プロローグ 1
私の名前は、青山鈴音、28歳。
友達がどんどん結婚していくなか、私は完全に出遅れ組……だったけれど、先月、ついに彼氏ができた。
実に、8年ぶりのお付き合い。
正直、もう男なんて諦めかけてたし、「恋」なんてものは漫画の中の話だと思ってた。
女子力?そんなの一片もなかった。
スカートなんて絶対に履かなかったし、フリフリの服も無理。
化粧もせず、マスクで顔を隠して生きてきた。
そんなある日――。
「すずが良い!君が好きなんだっ!」
まるで映画のワンシーンみたいな告白をされ……たらよかったのに。
現実は「ぼ、僕は…君がごにょごにょ……」という、語尾すら聞こえない呟きで、最初マジで何を言ってるのかわからなかった。
思わず、「日本語喋りなよ」って冷たく返してしまったくらいだ。
でも、その一言で彼は覚悟を決めたのか――。
「ぼ、僕は……君が好きにゃんだー!」
……何を噛みながら告白してるんだ。
にゃんだーって何だよ、にゃんだーって。
だから私も、「私も好きにゃんだー!」って返した……ら、可愛げがあったのかもしれないけど。
そんな柔軟な女じゃない。
8年も恋愛してなかったんだ。こじれてるんだ、私は。
「は……?」
これが、そのときの返事だった。
友達の紹介で彼と出会って、何度かグループで遊んだ。
でも、周囲はコミュ力お化けばかりで、私はその輪に入れず、ずっと浮いてたと思う。
そんな私に、彼は「ごにょにょごにょ……」と呟いたあと、「好きにゃんだー!」と言ってきたのだ。
「は……?」って言っても、仕方ないと思う。
彼は見た目こそアイドルみたいな童顔イケメンで、私みたいな陰キャに声をかけてくるタイプには到底見えなかった。
きっと友達が「すずのこと、誰か何とかしてあげて」って言ったんだろう、としか思えなかった。
だって、私は……お世辞にも「かわいい」とは言えない外見だ。
でも彼は、こう言った。
「アニメが好きだし……趣味も合うし、僕、顔より中身が大事だと思うんだ……」
「顔が悪くて、悪かったな。ク○野郎」
うん、つい言ってしまった。反射的に、出来心で。
それでも彼は――笑ったのだ。
「確かにク○野郎だね。はははっ!」
……笑うとこ? そこ?
謝るでもなく、笑ったその姿に、私はちょっとだけ救われた気がした。
だから私は、オーケーを出した。
友達からは「なにそのコント?」と呆れられたけど……私には、ちょうどよかったのだ。
こんな性格でも笑ってくれる彼が、ツボに入った。
ーーー
彼氏と付き合って、あっという間に同棲生活が始まった。
「すずとアニメ鑑賞がもっとしたい」
……え、その言葉、かわいすぎん?
気がついたら私は――完全に彼氏に夢中になっていた。
おかしいな。
女子力ゼロで、恋愛なんてもう無縁だと思ってたのに。
“恋は盲目”って言うけど……どうやら、私にもその時が来たらしい。
ーーー
ある日のこと。
私たちはいつものようにアニメを見ていた。
動物がたくさん出てくる作品で、私はそういうのが大好きだった。
いぬ、ねこ、とり、ハムスター、うさぎ、カピバラ、フェネック……全部、好き。
全部、飼いたい。
そのとき、彼がぽつりと言った。
「……動物、飼う?」
そのひと言に胸がキュンとした。
私の好きをちゃんと覚えてくれてて、しかも一緒に飼おうって思ってくれてるなんて。
アイドル顔負けの童顔イケメンで、しかも優しくて、アニメ好きで、動物好きで……私のこと第一に考えてくれる。
最高かよ。
ーーー
でも――そんな日々も、ずっと続くわけじゃなかった。
ある日、私は仕事を辞めた。
理由は……かんたん、いじめだ。
くだらない、でも確かにあったリアルな人間関係の崩壊だった。
彼と付き合い始めてからというもの、私は毎日が幸せで仕方なかった。
「やっほほーい♪」ってスキップで駅に向かって、「うっふふーい☆」ってバク転しながら出社するくらい浮かれてた。
でも、落とし穴はいつも油断してる時にやってくる。
私は忘れていた。
性格がちょっとねじれてるのは、付き合っても変わらないってことを。
ある日、友達が彼氏にフラれて、自暴自棄になっていた。
そんな彼女が、ぽつりと私に言った。
「……幸せそうで、いいね」
それに対して私は、満面の笑みでこう答えてしまった。
「幸せだよ。毎日楽しいし、私の彼氏、日本一、いや世界一かもしれないね」
……うん。
完全に天狗になってた。
自分でも今思えば、最悪の返しだったと思う。
その日から、私は周囲から距離を置かれ、無視され、意地悪をされるようになった。
そして――会社を辞めざるを得なくなった。
ほんと、私の性格、終わってんな……。
ーーー
この歳になって――私は、無職の引きこもりニートになった。
唯一の救いは……私が女だということ。
こんな社会的ステータス底辺の私に、彼は言ってくれる。
「僕が頑張るから……すずは、家のことを頑張ってくれればいいよ!」
……は?
告白したときはあんなに締まらない奴だったくせに。
いつの間にそんな“男らしい”セリフを言えるようになったんだ?
それに比べて、私は――はぁ、また、ため息が出る。
ーーー
金曜の夜。
明日からは週末。
つまり――我が家の“オタ活タイム”の始まりだ。
私はメイドになりきって玄関で出迎える。
「おかえりなさいませ、ピッピさま♡お風呂にしますか? ご飯にしますか?それとも……アニメにしますか?」
……はい、テンプレです。
「えっ、そこは俺じゃないんだ」――なんて寒い返しを私の彼が言うことは、ない。
当然だ。
私の彼氏はそんな安っぽい“分かってない男”じゃない。
「じゃ、アニメキャラになりきってご飯にしようか」
うん、よく分かってらっしゃる。
わかってるよ、君はレベルが高い。ほんと、最高の彼氏だよ。
ーーー
でも、仕事を辞めて、いまだに再就職できていない私を責めない彼。
その優しさに、私は甘えてばかりだ。
そして、ふと思う。
――私は、何者なんだろう?
無職で、引きこもりで、夢もない。
ただのニート彼女。
そんなことを考えていたとき、彼がふと話しかけてきた。
「あ、そういえば――」
着替えながら、なんとなく言うように。
「駅前に、保護猫カフェがオープンしたらしいよ」
保護猫、カフェ。
そのふたつの単語に、私はなぜだか心を惹かれた。
ーーー
翌日、私たちは駅前の保護猫カフェに行ってみた。
気になってたし。
動物は好きだし。
最近ちょっと、心が疲れていたから――ちょっとした息抜きのつもりで。
店内には、思っていたより多くの人がいた。
新規オープンということで注目されてるみたい。
猫の数は三十匹。
でも、全員が出ているわけじゃなくて、半分くらいはゲージの中でお昼寝中。
「こんにちは〜!」
出迎えてくれた店員さんは、若くて、笑顔の可愛い女の子だった。
「こ、こんにちわわん!」
隣で、彼氏が盛大に噛んだ。
いや、ここ猫カフェだからね。
“わん”じゃなくて“にゃん”でしょ?せめてそこは猫に寄せてくれ……。
「か、噛んじゃった……はずいよぉ~」
って、顔を赤くして耳まで真っ赤にして。
そんな姿に、私は思った――可愛いかよ。
困った奴だ。
……でも、そういうとこ、やっぱり好きなんだよな。