地球産の万能薬
王宮の外には都が広がり、ヘイアンの都とは異なる石造りの建物に、「ほうほう」と、水影は記録を巻物にしたためながら歩いた。
「天は宵が如き、何時刻であっても、星々が輝いておるのですなぁ?」
透明な半球体の硝子が天を覆い、幾つもの照明器具が都を照らす。その向こうには、青々と輝く地球の姿もあった。
「太陽からの恩恵を受けられない月は、いつだって夜と同じ闇が広がっているの。ああして上空から照明を点けて、朝、昼、晩の区別を調節しているのよ。それに、このドームの中は過ごしやすい温度になっているから、年中快適に過ごせるわ」
「それでは、月に四季はないのですなぁ?」
「季節のこと? そうね、ずっと何の代わり映えもないわね」
「それではつまらのうないか? 春は雷、夏は日照り、秋は嵐、冬は大雪、我らにとって脅威であるものの、自然との暮らしは、同時に我らに恩恵を与えるものぞ。それが月が世には無いとは、幾ら快適であろうとも、それでは心に潤いが足りぬ。のう、そなたも然う思うであろう、安孫」
朱鷺が後ろを歩く安孫に振り返った。背中に何十もの反物を担ぎ、両手にもそれらが入った風呂敷を持つ安孫は、「左様で……」と気乗りしない返答で周囲を警戒する。不意に道端からピョンと何かが飛び出し、「ぎゃっ」と武官にあるまじき声が出た。
「ただのウサギよ?」と呆れるルーアンに、「う、うさぎ……」と、どうにか安孫が冷静さを取り戻した。より一層周囲を警戒する安孫に、やれやれと朱鷺が溜息を吐いた。
「これ安孫、あまり周囲を睨むでないぞ」
「御言葉ではございますが、斯様な見知らぬ土地で、主上の護衛が二人など、危険極まりない行動にございますれば――」
「安孫」
「は」
ずんずん歩み寄って来た朱鷺が、笑って安孫の鼻先を扇子で叩いた。
「つぅ……!」
「幾度も言わせるでない。俺は都造朱鷺ぞ。我らは互いの世の《《交流》》が為に来ておるのだ。帝として行幸しておるのではないぞ」
「……は」
鼻っ柱を赤くさせた安孫に、水影が含み笑いを浮かべた。それに自尊心が傷つけられるも、人通りの多い都内で、言い争う愚かな考えは持たなかった。
片手に荷物を持つ朱鷺が再び歩き出した。その後を追い、安孫は都の様子を事細かく記録する水影の隣に立った。
「水影殿」
「無理にございますれば」
「まだ何も申してはおりませぬが」
「大凡、反物を持てとの、御考えにございましょう?」
「分かっておいでならば」
そう言って、安孫が右手に持つ風呂敷を差し出した。
「無理と申し上げたはず。私も背中に反物を担いでおる上に、両手には筆と巻物を持っておるゆえ、状況を御考えあれ」
「されど、両手に荷物を抱えておれば、万一主上の御身に不測の事態が起きた場合、咄嗟の行動がとれませぬ」
左の腰に帯刀する太刀を見せるも、それが何だという表情で、水影が安孫を見上げる。
「あの御方は、そう易々と曲者に御命を奪われる御方にはございませぬよ。それに、護衛として主上に御仕えする武官であらば、常日頃から御傍に控えるが貴殿の役目。それを外に出るのが恐ろしいと、何時までも自室に篭もっておいでなのは、筋違いなのではございませぬか?」
つん、と水影がそっぽを向いた。
「なっ! るうあん殿に感化されておりますぞ、水影殿!」
「私の目的は、月が世の文化を記録することにございますれば、それを吸収、実践するは当然のこと。いやぁ、月が世の文化は実に興味深うございますなぁ。文官として、此れより後も多くの文化を吸収し、(安孫殿で)実践して参る所存にございまする」
愉快そうに先を歩く水影に、反物を抱える安孫は、深く溜息を吐いた。
仕立て屋に着いた朱鷺は、早速店主に直談判した。
「どうか大至急、こちらと同じ装束を三十着程拵えて頂きたいのです」
「本気かい、あんちゃん」
鼠色の髪と同じ作業服を着た中年男が、羽衣伝説の絵巻を見ながら、難しい顔を浮かべた。
「出来そう? 社長」
「出来なくはないでさぁ……」
「反物ならばこちらで用意しております。どれも一級品で、天女の召し物としては申し分ないはず。しゃちょう殿、どうかこの通り、今日中に羽衣装束を拵えてはもらえませぬか」
二人掛けの椅子にルーアンと座りながら頭を下げる朱鷺に、心中複雑な安孫。それでも朱鷺の後ろに立って、隣に立つ水影と一緒に、様子を見守る。
「そうだなぁ、引き受けてやってもいいが、あんちゃん、代金は払えんのかい?」
「だいきん?」
「そういえばアンタ達、お金持ってるの?」
「おかね……」
「恐らく宋銭のことかと」
水影の説明に、「ふむ」と、朱鷺は顎に手を寄せた。
「銭か、あちらが世に帰れば腐る程あるが、生憎、月が世における銭は持ち合わせてはおらぬでなぁ。……しゃちょう殿、銭の代わりに、こちらをお納め頂くことで、引き受けてはもらえませぬか?」
そう言うと、朱鷺は持っていた荷物を机の上に置いた。それは風呂敷に包まれた小壺で、社長は怪訝な表情で蓋を開けた。
「うっ、もの凄い匂いでさぁ。何だい、この酸味漂う刺激臭はっ……」
「梅干し、という万病の妙薬にございます。我が世に於いては戦にも用いられ、疲労回復、熱さまし、下痢止め等々に処方される、貴重な宝にございますよ」
水影の説明に、「これが宝ぁ?」と社長は首を傾げた。
「試しに一口、お召し上がり下され」
笑顔の朱鷺に促され、社長がシソに漬けられた梅干しを一口食べた。
「すっ……!」
「社長っ? ちょっと、ホントに大丈夫なんでしょうねっ?」
社長の顔が窄まり、悶える様子にルーアンは慌てた。
「落ち着け、天女中。真、我が世に於いて重宝される薬よ。……時に天女中、この月が世に於いて、三代先まで遊んで暮らすには、如何ばかりの『おかね』があれば良い?」
「三代先……そうね、一チョウくらいかしら」
「相分かった」
そう言うと、朱鷺は水を飲み干す社長に笑顔を向けた。咳き込む社長が落ち着いたところで、「如何でしたかな?」と訊ねた。
「ああー……確かに体には効きそうだが、これで三十もの衣装を作れと言われてもなぁ」
断りの姿勢を見せる社長に、水影が擽りの構えを見せた。
「待て水影。逸るでない」
制止した朱鷺が視線を外し、遺憾の表情を浮かべる。
「然うですか。では誠に遺憾ではありますが、他所をあたることに致します。真、残念にございますなぁ? この梅干しは、数多の症状に効く薬にございますれば、我が故郷、確か、ちきうと呼びましたか、物珍しゅう『地球産の万能薬』として売り出さば、百ちょうは売れましょうぞ。それだけあらば、末代まで遊んで暮らせまする」
「百チョウ……?」
「召し上がってみてお分かりだと思いまするが、梅干しには種がございます。その種を植え、実が生れば、同じ梅干しがたんと作れまする。聞けば、月は常に安定した気候にあるとのこと。嵐や洪水といった自然の驚異に晒されぬ絶好の土地に於いて、この梅の実は、半永久的に生り続けましょう。さすればしゃちょう殿、此度のだいきんなどより、遥かに儲けが出ましょうぞ。しかし、断られては仕方ございませぬなぁ。梅干しも、かの作り方が書かれた指南書も、他所の仕立て屋に……」
「待ってくれ!」
帰ろうとする朱鷺に、社長はへらへらと立ち上がった。
「ウチに任せてくれ。三十着だったな、すぐに機械フル稼働で作るから待っていてくれ!」
「助かります」
にっこり笑った朱鷺を、ルーアンは呆然と見上げた。背中では、やれやれと安孫が吐息を漏らす。
機械にて羽衣装束が仕立てられていく様を、事細かに水影が記録していく。
「やはり月が世の方が、我が世よりも、幾分か進んだ技術にあるようですな」
「左様、我が世は大分遅れておるようだ。彼の様に瞬時に装束を拵え、量産していく様を、水影は如何にして文に起こすのであろうのう」
巻物の端が床についている。その真剣な横顔に、朱鷺は、そっと笑った。
「ちょっと腹黒、社長にあんなこと言って、ホントに大丈夫なの? あんなすっぱそうな薬で百チョウ売り上げるなんてデタラメ、信じる方もどうかと思うけど」
「出鱈目かどうかは、その時になってみねば、分からぬであろう?」
「その時?」
「うむ。何せ、梅が種より実を生すまで、四、五年掛かるでなぁ?」
そう言って、朱鷺が双六で使っていた二つのサイコロを指と指の間に挟み、四と五の目をルーアンに見せた。
「アンタって、ホンット腹黒ね」
呆れた顔でルーアンが朱鷺を見上げた。
「なに。梅が出た目通りになるかならぬかは、そなたら月が民次第であろう?」
ニッと笑った朱鷺に、ルーアンは地球人の狡猾さを垣間見た気がした。
王族から女官、メイドまで、三十もの羽衣装束が完成した。様々な色の着物に金の飾り帯、何といっても天女の証である紗で拵えた領巾(ひれ)は欠かせない。仕上がったばかりの装束を手に取り、「おお!」と朱鷺が目を輝かせた。そんな朱鷺を遠目に、ルーアンは社長に謝った。
「ごめんね社長。無理言って」
「なあに、新たなビジネスの取っ掛りが出来たと思えば、安いモンでさぁ」
「あ、あのね、実は梅干しってね……!」
「投資」
「へ? 投資?」
梅の実が生るまでに四、五年掛かることを告げようとしたルーアンに、社長は朱鷺を見ながら言った。
「あのあんちゃんの話は、正直きな臭いでさぁ。梅干しなんてモンに百チョウなんて売上、見込めるワケもねえ。けど、あの羽衣装束ってやつぁ、下手したらとんでもねえモンに化けるかもしれねえでさぁ。王宮が火付け役になってくれたら、それこそこんな下町の寂れた仕立て屋が、一気に百チョウの売上をカマすかもしれねえでしょ? だからこれは投資なんでさぁ。あの地球人達が、この月の都に一大ブームを巻き起こすであろう、先行投資。いやぁ、楽しみでさぁなぁ、王女サマ?」
「わ、わたしはもう王女じゃ……!」
「なぁに。落ちぶれようが下働きになろうが、心に王冠被ってりゃー、変わらず王女サマでさぁ。最初は、王女サマがあのあんちゃんらに、イイように使われてんじゃねえかって疑ってたんでさぁ。けど、どうやらそうでもなさそうな連中なんで、また何かあったらいつでも言ってくだせぇ。今度は梅干しがなくても、王女サマが言やぁ、何でも作りまさぁ」
「社長……」
メイドになっても、王女であった時と変わらない社長の態度に、ルーアンは心が擽られたような気分だった。