もしも手を伸ばすなら
拝啓お父様お母様、今日私は人生最大の過ちをしてしまいました終わった。
きっと誰しもこういうののだろう、ああ、そういえば昔そういうこともあったなぁと。例えば後悔したり、例えば哀愁を感じたり、それは人それぞれなのだけれど、今の私の心にのしかかっているのは罪悪感それ一つだった。
どれだけ悩んでも後悔というのはあとからきて殴りかかってくるもので、事前に予知できたら苦労しない。苦労しないといってもそれは言い訳にならないのだ。だからこそ私はこうして、大島さんにどう土下座するかを考えていた。
話は昨日の午後に戻る、あの日は空一面の快晴でとても心地の良い日だった。いつもどおり常連さんが来て、それぞれの時間を楽しんでいった。サラリーマンの人はパソコンで仕事をして、漫画家先生は真剣に何かを書いていて、老人はミートソーススパゲティを食べるのに四苦八苦していて。
日が暮れて、そっと誰もかれもが席を立つ午後、黄昏時。店をそろそろ閉めようかと考えていたその時。ドアベルが鳴り響いて奇麗な銀髪が覗く。
「やあ、いらっしゃい。今日も学校?」
「ええ、ちょっと疲れちゃいました」
にこりと笑って彼女はいつも通りカウンター席に座った。喫茶店では、それぞれの客がここに座っているなとか、そういうものがあると思う。彼女にとっての定位置は自分の目の前がそうだった。
彼女は学校に通い始めた、勉強を無事に終えて編入は成功。水月曰く美少女編入生に学校は沸くに沸いたとか。
「今日はどうする?アールグレイか、イングリッシュブレークファーストか、ほかにもいろいろ紅茶を入荷したんだ。珍しくメニューの全部を出せる日だよ」
「それはそれでおかしな話ですね常備してないんですか?」
「気分」
「それならしょうがないですね。じゃあアールグレイで」
そう気分なのだからしょうがない、いつも用意しているのは常連さんが毎日頼むやつだけと、個人的に好きなやつだけで死蔵しないようにしている。食品に比べて賞味期限は長いのだけれど、長期保存していては味が落ちることもあるし、美味しい紅茶を無駄にはしたくないのだ。
いつもどおり小鍋にお湯を入れて火にかける、ポットや紅茶の茶葉を取り出して準備は万端だ。
ちらりと、彼女のほうを見ると何故かそわそわとしていた。落ち着いた雰囲気の彼女にしては珍しくて、どうしたのだろうかと思う。椅子を変えたわけでもないし、もしやトイレに行きたいのだろうか。いやそれなら普通にいくだろう。
こと地雷を踏むことに定評がある自分が何かを聞いても解決する気はしないし、ここは黙って紅茶を入れることにする。
と、思ったけれど気になるものは気になる、もし何か問題があるのならばどうにかしてやりたい、一度手に持った茶葉を置いてさりげなく会話を振ってみる。
「そうえいばそろそろ夏祭りらしいね、大島さんはお友達と行くのかな?」
「ふぇっ......!?そっそれはもしかして......いやでも......」
「?」
選択を間違えただろうか、彼女はいろいろと複雑な表情を浮かべて、少しの逡巡のあと意を決したのか「よし」と呟いて。
「鏡花さん!」
これでもかとお腹の底から声を張り上げて。
「ボッチで情けない私と一緒に夏祭りに行ってくれませんか!お爺ちゃんが席の券をくれたんです、特等席で花火が見れます!割引券ももらったので縁日の食べ物ももはや食べ放題です、それにそれにーーえぇっと!」
ぺしぺしと机をたたいて。
「落ち着いて落ち着いて」
「私はとっても落ち着いています!その、お店から出られないっていうのはわかってはいるんですけど、一度、一日、それこそ一時間だけ出てみませんか?お爺ちゃんが着物とかを用意してくれますし」
ぺしぺし。
「何より私はあなたと一緒にお祭りに行きたいです!人生において夏祭りはあと百回も来ないんです、そのうちの一回、一緒に行ってくれませんか?」
席を立って、夕暮れのせいか頬を真っ赤に染めた彼女は右手をこちらに差し出した。その手は震えていて、こちらの返答を待つ時間が彼女にとってどれだけの物か見て取れる。
お祭り、楽しそうだ。楽しそうだけれど、外は怖くて。脳みそを必死に説得しようとするけれど、この前の竜司さんに誘われた時のように両足が震えてしまう。床をいくら見つめても何か答えが出てくるわけでもない。
「......ごめん」
ぼそりと、勝手に口が動いた。いいや違う自分が自分の意志でそんなふざけたことを言ってしまったのだ。女の子のお誘いを断るなんて最低だ、とんだ下種野郎だ。そしてその下種野郎は今は私だった。
「ーーあっあの、べっ別に大丈夫です。気にしないでください、いやぁ、そうですよね!ごめんなさい、その、配慮が足りてなくて。無理ですよね」
顔を上げた、そして気づいた。私は彼女と目を合わせてなかった。頬の色だけを見たりとか、顔をそらして紅茶の茶葉を見ていたりとか。きちんと向き合ってすらいなかったのだ。
今、初めて彼女と目が合った。最初に彼女が店に来たとき以来だ。そして二度目の彼女の顔は複雑な表情を浮かべていて確かに涙が眉尻に溜まっていた。
ーー
「なぜ鏡花ちゃんが落ち込んでいるか当ててあげようか」
多分おそらくリッタ先生が何かを言った、聞き取れなかった。
やはりグラスを磨くのは心の安定剤だ。きれいな布で汚れ一つないグラスを作り上げるのは最高の作業なのだ。
「さっきから同じグラスを磨き続けているけどさ、もしかして銀髪ちゃんと何かあったのかな?」
ぎくりと、言う効果音が漫画ならあふれていたと思う。まさに図星だった。そしてこの沈黙を彼女は肯定と見たのかにやりと笑って。
「私は嬉しいよ、鏡花ちゃんがこうしてきちんとぎくしゃくしてて」
「性格が悪いですね」
「安心してるのさ。鏡花ちゃんずっと客との間に線引きをしているだろう?だからそうやってぎくしゃくできるぐらい仲のいい人ができてくれて私は嬉しいよ」
と、ひどく温かい目で彼女は言った。紅茶のカップを傾けて、アールグレイをすするとまた口を開いて。
「何、ぎくしゃくしたといっても手遅れじゃない。漫画家の私が保証しよう」
「あまり安心できない保証ですね」
「なめるなよ。物語の展開は抑えてるんだ。こういう時はどうにかしようと思えばなんとかなるって」
「現実とフィクションは違いますよ」
「いいや一緒だよ。何もしなければ何も起こらない。物語も人生も何もしなければ変化なんて起きないに決まってる。だから鏡花ちゃんがいますべきことはいじけてグラスを磨いていることじゃないだろう?」
そんなことはわかっているけれど。どうしろというのか。自分は彼女の誘いを断ってしまった。それはとても残酷なもので、彼女からすれば突き放されたと思われても仕方がない。そう思われるようなことをした、してしまったのだ。
私のことを気遣って、だれもかれも私を気にかけてくれた、きっかけをくれようとしていた。それを拒み続けていたのはほかならぬ自分で、そんな自分が大嫌いだった。
「誘うんだ」
リッタ先生はいつの間にかカウンターの中に入って、私の腕を握っていた。
「女の子をエスコートするのは男の子の役目だろう?」
「気づいてたんですか?」
「セクハラして抱き着いたときに」
「気づいててなお、女物を持ってきていたわけですね」
「男だろうが女だろうが、可愛い格好をさせたいからさせるのさ、性別じゃなくてね」
だめだなんでこの日と今日こんなに格好がいいのだろうか。自分はこれほど情けないというのに、真っすぐこちらを見つめてくる。けれど。
「無理ですよ。大島さんあの日以来気まづくなったのか店に来てくれませんし、一週間ぐらいあってません」
常連さんたちもいろいろと聞いてきた、やれ振られちまったのならアイドルでも見て心癒しなとか、猫撫でるといいよとか、みんなみんな振られた前提で話すものだから苦笑いしか零せない。来ないものには自分から彼女に会いに行くすべはない。
「あう方法はあるだろう」
「ありませんよ」
「いいやある」
そう言って彼女は時間を確認して。
「まだ九時だ、学校に行って誘えば間に合うはずだ」
「もう学校辞めたんで入れませんよ。制服だって捨てちゃいましたし、忍び込むにしても服がない」
「ははーん、これは世にいう伏線というんだよ鏡花ちゃん。私はこの前来た時になんて言った?」
なんて言ったも何も。ーーあ。
「そういえば、大島さんをからかってリッタさんが遊んでた時に」
「そう、私はこういったはずだ。知り合いが作画資料としてくれた制服を持ってくると。そして今日私が来た理由はーー」
彼女が持つ肩掛けカバン、その中から取り出されたのはビニール袋に包まれた女物の制服一式で。
「言い訳はつぶした、動機はある、チャンスもある、方法もある、後は鏡花ちゃん次第だよ」
「ーーありがとうございます!今度サービスしますよ!」
私は制服を受け取り、急いで店の看板をCLOSEDに裏返すのであった。
ーー
息をのむ、震える足を握り締めて、足を踏んづける。皮に若干跡がついた、やべ。必死に息を肺いっぱいに吸い込んで、考える。
外は怖い、なと思う。
やっぱりまだ飛び越えるには大きなハードルで、足を上げて全力で飛んでも越えられる気がしない。けれどもこれは越えなくっちゃいけない、いつかはきっと。ずっと先延ばしにしていた結果がこれだ、結局付けは回ってくる。
「大丈夫だ。早く行かないと間に合わなくなるぞ、漫画だったらルート分岐する」
緊張をほぐすためにおどけるようにリッタ先生は言った。まるで子供の手を引くようにリッタ先生は私の袖を握ってくれている。制服には着替えた、店の扉も開いた。あとは歩き出すだけ。
「ーーもう歩き出さないといけないんだ」
足を握る、爪を立てる。タイツに食い込み、肉に痛みが走る。着慣れないスカートがスース―する。つけなれないリボンは曲がっている。靴紐も立て結びになってしまっている。
とんっと、一歩を踏み出した。
怖い、怖い、本能的な恐怖が脳をむしばんで吐き気がこみあげてくる。けれど止まったらもう進めない気がして必死にもう一歩踏み込む。
そしてその流れを止めないようにとリッタ先生が手を引いて、駆けだした。バランスを崩しそうになり、また一歩また一歩と前に進んでいく。怖くて閉じた目を開く、するといつもとは違う距離で商店街を見ていることに気づいた。どんどん足が速くなっていく。
「ほら、たいしたことないだろう?」
いたずらが成功した子供のようにリッタ先生は笑った、それにつられて頬が緩んだ。
商店街、いつも店に来る常連さんたちがこちらを奇異の目や、生暖かい目で見ていることに気づいた。久しぶりに見る商店街は前と全然変わってなかった。駆けて、必死に駆けて商店街を飛び出せば大通りに出ていた。
「先生!これ手伝ったら原稿やるんですよね!」
「もちろん!約束しようじゃないか!」
バイク、編集さんが道路の脇に止めて待っていた。リッタ先生は袖を離してにやりと笑う。
「もう大丈夫だろう鏡花ちゃん。頑張って女の子を口説いてきな!」
「今度お茶とケーキ、サービスしますよ」
「飛び切り美味しいのを頼むよ」
「はい!」
ヘルメットをかぶり、しっかりと編集さんに掴まる。凄まじい速さで、バイクは走り出した。
ーー
一体自分は何を勘違いしていたのだろうか、ものすごく見つめられている、もう帰りたい、なにが頑張るだ、いやもう無理帰る、私おうちに帰る。
編集さんは事前に聞いていたのか学校の前で降ろしてくれた、休み時間で、丁度パンの販売のトラックが入るところに便乗して侵入して、休み時間に歩き回る生徒にまぎれたのはよかった、いや良くないんだけど。
めちゃくちゃ見つめられている。
それが私に言えるただ一つのことだった、ただただ歩いているだけで道行く人々がひそひそ話を始めてちらちらとこちらを見てくる。死ぬ、控えめに言って死ぬ。格好つけたはいいけれど、つけただけだった。
私は一体全体どうやって彼女を見つけるつもりだったのだろうか、目立つだろうし簡単に見つかる、そんな風に思っていた甘い、メレンゲのように考えが甘い。
「鏡ちゃんーー?」
素っ頓狂な声が聞こえた、聞きなれた幼馴染の声だった。
「水月?」
「そうだけど、え?どうして学校に?喫茶店は?」
「喫茶店は臨時休業、大島さんを探してるんだ、どこにいるか知らないか?」
そういうと一瞬彼女は酷く寂しそうな表情を浮かべて、それからそっと口角を上げた。笑顔を浮かべて、叔父さん臭い笑い声をあげて。
「なによ、まさか女の子を口説きに学校に来たの?」
「人聞きが悪い、いやでもそうなのかな?」
「私に聞かないでよ。それで、大島さんよね」
「ああ、探してるんだ。夏祭りに誘われて、断って傷つけて、それが誤りたくて」
「ふーん、私の誘いも断ったこと忘れてないわよね?」
「すまん。そうだ、一緒に行かないか?大島さんと、水月とみんなで。リッタ先生にもお世話になったし」
「はぁ......」と、彼女は本当に深いため息を吐いて。
「ばかね。女の子がずっと待ってるわけないじゃない。生憎と私人気だから、ほかの子と行くことにしたわ。それに大島さんが誘ってくれたなら二人で行ってきなさいな。大島さんは多分教室よ、二-一、場所はわかるわよね?」
「うん、大丈夫。本当にありがとうな!今度何かしら礼をする!」
「馬鹿ね、気にしなくていいわよ」
ーー
「本当に、私って馬鹿ね」
小さくそう呟いて、随分自分がみじめに感じる。本当のバカは自分だ、もし本当に鏡花ちゃんが好きならば無理やりにでも奪ってしまえばいいのに、けれどそれができない。今こうやって立ち直っているのも私のおかげじゃない、大島さんのおかげだ。だから。
「本当に、私って馬鹿ね」
ーー
一年前と教室の配置は全く変わっていない、本校舎の二階、それが二ー一の教室の場所だった。
幸いなことに先生たちは職員室にいるのか見かけない、生徒らに見られながらも何とか教室の前にたどり着いた。道行く生徒らはあれは誰だとか、うちの学校の生徒か、とか様々なことを話している。先生に伝わるのもそう遅くないだろう。
息を整える、随分と急いだものだから、肺がひーくらひーくら息を吐いている。右手を教室のドアにかけて、一思いに勢い良く開いた。
びくりと、あまりにも勢い良く開きすぎて教室の中の生徒の視線が一斉にこちらを向く。どれもこれも奇異の視線一つでチキンハートにはきついものがある。
「青山さん」
声が、聞こえた。ここ一週間聞いてなかったその声は生徒らが集まるテーブルの一つから聞こえた。弁当を囲んで、仲良く談笑でもしていたのだろうか、見慣れた銀髪の周りに何人も生徒たちが座っている。
これで彼女としっかり目を合わせるのは三回目だった、自分は随分と痛い事をしていると思う。けれど彼女の顔を見たら割とどうでもよくなって、思わず笑みがこぼれてしまった。視線なんかもうどうでもよくて、彼女のくりくりとした目が驚きいっぱいに染まってるのがどこかおかしくて。
「やあ」
「やあっていったいどうして」
真っすぐと、彼女のほうに歩いていく。あまりにも堂々と歩いているせいか、周りを囲んでいた生徒らは道を開けてくれて、彼女の全体像が見えた。
「やっぱり制服にあってる」
「えっと、その、どういうことですか?」
「あっ、そうか。えっとその、祭りのお誘いに来たんだ。ほら、夏休みもそろそろ始まるし、お祭りも近い。だからどうかなって」
彼女がしたように、そっと右手を差し出す。
「一緒にお祭りに行こうよ。きっと楽しいだろうから」
戸惑うように彼女は複雑な表情を浮かべて。
「なんかもう、いろいろと突然すぎて訳が分からないんですけど」
俯いて、ごしごしと目元をぬぐって。
「ええ、喜んで」
はにかんだ笑顔で彼女は私の手を握ったのだった。
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