仲間 4
――ワン・グレイグ視点になります――
バリスの都の厨房で、ここ数日で磨き上げた《千切りの舞》を遺憾なく発揮し、最高の一品を作り上げている最中――ギルド従業員からマスターに、「調査団との連絡が途絶えた」との報せが届いた。
ガリスたちが帰ってくるその日に向けて、どんな料理を振る舞おうかと考えていた矢先のことだった。
ーーー
冒険者になってからの五年間。
誰にも心を開かなかった俺が悪いのは分かってる。
だが、それでも――俺は憔悴していた。
金もなく、住む場所もない。冒険者とは名ばかりで、実態は浮浪者同然だった俺を、マスターが拾ってくれた。
そこから厨房を任されるようになるまでには、涙ぐましい日々があった。
ピッツァが王都や貴族街と比べて平穏であるとはいえ、飯がなければ生きてはいけない。
俺は元々、この町にいたわけじゃない。
「働かざる者、食うべからず」
どこの世界でも、それは真理だ。
冒険者という職は、登録こそ簡単だが――仕事は過酷だ。
貴族の家を放り出された俺に、まともに勤まる仕事ではなかった。
それでも、これしかなかった。
冒険者という職業は、どんな身分の人間にも“門”を開いてくれる。
俺は、その救いに縋るしかなかった。
だが――俺には何もなかった。
剣も魔法も振るえず、教養もなければ、算術も貴族の舞も知らない。
ただ「好き勝手に生きてきた」だけの元貴族の成れの果てだった。
栄養失調に脱水症状……そんなのは日常茶飯事だった。
それでも、俺は生きるために、手段を選ばなかった。
……虫や糞付きの腐った飯を、食った。
見るからに汚れた泥水を、すすった。
恥も外聞もかなぐり捨て、本能に従って。
そんな状況に堕ちたのは、すべて――グレイグのせいだと、俺は信じて疑わなかった。
グレイグ家を見返すために、俺は生きる。
いつか、世界にその名を知らしめてやるんだと――そう、心に刻んできた。
俺の生き様は、まっすぐな《剣》であり、遠くまで貫く《槍》だった。
信念を剣に、執念を槍に。
そんな言葉を胸に、討伐任務ばかりを選んできた。
死ぬわけにはいかなかった。
グレイグを見返す、その日までは。
ーーー
……そんな俺が、ピッツァの町に辿り着き、マスターと出会い。
昨日、初めて畑の手伝いという依頼を受けた。
冒険者というものを、知ろうと思ったのだ。
討伐や護衛だけが冒険者じゃない。
名を上げるには向かないかもしれないが、それでも根本を知っておきたかった。
俺にその考えを芽生えさせてくれたのは……ガリス。ピノン。ミルフィ。
あいつらだった。
ずっと俺は、失敗ばかりしている自分をアイツらが見下しているんだと思ってた。
馬鹿にされて、笑われているのだと、勝手にそう決めつけていた。
だが――違った。
あいつらは、俺のことを気にかけてくれていた。
「そんな薄っぺらな復讐心だけで、冒険者なんか務まるか」と。
「まずは、人として大事なことを知れ」と。
……何も言わず、行動で教えてくれていたんだ。
俺がラストチャンスだと思っていた蝙蝠猫の討伐任務。
それを上の空で放棄しかけた俺を、叱ってくれた。
だからこそ、分かったんだ。
冒険者にとって、本当に大切なものは何か。
ただ目の前の敵を倒すことじゃない。
誰かに勝つことでも、誰かを見返すことでもない。
支え合って、生きて帰ること。
そして、誰かのために、ちゃんと役に立つこと――それが、冒険者という存在なんだと。
冒険者の真髄とは――。
困っている人。
助けてほしい人。
自分ではどうにもできないことを、誰かに頼る人。
……そういった人たちの願いを叶える職業。
それが、冒険者だ。
名声や報酬のためだけに働くものではない。
それに――冒険者とは、ギルドに登録された「職業」でもある。
ギルドには従業員がいて、依頼主と冒険者を繋いでくれている。
そもそも、冒険者に完全なソロなんてあり得ないのだ。
従業員と相談し、依頼主のために汗をかき、その任務を達成する。
そうして報酬を得る。
その仕組みがあるからこそ、冒険者ギルドは世界中に根付いた。
誰でもなれる――だが、決して独りでは成立しない。
「俺は誰の手も借りない。ソロで有名になってやる」
……そんな考えは、冒険者にとっては致命的だ。
何よりも、幼稚で、視野の狭い考えだった。
きっと、アイツら――ピノンやミルフィは、マスターから俺の過去を聞いてたんだろう。
だからこそ、ああやって俺をからかい、あえて遠回しに「お前には冒険者は向いてない」と伝えてくれてたんだ。
ガリスも……遠くから、それを見守ってくれていたんだろう。
……だからこそ――いやなんだ。
話せなくなるのが。
笑い合えなくなるのが。
だって――アイツらは、俺なんかを仲間として認めてくれた、初めての存在だったから。
なら、どうする?
……決まってるだろ!
答えは、とっくに出ていた。
俺は厨房を飛び出し、ロングソードを背に装備する。
その時。
「どこに行くんだい?」
マスターの声が、背中から響いた。
その眼光は、凶暴なトロールの如く鋭い。
けれど俺は、退けない。譲れない。
「アイツらを探しに行きます」
「行って、どうするんだい?」
「決まってる。助けます」
「……あんたが行っても、無駄死にするだけだよ」
「じゃあ、マスターは見殺しにするってことですか!?」
……言ってしまった。
マスターに対して恩があるってのに、でも、これだけは譲れなかった。
もう、俺の中でアイツらは仲間なんだ。
ガリスも。ピノンも。ミルフィも。
――かけがえのない、仲間なんだ。
その仲間の窮地を、何もせずに見てるなんて――俺にはできない!
「……あんた、ほんと変わったね」
マスターは溜め息をつきながら言った。
「何か……おかしなこと、言いましたか?」
「言ってないよ。けど――とりあえず厨房に戻りな」
「戻れるわけないでしょう!」
「焦って事態が好転するなら、私だって焦るさ。でもね――焦れば焦るほど、視野が狭くなる」
「……っ」
「焦り。怒り。そして、感情ってやつはね。冒険者にとっては邪魔になることがあるんだよ」
感情まで、ってのは納得いかない。
仲間を想う気持ちだって、感情から来るものでしょう?
「時と場合によるさ。けど……こういう時には毒になる」
「毒……?」
「一時の感情に身を任せれば、必ず後で災厄となって返ってくる。だから私は、あんたに言ってるんだよ」
……分からない。
マスターの言うことが、今の俺には何一つ理解できなかった。
「……分からなくていい。どうせ今のあんたには何もできやしない」
「て、訂正してください……!」
「しないよ」
「訂正してくださいッ!」
怒りが湧いた。
俺はロングソードの柄を強く握る――このままではマスターに剣を向けそうなほどに。
「やめときな」
「訂正、してくれるなら――」
「訂正したら、行くのをやめるかい?」
「いいえ。何と言われようと、俺は!」
「……そうかい」
その瞬間――マスターがブレた。
視界が二重にも三重にも歪んで、気づいたときには俺は倒れていた。
……体が、動かない。
「手加減はしたよ。意識はあるはずだ」
な……にを、したんだ……?
「私だって、今すぐにでも助けに行きたいさ。あの子たちは……あんたより、よっぽど長く付き合ってきた。家族みたいなもんだよ」
「……」
「でもね、ワン。それとこれとは別なんだ。私たちは“冒険者”だ。死と隣り合わせの仕事をしてる。その覚悟は、あの子たちもしてるよ……それができないうちは、いつまで経っても一人前にはなれない」
「…………」
「やっぱり、あんたに冒険者は向いてないよ」
……分かってるよ、そんなこと。
でも、俺は――……「アイツらに、死んでほしくないんだよ」
その声は、きっと泣きそうなほど、かすれていた。
「マスター、どうされますか?」
「ギルドマスターに連絡を入れてくれるかい。……今度は、私が直接話す」
「……はい」
マスターは、ギルド従業員と何やら会話をしている。
……くそ。
俺には分からないことだらけだ。
何かひとつ分かったと思えば、すぐにまた別の「分からない」が生まれる。
そしてその「分からなさ」に憤れば――「冒険者には向いていない」と、バッサリ両断される。
なぁ、なんなんだよ。
仲間を見捨てることが、正しいのか?
仲間を助けたいと思うことが、なんで間違いなんだよ……!
俺が行ったって、無意味かもしれない。
無駄死にするだけかもしれない。
でもさ――感情が毒になるなんて、本当にあるのかよ……?
……アイツらは、俺に教えてくれたんだ。
何も分からなかった俺に、「冒険者とは何か」を。
それはきっと、言葉じゃなくて……態度や姿勢、心で教えてくれたんだ。
だから、俺も返したい。
あいつらに――何か、してあげたいんだよ。