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喫茶店と、漫画談義

「鏡花ちゃん。私はね、世の中なんて滅んでしまえばいいと思うんだよ」


 やはりグラスを磨くという行為は心を磨く行為に近いと思う、マスターと言えばグラスを磨いている、そんなイメージがある。なぜ私がこうやってグラスを磨くかと言えばそれは格好いいからだ。めちゃくちゃ格好いい、グラスを奇麗に磨き上げて光に透かす姿を見ればロマンを抱くのが男というものだろう。


 最近はすっかり熱くなって、外はもう蒸すような熱気が支配している。燦燦と降り注ぐ大陽はピザ窯を彷彿とさせる熱気で、体中が沸騰しそうになる。比喩表現でしかないのだけれど、とても暑い。喫茶店には珍しく初見さんが多くひそひそと小声で話して、ちらちらとこちらを見てくる。どうしてこういう日に限ってリッタ先生ーーろくでなしの漫画家先生は病んでいるのだろうか。


 そういえばこの前も蜜柑さんが似たような状況になっていたな、若干懐かしい。


 カウンター席で突っ伏して、それはもう病んだハイライトの消えた目で彼女は呪詛のようなものを吐き出していた。初見さんが引いている。


「リッタ先生、一段と病んでますね」


「マンガ、最新話、最終回一話前だっていうのにあんな病み展開とか、いやもう神なんだけどその神が人の心をわかる愉悦野郎というかなんというか」


「作者に文句言ってるのはわかりました」


「いや、ね。神だと思うし、作品も素晴らしいんだ。同じ漫画家としてあれぐらい素晴らしく読者を殴り殺せる漫画を描きたいと思うよ。だけど私は今回読者で殴り殺された側だから死ぬ」


「はぁ......」


 あいにくと私はあまり流行りの漫画とかは読まないのでどうして彼女がこうなってるかなどわからない。どう返答すればいいのかもわからないので、そっとグラスを磨きながら適当に聞き流している。彼女も彼女も自分の中にたまり切った感情を誰かに吐き出したいだけのようで、死んだ魚の眼で感想を続ける。


 普段ならばこんな塩対応をしていたら文句を言ってくるのだが、今日は違う。なんせ。


「そうですよねそうですよね、推しキャラが生き残ったかと思ったらなんで最終回一話前にあんなことに。一体全体どれだけ読者を殴れば気が済むんでしょうね」


 これまた死んだ魚の眼、奇麗な銀髪に碧眼、艶やかな肢体をこれまたリッタ先生のようにカウンターに投げ出した大島さんだ。ハイライトは消えて、今日は勉強道具も持ってきていない。持ってきたのは何故か紙袋にたっぷりはいった漫画、計22巻。おそらく彼女らが話している漫画だろう。ちなみにリッタ先生も22巻持ってきている。入ってきた瞬間貸すから読んで、ね?と良い笑顔で言ってきたのが怖かった。


「それで、その病み展開の漫画を私に読めと」


「そうだ病んでほしい、この感覚を味わってくれ語りたいから」


「はい、鏡花さんには申し訳ないんですけど、この素晴らしい漫画をぜひ」


「えぇ......?」


 そんなに病んでほしいのか、いや大島さんまでこんな反応をするとはいったいどんな漫画なんだ。というか。


「大島さんも漫画とか読むんだね」


 驚いたのはそこだ、勉強第一、読むならアレ〇ジェーノンに花束をとかで泣いてそうなのだけれど、漫画なのか。いや別に漫画が悪いとは思っていないのだけれど、某国の女王陛下がロックンロールを聞いて笑っていたら......いや案外似合いそうだしやりそうで怖い。さすがにないだろうけれど。


 大島さんは、「いってませんでしたっけ」と一言言ってから。


「病院にいるの想像以上に暇なんですよね。ただひたすら時間がたつのを待ってる感じで、特に動き回れるわけでもないし、突然体調が崩れることもあります。ですからやれることが限られていたんです。そこで最も適してるのが漫画やら小説やら」


「あ、いやごめん。別にそういう辛い思い出というか、そういうのを掘り返したかったわけじゃなくて」


 まずいやばいどうしよう死ぬしかないじゃない、顔いっぱいに懐かしむような、辛そうな、そんな表情を浮かべた彼女の顔は心臓に悪い。何より嫌われるかと考えたら背筋が凍る思いだった。やはり常連さんだからか?いやでもなんだろうよくわからない。


「いえ、別にそこまでシリアスな話じゃないので大丈夫ですよ。この漫画はうちのわかっーー人が若いのの好きなものはわからないから店員さんが言ったのを全部買ってきたとかで、その中に入ってた漫画だったんです」


 ?今何を言いかけたのだろうか、あらかた家族の名前か何かを言いそうになって、すぐにこっちにもわかる表現にしたのだろう。会話をするときに知らない人の名前を出しても通じない、どっかのお爺さんにも見習ってほしい、爺ちゃんの愛人の名前なんて知らなくても困らないというのに。


「随分と良いセンスじゃないか。私と趣味趣向が似てる」


「私も初めてです、こんな好きな漫画が似てる人がいるなんて」


 リッタ先生と大島さんの死んだ魚の眼にハイライトがゆっくりと戻ってきた、助かった恐ろしくてしょうがなかった。それにしても大島さんがこうして幸せにしているのを見ていると胸の奥底から暖かい感情が溢れてくる。病院に長く通っていた彼女に友達がいたのか知らないがーーこうして今、普通に雑談して漫画の内容に一喜一憂して、ほかの人と笑いあえてるのは幸せに違いないのだから。


「そういえばドリルマン読みました?まさかあんな最終回になるなんて思ってませんでしたよ!」


「おっそれも読んでるのか。私も最終回には心底驚いた、まさかヒロインを一万個のねじにしてしまうなんて想像もできなかった」


「そうですよねそうですよね!それに私の推しキャラ、というか推しキャラののこぎり侍とでんのこ次郎が生き残ってよかったです」


「おお!好きなキャラも一緒だと何か運命のようなものを感じるな!やはり『でん×のこ』が最高だよな!」


「え?」


「ん?」


 ひゅっと、一瞬で部屋の温度が数度下がったような気がした。もちろん元凶は今目の前で楽しそうに話していた、過去形だ。今は何故か冷戦中に何か進展があったような、そんな恐ろしい静けさがある。リッタ先生は頬を引きつらせながら、いっいやまさかと言っている。大島さんも似たような感じだ。


「いえ、『でん×のこ』が好きというまさか解釈違いの権化みたいなことを言うわけないですよね」


「は?」


「え?」


「いや、『でん×のこ』が最高というのは自明の理だろう?な?」


「いやいやいや『のこ×でん』が最高でしょう?ね?いや、ね?」


 怖い、この二人何読む順番にこだわってるんだ?べつにのこ×でんもでん×のこも読む順番が違うだけだろうに。それに。


「楽しいのは構いませんけど、一応喫茶店なのでもう少しボリュームを下げて」


「「ごめんなさい」」


 このままだと大声で討論を始めかねなかった、大いに結構だけれどほかのお客さんもいるので勘弁してほしい。常連さんだったらあぁ、あの二人かって察してくれるのだけれど、今日は熱いせいか初見さんがやけに多いのだ。常連さんが増えてほしい私としてはあまり変な印象をつけたくない。というか本当に疑問なのだけれど。


「読む順番の何がそんなに重要なんですかどっちも同じじゃあ?」


「「は?」」


「怖いのでその同時に何言ってるんだこいつぬっころすぞみたいな目やめてくださいごめんなさい」


「いやいやいや鏡花ちゃん、これは大いに違うものなんだよ。例えるならミルクティーとロイヤルミルクティーのような違いだ」


 つまりは茶葉と一緒に牛乳も熱するのかもうすでに入れた紅茶に牛乳を入れるかの違い。つまりは知らない人が聞いたら些細な違いと笑うけれど実際はものすごく違う。そういえばこのまえ楽しくなって解説しまくってリッタ先生に呆れられたな、というかよく覚えてるな。


「なるほどわかりました。私が悪いですねこれは」


「わかってくれたならいいんだ、鏡花ちゃん」


 うんうんと頷く、そうだ自分にわからないだけで奥が深いものなんて世界にありふれているだろう。自分からしてみたら違いが判らなくても、わかる人が見れば大きく違う。やはりもっと気を付けなくては、こだわる人にはその人の価値観でのこだわりがあるのだから。


「ーーそうだ、鏡花さんもこの漫画を読んでくださいよ。それでどっちがいいか」


「うん、遠慮しとく」


「なんでですか!?」


「明らかに火に油を注ぐ行為を人はしないから、かな」


 そりゃあそうだろう、ここでどっちについても片方に油を注ぐだけなのだから黙ってグラスを磨いていたほうがいい、やはり今日もグラス磨きは素晴らしいものだ。





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