喫茶店とブロガー
桜町商店街、その大通りから一本外れた道。一応商店街なのだけれど、店数も少なく、メインの通りと比べて人通りも少ない。会員制のバーや、質の良い仕立て屋、少々値段帯の高い裏通りは小洒落た通りと言って差し支えないだろう。そこに来るのは主婦や子供というよりも、社会人たちが殆どで、昼休みの時間や、夕方に店に火が灯る。
店の質はさまざまで、一概に値段帯が高いと言っても店によりけり。けれど共通しているのがどの店も一度訪れて損はない、その一点に尽きる。
そう例えば、通りの入り口近くに陣取る屋台は揚げた鶏肉だけを売っている、出汁が溶け込んだ極上の油に絶品のソースをかけた、シンプルな料理。これまた素晴らしく、星五の評価では足りないほどだ。
もう少し行けば落ち着いた雰囲気の食堂から暖かな日本食の香りが漂ってくるだろう。これまた偏屈な老夫婦二人が経営する食堂で、お冷やは出てこない代わりに安価なペットボトルのお茶を売っている。唯一のメニューである日替わり定食は十二回訪れた中で同じだったことは一度もない。どれもこれも絶品で、是非メニューに個別で追加して欲しいところだ。けれど老夫婦がメニューを覚えられないらしく、毎日適当に作っているのだとか。それで美味しいのだから困りものだ。
無論全ての店を上げていけばきりがない、どこもかしこも知る人ぞ知るグルメであり、全てこのブログに書くのは野暮というものだろう。
今日このブログで紹介するのは定食屋でもなく、デザート屋でもなく、バーでもなければ居酒屋でもない、そう、喫茶店だ。
喫茶店と言って思い浮かべるのはなんだろうか、小洒落たコーヒー、お洒落な店。渋いマスターが入れる絶品の紅茶。お供に出てくるのは些細なお菓子やデザート。落ち着いた雰囲気を独り占めする最高の贅沢。
この通りにある店はどの店も一癖も二癖もある店ばかりで、普通という言葉が通じない。そんな普通は無論、今日紹介する喫茶店カラーにもなかった。
商店街を外れた通り、五分ほど歩いたところに古風の喫茶店が一件存在する。周りの建物とは似ても似つかない西洋建築に、達筆に描かれた喫茶店カラーの看板。店に寄れば紅茶の香りと木の匂いが最高のファーモニーで迎えてくれる。今回筆者もこの店に入店するのは初めてだったが、初見の印象はなかなかに独特のものだった。実体験をもとに今回の記事を書こうと思うーー
今日、俺、栗山太陽はブログに書く内容に飢えていた。
食べログというのはご存知だろうか、人々が普段行かないような店から有名店まで訪れてその評価を饒舌に語る、そんなブログ。高評価でも低評価でも、ある一種のファンがいてそのブログを見てその店にいこうかどうするかを決める。ただただブログを読んで、実際に行った気分に浸り満足する人間もいる。
そんな人々にエンターテイメントを提供するのがブロガーという人種だった。
ブログというのは広告収入というものがあり、有名ブロガーとなれば何十万という金額が毎月飛び込んでくる、無論そこに至るまでには文章力から話題性、長年の下積み期間を得なければいけない。
そのレベルに来て尚、いや来てるからこそ一つの悩みが溢れ出す。読者層を考え、ブログの内容やレビューする店などの趣向を変えたり、過去に繰り返し来たような店かどうかを判断し、投稿のために寝る間も惜しんでブログを書く。一週間に二、三回投稿しなければまだ自分はろくに生活できない、無論ブログ一本ではなくバイトもして食い繋いでいる。
自分の悩みはそう、レビューする店が段々と少なくなってきたということだ。こういえば笑われてしまうかもしれない、誰も彼もがタピオカショップに並んでいるのならそれをレビューすれば良い、と。けれどそうもいかないもので、自分の読者層は時間を持て余した主婦や、社会人、老人達で若者受けする話は極端に読まれる回数が少ない。
読まれる回数が少ないということは広告収入もそれだけ少ないということで、必然的に金に困ることになる。
主婦や、社会人、老人、それらの年齢層の人々が好みそうな店を探すのも、最初の方は楽な作業で、ランダムに居酒屋や、喫茶店、バーからデザート屋、レストランを適当にレビューしておけば良かった。けれど自分の行動範囲は狭い、下手に電車や車を使えば経費がかさみそれだけ利益が少なくなる。結果的に自分が最低限自転車や安い賃金で電車を使える範囲の店はレビューし終えてしまった。
飲食店というのは虚しいもので、よほど固定のファンがいなければ続かない。例えば夢を叶えた夫婦が、喫茶店を始めたとしても潰れて借金が残り、店の跡地がチェーン店になったり、老後の趣味で始めた蕎麦打ち、店を開いても何百杯も出すうちに体を壊したり、妥協せざるを得なかったり。
飲食店が減少傾向にあるということは、それに寄生する自分の首もゆっくりとけれど確かに締められていくということだった。
だからこそこうして今日は適当に歩き回り、ネットの地図や、レビューサイトに載っていない店を探している。一部の店はまさに知る人ぞ知るという感じで、ネットには載っていないということが多々あるのだ。そういう記事こそ読者が求めているものであり、自分が探しているものだった。
今回来たのは家の近くの商店街ーーではなく、その横にそれた通りだった。この辺の店は基本的にネットには載っていないけれど、その質は素晴らしく読者ウケも良かった。前回来たのは二年前でまだブログを始めたての頃だったのだけれど、これらの店のおかげで自分のブログも成長できたと思う。
淡い期待を抱いて、歩くけれど、たかが二年ではそう変わるものではない。元から質の良いものを提供している店が多かったこともあって、そう潰れたりして新しい店が入るわけではないのだ。
ふと、紅茶の香りがして立ち止まれば西洋風の建物が見えた。この店は深夜に営業しているバーだったと記憶している、会員制のバーで、黒塗りの高級車が店の前に止まっていたのを見て入らなかった所だ。まあ入らなかったもなにも、一見さんお断りで、紹介がなければいけないような店なのだろう。
だからこそ、ふとその店を見たときに何も思わなかったのだけれど、看板がついていることに気づいた。前までは殺風景で、営業しているかどうかも怪しい店だったのに、今は喫茶店カラーという看板が掲げられている。紅茶の香りの出所はそこらしい、窓からはぼちぼちと人が入っているのが見えた。別に一見さんお断りというわけでもなさそうで、小さな少女が入っていくのが見えた。
微かな期待を込めて、今日のレビューはここにしようと決めて、店のドアを開いた。
悪かろうが良かろうが、今日の投稿をしよう、そんな考えは入った瞬間に打ち砕かれた。一瞬自分がどこの国にいるかを疑ってしまった。
息を呑んで店の内装を見る、子供の頃に父に連れられて行ったドイツの喫茶店のようだった。質の良い古風な材木で作られており、白い壁はおそらく煉瓦だろうか。ドアを開くと同時に飛び込んできたのはそんな幻想的な光景で、思わず足を止める。
カウンター、まるでバーのような作りで、バーテンが立っていそうな場所に赤い髪の美少女がいるのが見えた。少なくとも日本人じゃない、白い肌に透き通った赤髪、染めては出せないナチョラルな髪色。彼女は立ち止まる私を見て、にこりと微笑み。
「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」
少しドキッとした、そりゃあ青少年なんだもの美少女に微笑みかけられたらときめくものだろう。
少し低い声だなと思う、女性らしい声なのだけれど、どこか中性的な印象を受けた。小さく会釈し、一人なのに四人席に座るのは若干憚られて、カウンター席に座った。
チラリと背後を見れば、質の良いスーツを着たサラリーマンが、二人席に書類などを並べてパソコンをいじっているのが見えた。微かに香るインクの匂いの出どころは店の端らしい。作業机というのだろうか、角度を変えられる机で、隣に作業道具を置けるようになっている。何か漫画のようなものを描いているらしく、熱中していてこちらの視線に気づいているようではなかった。
昼間だけれど客は少なく、今の二人と、数人のOLや老夫婦、強いていうならば自分の二席横に座る先程の少女だろうか、真っ赤な服を着ているせいかとても目立つ。
小学生ぐらいの背丈なのだけれど、学校はどうしたのだろうか。今日は平日、水曜日。他の客が気にしている雰囲気もない。
「どうぞ。ご注文が決まったらお声掛けください」
「あっありがとうございます」
まずい、小学生は私か。声が上擦ってしまった。社会人の大人として情けない。メニューを受け取ると、そこには食べ物、と飲み物、まさにそうやって書いてあったのだから驚きだ。
食べ物も西洋風かと思えば、おにぎりや弁当などがある。値段も普通で他の飲食店と変わらない。唯一気になったことといえばコーヒーがない。喫茶店ならば置いていない店などないコーヒーは無く、紅茶の名前らしいものと、その説明がまるまる四ページほどあった。
なるほど、この店は紅茶専門店なのだろう。値段は普通だけれどこのこだわり具合は他とは違う。デザートも少しあって、チーズケーキにイチゴタルト、そしてメレンゲ。あまり組み合わせがピンとこない。
とりあえず、今日は昼食も取っていないので、軽食にデザート、それと紅茶を頼むこととした。
「すみません、温玉のホットサンドと、チーズケーキ。イングリッシュブレイクファーストで」
そういうと、注文の紙を持っていた彼女は頬を掻いて。
「すみません、今日チーズケーキ切らしていて。けれど今巷で流行っているメレンゲならありますよ」
巷で流行っていただろうか?いや無論わざわざ聞き返すようなことはしないのだけれど。どうしたものとかと考えていると、隣に座っていた少女が悪い笑みを浮かべて笑うのが見えた。
「今日チーズケーキを切らしてる、ね」
「切らしているので」
少女がにやりと笑い、店員さんはにこにこと笑っている。
「?じゃあめれんげでお願いします」
「かしこまりました」
本当にいい雰囲気の店だなと思う、木の香りや、各々の好きなことをする人々が醸し出す特有の空間が心地いい。心が休まるようで徹夜疲れが抜けていく気がする。チェーン店などではこういう空気は生まれない、人気メニューが出た時に誰も彼もが押し寄せて騒がしくなり、また枯れるように人がいなくなる。ランダムな人が入り乱れるそういう店では味わえない空気が本当に好きでたまらない。
目の前で、紅茶を入れる店員さんの姿が見えた。小鍋でお湯を沸かし丁寧に一掬いするとティーポット二つに入れた。ティーパックが出てくると思ったのだけれど、そうではないらしい。二つのカップを温めながら戸棚からそっと缶を取り出した。若草色の缶でとてもしゃれている。ぱっといい音を立てて蓋を開けば香しい香りが鼻腔をくすぐる。
「そういえば紅茶新しく買ったの?」
「?リッタ先生案外よく見てるんですね、これ新しく買ったやつでいい味出すんですよ」
この少女はよく店に来るのだろうか、というか小学生なのにとても落ち着いている。少女は慈しむような眼で店員さんを眺めている。店員さんは店員さんで慣れた手つきで紅茶を入れている。気になってしょうがない、しょうがないのだけれどそこまで踏み込めないし、踏み込む理由もない。
視線に気づいたのか、少女はこちらを二ヘラと笑ってみてくる。
「このお店初めてかな?」
「えっええ、えっと、君は学校に行ってないのかな?」
明らかに小学生の見た目、だからこそ聞いたのだが何故か店員さんが噴きだして、少女はきょとんと首をかしげている。何故か集中して漫画を描いていたはずの、漫画家先生の筆が止まった。サラリーマンの人が肩を震わしている。
事態がわからずに俺が困惑していると、少女は笑いだして。
「君、私が何歳に見える?」
「え?十歳前後じゃあ?」
「そうかそうか、鏡花ちゃん、ひとをおだてるときはこうするといい」
「えっと、君はいったい......?」
「しょうがない、自己紹介をしようじゃないか。私はアールグレイ・リッタ、ペンネームだが漫画家だ。こう見えても二十七歳だ」
「え?」
ちらりと店員さんを見る。肩を震わしながらうなずいていた。
「まあ現実は小説よりも奇なりっていうだろう?そういうことが結構あるのさ」
「そういうものなんですか」
「そういうものなのさ。あともう一つ打ち明ければ尻もちをつくような事があるけど聞いておくかい?」
「......そんなにすごい事が?」
聞きたい、聞きたいのだけれど怖い。姿かたちが小学生、中身が大人とかいう話はフィクションだけだと思っていた。
これ以上聞いたらどうなるのかわからないのでやめておこう、うん。
「やっぱりいいです」
「ふむ、そうか。つまらないな」
「聞かなくて正解だと思いますよ、きっと」
店員さんがにこりと笑い、カウンターの上に温玉サンドと紅茶、メレンゲが出てきた。どれもこれも美味しそうだ。
それにしても本当に美人さんだなと思う、美少女というのは実在したのだ。思わず横顔に見惚れていると自慢げに少女......じゃなかった、女性が笑うのが見えた。困っていると店員さんがにこやかに笑って。
「この人は人をからかうのが好きなんですよ。あまり気にしないほうがいいですよ」
「そうなんですか」
「漫画家先生だから人の反応やら、展開を見たりしてにやにやするのが趣味らしいですよ」
「それはまた」
性格が悪い、まあ子供っぽい見た目なので気にならないけれど。悪戯好きな子供というのだろうか、不快には思わない。
彼女はじーっと、俺の手を見て。
「もし不快に思ったら悪いんだけれど、君もしかして文章を書く仕事とかしてるのかな?パソコンでタイピングしてるとか」
「よくわかりましたね、ブロガーやってます」
「ブログ?ああ、レビューとかそういうやつかな?」
「ええ、食べログみたいのやってます、あっそうだ、店の人に確認したいんですけど、ブログに写真を掲載してもよろしいでしょうか?」
店側の許可をとるのがモラル的に必要だ、食べる前に写真を撮りたいのだけれど、何故か店員さんは全く話が見えていないかのようで、首を傾げてひどく困惑している。
「?たべろぐってなんですか?」
えっと、待て。今時食べログという単語を聞いたことのない人間がいるのだろうか。スマホやテレビを見ているのなら確実に知っているはずなのだけれど。けれどこの様子だと本当にわかっていない様子だ。もしかして日本語があまり理解できていないのかもしれない、説明しようとブログを開こうとするが、それよりも早く漫画家さんが口を開いた。
「鏡花ちゃん、食べログっていうのは食べ物の写真を撮って店の紹介をするものだ。お店のここが良かったとか、悪かったとかを教えて情報を共有するんだ。この人が聞いてるのはそのブログで紹介してもいいか?ってことだな」
「ああ、若い子が使ってるやつですかね?」
「今時ブログ見てる子供なんていないがな。まあ大体あってる、この人の知名度は知らないけれどひどい誹謗中傷をするようにも見えないしいいんじゃないかな?」
「もちろん絶対しませんよ!こんなにいい雰囲気の店なのに」
「なら、別に大丈夫かな」
頬を掻きながら、はにかみ笑いを浮かべた。
かいつまんで書いてはいるが、この記事は何故かとても伸びる気がした。紅茶と、美味しいホットサンド、それに甘いメレンゲは最高だった。きっと店が繁盛してくれることを祈って、記事の投稿ボタンをクリックするのであった。
ちなみに喫茶店で一番お金がかかってるのは耐震構造です。めちゃくちゃお金がかかってます。ロマンにはお金がかかるのだ。