16話 雨の夜
今回含めてあと4話で一章が終わります。
もうしばしお付き合いをお願いします!
家から飛び出したはいいものの、あいつがいる場所はどこだ?
いよいよ強くなり始めた雨に打たれながら、俺は深夜の住宅街を自転車で走り回る。
会話はできなかったけど、秋月は学校に来ていた。だから恐らく、秋月は学校から家に帰る間にパラドックスの影響を受けたはずだ。
つまり彼女がいるのは通学路のどこか。道半ばで目的地に辿り着けなくなり、立ち往生しているに違いない。
でも、俺には肝心の彼女の通学路がわからない。水族園に行った時、せめて方面だけでも聞いておけばよかった。
そう考えると水族園の帰りは惜しい事をした。どの駅を使ってるのかまでは特定できずとも、なんとなくの方向ぐらいは探れただろうに。
それもこれも秋月が教室に忘れ物なんかしていたせいだ。あの日学校に寄らなければきっと「私、帰りこっちだから」ぐらいの会話はしていたはずだ。まったくついてない。
俺は徐にスマホを取り出し、秋月に電話をかける。けれど聞こえてくるのは機械声の案内音声。都合の悪いことにバッテリー切れでもしているらしい。
「くそッ!」
考えろ、思い出せ。もっと何かヒントになりそうな事を……。
仮にも俺は彼女と2週間一緒にいたんだ。お互いの普段見せない顔を見て、笑い合って、常識を超えたような秘密を共有した仲だ。
だから、何かあるだろ。
そうしてようやく思いついたせめてもの手掛かり。それは秋月の下校手段についてだ。下駄箱にてストーカーの噂についての真相を話した時。俺と彼女が初めてまともな会話をした日のことだ。
彼女は交通系ICカードを鞄から取り出していた。俺もバスに乗るから分かる。乗る直前で取り出そうとしても、どうにもカードが見つからない。そういう事がよくある。だから、事前にポケットへと忍ばせるのだ。
そして当然ながら、カードを取り出したのだからそれは下校で使うと考えられる。その事からつまり、彼女は自転車や徒歩ではなく、バスか電車を使っていると推測できる。または両方を乗り継いでる可能性だってある。
と、するとだ。捜索すべき範囲は少し狭まる事になる。どこにあるのか分からない秋月の自宅に焦点を当てるのでなく、高校から最寄り駅・最寄りの停留所までの区間を探せば良いからだ。
小さな町とはいえ、バス停の数はかなり多い。それこそ一晩で回り切れないぐらいあるだろう。だとするとバス停全てに構っている暇はなさそうだ。
とにかくまずは鉄道駅に絞って捜索し、そのついでにできる限りバス停をカバーするというのが最善だろうか。
鉄道駅だけなら候補は3つにまで狭める事ができる。
新宿線、東西線、京葉線。この路線が通学圏内の駅だ。
じっくり考えている暇はない。方針が決まればさっさと行動に移そう。あと肝心なのは気合いだ。
そうして俺はとにかく夜の町を走り回った。まずは都営新宿線船堀駅を中心とした近辺を。
高校からの帰り道となりうる全ての道を網羅して回った。しかし、それらしき人影はどこにもない。
「はぁ……はぁ……」
雨に濡れた体は夏だというのに寒気を覚える。体力もそれなりに使った気がする。気づけば呼吸が荒くなっていた。
それでも構わず今度は場所を変え、東西線西葛西駅付近を探索することにした。西葛西駅に着いた頃には既に時刻は2時半を回っていた。
降りしきる雨のせいか、汗によるものか、俺の頬を雫が伝って地面に垂れる。
駄目だ、秋月は見つからない。
なかなか進展が得られず徐々に不安が募ってくる。本当に俺の推理は合っていたのだろうかなんて邪念すら湧いてくる。
それでも体力に任せて走り続けること時刻は4時。体力もそろそろ底を尽きてきた。未だに見つかる気配もない。
「ああもう、あのストーカー野郎!何処にいるんだよ!」
深夜の街中に大声で文句を垂れる。近所迷惑だということは自覚している。それでも叫ぶことで気を引き締めた。
そしてここにきて、俺は重大なことを思い出した。
「そうだ!ストーカーだ!」
吐き捨てたストーカーという言葉で思い出す事ができた。あれは俺とあいつが関係を持つきっかけとなった日の事。それは砥部からストーカーの噂を聞いた日、俺が秋月に追いかけられた時のことだ。
あの日、あいつと出会ったのはバイト先へと向かってる途中だった。つまり、俺とあいつが初めて出会った場所は……。
「学校から南に伸びた緑道。そうか、あの陸橋……。それが答えか」
あの緑道は一本道。あの道を通っても行き着く場所は1つしかない。海に面した自然豊かな公園と、その公園の名を冠した駅。京葉線葛西臨海公園駅だ。
つまりあいつは京葉線を使っているに違いない。そうじゃなければ放課後に緑道の方面へは向かわない。
だとしたら秋月の居場所は簡単。一本道の緑道を辿っていけばそのどこかにいるはずだ。
限界を超えた体に鞭を打ち、俺は再びペダルに足をかける。もはや服も髪も濡れていない所はないほどに濡れていた。
火事場の馬鹿力、もしくはアドレナリンのせいだろうか。はたまた深夜テンションというやつなのか。俺の体は一周回って疲れを感じなくなっていた。
交差点をいくつか超えて、見慣れた川を越えるとあっという間に学校の前までやって来る。夜中というのが関係しているのかは分からないが、信号は全て青だった。
そうして必死に自転車を漕ぎ続ける事20分程。
首都高速湾岸線を越える大きな陸橋。
――その上に彼女はいた。
秋月は欄干にもたれるように座り込み、頭から制服までぐっしょり濡らしている。
そしてそんな彼女を無機質な街灯が照らしている。まるで舞台を照らすかのように夜の闇の中で彼女の周りだけが照らされている。
街のやや外れだからだろうか、街灯の光は弱く冷たい色をしていた。それがまた彼女の悲哀を一層と演出しているように見える。時間も時間だし、遠目から見たら幽霊かと思ってしまいそうだ。
キキッ、と甲高い自転車のブレーキ音が辺りに響く。彼女を横目に俺が陸橋の端に自転車を停めたのだ。
それからガチャリと自転車のスタンドを立て、濡れた前髪を1度かきあげてから彼女に歩み寄る。
すると音に気づいた秋月が顔を上げ、俺の事を視認した。
「逆……巻?どうして?」
そして、信じられない物を見るような表情でぽつりと呟いた。
「ようやく見つけた。よかったよ、無事みたいだな」
「……」
「とりあえず安心してくれ、事情なら大体把握してる」
「……」
理解が追いついていないのと安堵したから、きっと2つの理由からだと思う。彼女は口を動かしていたが言葉が出てこないようだった。ただ体を震わせて瞳に涙を浮かべている。
「砥部から連絡があってな。パラドックスのせいで家に帰れてないのかもしれないって予想がたったんだ。だから迎えにきた」
正直、一度決裂してしまった訳で、どんな風に話せば良いのか分からなくて不安だった。それでも顔を合わせてみると案外普通に言葉が出てきた事に自分で驚く。
「予想は合ってるけど……でもなんで?」
まあそりゃそうか。まずはそう思うのが当然かもな。電話も通じなかったし、自宅についての会話もした事がなかった。どうして居場所が分かったのかは不思議だろう。
「片っ端から見て回った、それだけのことだよ。こんな事ならお前の家ぐらい聞いとけばよかったな」
「違う!どうして……どうしてよ!」
質問に答えたつもりがそれでも秋月の詰問は止まらない。俺は再び同じ説明を繰り返す。
「だから、パラドックスのせいでお前1人だと家に帰れないんだろ。今夜は雨だし、お前に風邪でも引かれちゃ困るからな。だからこうして探しに来たんだよ」
「違うの!」
正直に胸の内を話したつもりだが、それさえも秋月は否定する。いったい何が違うのだろうか?何か失言でもしたのだろうかと心配になる。
「そうじゃなくて……」
するとそんな不安もよそに、秋月はか細く震えた声で言葉を続けた。
「どうして逆巻は私にここまでしてくれるのよ……。私、あなたに何もしてあげてないのに。ううん、むしろ私はあなたを突き放して傷つけたのよ!それなのにどうして……」
なんだ、そういう事か。さっきの言葉の真意はそういう意味だったのか。
きっと彼女は俺の想像以上に真面目なのだ。真面目で真剣でどこまでも真っ直ぐで、だから自分を許せない。
そしてきっと、自分を許せないそのひたむきに真っ直ぐな心がパラドックスを引き起こしたのだ。
だとしたら、パラドックスを解決する方法がようやく見えてきた。
「はぁ、お前は本当にめんどくさい人間だな。真面目っていうか、真面目すぎる」
「答えになってない!」
「分かった分かった。答えるよ」
そう言いながら俺は陸橋の欄干、秋月の隣に座り込む。雨に濡れた地面がひんやりしていて嫌な感触だ。
「要するにお前が聞きたいのは、どうして俺がお前をこんなにも必死で助けようとするのかって事だよな?」
「うん」
空を見上げて過去の記憶を探りながら話し始める。雨は弱まり、東の方には陽の光が見え始めている。
「そんなの別に大したことじゃない……。ただ、お前の境遇が俺に似てたんだよ」
「似てた?」
「去年、俺にも同じ現象が起きたって言ったろ。そもそも俺はさ、この現象のせいで学校中から疎まれるようになったんだ」
できればあんまり思い出したくない忌々しい記憶。それでも俺は包み隠さず語ろうと思う。きっと、それが乗り越えるという事なのだ。
パラドックスを乗り越えるということはきっと、トラウマに打ち勝つということ。だったらまずは俺が手本を示さなければ立つ背がない。
「そういえば前から聞きたかったんだけど、どうして逆巻はあんなに嫌われてるの?」
「そうだな、どこから話すかな……。実はさ、俺って入学したての頃はそれなりに人気者だったんだ」
「え!?ホントに?」
「そんなに驚くなよ。失礼だろ」
「いやいやいや。流石に想像できないわよ」
喧嘩した事は最早昔のようで、気づけば俺たちは冗談を交わしながら過去の話に熱を注いでいた。
「本当だぞ。なんたってスポーツ推薦で入学したぐらいだし。運動神経抜群で成績も悪くなかったからな」
「スポーツ推薦……。でも逆巻って今は別に部活なんてやってないじゃない……」
言いかけて、秋月は何かに気づいたようで言葉をやめた。
「たぶん、お前の想像通りだよ。あれは1年の夏季大会の日だった」
今でも忘れられない。学校の看板を背負った一戦だった。
「鮮明に覚えてる。歓声が飛び交い、緊張で体が硬くなったっけな。それと同時に迷いもあった。きっとそれが引き金だったんだと思う」
「もしかして……」
「そう、その時だ。お前と同じパラドックスが発現した」
「最悪のタイミングね」
「だろ。精一杯やって負けたなら慰められるだけで済んだだろうな。でも、観衆の目には俺が手を抜いたように映ったらしい」
それでも、その反応は妥当だったと今では思う。パラドックスの予兆は以前からあった。初めに体験したのはランニングをしている時だった。
だから怪我でも体調不良でも適当な理由をつけて代表選手を辞退しておくべきだった。俺の無鉄砲さが落ち度であり、誤解した観衆に落ち度はない。
「それからは練習の時でさえもパラドックスに悩まされてさ。そうして俺は自分から部活を辞めたんだ」
「……そうだったんだ」
秋月はそれ以上のことは聞いてこなかった。きっと想像すれば分かるからだろう。スポーツ推薦で入学した生徒が部活を辞めたらどうなるのかぐらい。
それはもう目の敵にされた。生徒たちは俺を冷たい目で蔑んだし、部活の実績を残せない推薦入学の生徒なんて学校運営からしてもお荷物だった。
そうして俺は、教師からも生徒からも嫌われるようになったのだ。
勿論ことの真相なら全て話した。でも、誰も信じてくれなかった。そりゃ馬鹿げた話を信じるなんて普通は無理だ。
「そしたらこの有様だ」
「でも、逆巻は学校を辞めなかったのね。そんなに辛い目にあっても逃げなかった。それなのに私、逆巻に酷いことを……。分かってなかったのは私の方だ。逆巻は私の気持ちを分かってくれてたのに!それなのに……」
「いいんだよ。人間なんてそんなもんなんだ。俺もお前もお互いのことを知らなかった。だから間違えた。でも、間違えたらまた向き合えば良いんだ。誰にも助けてもらえない辛さは知ってる。知ってるから今度こそお前の事を助けたいんだ」
そこまで言って俺は立ち上がり、座り込む彼女の前に立って構える。そうして彼女に右手を差し出しながらこう言った。
「だから今度は教えてくれないか。お前が抱える悩みとか、後悔とかをさ。今度はもう間違えないために」
そうは言ったけど、彼女の過去のことは知っている。ネットで調べたから。
それでも、聞き出す必要がある。それこそがパラドックス解決の鍵だからだ。
過去のトラウマを乗り越え一歩を踏み出す。そのために自分の意思で過去と向き合う必要があるのだ。それこそが葛藤に打ち勝つということ。
それができればきっと全てが解決するはず……というのが俺と砥部の導き出した仮説。
それから少し間を置いて、彼女は一度深く呼吸をしてから俺の手を取った。そして、力強く立ち上がり語り始める。
「私、いじめられてたんだ。前の学校でね。それで転校してきてさ……」
それは調べた通りの内容だった。
「もう同じ目には会いたくなくてキャラ変したの。ギャルっぽく言葉遣いも変えて洋服とかも勉強して……。そしたらね、いつの間にか生意気で嫌な奴になってた」
そこまで喋って一旦言葉が途切れた。それでも秋月の心は強い。再び深呼吸をしてから口を開く。
「いつも偉そうにしてて……いつの間にか私は、私をいじめてた奴らみたいになってたの。地位は手に入れたけど、こんなの本当の私じゃないってずっと思ってた。生きにくくて仕方なかった。そうやって悩んでいたらある時、誰も抜かせないようになったの」
彼女の口から真実が語られて、言質を得て、ようやく確信した。パラドックスの原因。それは、自分に自信を持てないという悩みが原因だったのだ。
一歩を踏み出そうとしても、彼女は何度も何度もこんな私でいいのかと自問してしまうのだ。
そうやって無限にも及ぶほど躊躇しているうちに、少女は現実世界でも1歩を踏み出せなくなってしまったのだ。
アキレスと亀の原因となる無限回の試行・無限回の躊躇、それはつまり無限にも及ぶ自問自答だったという訳だ。
ただ、彼女はたったいま過去の痛みを乗り越えその全てを吐露した。それはきっと、葛藤を乗り越えたということ。
だとしたら、きっともう彼女は大丈夫。
「やっぱりお前は真面目すぎるな。あと優しすぎる。もっとテキトーでいいんだよ」
「でも私は怖いの。また誰かに嫌われるのが怖くて仕方ないのよ」
「だからそんなこと心配する必要は無いんだって。もっと自分の好きなように生きたらいいんだ」
「そうやってまた簡単に……。なんの根拠があって大丈夫だなんて言えるの?」
「根拠……っていうかさ。考えてみろよ、この学校で1番嫌われてる奴が誰なのか?そいつはな、教師からさえも嫌われてるんだぞ」
勿論それは俺の事。俺は1000人に1人レベルの嫌われ者だ。
「そいつの前では生半可な嫌われ者なんていないも同然だろ。だからさ、何が言いたいかって言うとだな……下には下がいるって事だ」
「あんたってほんとに馬鹿ね。どこまでも馬鹿だけど……でも、それなのになぜか信用できてしまう。ホントに変な奴」
「その変な奴が保証する。例えお前が嫌われそうになったなら、もっと俺が嫌われてやる。どうなっても俺が絶対助けてみせる。だからもう、自分の好きなように振る舞ってもいいんだよ」
「……うん、分かった。私、もう少し自分らしくやってみる。もう一度頑張ってみようと思う」
そう言って笑う秋月の瞳は今まで見たこともないほどに綺麗に見えた。どこか影がかかったような以前の瞳ではなく、澄んだ明るい瞳だ。
「ねえ説也君、ありがとね」
それから唐突にポツリと彼女が呟く。
「私を迎えに来てくれて、私との距離を縮めてくれて、そして私を助けてくれて」
「なんだよ急に、それも名前で……」
同級生の女子から下の名前で呼ばれたのは初めてだった。だから動揺を隠しきれない。
「なに?説也君が言ったのよ。ありのままの自分でいこうって」
「言ったけど……それとなんの関係が」
「私、もともと友達の事は下の名前で呼んでたの!」
「ならまあ、構わないけど……。でもいきなりは少し照れる……」
「えへへ、説也君って案外チョロいよね」
「チョロくて悪かったな。それより、なんかやっぱり違和感が凄いんだけど。もう少しギャルっぽくできないのか?」
「できませんよ〜だ。これが本当の私だもん!」
「駄目だ。なんか落ち着かない」
そうやって楽しそうにはにかむ秋月に以前の面影は全く無かった。ギャルというよりは最早清楚な印象だ。
そうして、そんな風ににくだらない言い合いをしているうちに夜は明けていく。
早朝4時半。雨は完璧に止み、雲は無し。いわゆる快晴というやつだ。
2人並んで歩く俺たちの頭上にはいつの間にか虹が架かっていた。
因みにこの日、秋月は俺の家に泊まって行った。
途中「男子の家に泊まるなんて!」とか言ってたけど、電車もまだ動いていなかったし少しでも休んだ方がよかったから強引に押し通した。
勿論変な事をするつもりはない。家には桜がいるし、いなくてもそんな気は本当にない。本当に無いからな!
そうしてぐちぐち言っていた秋月だったが、妹と同じ部屋で寝るように説得したら割と潔く納得してくれた。
それから家に着いた俺は砥部に一通だけメッセージを送信してから眠りについた。
『万事解決だ。助かった』
あと3時間もしたらいよいよ体育祭が始まる。恐らく心配はいらないだろうが、未だ緊張の糸は張っていた。




