してるとこ悪いんだけど、ちょっといいかな?」
躊躇う事も無く、ダベる彼等を遮って声をかける。会話を中断するのは少し申し訳なくも思ったが、彼等は真摯に応じてくれた。
「どうかしましたか?」
「このクラスに諏訪って子がいるだろ。その子が今日は学校に来てたか知りたくて」
それとなく理由をつけて、諏訪の存在を確認する。
「……」
「諏訪……?それってこのクラスですか?」
しばらくの沈黙を挟んだ後で、代表して眼鏡の子が答える。そして、その回答でなんとなく察しがついた。
「そうだったような……。もしかしたら違うかもしれないなあ。そしたら他のクラスに諏訪って子はいる?」
すると今度は背の高い子が口を開く。
「知る限りでは1年に諏訪なんてのはいませんよ」
その言葉に残りの2人も頷く。それから何やら小声で話し合った後「別の学年じゃないですか?」と、彼等は口を揃えてそう言った。どうやら満場一致でその結論に至ったらしい。
「そうかもしれない。悪いね、時間を使わせた」
「いえいえ、別に大丈夫です」
その会話を最後に俺は学校を後にする。そうしてその日は1日中、諏訪について考えた。考えざるを得なかった。
バイト中も、帰り道も風呂の中でさえも……。
そうして、気づかないようにしていた一つの可能性が如実に真実味を帯びてくる。
嫌がらせを受けていた諏訪愛菜花。今度は彼女の存在が消えていた。まるで彼女は初めからこの世界に存在していなかったかのように。
もしかしたらこれは、時間停止とは関係ない全く別のパラドックスなのではないだろうか?
ただでさえ時間停止という厄介事を抱えているのに……、同時に2つ目のパラドックスなんて流石にお手上げだ。
一刻も早く時間停止のパラドックスを解決しなければ、布団の中でそう決意を固めるのだった。




