婚約者決定
お茶会から一週間後、王太子の婚約者がエリザベスに決定したと、候補者にのみ連絡が来た。
父はもちろん残念がっていたが、そもそもそんなに期待していたわけでもないらしく、コンフィール伯爵家は穏やかにその知らせを受け取った。
マリアは、大きく息を吐き出しながら、胸の痛みを気が付かないふりをするにはどうすればいいだろうかと考えていた。
伯爵令嬢の四女が彼に会えることなど、もうないだろう。
気持ちだけでも伝えた方がよかっただろうかと考えて、失笑する。
まだ、あの時点では王太子婚約者候補だった。
妹枠だと言われるような自分が、彼の横にふさわしいとは思えない。
ピンと伸びた姿勢の良い立ち姿に、見惚れた。
彼の背は、マリアよりもずっと高くて、彼のそばにいれば、自分は子供の様だろう。
それなのに、彼はマリアに話しかけるとき、軽く腰を折り曲げて囁くように話しかける。
大切にされているのだと勘違いしてしまいそうになる。
だけど、こんな自分の胸くらいまでしかない小柄な女から告白を受けて、困らせることは分かり切っている。
だから、一人で少しだけ泣こう。
泣いて、それから、前を向こう。
候補でなくなってから、また一週間後、マリアに、思わぬ人からの誘いがかかった。
「マリア様。来てくださって嬉しいわ」
「ご招待ありがとうございます」
マリアは、また城に居て、シャルルとエリザベスと同じテーブルについていた。
以前は、エリザベスとマリアが隣同士だったが、今はエリザベスはシャルルの隣に座っている。
二人は初々しい恋人同士という雰囲気を醸し出していて、微笑ましい。
「私がマリアに恋の相談をしていたと言ったら、ぜひもう一度会いたいとエリーが言うのでな」
馬鹿正直に、マリアに相談していたことを話したらしい。
そして、マリアからのアドバイスも正直に暴露して、すっかりヘタレなことがバレていた。
もう少しごまかすとかすればいいのに。
その真っ直ぐさがいいところなのだろうか。
「マリア様が、私たちを結び付けてくれたようなものですもの」
エリザベスが恥ずかしそうに微笑む。
非常に美しい。さらに、心が広い。やっぱり、選ぶ相手を間違えてないだろうか。
「それで、マリア。縁談をすべて断ったらしいじゃないか」
今までの話題をぶった切ってシャルルが聞いてくる。
思わず目が据わってしまうが、これがこの人なのだろう。『王太子』モードになっていなければ、どこまでも素直だ。聞きたい事だけちゃっちゃとつなげてくる。
エリザベスがマリアに会いたがったことは本当だと思いたいが、実際に呼んだ理由は、これが本命か。
婚約者候補者は、降嫁という形をとって、別の嫁ぎ先を紹介される。嫁ぎ先も、王太子妃候補に選ばれたほどの娘をもらい受けるとのことで、喜んで受け入れるらしい。
報奨も王家が出すため、たっぷりの持参金と名誉が転がり込んでくるこの縁談を嫌がる貴族はいない。
紹介された縁談先に向かえば、貴族としてこれからも生きていくことが出来、生活に困らないことは確かなのだ。
「ええ。貴族に嫁ぐ気はないのです」
マリアは、それを断ってここにいる。
父からはどれか選べと言われたが、マリアは見ることもしなかった。
誰かの妻になって、彼の姿を近くで見るような立場になる気はなかった。そんなのは、辛いだけだ。夫となる人も同時に不幸にしてしまう。
『いい結婚』をしたいと思っていた。
だけど、すぐ目の前に現実としてつきつけられて、無理だと思った。そんなにきれいに割り切れない。
マリアは、手に入らない彼から、完全に離れてしまいたかった。
「そうなのか?しかし……」
言い募ろうとしたシャルルを遮り、マリアはエリザベスを見た。
「そうですわ。もしも私の行く先を心配してくださるのなら、エリザベス様の侍女として雇ってくださらない?」
「は?」
「えっ?」
目の前の二人は、息ピッタリに目を丸くする。
言ってみてから、いいアイデアだと思った。
誰かの妻になれば、彼を見ることは夫にも申し訳なくて辛い。
でも、結婚もせずに、職業婦人になれば。ただ心に秘めて見つめるくらいは許されるかもしれない。
「侍女として自分でお給金を稼いで生活する職業婦人も一つの手だと思いますの」
「無理です!」
マリアが言い終わらないうちに、エリザベスが首を振りながら大きな声を出す。
「殿下の浮気相手になんか絶対になりませんよ?」
「それは心配してないですけど」
「あれ!?」
浮気を心配されたのかと思ったら、全否定だった。
「ここは、そんなの心配だからと嫉妬を匂わせてくれるところでは!」
シャルルまでも、妙な主張を叫ぶ。
「大丈夫だ。正直に言ってもらって。私は君の全てを受け止めよう」
突然キラキラモードで微笑んでいる。
言っていることは、嫉妬して欲しくてうずうずしているアホだ。
なんて、マリアは冷めた目で見ていると、エリザベスは頬を染めて「もうっ」と可愛らしい声を出す。
「そんなんじゃないのです。私は、シャルル様を信じていますもの」
「エリー」
「シャルル様」
今のやり取りは、こんな雰囲気になるようなものだっただろうか。
恋人同士はわけがわからない。
マリアの冷静な視線に気が付いたのか、エリザベスが恥ずかしそうに紅茶を一口飲んでにっこりと笑う。
「同じ候補だった令嬢を侍女なんて、できませんわ。何て仕打ちをするのだと私の評判は地に落ちます。ただでさえ、高慢だと噂されているっていうのに」
言われて、なるほどと思う。
実態はどうあれ、一部の貴族には、マリアとエリザベスが寵を競っていると考えていた人間もいるだろう。その相手を、結婚もさせずに侍女になどしたら、体面が悪いだろう。
エリザベスは知りあうと話しやすい。しかし、そうでなければ、完璧なマナーと高位からの言葉遣いで勘違いされやすい。
気高く、高慢だと、同じような意味の違う言葉で揶揄されているのを知っている。
「……そうですね。戯言だとお忘れください」
思い付きで言った言葉だ。
エリザベスの評判を傷つけてまでその場所に行くことは望まない。
「でも、もし、そんな噂が立たなくなるほど時間が経ってから、侍女として雇ってもいいと思われたら、是非声をおかけくださいね。殿下に横恋慕なんてしませんから」
望まないけど、望みを捨てきれずに再度お願いしてしまった。
そんなマリアに、エリザベスはこらえきれないと言うようにくすくすと笑い声をあげる。
「横恋慕だなんて。そんな心配はしていませんわ。殿下がマリア様を追いかけているかと思っていただけですもの」
「そんなことはない」
シャルルがエリザベスの言葉にかぶせるように否定をする。
そこは本当に強く否定してもらいたい。
エリザベスは何度も聞かされたのだろう。分かっていると言うようにシャルルに笑みを向けた後、笑顔をそのままに、マリアにも視線を向ける。
「マリア様は、他に想い人がいらっしゃるでしょう?」
確信した発言に、マリアの思考が止まる。
「…………………え?」
何も取り繕えず、マリアは目を見開いてエリザベスを見る。
マリアがこんなに驚いているのに、当の本人は口をとがらせて、シャルルに「誤解されるような態度を今後はとらないでくださいね」なんて甘いささやきをしている。
どんな爆弾発言をしたか分かっていないのか。
シャルルはエリザベスと甘いセリフを言い合ってから、
「で、マリアの想い人とは?」
「では、私は失礼いたしますわ」
そこに言及をしそうになったシャルルの言葉を遮り、マリアは席を立つ。
そういうことをあからさまに聞くものではない。
ただでさえ、マリアの心臓は今にも胸を突き破って飛び出しそうなほど暴れくるっている。
ここでこれ以上話はできない。
すぐさまこの場を去らなくては。
「待ってくれ。想い人がいるから、縁談をすべて断ったのか?しかし、中には好みの者もいただろう?」
なんてことをあからさまに言うのか。シャルルがマリアの好みを把握しているような言い方に腹が立つ。
じろりと睨みつけても困った顔をしながら続ける。
「貴族と結婚したくないと言うなら、リストには、将来的には貴族じゃないのも紹介していただろう?」
「そういう問題ではありません」
「では、想い人を教えてくれ。その者をリストに加えよう」
「そういう問題ではないと申し上げました!」
王命で好きな方を手に入れるなんて。
あさましくも喜びそうになっている自分に呆れる。
「しかし、こちらからのリストをすべて断るなど。もう結婚を望めなくなってしまう。頼む、マリア」
なるほど、今回のお茶会はそれが目的か。
シャルルとエリザベスは、頂点に立つ人間としては致命的なほどにお人よしのようだ。
リストを蹴ったマリアを説得して誰かを選ばせるか、リストに誰かを加えるか。
そんなことをしてくれるつもりだったようだ。
首を振るマリアの横に立ち、シャルルは背後の護衛に手を向ける。
「マリアは、がっしりとした体つきで大きな男が好きだろう?」
「--はい?」
「どっちかというと、寡黙な方が好みだろうか」
「そうですわよね。シャルル様は全くタイプではないようですし」
なんと、エリザベスまで参戦してきた。
「ほら、彼も、リストの一員だ。騎士爵を自力で手に入れた将来有望の人間だ。他にも――」
「なっ……!?」
シャルルに示された黒髪の彼を見上げて、マリアは目を見開いて固まった。
マリアの背は、彼の胸のあたりまでしかない。威圧感のある体の大きさに反して、マリアに話しかける声は穏やかで、胸に響く低音で、ずっと聞いていたいと――
マリアは、彼と目が合った途端、顔に熱が集まっていくのを感じた。
彼が……?
「なんだ、マリア、ロベールが気に入っているのか?だったら――」
「シャルル様」
相変わらず空気が読めないシャルルを、さすがにエリザベスが止めてくれる。
だけど、それに感謝など示せる状態はとうに過ぎていた。
いつから?どうして?気が付かれていた?
マリアの好みがすっかり二人の共通認識になっていたことと、何より目の前の彼にしっかりと聞かれていたことに、言いようのないほどの羞恥が沸き上がる。
「ちっ……違います違います違いますっ!デリカシーなさすぎですっ!」
涙まで出てきそうになって、振り切るようにドアへ向かった。
「失礼します!」