9話 距離感
少しでも気に入っていただけたら評価・感想等お願いします。
とても励みになり、執筆が捗ります!
「それで水族園って近くなの?」
「ああ、すぐそこだな。転校生なら知らないかもだけど、この公園内にあるんだよ」
「え、そうなの!?てっきり電車で行くのかと思った」
駅に併設されたカフェを出ると、そこはすでに葛西臨海公園の園内だ。公園の面積は東京ドーム約17個分。その敷地内には様々な施設が内包されていて、目当ての水族園もその一つ。
「ほらあれ、見えるか」
歩きながら、俺は遠くの建物を指差す。距離にして400メートルぐらい先だろうか。
「なにあれ。透明な……ドーム?変わった建物ね」
石畳みの道を南に歩きながら、彼女は目を細めて示された方を睨みつけた。
俺が指し示したのはガラスドームと呼ばれる建物。ガラス製でドーム状の建物だからそう呼ばれている。
遠くから見たら彼女の言葉通り変わった建造物にしか見えない。いつか社会科の教科書で見た岩のドームをガラス張りにした感じだ。
「ガラスで出来てるんだよ。間近で見たらもっと透明で綺麗だぞ」
「へーー、そうなんだ。でも突然どうしたの。あれが何か水族園と関係あるの?」
なんだかあまり興味が無さそうな反応が返ってくる。
だけど、俺はその質問を待っていた。少しドヤ顔で問いに答える。
「それがな、実はあそこが水族園の入り口なんだよ」
伝えていなかったが、俺たちは今あの建物を目指して歩いている。
道のりとしては、ここから200メートルぐらい歩くと水族園の門があり、更に100メートルほど歩くとチケット購入所やらがある入場ゲート、そしてその更に奥にガラスドームがあるといった流れ。
ガラスドームの中にはエスカレーターがあり、そこから地下に行けるようになっている。地下に下ると眼前には一面の水槽が待ち受けているのだ。
「そうなんだ。じゃあホントのホントに水族園が公園内にあるのね!嘘じゃなかったんだ」
分かりやすく秋月の表情が明るくなった。
それにしても、なんだその言い草は……。そんなくだらない嘘をつく訳が無いだろうに。
「さっきも言っただろ。すぐそこだって」
「そうだけどさ、公園の中に水族園があるなんて簡単には信じられないじゃん」
確かに珍しい構造だとは思うけど、疑うほどか。
「俺はそんなつまらない嘘はつかないぞ。つくならもっとマシな嘘をつく」
「なによそれ、ドヤる事じゃないから。まあいいや、それより速く行こうよ!」
水族園に近づいて気持ちが昂ったのだろう。はやる気持ちを抑えられなくなった彼女が突然駆け出した。その後ろ姿はまるで子供のようだ。
「おい、そんな急ぐなって。走ると危ないから」
この辺の地面は意外と凸凹があるので危ない。心配になった俺はその背中に声をかける。
そして「そんな俺の姿はさしずめ保護者のようではないだろうか」などとくだらない考えが一瞬頭をよぎったがすぐに我に帰る。俺もわずかに歩みを早めて背中を追った。それでも彼女に止まる様子はない。
「だって楽しみなんだもん」
俺の言うことなど聞かず、駆けながら楽しそうにそう言って笑っている。
その言葉を聞いて、なんだか少しだけ嬉しく思う自分がいた……のと同時にその笑顔に少しだけ違和感も感じていた。こんなに楽しそうにしている秋月の表情は初めて見たからだ。
学校にいる時の秋月はこんな風に笑わない。笑っているのは見かけるけど、今の笑顔と比べるとなんだか嘘くさい気がする。
たかだか数日の付き合いの俺に何が分かるのだろうか。自分が人の事を知った気になっているようで少し嫌気がさす。それでもやっぱり普段の秋月の笑顔はどこか嘘っぽい気がするのだ。
と、そんな考え事をしている間にも秋月はどんどん進んで行く。俺もさらに足を速めてその背を追いかける。気づけばジョギングくらいのペースになっていた。
「いや、楽しみなのは分かるけど。閉園時間は夕方だし、そんなに急がなくても大丈夫だから。魚だって逃げないぞ」
最早何を言っても止まる気はしないが、めげずに今一度呼びかけてみる。
「それはそうだけど。って、あれ!あそこが入場門じゃない?」
一際嬉しそうな声が突如として辺りに響いた。やっぱり俺の言葉は届かないらしい。
そして言葉通り、秋月の視線の先には確かに入場門が見える。目的地が見えて喜んでるようだが、入場ゲートがあるのはもう少し先なんだよな。
ここはまだ浅草寺で言うところの雷門ぐらいだということは黙っておこう。
「ほんとだ。じゃあもう少しで着くな」
そこそこ先にいる秋月に返事をする。
「やった。だったら私、先に行くわね。アンタが来ると魚が逃げちゃうから!」
すると、秋月がますますスピードを上げる。挑発をして逃げる様はまさに小悪党といった感じ。
全く、逃げ足の速い奴だ。というかあれ、全力疾走だろ。いよいよ秋月のギアがトップに入った所で俺はとうとう走るのをやめた。
「初めてで道順もよく分からないくせに。アホなのかあいつは?」
チケットを持ってるのは俺だ。どうせそのうち合流できるだろうし、そう考えると走る必要はない事に気づいたのだ。
「それにしても、まさか女子と、それもクラスのギャルと水族園に行く事になるなんてな」
あの時、水族園に行こうと誘ったのは俺の方からだった。秋月が行きたそうにしていたのもあったし、俺だって久しぶりに水族園に行きたいと思っていた。
加えて、女子と2人でなんてシチュエーションに少しばかり魅力を感じていたのも事実。
とはいえ、水族園に誘ったのはあの場の雰囲気にただ流されたわけじゃない。一応、俺にも考えがあって一緒に行く事を提案したのだ。
秋月はきっと悩みや葛藤を抱えている。それはきっと簡単に誰かに話せることじゃない。今の俺じゃ、それを知るには関係値が浅すぎる。
だから、まずは時間を共に過ごして距離を縮める必要がある。距離が縮まれば話せることも増えるだろうし、ゆくゆくは胸の内に秘めた悩みだって教えてくれるかも知れない。
そんな考えがあって俺はあいつを誘ったのだ。
「やっと追いついた」
それからしばらくしてやっと彼女に追いついた。追いついたのは門を抜けてすぐの何でもない場所だった。
少し先にはいよいよ入場ゲートが見えていて、そのちょっと奥にはガラスドームも見えている。目的地まではとうとう一本道の所まで来たようだ。
「遅いわよ」
そんなに待たせた気はしないが、やや機嫌悪そうな秋月からお叱りを受ける。
「そりゃお前が急に走るからだろ」
「だったらあんたも走ればいいじゃない」
「走るのは嫌いなんだよ」
「どうして?」
どうしてと問われてもな。昔は好きだったが今は嫌いなのだ。嫌いな理由など深く考えたことはない。だからなんて答えればいいか分からない。
「汗かくし、疲れるからな」
とりあえずそれっぽい返しをしておく。
「それにしても、お前はこんなとこでなにしてるんだ?入場ゲートまであと少しじゃないか」
チケットは俺が持っているから入場はまだできないはずだけど、さっきまでのテンションからして入場ゲートぐらいまでは進んでいると思っていた。
だからこんな何でもない場所で待っているのはやや意外だ。というか、照れ隠しという訳でもなく、本当に機嫌が悪くなっていることも不思議だ。怒る理由が見当たらない。
「あれよ」
すると秋月は、口を尖らせながらなにやら不満そうに前の方を指差す。指の先を辿ると、そこには2人の人影があった。
1人は40代ぐらいの女性、そしてもう1人は小学校低学年ぐらいと思わしき男の子。女性は手提げバックを右手に持ち、左手で男の子と手を繋いでいる。
どっからどう見ても普通の親子だ。そして、秋月の人差し指は男の子の方を指している。
「あの子がどうかしたのか?」
意図がイマイチ分からず問いかける。
「……」
無言が返ってきた。
そこで俺は何か返事を引き出そうと今度は2つ目の問いを投げかける。
「子供、嫌いなのか?」
「違うわよ。小さい子は好きよ。前はよく近所の子に勉強とか教えてたし」
すると、ようやく反論が返ってきた。いつも通りの明るい声だったので少し安心を覚えた。それにしても、いま聞き捨てならない事を言った気がする。
「勉強を教えてただって!お前がか?」
「なによその言い方。勉強できちゃ悪いの?」
詰め寄りながら、キッとした眼差しが俺に向けられる。その迫力と、女子が近寄ってきた緊張感から俺は後ろに2歩下がる。
「そりゃ、悪いだろ。ギャルは勉強が出来ないっていう世の理が崩れる」
「ホントあんたって失礼ね。勉強できるギャルだっていていいじゃない!それより今私が言いたいのはあの子のことよ」
「だからあの子がどうかしたのかって」
子どもは嫌いじゃないと言いつつ、あの男の子を目の敵にする理由は未だにいまいち分からない。
「あんたこそ本気で言ってんの?パラドックスよ!あの子を抜かせないからこうして待ってたんじゃない」
「ああ、そういえばそうだったな!そっか、パラドックスだ。そうだ、そうだよな。そりゃ仕方ない」
言われて目から鱗が落ちた。それはもう沢山落ちた。
「あんたまさか、忘れてたわけじゃないわよね」
また一歩近づいて、秋月が覗き込むようにジト目を向けてくる。覗き込むと言っても、身長は俺の方が高いから秋月が見上げるような構図なのだが……なぜか気圧されてしまった。
それにしても、いやはやうっかりしていた。彼女の悩みや葛藤に意識を集中させすぎていたせいで、本題である現象について忘れていた。
「でもさ、相変わらず意味のわからない不便な現象だよな」
これ以上詰め寄られても仕方ないので、話題の転換を図る。
「それには同意!速く収まって欲しいもんよ」
「確認だけどさ、やっぱり心当たりみたいなものは無いんだよな」
「……ええ、そうね」
「だよな」
タイミングが良かったので、再び心当たりが無いかと聞いてみるも生憎返答は同じ。
だが、やはりこの感じ。何か悩みを抱えている事は確かな気もする。答えるまでの僅かな間や一瞬の顔の強張りが俺にそう思わせる。
今はその詳細を教えてもらえなくとも、何か思い当たる節がありそうだという事が分かっただけでも上出来だろう。
それからしばらくの間、俺たちはひどくゆったりとした速度で水族園を目指し歩いた。前の親子を抜かせないから仕方なくだ。
それにしても、この感覚はなんだか懐かしい。もどかしくて鬱陶しくて……去年、俺も嫌と言うほど味わった感覚だ。
だけど、こんな現象だって隣に誰かいると思うと少し心強く感じる。秋月にとって俺もそうなれていたらいいなと不意に思った。
「なあ、この際だし色々聞いてもいいか?ほら俺達ってお互いのことよく分かってないだろ」
特に算段もなく、無意識に言葉が口から出た。ゆったりと歩きながらのこの状況、雑談をするには自然な流れだと思ったのだろう。
でも後になって思えば、パラドックスの解決なんて関係無しに、秋月玲奈という人間が知りたかったのだとも思う。
「そういえばそうね。私もアンタが嫌われ者だって事ぐらいしか知らないし」
「それはそれで酷いけどな。まあ勿論、答えられる範囲でいいからさ」
「そうね。それなら構わないわよ」
「じゃあ無難だけど、お前って趣味とかあんのか?」
「趣味……かあ。強いて言うなら読書とか?」
やや語尾を上げて、疑問系のように秋月が答える。その答えは予想外も予想外。
「……読書?ギャルが本なんて読むのか?ていうか読めるのか?」
「いちいちリアクションがムカつくわね。なによ、ギャルだって本ぐらい読むわよ。悪いの?」
またしても2歩詰め寄りながら、キッと鋭い視線が俺を捉える。なんだかデジャヴを感じる光景だ。
「いや、悪くは無いですけども」
「ていうかアンタの方こそ、さっきからギャルに偏見持ちすぎなのよ」
「そう言われてもなぁ。割と真っ当な意見だとは思うんだけど……」
校則を遵守していて、バイトもしてなくて、異性の友達もいない。おまけに勉強もできて、子どもが好きで本も好き。俺の偏見というより、やっぱりギャルにしては品行豊かすぎやしないだろうか。
「ま、まあ一旦趣味のことはいいや」
「そうね。今度は気の利くお題をお願いね」
「そうだな……。じゃあさ、さっき転校してきたって言ってただろ。前はどこに住んでたんだ?」
話し上手って訳でも無いので、俺は手当たり次第に気になっていた事を聞いてみる。
「……神奈川よ」
少し間を開けて答えた。どこか冷たい物言いだった気がする。その態度は何か引っかかった。
「神奈川って事は結構近場なんだな。で、神奈川のどの辺だ?」
「藤沢市の方ね……って言っても分からないわよね。神奈川県にしてはここから結構遠いし」
やや後ろめたそうな振る舞いで、秋月が少し視線を下に落とす。
「藤沢って言うと、江ノ電で有名なところだろ?」
けれど、下を向いていたのも一瞬で、すぐに俺の言葉に食いついて顔を上げた。
「知ってるんだ。そう、その藤沢市よ」
共通の話題があって嬉しかったのだろうと推測した。そして、この機を逃すまいと俺も話を膨らませるよう努める。
「中学の頃、部活の遠征で一回だけ行ったことがあったんだよ」
あれは確か2年、いや3年ぐらい前だったか。合宿所が藤沢市にあったから、一度だけ行ったことがあった。
うろ覚えだが、確か新宿線と小田急線を乗り継いで行った気がする。
「なるほどね。それで知ってたんだ」
「確かさ、藤沢市には陸上が強い学校があったよな」
遠征で行った時に降りた駅。確か藤沢駅だと思う。その駅に大きな横断幕が掛かっていたのをよく覚えてる。
全国優勝かなんかを記念するもので、その横断幕があまりに大きく、羨ましく思ったから記憶に残っているのだ。
「そんなの知らない」
でも、俺の鮮明な記憶とは裏腹に、秋月はそう答えた。
「うーん、確かに駅で横断幕を見たんだけどな。街ぐるみで応援してるみたいだったし……」
その返答になんだか納得できなかったので、状況の説明を付け足してみる。くだらない拘りかもしれないが、とても鮮明に記憶に残っているのだ。
「……悪いけど、やっぱり覚えてないわ」
記憶の限りでは、電車内は勿論、駅構内、そして駅を出た広場にも応援の幕が掛かっていた。どれを取ってもかなり正確に覚えている。
我ながら記憶違いだとは思えない。だからそこに住んでいた秋月が知らないというのはやっぱり考えられない。
「でも確かに見たんだよ。地元民なのに本当に知らないのか?」
「知らないって言ってるでしょ!」
度重なる俺の問いかけに秋月は声を荒げた。若干息を切らしているその姿は何だかただ事じゃない。
そしてハッとした。こんな事、別にどうでもいい事だ。だというのに、俺はなんだかムキになりすぎていた。
「悪い、悪かった。そうだよな。知らないもんは知らないよな」
「……」
知らないと言ってるのに、おまけに興味もない学校の話を何度もされたってつまらないに決まってる。イラつくのも無理はない。
はぁ、なにやってんだろうな俺は。俺にとっても譲れない記憶だった。でも流石にしつこすぎだ。
自分の行いを反省しつつ、それでも秋月のあの反応は彼女らしくない気がした。
「なんかごめん。ちょっと言い過ぎたかも」
沈んだ空気を切り裂いて、先に口を開いたのは秋月の方からだった。
「ホントごめん。湿っぽい空気にしちゃったね」
秋月が言葉を続ける。気を遣って、盛り上げようとしてくれてるのがよく分かった。
「いや、そんな事はない」
だとしたら、ここは流れに乗って雰囲気を盛り上げるのが俺の責任だろう。そもそもこうなった原因は俺が蒔いたのだから。これ以上秋月に気を使わせてどうする。
「全然大丈夫だ。それに最近暑い日が続いていたからな。少しぐらい湿度が高いほうがいいだろ」
「なにそれ。言ってる意味全然分かんない。分かんないけど、ありがと。ホント、あんたってつくづく変な奴よね」
確かに自分でも何を言ってるのかはよく分からない。それでも、例え意味が通じなくても、秋月がいつも通りの生意気な悪態をついてくれたのが、何よりありがたかった。
「あ、ねえねえ。ここでチケットを使うんじゃない?」
言われて視線を上げると俺たちはいつの間にか結構進んでいたらしい。その言葉通り、俺たちは入場ゲートまで来ていた。
「ほんとだ。水族園ももう目前だな」
ゲートの向こうにはガラスドームがそびえている。距離が近い分、大きく、より透明に見える。
「なあ、さっきは本当に悪かった」
「それはもういいわよ、お互い様だから。だから今はとにかく楽しまないと」
「それもそうだな」
「うん、そうよ」
秋月の声は明るく、ハツラツとしていて楽しそうで、さっきまでの暗い雰囲気なんて微塵も感じない。
「ねえ見てよアレ!マグロと背比べだってさ!やってみようよ」
そしてまた何かを見つけたようで、騒ぎながら走り出していく。向かう先は入場ゲート、ではなくその少し脇にある撮影スポット。実寸代のマグロの模型と背比べができるようになっているコーナーだ。
「だな。せっかくだしやってみるか」
気分一転、俺も秋月に続く。
長い1日はまだまだ始まったばかり。俺と彼女の距離は近づけているのだろうか。
物語の舞台となる江戸川区は作者の馴染み深い土地だから選びました。水族園もお気に入りの場所です。
鎌倉というチョイスは好きな場所だからです。
知らない土地かもしれませんが、あまり気にせず読んでください!




