仲間 5
ーーーアウィル視点になりますーーー
……ここは、どこだ?
どうやら俺は気絶していたらしい。さっきまで森の中にいたはずだが――目を覚ますと、そこは薄暗く、何もかもが不明瞭だった。
「……起きたか?」
暗がりの中で、誰かの声が響いた。
「……ガリスか?」
「ああ」
「私もいるよ」
「……ミルフィ?」
目を凝らせば、ぼんやりとその姿が見える。
俺は仰向けに倒れていたらしい。ガリスとミルフィは壁際に寄りかかり、座っていた。
「ここは……どこだ?」
「さあな。分からん」
体を起こし、いつもの癖で腰の愛剣に手を伸ば――「……ない。武器が、ねぇ……」
「スクロールも、ね」
ミルフィが間髪入れずに呟いた。
「他のやつらは?」
「分からない……けど」
「けど?」
急にミルフィが黙る。様子が妙だ。
「さっき、悲鳴が聞こえたの。きっと……ピノンの」
「生きてたのか……」
その一言が喉の奥から漏れたが……馬鹿な問いだった。悲鳴が聞こえたなら、生きていた。
今はどうか、なんて分からない。殺された可能性すら、ある。
「で、なんでここから出ようとしない?」
「見張りがいる」
「見張り?」
呼吸を整え、目を凝らす。
さっきより少しだけ周囲が見えるようになっていた。
……いた。
大鬼猫よりは小さく、蝙蝠猫よりは大きい。
二足歩行で、ふらふらと徘徊しているその姿。
「――ケット・シーか」
「たぶんね。何匹いるかは分からないけど、かなりの数がウロウロしてる」
「Bランク相当の猫種モンスターか。あれは厄介だ……」
大鬼猫よりマシとはいえ、武器もスクロールもなければ話にならん。
見回せば、俺たちの牢は岩肌むき出しの天然洞窟のようだった。
柵はないが、見張りが常に監視している以上、逃げたところで嬲り殺されるだけだろう。
「で、どうするの?」
ミルフィが小声で訊く。
どうするも何も……そもそも、なんで俺たちは生かされている?
あのとき、森では大鬼猫が複数体いた。殺すつもりなら、いくらでもやれたはずなのに――なぜだ?
「……この場所も分からねぇし、地図がなきゃ抜け出せるとは思えねぇ」
「じゃあ……あんたは、このまま殺されるのを待つつもり?」
「ああ? そもそもお前が俺の命令を聞かなかったから、こうなったんだろうが」
「分かってる……分かってるけどっ!」
逆ギレかよ……この女。
「ミルフィ、落ち着け」
「……聴こえたんだよ。ピノンの声が、はっきりと……」
そうか。
たしか、ミルフィはピノンと付き合っていたな……。
惚れた腫れたなんざ、てめぇらで処理しとけよ。
パーティーにまで感情を持ち込むな――って言いたいとこだが。
……まあ、今さらだな。
俺もアテにしたのが悪い。
高級ランク以上にならなきゃ、まだまだ半人前――パーティーを束ねる器じゃねぇ。
とにかく、考えろ。落ち着け。
そういえば……見たことのないモンスターがいたな。
あれは……?
「なぁ、ガリス。お前に訊きたいことが――」
――ネェーオ。
突然の、異質な鳴き声。
大鬼猫でも蝙蝠猫でもない……新たな気配。
その直後、ケット・シーたちが牢に踏み込んできた。
一匹、二匹……いや、もっといる。
武器もスクロールもない俺たちは、あっという間に壁際へと追い詰められる。
……終わりか?
だがそのとき、ケット・シーが手招きしてきた。
「……なんだ?」
何がしたい。
罠か? それとも戯れか?
「呼ばれている、ように見えるね」
「ああ、俺にもそう見える」
モンスターのくせに、まるで人間のような動き。
言葉こそ発しないが、明確な意志を感じる手招き――その笑みは、まるで楽しんでいるかのようだった。
「ここは、従うしかあるまい」
「うん……」
勝手に決めやがって。
だが、確かに他に選択肢はない。
あり得ない話だが――この“ケット・シー”に従うしか、今は道がない。
……くそが。
ーーー
ケット・シーに導かれ、俺たちは牢の外へと出た。
そこは岩で形成された、まるで天然の迷宮。
至るところにモンスターの気配があり、見たことのない異形の姿もちらほらと。
仮にここから逃げ出せても、別の化け物の餌になるだけだろう。
そんな絶望的な環境だった。
――ネェーオ。
――ネネーロ。
先頭を進んでいたケット・シーが、何かを話しながら立ち止まる。
行き止まりか?……いや、しゃがめば通れそうな小さな穴がある。
「……入れ、と言ってるみたいだな」
「……私が先に行くよ」
斥候向きのミルフィが先陣を切り、俺、ガリスの順に穴へ潜り込んだ。
ケット・シーたちはついてこないようだが……この先に待つのは、一体どんな地獄か。
鬼か、蛇か。どうせ死ぬなら、一瞬で逝きたいもんだ――。
「ねえ……何か、聞こえない?」
「は?」
「誰かが喋ってる……え、待って」
ミルフィが急に加速した。
……いや、俺にも聞こえた。これは、人の声?
「光がある! もうすぐ……着くよ!」
ミルフィは電光石火の勢いで穴を抜け、そのまま視界から消える。
俺もガリスも慌てて後を追った。
抜けた先――そこには、ぼんやりとした光に満ちた空間が広がっていた。
その光の源は、壁に埋め込まれた天然のクリスタル……だが、それ以上に目を奪われるものがあった。
ミルフィは歓喜に目を見開き、ガリスは満面の笑みを浮かべて……泣いていた。
近づかずとも分かる。
そこに、仲間全員がいたのだ。
一人も欠けることなく――全員、無事に。
「ピノン!」
「ミ、ミルミルッ!」
ピノンとミルフィは駆け寄り、抱き合う。
……ミルミル?
皆の前で愛称呼びかよ。心配してたのは伝わるけど……なんか、胸くそ悪い。
ガリスは感極まり、目を潤ませていた。
コイツと組むのは初めてだが、まさかこんな感情豊かな奴だとはな。
もっと無口で冷静なタイプかと思ってたが……意外と表情豊かじゃねぇか。
「あ。あの人がそうですか?」
不意に、聞き慣れない声がして意識を戻す。
仲間たちの輪の中に、見知らぬ女が一人――黒装束に、薄幸そうな顔立ち。
誰だ、こいつは?
「は、初めまして……」
その女は、俺に向かって会釈をしてきた。
意味が分からない。何者なんだこいつは。
「……むっ」
涙目だったガリスの顔が一瞬で強張った。何だ、どうした?
「どうした?」
「どうしたもこうしたもない。こいつだ……調査対象の、魔獣使いだ」
「な、なんだと……?」
ミルフィの顔も固まる……そりゃそうだ。
俺たちが追っていた“魔獣使い”が、まさか自分から現れるなんて。
いや、違う。
導かれたというべきか――「あ、あの~……」
女は申し訳なさそうな表情で、俺を見つめてくる。
……どうすればいい?
どう対応すればいい?
この女の機嫌ひとつで、俺たちの命運が変わるかもしれない――そんな気すらしてくる。
媚びてでも機嫌を取る?
いや、それで済む話か……?
わからねぇ……!
冷や汗が、背中を伝う。
女は俺の思考なんてお構いなしに、ズカズカと近づいてくる。
悠々と、堂々と、まるで虫を見下ろす女王様のように。
無防備な歩みなのに、不気味なほどに恐ろしい。
「大丈夫ですか?……汗、すごいですよ?」
上目遣いで俺を覗き込む女の目は、何を考えているか分からない。
その笑みは、優しいのか、それとも……。
「ティッシュとか、ハンカチとか、ないんですよね……」
そう言って、女は申し訳なさそうに頭を下げた。
「……あの、さっきは乱暴をしてしまって、すみませんでした」
――は?
なんだこの展開。謝罪? この女が、俺に?
その一言で、場の空気が一気にねじれた。
女が、俺の額へそっと袖を伸ばそうとした――「さ、触るなっ!」
反射的に、俺はその手を弾いてしまった。
それだけじゃ終わらない。
俺は――過ちを犯した。
予想外の行動に心が揺さぶられ、気づけば殺意を撒き散らしていた。
剣なんてないのに、抜刀の構えまで取っていたのだ。
――グルウアァァァァ!!
背後から、耳を劈く咆哮が響く。
そこにいたのは――大鬼猫。
並の大鬼猫より一際大きな体躯、鋭く煌めく爪を構え、明らかな敵意をこちらに向けていた。
ああ……死ぬんだ、俺。
反射的に目を閉じ、死を受け入れる。
血飛沫が舞い、胴体が引き裂かれる――それが運命なのだと、俺は確信していた。
「全滅……だな」
仲間を守ると豪語した俺の、なんと滑稽な最期か。
心から、すまないと思った。
頭を下げ、あの世で幾らでも詫びようとすら思った。
……そう、思っていた。
だが……何も、起こらない。
不思議に思い、俺はそっと目を開けた。
「……な、に……?」
俺に爪を向けた大鬼猫――その前に、女が立っていた。両腕を広げ、俺を庇うようにして。
「……さっきも言ったじゃないですか! 何もしないでくださいって……」
大鬼猫は唸り声をあげる。
それでも、女は一歩も引かない。
「お願いします。私に任せてください」
なんだ……?
いったい、何が起きてる……?
女は俺の目をまっすぐ見据え、そして、ぺこりと頭を下げた。
「あなたが、リーダーさんですよね?」
……目的が、わからない。
「……の?」
くそ、どうすればいい?
判断がつかない。
どうする? どうしたら――。
「あ、あの!」
「な、なんだよ……」
「お願いがあるんです!」
……願い?
「この子たち……攻撃を止めてくれませんか?」
「こ……こうげき?」
「はい。彼らはあなたたちに害を加えるつもりはないんです。ただ普通に、平穏に暮らしたいだけなんです……」
なんだ、それは。
俺たちは、試されているのか?
もし俺がここで誤った判断を下せば――皆殺しにされる、そんな未来を暗示しているのか?
「あの、すみません……?」
「い、意味が……意味が分からない。だが、ちょっとだけ……時間をくれないか?」
それが、俺の精一杯だった。
「……あ。そ、そうですよね……こちらこそ気を遣えなくてごめんなさい。良かったら……果物、ありますから」
女は地面に転がる果物を拾い、俺に差し出した。
……見たこともない、奇妙な果実だ。
「アウィルさん」
仲間のひとりが果物を齧りながら言う。
「これ、めっちゃうまいっすよ」
……いや、助言じゃねぇ。戯言だ。
状況が状況じゃなけりゃ、殴ってたところだ。
「一つ……訊いていいか?」
「はい?」
「なんで、止めた?……あの大鬼猫の攻撃を」
女は少し困ったような顔をし、言葉を選ぶようにして――答えた。
「……殺しちゃ、いけないと思ったからです」
「どういう……意味だ?」
「人も……動物も、モンスターも。生きてるんです。感情があって、命があるんです。だから……うまく言えないけど、むやみにそれを奪っちゃいけないと思うんです」
女は不器用なジェスチャーを交えながら、必死に言葉を紡いでいた。
……わからない。
何を言っているのか、俺には理解できない。
けれど、確かに――本気でそう信じてることだけは、伝わってくる。
判断がつかない。
そんなこと、初めてだ。
リーダーの俺が、判断できないなんて。
でも、今の俺には……力も、確信もない。
「……皆に、相談させてくれ」
女にそう伝え、俺は仲間たちの元へ戻った。
今の俺じゃ、抱えきれない。
一人じゃ、答えを出せない。
頭を下げた。
仲間たちに、教えてくれと。意見をくれと。
……情けない話だ。
だが――ガリス、静かに頷いてくれたのはあの無骨な男だった。
いや、彼だけじゃない。
ガリスに続くように、仲間たちが俺を見つめ、迎え入れてくれたのだ。
──俺は、仲間に支えられている。
たった今、そのことを強く、強く実感した。