喫茶店と、彫金屋
「ほう、こりゃあ上物じゃないか」
口に蓄えた顎髭、ファンタジーならばドワーフと言われても過言ではない初老の男性は笑う。
彼の笑みも無理はないだろう、その手の中にあるのはプラスチックに入った白色の粉。細かくパック詰されたそれらは訳二十個ほどだろうか、色の違いはあるもののそれら全てに共通することは粉であること。まじまじと見つめる男性の頬が綻び口角が上がる。
場所は夜も老けた喫茶店、八時近くにうっすらと暖色のライトが照らす喫茶店に人は少ない。カウンターに座る二人の男性と店の奥で黙々と漫画を描く女性、窓際で文庫本片手に紅茶を口にする老婆。静謐という言葉が似合う店の中で一際目立つ銀のアタッシュケース。
その中に詰められた白色の粉に作業着の男と妙に整ったスーツの男。
スーツを着る男性は営業スマイルをその顔に貼り付けてその口を開いた。
「その筋から仕入れてますから。ぜひ手に取って確認してください」
「おう、無論そのつもりだ。それにしても最近は信用ならねぇ輩が多い、やれ上物と語っておきながらごみを売りつけるクソ野郎もいるしな」
「我々は信用を第一に動いていますから。彼の国から我々職員が直々に仕入れてまいりました」
満足げに頷きながら初老の男性は袋の端を千切り中身を少々指でつまみ、サラサラと撫でる。
商品を開けられたことに対しての文句などない、必要な確認作業としてスーツの男性もあらかじめベットの袋を開けていた。
一通りの確認をし終わったのか初老の男性はニヤリと笑い懐から茶色の封筒を取り出す。側から見てもある程度の金額が入っているのがその厚みから理解できた。
「注文通りの物だった、いい仕事をする。いつも通り現金でいいよな」
「ええ。常連様なので上の者からも確認の必要はないと言われております」
「そりゃあ助かる、前のやつはヘマをやらかしたのか?ここんとこ見ねぇが」
「……取引で少々問題がありまして。上の者の命令でカンボジアに向かいました」
苦虫を噛み潰したかのような顔を男性は浮かべた。それを見て老人は嘲笑をこぼす。
「ふん、馬鹿なやつだ。ひとまずこれで取引は終わりだ、また必要になったら頼む」
「はい、では私はそろそろお暇を……」
「少しぐらい時間があるだろう、ちょっと紅茶ぐらい付き合ってけ。味は俺とそこのマスターが保証する」
ーーいい加減そろそろ一言ぐらい言ってもいい気がしてきた。そう、僕、高橋鏡花は切実に思った。
「あの、絵面が完全にアウトなんですけどそこに突っ込んでもいいですかね?」
スーツを着た男と風格ある初老の男性、話すのは銀のアタッシュケースに入った怪しい白色の粉。やれ誰かがカンボジアに飛ばされたとか。集中しているのか漫画家先生や、老婆は気づいていないが完全にアウト寄りのアウトだ、それもかなりアウトな。
側から見れば薬物取引しているようにしか見えない、流石にそろそろ苦言を呈してもいい頃合いだろう。
老人は最初何を言っているのか理解できない様子で、それですぐに自分目の前にあるアタッシュケースに視線が行って。
「ああ、これか?研磨剤だよ。それに前もってちょっとした商談を店でやってもいいかって聞いといたろ?」
「ええ、さも軽く保険屋と話すような感じで話してましたけど、まさか麻薬取引っぽい現場になるとは思ってませんでしたよ」
アウトだアウト、審判はどこにいる。
時刻は夜八時、最近は夕方からしか営業していないこともあって客層もまた前とは違うものになっていた。変わったと入っても普段からの常連さんには夕方の短い時間の営業に切り替えるという旨の話をしていたので一部の人はまだきてくれていた。
その中の一人のいつも宝石や貴金属を弄っているこの老人が珍しく話しかけてきたと思ったらこれだ。
スーツを着た男性は頬を綻ばせだから言ったのに、と溢す。
「誤解されやすいから家でやりましょうって話してたんですけど、仲田さんがえらく勧めてきまして。自分はこのようなビジネスをしてる者です」
「あっこれはこれはご丁寧に…….」
懐から出した名刺を受け取り見てみれば彼の名前ーー大山小次郎と、貴金属専門店アルビスという店名が書かれていた。
「貴金属専門店?」
「ええ、主にアクセサリーを作る職人に道具を卸す商売をしています。仲田さんが本格的にオパールの研磨を始めるから質のいい研磨剤をくれとおっしゃったのでドイツから輸入してきたんです」
「今家に豪州から取り寄せた原石が入った箱が山積みでな、取引するにしても散らかりすぎてるからこうやって店でやってるってわけだ」
「じゃあさっきはどうしてその粉を出してたんですか?」
袋を破いて、まるでギャングもの映画の一シーンのようだった。取引した麻薬の質をみる感じの。
老人はあーあれか、と前置きをして。
「説明するにはまず研磨剤に書かれてる番号を説明しなきゃいけないんだが……」
「ああ、あの紙やすりとかの裏に書いてある数字のことですか?」
「それだ。一般人が目にする者だと細かいのでも六百番が最大だな。その辺までは粗悪品ってほど使えないものは少ない。だが石の研磨に使う研磨剤の番号は1000番台から10,000番台だ。番号が多ければ多いほど、より細かく磨けるんだが、最近粗悪品が出回っててな」
「ろくに質を考えずに量産している会社も残念ながら珍しくないのが現状です」
「ってこともあって10,000番台が欲しいのに2,000番台の細かさだったりして石を磨こうにもろくにできないってことがある。だからさっき念のため指に乗せて荒さを見てみたがこりゃあきちんとしてるやつだ」
「なるほど、じゃあその後に話してたカンボジアに行ったって話は?」
あれはまるで麻薬取引でヘマをやらかした三下が辺境に送られて殺されるような流れだった。だって老人も笑ってたし、スーツの人も苦々しい顔してたし。
だというのに老人ーー仲田さんは笑って。
「ああ、ありゃあこいつの兄貴の話だ。大山の倅で、本来だったら店を継げって言われてたんだが、慈善事業に参加することに意義があるつってカンボジアで孤児たちのための学校を始めたらしい」
「昔から仕事に興味がない人だったんですが、ある日旅行で海外に行った時に孤児や難民の実情を見て力になりたいと思ったそうで。父の反対を押し切って家を飛び出して行きました。最近になってようやく学校を作る夢が叶い一年生を迎えられることができたって連絡が来て父さんも認めたんです」
「なんか、すごく真面目な理由だった」
「兄は愚かですけど愚直で根っこは真面目ですから」
「はぁ……」
なるほど、思っていた以上にすごく真面目な理由だった。しみじみと語る二人に麻薬取引で飛ばされたとか思ってて若干申し訳なくなってくる。くるだけだが。