オルロック街道異変 4
――翌日。
マスターとの約束通り、俺は町を離れることになった。
避難民たちよりも早く、ひと足先に。
ピノンも、ミルフィも、そして……ガリスも。
もしかしたら、これが今生の別れになるかもしれない。
ガリスは冒険者として、魔獣使い討伐に出る。
ピッツァに残る高級ランク以上の冒険者たち――マスターやアウィルらと共に、王国軍の到着を待ち構える。
戦場となるオルロック街道南部、そしてその奥に広がる“ネコヴァンニャの大森林”へ向かうのだ。
……果たして、勝つのはどちらだろう。
王国か、魔獣使いか。
というかそもそも、魔獣使いが危険だっていう前提、どこから来てたっけ?
「さあ、行こうか」
ダンバの第一声で、俺たちは出発した。
彼はピッツァの住民ではないから、荷車もない。
最低限の荷物をバックパックに詰め、徒歩での移動だ。
俺の持ち物なんて、薄汚れた白マントにロングソード一本だけ。
おかげで、ある意味すっごく身軽だった。
「寂しいかい?」
街道を北に向かい歩き出してすぐ、ダンバが振り返らずに聞いてきた。
「……ええ。 ただの別れとは違いますしね」
「そうだね。力がないというのは、歯痒いものだ……その気持ちは、わかるよ」
……ん?なんか過去にありそうな言い回しだな。
「……昔、私も友を多く失ったんだ。自分の過ちで、仲間をね」
……いきなり回想入りましたけど?と、心の中で軽くツッコミを入れる。
「それに比べれば、力がないってのはまだマシさ。慢心や傲慢で崩れるほうが、ずっと重い」
「いやいや、それでも無力ってのは……キツいですよ。現実的に」
「ははっ。なら力をつければいい。君は若い。いくらでもやり直せるさ」
――簡単に言うなよ。
俺だって、もう五年も這いつくばってんだ。強くなんかなれなかった。
なれたのはせいぜい……料理の腕だけ。
「無力なのは、悪いことじゃない。存在してるってだけで、誰かの支えになることもあるんだ。でもね、強さに酔うってのは、いずれ壊れる。綻びが、最後にはすべてを壊すんだよ」
「……難しい話ですね」
「でも君は、かつて貴族だったろ? それもグレイグ家の」
「……それ、あんまり言わないでくれません?」
「すまなかった。でも……当時の君、慢心してなかったかい? 傲慢だったんじゃないか? 自信過剰で、自分を見失ってなかったかい?」
その言葉に、俺の足は止まった。
……確かに、俺は何も持たずに称えられていた。
若さと名前だけで、持ち上げられ、天狗になっていた。
何かを成したわけでもないのに、自分が偉いと勘違いしていた。
そして――追放された。
父に、グレイグ家に捨てられた。
力も、名前も、何もかもを失って。
生きる場所も、希望も、全部消えた。
「その過ちが、君を強くする。何が大切かを教えてくれる……大丈夫。君は若いんだから」
優しい言葉と共に、ダンバは俺をぎゅっと抱きしめてきた。
「……あのさ、俺、そっちの趣味ないんで。離れてください。あとちょっとくさい」
「……はは、ごめんごめん。ちょっと感情的になってね」
「で、どこまで話聞いてたんです?」
「マーマレードから、色々とね……色い……ろ……」
突然、ダンバの言葉がどもった。
その視線の先――街道の向こうに、風にはためく“旗”が見えた。
「……あれは?」
「王国軍、だろうな。王都近郊じゃなく、別の地域の部隊みたいだが……」
なるほど。
王国が総力を上げるなら、地方軍の参加も当然か。
……って、待て。
その旗、見覚えが――
「っ……!」
ダンバが俺の腕を掴み、街道の端へと引き込む。
膝をついて最敬礼。俺もそれに倣い、頭を下げた。
でも、心は静かに……けれど確実に、荒れ始めていた。
――その旗は。
――その紋章は。
「……おい」
蹄の音と共に、近づいてくる騎馬兵の声。
頭を下げている俺たちに、その男が声をかけた。
……駄目だ。
声が出ない。
俺の中で、何かが……凍りついていた。
「はい。 なんでしょう?」
声が震えそうになるのを抑えながら、なんとか答えようとした俺を――ダンバが一歩前に出て、庇ってくれた。
「おやおや。彼は私の護衛なんですよ」
騎馬の男は眉をひそめる。
「護衛、だと?」
「はい。私は近隣の町の農民でしてね、これから帰るところなんです。彼が道中の護衛をしてくれてるんですよ」
「……」
沈黙。
だが、確かに感じる。視線が俺を貫いていた。
「ふん。ならば仕方あるまい」
「本当に、申し訳ありませんな。戦が近いとか……農民にとっては命がいくつあっても足りませんので」
「だろうな……気をつけて行くがいい」
馬の蹄音が遠ざかる。
……が、「待て」。
もう一人。別の騎馬兵が近づいてくる。
「まさか……ワンか?」
息が止まりそうになる。
聞き慣れた声。
忘れたくても、忘れられない。
「顔を見せよ」
命じるその声に、俺は顔を上げた。
「……お久しぶりです、ザナクス兄さま」
ザナクス・グル・グレイグ。
俺の実兄にして、グレイグ家の次兄。
白銀の甲冑に身を包み、軍馬の背に跨るその姿は、絵画のように整っていた。
――だが、その顔には、冷笑が浮かんでいた。
「生きていたのか。 現在は、冒険者をしているのか?」
「はい」
「そうか。冒険者か……ククッ」
笑った。
まるで獲物を見つけた肉食獣のように。
「それで、護衛だと? お前が、か?」
「……はい」
「腕を上げたのか? 少しはマシになったのか?」
「……」
「ハハハ。まさか、とは思ったが……やはりお前は、何一つ変わっていないな」
言葉が出ない。
怒りはある。
悔しさも、屈辱も、込み上げている。
なのに――体が動かない。
口が、閉ざされたまま動かない。
兄という存在の前で、俺はまだ、何も超えられていなかった。
「おっと、申し訳ありません。戦の前にご無礼を。どうか、ご武運をお祈りしております」
ダンバが空気を読み、頭を下げる。
俺のせいで――彼にまで頭を下げさせてしまった。
「……そこの農夫」
「は、はい?」
「喜べ。私の部下をつけてやる」
「え?」
「良い余興を思いついた……ワン。お前は、私と共に来い。グレイグの名のもと、存分に戦わせてやろう」
何を――言ってるんだ?
「い、いや……ご冗談を。彼は私の大事なパートナーでして」
「……貴様、私に逆らうつもりか?」
ザナクスが、腰の剣に手をかける。
ダンバの肩が微かに震えた。
「次は、ないぞ?」
「……兄さま! 私を、お連れください!」
こう……言うしか、なかった。
そうするしか、なかった。
「ククク。よろしい。そこの農夫、命拾いをしたな」
その時――血の気がすっと引いたのは、俺だけじゃなかった。
ダンバもまた、表情を失っていた。
グレイグ家。
なかでもこの男、ザナクス・グル・グレイグは--「冷酷無慈悲の申し子」として知られている。
貴族の中でも、最も忌避される存在だ。
逆らえば……何をされるか、分からない。
いや、もしかしたら昔の俺も……ザナクスと同じだったのかもしれない。
人の痛みも、優しさも知らなかった頃の俺もこんな不気味な笑みを浮かべていたのかもしれない。
こうしてオルロック街道の北部で俺はダンバと別れ、グレイグ家の軍勢と共に、ピッツァへと引き返すことになった。




