18話 逆巻説也
あと2話です。よろしくお願いします。
耳をつんざくような空砲の音に歓声が上がる。
皆を盛り上げる流行りの音楽に、興味もないのになぜか心が少し躍る。
――ざわつきが収まる気配は微塵もない。
音響が、歓声が、喧騒が、うるさいはずなのにどこか遠くに聞こえる。
それはまるで、自分はこの輪の中にいないとでも言うように疎外感を与えて来る。いや、事実そうなのだろう。俺は異物だ。誰からも求められていないし期待されていない。この輪の中に俺は入れていない。
嫌われていて孤立した存在。それが俺、逆巻説也だ。
いよいよ戦いの火蓋は切って落とされた。俺はそれを、まるで他人事かのように眺めていた。
クラス対抗リレーはその学年の生徒全員が走るルールとなっている。各クラスの人数は30人。よって走者は30名。病欠などによって欠員が生じた場合には近しいタイムの生徒が2度走ることになっている。
トラックは一周200メートルで、基本的に走者は半周分の100メートルを走ることとなる。基本的にはだ。
競技で主に盛り上がりを見せるのはラスト5人の走者になってから。なぜならラストの5人は半周では無く一周を走りきるからだ。
レースも大詰めで最大の見せ場。ここで勝敗が大きく傾くのだから盛り上がるに決まっている。
言ってしまえば後半戦に至るまでは消化試合のような節があるのがこの競技の良くない点だろう。
そして、その定石通り。レース展開は前半には大して差が生まれることはなかった。途中、砥部が走っているのを見かけたが、案の定あいつは運動神経が良い方ではない。息を切らしながらなんとか走り抜け、トラックの反対側の待機列に人目を避けるように紛れていくのだった。
結局、動きが見られたのは各クラス残りの走者が7人になった時だった。
「現在の順位は先頭から、1組、4組、3組、5組、2組、6組。依然その差は小さく、勝敗は予想ができません!」
放送委員の実況者が気合の籠った声で叫ぶ。
「1位……か」
1つの解決策として、俺はこのパターンも予想していた。
秋月が一位のままバトンを受け取るというパターンだ。パラドックスによる制限は誰も抜かせない事。
だが、一位でバトンを受け取ったなら逃げ切ることができる。秋月の実力なら例え相手が男子生徒でも余裕だろう。
そして、勝利する事で彼女は自信を取り戻し、パラドックスは完全に解決する。それが最も楽な道だ。
しかし、物事がそう簡単に進まないのが現実。
突然、大きなどよめきが辺りに広がった。
「おおっと!ここで1位の1組が転倒だ!大丈夫でしょうか……。そして、転んでしまった1組を各クラスが抜かしていく!」
アナウンスの通り、俺たち1組の男子生徒が転倒したのだ。そしてそれを好機と捉えた他クラスの歓声が一層強まる。その勢いのままに転んだ1組の選手はどんどんと抜かされていく。
様子を見るに転んだ生徒は足を挫いてしまったらしい。彼は足を引き摺るようにしながらやっとの思いで立ち上がり、次の選手になんとかバトンを託した。けれど、無情にもかなりの差が生まれてしまった。
これで現在の順位は1位が4組。それに2組、5組、3組、6組、1組が続く形となっている。いまや俺たちは最下位だ。しかも1組と4組の差は丁度半周ほど。
仕方のないトラブルとはいえキツイ状態だということに間違いはない。
「嘘でしょ。このままじゃ、いくら私でも……」
すると、その様子を真横で見ていた秋月が不安をこぼした。
その顔には焦りが見える。
確かに厳しい、厳しすぎるくらいの戦況だ。もしこの状態でアンカーの秋月に順番が回って来たなら……最悪の結末も予想できる。
パラドックス云々以前の問題。結果は最下位。秋月はようやく取り戻した自分らしさを発揮できず、不完全燃焼で終わってしまうかもしれない。
そうしてゆくゆくはパラドックスの再発……なんて事もありえない話ではないだろう。
だが、こんなベタな展開。予期していない俺じゃない。アクシデントが起きると分かっていた訳ではないが、劣勢に陥った場合ぐらいは想定していた。
「安心しろ秋月。前に言っただろ、俺が絶対助けてみせるってさ」
彼女の肩を軽く叩き落ち着かせる。
「って、あれ?どうして説也君がここにいるの?」
「どうしてって言われても……。同じチームだろ?」
「そうじゃなくて、確か説也君の走順って結構前の方じゃ……」
なんだそういう事か。俺の走順なんて誰も知らないだろうと思っていたんだけどな。意外にも秋月は把握していたのか。
そう。彼女の言葉通り、本来なら俺の走順は前から10番目ぐらいの目立たない所。さっきの自分の言葉を使うなら消化試合とも言える順番だ。本来ならな。
「俺に雑用を押し付けるからこういうことになるんだ」
「もしかして説也君……」
流石は秋月。そろそろ俺の性格を把握してきたようで、俺が何をしたのか彼女はすぐに理解したらしい。
「走順をちょこっと変えてやったんだよ」
まったく、俺がただで雑用をやると思ったら大間違いだ。何のメリットもなしに仕事なんてしてやる訳がない。
体育祭関連の資料はほとんど俺が整理してやった訳で、走順をいじるのなんて朝飯前だ。
秋月と喧嘩したままの場合とか、万が一の場合の秘策のつもりだったが……保険は掛けておくものだな。
と、こうやって彼女と話している最中もレースは進んでいく。会話しながらも1度レース展開に視線を移す。
現在の状況は……先頭集団は以前だんご状態。だいぶ遅れて1組の生徒が追う展開か。特に変化無しって感じだな。変わらずピンチだ。
「でも、いくら説也君がスポーツ推薦で運動ができたって言ってもこの差は流石に……」
「1つ、お前に言い忘れてた事があってさ」
「言い忘れてたこと?」
「俺が入ってた部活。言ってなかったろ」
「そういえば」
スポーツ推薦だったとは言ったがどこに属していたかは言っていない。できれば言いたくなかった。嫌な記憶を思い出すし、まだ未練だって残っていた。それでもちゃんと言葉にしようと思う。
「陸上だよ。お前と一緒だ。それもあって俺はお前を助けたいって思ったんだ」
「陸上部……って、ねえ!そういえば私、逆巻って名前を見たことあるんだけど」
「そうだな。たぶんその逆巻は俺だと思うぞ」
「ほんとに!?」
彼女は酷く驚いた様子で目を丸くする。
彼女が気づかなかったのも無理はない。今の俺は惨めで、嫌われ者で、落ちぶれた人間だったから。
過去の栄光なんて感じさせないほどに曇りきっていたのだから。
「中学男子、陸上個人戦、関東1位。それが俺、逆巻説也だ」
そこまで言い終えて、再びリレーの状況に目を向ける。すると先頭集団は既にラストから3番目の生徒にまでバトンが渡っていた。
それから少し遅れて1組のバトンもラスト3人目の走者に託される。
次の走者、つまりアンカーから1つ前の走者が俺。
そして、俺がバトンを託す人物こそが秋月だ。
「お前は勝つことだけ考えてろ」
最後にそう言い残して俺はトラックに足を踏み入れた。それから軽くステップを踏む。
懐かしいな……この感じ。1年前のあの日以来だ。
依然先頭集団との差は半周ほど。辺りからは煩わしい話し声が聞こえてくる。
「なんであいつが……」
「でも、どうせ大したことないでしょ」
「はぁ、逆巻かあ。もう負けだわ負け」
「あいつだけはないわ」
「てか誰だよ。あいつをラストから2番目にしたやつ」
敵も味方も関係なく、誰もが俺に冷たい視線を向けている。
今でこそそんな視線に慣れてしまった俺だけど。でも、やっぱ今更だけど。そういうのって心底ムカつくよな。
俺だって本当は嫌われていたくなんかない。できる事なら楽しくて充実した毎日を過ごしていたい。人間なら誰だってそう思うに決まってる。
「だからやってやる」
秋月と過ごした数週間。砥部と相談を繰り返した数週間。ここ数週間は本当に楽しかったんだ。
ようやく手に入れたこの関係。この居場所を失いたくはない。失わない為に俺はやる。
「今に見てろよ」
小さく呟やき、鉢巻を一層キツく締める。
そうして俺の真横を先頭集団が横切ってから数秒後、いよいよ俺にバトンが回ってくる。
託されたバトンを握った瞬間、俺は地面を思いっきり蹴飛ばし一気に加速する。
「クソっ!」
正直体は重い。まるで鉛のように、錆びついた機械のようで、思い通りに動いてくれない。
アドレナリンだとか、主人公補正だとかで軽やかになんてなりはしない。あんなのただの妄想なんだと現実を思い知らされる。
本気で走るのなんて実に1年ぶりだ。ただひたすらに体が重たくて仕方がない。
「それでも!」
――それでも、体には確かに染み付いている。
何度も何度も……血が滲むほどに繰り返した練習の日々を体は覚えている。
ガラでも無いが、根性とやらの力で俺は全力で駆け抜ける。
「…………」
気がつくと辺りは静かになっていた。敵も味方でさえも、固唾を飲んで俺を見ている。
「あいつ、あんなに速かったのかよ」
「あんなの反則だろ」
なかには舌打ちやブーイングまでしている者もいる。
それぞれが胸に秘めた想いは違えど、妙な緊張感のせいで視線は俺だけに集まっていた。
そうして誰もが俺を見つめる中、ついには1人、また1人と抜いていき、俺はとうとう2位まで追い上げた。
「速い速すぎる!1組の逆巻説也、怒涛の追い上げだ!」
土埃の舞う、熱気を帯びた静寂のグラウンドに実況が響き渡る。
自分で言うのもあれだけど、今の俺は正にキラー状態と言った所だろう。
ただ、ここから先。勝負を決めるのは俺では無い。
今日の主役は秋月玲奈。皆が見たいのは彼女の活躍だ。
「思いっきり、自分らしくやってやれ!」
1位の背中に迫った所で俺の持ち場は終了。
本心を込めた言葉と共に右手のバトンを秋月に託す。順位は2位。1位との差はたったの数メートル。彼女なら、秋月ならやれるはず。
バトンを受け取った直後の彼女の横顔を見て、俺はそれを信じて疑わなかった。心には既に安心さえも生まれていた。
そんな安心感のせいだろう。
トラック一周200メートル。半年ぶりの全力疾走はなかなかに応えるものがあった。疲れと呼吸器系の異常がドッと体に押し寄せてくる。
体の不調はどうしようもなく、俺には抗いようが無かった。
呼吸が荒く、心拍が上がっていく。たかだか200メートルの全力疾走でこのザマとか……情けねえな。
ロクに寝てないせいだろうか、などと頭の中で理由をつけていると視界がだんだん暗くなってくる。それでも今や俺の事を見てる奴は1人もいない。
皆の注目の的は秋月だ。でも今はそれでいい。
そうして再び湧き上がる歓声の中、秋月は確かにやって見せた。薄暗い視界の中で、それだけはちゃんと見届けた。
秋月が4組の生徒を追い抜き1位でゴールし、大喝采を受ける光景。その光景を最後に俺の視界は闇に包まれた。
過去の経験から酸欠だと分かったが、どうすることもできず意識は遠のいていく。
やっぱり誰も俺の方なんて見ていない。それでも、悪い気はしていなかった。
これにてパラドックスは本当に解決だな。
「ちょっと大丈夫ですか、逆巻さん!」
いや、意外にも世間は非情ではないらしい。どうやら1人だけ俺の元に駆け寄った生徒がいたようだ。
聞き慣れた砥部の声に俺は一瞬ホッとして、気を失った。
ラブコメの主人公はカッコいいって相場が決まってますよね。




