万年初級の冒険者 1
辺境にある田舎町――ピッツァ。
畑が多く、緑に囲まれたのどかな土地だ。
空気はうまいし、水も美味い。
野菜も豊富で、この地で作られる野菜スープはまさに逸品。
安上がりで低カロリー、しかも“魔素”も含まれていて、体力回復にぴったりの一品である。
……と、そんなスープを、ひとり静かに味わっている男がいる。
黒髪に剣士風の出で立ち。
その名は――ワン。万年初級の冒険者である。
ここは冒険者ギルドに併設された酒場『バリルの都』、私は、いやワンは、今そこで昼食中だった。
「ま~たアイツ一人で飯食ってるよ」
「ほんとだ。またあの、お手軽スープかぁ?」
……ふっ。
私の優雅な食事タイムを邪魔するとは、無粋な連中め。
親の顔が見てみたいものだな。
「ごちそうさま、マスター。いくらだい?」
「……銅貨2枚だよ」
「ほう……こんなに美味しいのに、たったの銅貨2枚。マスターは、どうやら商売下手と見える」
「いいから黙って払いな」
財布に手を伸ばすワン。
胸ポケット……ない。
ズボンのポケット……ない。
腰のポーチ……うん、ない。
「マスター、いつものを……」
「またかい! 本当に仕方ないねぇ……今回は時間いっぱいいっぱい働いてもらうからね!」
「アイアイサーッ!」
……バリルの都のマスターは、ふくよかで人情深い女性だ。
ただし時折、狂暴なトロールへと変貌する。
「ぬおおおおおおおお……!」
「ワンッ! 3番テーブルのお客さんの料理はまだかい!?」
「もう出来上がるところだーっ!」
今、私は厨房で包丁を握っていた。
野菜を刻む――千切り作業だ。
だが、これはただの料理じゃない。
そう、包丁もまた“刃”のひとつ。
この手さばきは、いつか冒険の場でも役立つかもしれない。
名付けて――高速剣、『千切りの舞い』!!
……と、技名を脳内で叫んだあたりで我に返る。
ーーー
「くそっ……何が千切りの舞いだよ、バカか俺は……」
バリルの都の裏手、ゴミ置き場。
生ゴミを捨てに来たついでに、ワンは夜空を見上げていた。
「俺は何のために冒険者になったんだ……いつになったら、初級から抜け出せるんだ……」
冒険者には、八つのランクがある。
初級 → 中級 → 上級 → 高級 → 銅銀級 → 白銀級 → 白金級 → 黄金級。
そして、黄金級こそ“英雄”と呼ばれる存在だ。
そこそこの戦闘能力があれば、上級までは上がれる。
補助職スキルがあっても、初級は早々に卒業できる。
でも、ワンには――何もない。
強さも、器用さも、頭の良さも……得意技といえば、千切りの舞い。
「だから、それじゃダメなんだよおぉぉぉぉぉ……!」
夜空に向かって絶叫。
「何やってんだい!? 店はまだ営業中だよ!」
マスターが裏手まで出てきた……どうやらゴミ捨てが長すぎたらしい。
「マスター……俺はこんなことをしてる場合じゃ……」
「文句は仕事終わってからにしな。あとでゆっくり聞いてあげるから」
「アイアイサー……」
ワンにとって、バリルの都の雑用は日課みたいなものだ。
もはや彼を冒険者ではなく、店員だと認識している者も多い。
「ワン~、お前には冒険者は無理だって~」
「マジで。俺、万年初級の冒険者なんて聞いたことねーよ」
「「ギャハハハハ……!」」
ワンは今年で二十歳。成人して冒険者になって、もう五年。
剣の才能も、魔法や魔術の素質もない。
頭も切れない。俊敏でもない。
得意技といえば、やっぱり千切りの――
……いや、これ以上はやめておこう。
彼の心が粉々になる前に。
「……もう、おせぇよ……」
ぽつりと、そう呟く彼の背中は、どこか切なくて……。
ーーー
バリルの都は、夜21時で“店変わり”を迎える……といっても、何が変わるわけでもない。
ただ、店主がふくよかな女性から、ふくよかな男性に変わるだけである。
「お疲れさま」
「お疲れさまです……マスター」
2階の休憩所にて、ワンはマスターへと一礼する。
「……あんた、いつまで冒険者を続けるつもりだい?」
「い、いつまで……って、急に何を……?」
「悪いけどさ、うちに来る連中と同じで――私も思ってるんだよ。あんたには、冒険者は向いてないってね」
マスターは、洗濯カゴへエプロンを放り投げると、円形テーブルの横にある椅子へ腰を下ろした。
その椅子、見た目がかなり華奢な造りだったので、ワンは思わず「折れやしないか……?」と少し不安になる。
「……俺は、なるさ。一人前の冒険者に」
「誰もパーティーを組んでくれない、あんたがかい?」
「パーティーなんて必要ない。一人でやっていけるさ……!」
「はぁ……何時になったら諦める気になるんだい?もう十分やったろうに」
「十分……? 十分なわけあるかっ!」
バンッとテーブルを叩き、ワンは顔を上げる。
「……あんたの気持ちは、分からないでもないよ。冒険者になって、有名になって。自分を捨てた“グレイグ家”を見返してやりたい――その気概は、ね」
「だったら……!」
「確かに、私やうちの旦那はギルドに顔は利くよ。でもね、何の実績もない、しかも仕事を一度も達成したことのないあんたを、推薦することはできない」
マスターの言葉は、厳しいが的を射ている。
ギルドは、各国に存在する巨大な組織だ。そして冒険者とは、そのギルドに所属する“子会社”のような存在、信用と実績が全て。
その子会社が、失敗ばかりしていれば――それは、ギルドの名に泥を塗るのと同じなのだ。
だからこそ、基本的に冒険者はパーティーを組み、万全の体制で任務に挑む。
“100%の成功”を目指すために。
「……頼むよ、マスター」
ワンは、ゆっくりと地に手をついた。
「ワガママ言ってるのは分かってる。
俺がダメダメなのも分かってる……でも、この前の仕事の失敗で、ギルドはもう、俺に首を縦に振ってくれなくなったんだ……」
「…………」
「頼むよ……頼むから、今回だけ……!」
ずしゃあっ、と床に額をつける。
地べたに這いつくばるような、五体投地の懇願。
その姿は、もはや形振り構わない哀れさで満ちていた。
「……はぁ、仕方ないね」
ぽつりと、マスターが言った。
「けど、これっきりだよ?
もし失敗したら、私ももう知らないからね」
「マ、マスター……!」
喜びのあまり、ワンは跳ね上がり――マスターの豊満な胸にダイブしようとした。
「気持ち悪いから、やめとくれっ!!」
バチィンッ!!
マスターのトロールモードが発動。
怒りの張り手がワンの顔面に炸裂!
「おべっぽ……っ!?」
……彼はそのまま、きれいに床へ沈んだ。
気絶しながらも、彼の心の奥には、
ひとつの決意が、確かに宿っていた。
次こそは。
この手で、“一人前の冒険者”になってやる。