プロローグ 3
彼氏は平日、仕事で夜に帰ってくる。
その間、私は家事をこなしつつ……あの日、保護猫喫茶の光景がどうしても頭から離れなかった私は、気付けば時間を見つけてはちょこちょこと通うようになっていた。
「青山さん、こんにちは~」
「あ、ども……お邪魔します」
「どうぞ、どうぞっ!」
最初は、ただ癒されたい気持ちで通っていた。
けど今は――この子たちのために少しでも力になれたらと、性格が終わってるって自覚してる私だけど……それでも、この子たちのために私にできることはないだろうか?
そう考えるようになっていた。
そして気付けば――「……あの、ここで働くことって、できますか?」
私はその気持ちを、そのまま店長さんに伝えていた。
彼女は私より年下で、今年24になるらしい。
だけど、私なんかよりずっとしっかりしていて、なにより――命を預かる仕事をしている。
彼女は、尊い命のために今を生きている。
私も、そんな人間になりたかった。
「わかりました。今度、面接しましょうか」
「い、いいんですか……?」
「青山さんのお気持ち、すごく嬉しかったので」
店長さんはやわらかく微笑み、私の申し出を受け入れてくれた。
まだ働けると決まったわけじゃない。
でも、こんな私でも――少しは変われるかもしれない。
そう思えたことが、何よりうれしかった。
ーーー
その夜、彼氏に伝えると「いいじゃないか!素晴らしいことだと思うよ」と、にっこり笑って応援してくれた。
そして迎えた面接当日。
私は、自分のことをすべて包み隠さず話した。
こんな私でも、猫たちの力になりたいと伝えると――今週から、働かせてもらえることになった。
初めての動物関係の仕事。
しかも接客業もほぼ未経験。
覚えるのは遅いし、失敗も多い。
お客さんに質問されて、うまく答えられず落ち込むこともあった。
でも、それでも……楽しかった。
この子たちのそばにいられること。
自分の存在が、少しでも役に立っていると感じられること。
それが嬉しかった。
彼氏は「夕飯とか気にしなくていいよ。僕の方が早い日は、僕が作るから」なんて言ってくれて、その優しさにも何度も救われた。
猫たちと過ごすうちに、私のコミュ力も少しずつ上がってきた気がする。
お客さんとの会話も、最初よりずっと楽しく感じられるようになってきた。
――ようやく、“天職”に出会えた気がしていた。
ーーー
そんなある日、新しい保護猫がやってきた。
黒猫の男の子。
名前は、まだ決まっていなかった。
来た経緯も、なぜか曖昧だった。
「……あ、そうだ!青山さん、名付け親になる?」
「えっ、いいんですか!?」
「うん、良かったらお願いしてもいい?」
まさかの展開に、動揺しつつも――私はうれしくて仕方がなかった。
(黒猫……クロ……は、さすがに安直すぎるか)
迷っていたとき、黒猫とふと目が合った気がした。
その瞬間、言葉が自然とこぼれた。
「……スーちゃん、なんて、どうでしょうか?」
「スーちゃん……うん、いいんじゃない?」
店長の許可が降りた。
新しい仲間には、“スー”という名前がついた。
「でも、なんでスーにしたの?」と聞かれたけど――答えられなかった。
自分でも、なぜそう思ったのか、わからなかった。
ただ、目の前のこの子がスーであることが、自然に思えた。
それから私は、スーのことが可愛くて、仕方なくなった。
ーーー
その夜、彼氏に名付け親になったことを話すと、彼も自分のことのように喜んでくれた。
そんな彼も、可愛くて――幸せで、仕方なかった。
仕事も、私生活も、順風満帆。
私はようやく、「もう大丈夫」と思えるようになっていた。
もっともっと、猫たちのために、自分の時間を使っていこう。
そう思えた、最高の夜だった。
……そんな夜に、私は不思議な夢を見た。
ーーー
まるでアニメの中の世界だった。
中世ヨーロッパのような背景。
私は、緑あふれる街道に立っていた。
そこには、見たことのない動物たちがいた。
犬のような生き物。馬のような生き物。鳥のような生き物。
けれど――何かが違う。
犬は時折、二足歩行で歩き、馬には角が生え、鳥には首が二つある。
彼らは、確かに生きていた。
そして――襲われていた。
人間たちが武器を手に、動物たちを狩っていたのだ。
剣で、斧で、弓で。
命を奪い、その体から何かを剥ぎ取っていく。
狩猟か、密猟か。
その区別はもう、どうでもよかった。
動物たちは、明らかに知性と感情を持っていた。
そして、苦しみ、叫んでいた。
やめて――やめてっ!!
やめて、お願い――命を、奪わないで!
誰かが叫んでいた。
いいや、私が叫んでいた。
そして、夢はさらに変化する。
そこには、一匹の黒猫がいた。
いや――猫ではない。
羽がある。目が光っている。
でも、その体は血に染まり、震えていた。
「痛いよ……こわいよ……」
黒猫の声が、直接、頭に響いた気がした。
その瞬間、私はその子を抱きしめていた。
傷だらけの体を守るように、覆いかぶさるようにして、誰にも触れさせない。
絶対に、もう、傷つけさせない――!そう心が叫んでいた。