羽衣伝説
朱鷺は寝所で寛ぎながら、絵巻を広げていた。そこには物語の文章の他に、その場面を描いた画もある。それをニヤニヤと見下ろす朱鷺の後ろから、部屋の掃除をしていたルーアンが覗き込んだ。
「なぁに、それ?」
「天女中よ、良う訊ねたのう」
朱鷺は起き上がると、その絵巻を手に取り、物語の要である女人の画を見せた。
「これは羽衣伝説を描いた絵巻よ。ここに描かれておる女人が天女。見目麗しく、とてもこの世の者とは思えぬ絶世の美女よ。俺はこの絵巻を見て、天女への憧憬を深めていったのだ」
「へえ、アンタのことはどうでもいいけど、この羽衣伝説って、一体どんな話なの?」
「如何でも良いとな? ま、まあ、天女の申すことだしな。此処は敢えて聞き流そう……。国の各所に諸説語り継がれておるのだが、最も有名なものは、羽衣によって天から降り立った天女が水浴びをしておる様を見た男が、その余りの美しさから、天女を天に帰すまいと、その羽衣を隠してしまうのだ。天に帰れのうなった天女は男と結婚し、子を儲けるが、羽衣を見つけた天女が男を残し、子と一緒に天に帰るという、何とも切ない悲恋話だ」
「悲恋なの? それ」
「何を申すか! 悲恋以外の何物でもなかろうが!」
「でもそれって男のエゴじゃない! 一目惚れした相手を家に帰すまいと、天女の大事なものを奪うなんて、月の世界じゃ立派な犯罪なんだから! 天女が未成年だったら未成年略取、並びに監禁罪、更に子供を産ませたのなら暴行罪も適用されるわよ!」
「ええい! 真小賢しい女中だな、そなたは! 羽衣伝説に於ける男の罪状など如何でも良いのだ! 俺は男と同じく、天女と契りとうだけぞ! この月の都で天女らと酒池肉林の日々を送る――それが俺の目的だと言うたであろう!」
「ああ、そうだったわね……」
「そして天女中、そなたは俺の長年の夢を叶えんが為の援者。一度取り決めた約束、そう簡単に反故になどさせぬぞ? そなたは元王女という立場を利用し、俺の手足となり動いてもらう。良いな、天女中」
「はあ、早く地球に帰ってくれないかしら……」
そう背中を向けて溜息を吐いたルーアンを気に留めることなく、朱鷺は絵巻の中の天女に惚けた。
「ようやく我が悲願が達成される時が訪れたのだ。麗しき天女らよ、この手にて……」
突然、朱鷺の言葉が途絶えた。
「どーしたのよ?」
振り返ったルーアンと、絵巻の中の天女を見比べる朱鷺。手に持つ絵巻がプルプルと震え出した。
「ちょ、何よ! 怖いんだけど!」
「……違う」
「は? 何が違うの?」
「天女とそなたらの装束が全く違うではないかー!」
「……は?」
すぐそこに朱鷺がいるものの、心では百歩程引いた所から出た声だった。
「――しるくどれす、とな?」
「そう。私達メイド……女中が着ているのはメイド服だけど、王妃や王女、女官が着ているのはシルクドレス。簡易的なものから正装まで種類はたくさんあるけど、みんなツルツル、キラキラした服を着ているでしょ?」
王宮の柱の陰から、行き交う人々を観察する朱鷺に、ルーアンが教える。
「ほう。確かに光沢ある装束よ。宴の折に我らが着たすうつと釣り合いが取れておるが、俺は絵巻にあるが如き羽衣装束の方が、そそられるのだがなぁ」
「この時代、誰もあんなダッサイ服なんて着ないと思うけど?」
「まただっさいか。月が民のだっさいには骨が折れるのう……。されど、価値観は人それぞれゆえな。自発的にあちらから着たいと思わせるには、如何したら良いか?」
思案するも良い策が思い浮かばず、「あああ!」と朱鷺が苛立つ。
「斯様な時は、彼奴に相談するが良いか」
そう言って、朱鷺がその場から立ち去っていった。その後ろ姿をルーアンは鼻息を漏らし、見送った。