仲間 3
「出口へ急げ……!」
アウィルは数人の冒険者と共に、ネコヴァンニャの大森林から敗走していた。
ーーー
ーーーアウィル視点になりますーーー
ピッツァを発ってから三日。
オルロック街道、草原地帯――これといった異常はなかった。そして昨日、俺たちはネコヴァンニャの大森林へと到着した。
今回の調査団は、銅銀級の俺、高級のガリス、そしてピノンやミルフィをはじめとした上級冒険者たち。少数精鋭のメンバーだった。
ネコヴァンニャ――未開の魔の森。
大型種のモンスターが数多く生息し、地図すら完成していない未踏領域。もし本格的に制圧するなら、黄金級を筆頭に数百人規模で挑むしかない。
かつて王都で「太陽道」と呼ばれた伝説の冒険者、橙のマーマレードですら、この森の完全攻略は叶わなかった。
だが今回は討伐でも探索でもなく、あくまで調査だ。
戦わなくていい。深入りする必要もない。
重要なのは、生きて帰って報告すること。
それが俺の考えだ。
危険が迫れば即座に撤退。巻物もある。潜伏して様子を見る。最低限の接触で済ませれば、命を落とすリスクも格段に下がる。
冒険者の命は軽くない――口では「マスターのためなら死ねる」とか言ったが、冗談だ。
俺は、面白おかしく生きていたいだけだ。
森の入口で役割を分担し、まずはピノンに斥候を任せた。
だが、時間になっても帰ってこない。
嫌な予感がした俺は即座に撤退を決断。だが――「仲間を見捨てるのか!」
ミルフィの声が響いた瞬間、苛立ちが沸き上がった。
冒険者パーティーにはリーダーが必要だ。
経験、実績、ランク――そういう奴が指揮を執る。それが常識だ。
だから俺が選ばれた。マーマレードが、俺を選んだんだ。
俺の判断は、間違っていない。
だというのに、ミルフィの感情論に続いて、今度はガリスが口を挟んできた。
「撤退するのは、まだ早いだろう。少しは捜索してからでも――」
なにを寝言を……リーダーの判断に背く気か?
怒鳴りたいのを堪えた。敵地で内紛を起こす愚かさは、俺とて分かっている。
「俺たちの任務は、情報を持ち帰ること。仲間を救うことじゃない。死と隣り合わせだって、マスターも話していただろう?」
「……正論だな。だが、それでもピノンを見捨てるのは、違うと思う」
バカが。全滅するつもりか。
「なら、俺とミルフィだけで行く」
まったく……補佐の立場にあるガリスが、役割を放棄してミルフィと森の奥へ向かおうとしている。
止めるべきかと思ったが、ここで揉めればモンスターに襲われる可能性もある。
それは得策ではない。
「……勝手にしろ。俺たちは帰る」
「ピノンを見つけ次第、巻物で連絡する」
ガリスはそう言い残し、俺は踵を返した。
だが、背後に漂う空気--他の冒険者たちの視線が突き刺さる。
「……アウィルさん」
「……なんだよ」
「見捨てるんですか?」
……うるさい。何が仲間だ。
情報を持ち帰るのが任務だと、さっき言ったばかりだろう。
俺の判断は合理的で、正しい。
それなのに、こいつらは感情で動く。
ギルドで共に笑い、食卓を囲んだ仲間だからと?そんな理由で命を捨てろと?
ほんと、バカばっかりだ。
平和ボケした連中め……。
仕方なく、俺はガリスを呼び止めた。
奴らを置いて撤退すれば――ピッツァで「仲間を見捨てた」と吹聴されるに違いない。
それだけは、絶対に許せねぇ。
……俺の名に傷が付くからだ。
最低限の筋だけは通しておく。
リーダーってのは、本当に面倒な立場だ。
たとえ判断が正しくても、部下の反発には耳を貸さなきゃならねぇんだから。
策を練り直し、隊列を再構成。
俺とガリスを先頭に、静かに森の奥へと進む。
音を立てず、周囲の異変を一瞬でも見逃さないように。
魔法は使えるが、詠唱が必要だ。敵と遭遇した場合は攻撃魔法が込められている巻物を使う。
あれなら、開いて魔力を流し込むだけで即座に発動できる。
全員に一本ずつ持たせておいた。
ーーー
5分後――
「……ガリス」
「あぁ」
目の前に現れたのは、悠然と歩く大鬼猫。
「ゆっくり下がるぞ。俺が合図したら――」
「お、おい……後ろ! 後ろにも!」
振り返った瞬間、息が止まりかけた。
右にも、左にも、そして頭上にも――木々の隙間から次々と姿を現す、大鬼猫の群れ。
完全に、囲まれていた。
「に、逃げよう!!」
誰かが叫んだその瞬間、地が鳴った。
――地揺れ。
大鬼猫たちは一斉に地面を蹴り上げ、威圧の咆哮と共に衝撃波を発する。
波紋のような振動が襲い掛かり、数人が膝をつき、へたり込む。
「だから言ったじゃねぇか、ボケ共がッ!」
俺は高級の攻撃魔法が込められた巻物を取り出した。
火炎弾。
即時発動、高威力の高級攻撃魔法だ。
森では火系統の魔法が特に有効。木々を焼けば進路も塞げるし、煙は目くらましになる。
当てられれば上等。外れても逃げ道ができる。
巻物を開き、魔力を注ぐ。
炎弾が放物線を描き、大鬼猫に向けて疾走した。
「……ちっ」
避けやがった。しかも、こっちに向かってくる。
が――その時、別の巻物が開かれ、風の魔法が起きた。
突風。
発動したのはガリスだった。
あえて火より低ランクの風魔法にしたのは、炎を吹き上げるためだ。
炎より風が勝てば鎮火する。だから、あいつは計算していた。
炎は勢いを増し、木々を焼き払い、黒煙が立ち上る。
「よし! 草原地帯まで走れッ!」
俺たちは踵を返し、撤退を開始した。
燃え盛る炎が大鬼猫たちの進路を塞ぎ、視界を覆う黒煙が奴らの感覚を鈍らせる。
いける。
このままなら逃げ切れ――そう思った矢先……音が、消えた。
炎の音も、木々の軋みも。
ただ、悲鳴だけが、響いた。
振り返る。
ミルフィが、大鬼猫の巨体に押し潰されていた。
すぐさまガリスが救助に向かうが、その背後から――別の大鬼猫が襲いかかる。
「お、おい……! あいつらを助けないのか!?」
助ける――? 正気か。
「状況を読め! 感情で動くな! 俺たちの任務を忘れたのか!!」
怒鳴った。
そうだ。
俺たちは調査に来たんだ。
仲間を救うのが目的じゃない。情報を持ち帰る。それが全てだ。
それに、何よりおかしい。
大鬼猫が徒党を組むなんて、まずあり得ない。
しかも、奴らの動きは明らかに連携していた。
モンスターが……連携?
スクロールの魔法効果も消失した……?
異常の連続。
でも、それこそが最大の調査成果だ。
モンスターが進化し始めている――その情報だけで、ギルドは対策を立てられる。
だから今は……生きて帰る。それが最優先だ。
「出口だ! 森を抜け――!」
そう思った、その時だった。
出口の前に、"何か"がいた。
大鬼猫ではない。大型種でもない。
だが、明らかにモンスター、小型種だ。たぶん雑魚だろう。
「突破するぞッ!」
俺は叫んだ――だが、誰も反応しない。
……予感がした。
それがどんな意味を持つか、俺には分かっていた。
反応がないということは……そういうことなんだ。
「そこをどけぇぇッ!!」
俺は咆哮と共に、愛剣を握りしめ――目の前のモンスターへと、一刀を振り下ろした!
……が、その瞬間、世界が暗転した。
なにが、起こった――?
分からない。
何も……分からない。
視界がぐにゃりと歪み、足元が消えていく。
音も、気配も、感覚も……すべてが遠のいていく。
消えゆく意識の中、俺の目に映ったのは――小さく、黒い影。
蝙蝠猫のような小型で……だが確かにモンスターの形をしたそれの、全身だった。
ただ一つだけ、ハッキリと聴こえた。
「……終わったの?」
――ミャア。
……誰だ。
いまの声……誰の……?
脳裏に響いたのは、女の声。
あたたかくも冷ややかな、人の声。
でも、そこまでだった。
そこで、俺の意識は完全に――闇に、沈んだ。