バーと老人。
酒場において最も重要なものは何か、それは雰囲気と上等な酒だ。どちらかといえばバーに違いのだけれど、些細な違いなうえに来る人間も限られている、たまり場というのが適切か。
子供のころにゲーム機片手に公園に集まるように、大人になっても旧友たちとゆったりと会話をするためにバーを訪れる人は少なくない。回転は夜十二時から。誰もかれもが眠りこくった丑三つ時にバーの表、看板はCLOSEDからOPENへと変わる。ろくでなしの時間帯に出歩くのはやはりろくでなしか、どいつもこいつも癖のある人ばかりで飽きることなどない。
昼は喫茶店夜はバー、甥の鏡花が健康的に九時にぐっすりねむりについてから二時間と少し、喫茶店のカウンター、その戸を二度叩くと地下への階段が姿を現す。完全に趣味で製作したものだが、ロマンという薬が男には欠かせないのだ。一昔前まではこの喫茶店ーー酒場だった場所で集まっていたのだが、喫茶店に使う場所に酒の香りを残すのはいただけない。
鏡花には鏡花のロマンがある、そのロマンを侵すのは同じロマンを求めるものとして許せるものではない。なので地下、もとは洗濯機などを置いていた地下の一室を改造し作り出したバー。
淡い黄金色の光が電球から漏れ出し上等な木材でくみ上げられた部屋を照らし上げる。
柔らかい木材の香りと、上等な日本酒の香りが混ざり合い鼻腔をくすぐる、そうこれこそが隠れバーの魅力の一つだろう。
いつもどおり常連のろくでなしどもの愛する酒瓶を出し、今日は誰が来るかと思いを胸に秘め丁寧に机を磨く。宝石のように輝いて、光を反射する木材は一種の芸術品のようであった。
車が、商店街ーーそのはずれにあるこの店の前に泊まる音が聞こえた。今日はあいつが来たかと車の音で察して辛みの強い日本酒を出しヤツが好む煎餅を皿に出した。
ガチャリと、店の扉が開く音が聞こえて、相も変わらずのしのしと仰々しい歩き方で階段を下りてくる。足音は一つ、畳の香りと共に不愛想な老人の顔が階段から覗いた。
髪は白く、肉は薄い、けれどどこか筋骨両量といっても差し支えないようにも見えて不思議な男だ。髭一つなくぎらりぎらりと生命力の塊のような双眼と目が合った。黒いスーツを着た老人は私の姿を見るなり露骨に嫌そうな顔を浮かべた。
「孫娘が話す鏡花とかいう娘の姿が見れると思ってきてみたが。不愛想な男しかいないか、くだらん」
「そういうなって大島さん。久々に来たんだ、飲んでくだろう」
フンっと鼻で笑って当然だろうという風に席に着いた。誰がどこに座るかとか、だれがどこで話すかとか、常連のろくでなしどもにはそういうものがある。この老人が座るのは左端から二席目、無論そこには辛口の日本酒とおつまみが置いてある。
ろくにつかないくせに、義理を通して持ち歩くその杖を丁寧において老人は一息ついた。
「それにしてもてめぇは変わらんな。弟の浩二が家庭をもって生きているというのにてめぇときたらこのバーか」
「......そういいながらも来るあたりが大島さんらしくていいね」
「ほざけ。わしゃあ孫娘に粉かけるガキの姿を目に来ただけじゃ。どこにいる?」
「あいにくと俺と違って健康的なんだ、今は二階のベッドの中でぐっすりさ」
「......そうか。ところで浩二は元気にやっとるか?」
「去年事故で愛さんと一緒に死んじまって墓の中だ」
老人はしばらくきていなかった、新しく勢力を伸ばし始めたほかの組の連中との抗争が悪化、ろくに出歩けない状態が数年続いた。ある程度の事態が落ち着いて、久々に訪れた老人が知らないのも無理はない。素直じゃない、けれど若頭と呼ばれていた時から顔を知っている私達兄弟に何かがあればすぐに不器用に助けようとするだろう。
けれど運悪く抗争が重なってしまった、ろくに顔を合わせることもなく、葬式は終わり墓の中。少しの間ゆっくりと情報を嚙み締めて、事実を飲み込むように時間がすぎて。
「老いぼれよりも早く死ぬとは本当にせわしないやつだったな」
「そうだな......遺言がどうとか言いたいところだが、そんなのも言う前に即死だった」
交通事故、無い髭を掻いて老人は苦々し気に口を開いた。
「犯人はつかまったのか?」
「仏で」
心臓発作、そのまま直進し横断歩道を渡る鏡花の両親を跳ね殺し電柱に激突。引火し爆発。恨む相手も、その原因もすべて灰の中。だれかをせめたいけれど、攻める相手は当にいない。なんともまあ虚しい話だ。もし犯人が生きていたのならば大島さんがなにをしでかしたかわからない。別れは突然で、続くものだと思っていた日常は雪が解けるように消えてしまって、どうしようもないほどのむなしさとやるせなさがぽっかりとあいた胸に残る。
辛口の酒を流し込んで大島さんは両眼を閉じた。
「くだらん。本当にくだらん。それで息子のほうは大丈夫なのか?」
「高校は不登校、虐められて喫茶店に引きこもり。ここ半年以上店から一歩も出てない」
「それでいいと思っとるのかてめぇは?」
「思っていないさ。けど十五そこらのガキには重すぎる。財布落としたみてぇに家族全員なくしたんだ。ああなっても不思議じゃない」
「随分と甘いな」
「人生苦いんだ。俺ぐらい甥っ子に甘くてもいいだろうよ」
「くだらん」
お猪口を置いて、老人は酷く疲れた顔で深く息を吐いた。
「いつかはてめぇの足で歩きださなくちゃいけんだろうよ。てめぇも甘やかすのもほどほどにしろ」
「断る。俺ぁ鏡花にあいつらの分まで幸せになってもらいたいんだ。無理強いはしない」
「いつまでもてめぇや、金があるわけじゃない。てめぇのそれはかえって苦しめるだけだ」
「わかってるさ。わかっちゃいるんだが......」
グラスにはひどい顔をした私の顔が映っていた。グラスを磨くのは落ち着くものだ、だが磨きすぎるのもよくないだろう、自分のよくもねぇ顔がありありと浮かびやがる。
「てめぇが迷ってうだうだとしとるんじゃったらわしは自分の眼で見て判断しよう。てめぇの甘さが正しいのかはそれから決める。もし不適切だとわかれば無理やりにでもたたき出してやる」
「......何をするつもりで?」
「無論カタギに手を出すような真似はせんよ。ただ客として店に行くだけの話じゃ」
「何も面白くないと思うがね」
「それは儂が決めることじゃ。てめぇは黙って寝てればいい」
立ち上がり、杖を握り締めると懐から札束を出してカウンターに置いて足早に階段を上がっていってしまった。すぐにドアベルノなる音が聞こえて、車の走りだす音が天井から響いてきた。
はてさて、これまた厄介な事態になったなと思い頭を掻く。掻くことしかできない。自分は正直言って鏡花にどう接すればいいかがわからなかっていなかった。あの子供は酷く寂しげで、どうしてやっても目が廃人のそれから変わることは無い。自分の甥といえども、何もかもわかるわけではない、自分もまだ浩二の亡霊にとらわれている。
だって、突然いなくなってしまうなんて思ってもいなかったから。
ぎゅっと、心臓が握りしめられるような錯覚を覚えた、握りしめた手が爪が深く刺さって痛かった。
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