花の降る日
高橋さんは、車椅子の上で、ぐったりと外を見ていた。
窓の外から指す光に、彼の薄くなった白髪と、細い腕が反射する。
私はその様子を観察しつつ、日課の散歩の準備をしていた。散歩と言っても、彼は車椅子に乗って外を見て回るだけなのだが。
「高橋さーん、散歩行きますよー。」
声をかけても返事はない。視線を寄越すこともない。ただ、言葉はきちんと聞こえているのか、彼は玄関まで車椅子を走らせた。
いつもの散歩コースは川沿いの並木道。春風が気持ちよく吹いて、桜が見事に咲き誇っている。高橋さんも、じっと満開の桜を眺めていた。
「よかったですね、今日は天気が良くて。お花見日和じゃないですか。」
「先週なんか、すごい大雨だったんですよ。雷も鳴ったし。洗濯物取り込み忘れちゃうし。やっぱり春は天気が変わりやすくて嫌ですね。」
彼の車椅子を押しながら、言葉を紡ぐ。彼は相変わらず黙っていた。今日はなんとなく、彼の沈黙に気まずさを感じた。
「お前も、桜好きだったよなァ。」
ぽつり、と彼が呟いた。私は驚いて立ち止まりそうになった。彼が私に話しかけてくることなんて、今までほとんどなかったから。
「え、ええ。とっても好きですよ、桜。咲いてると、春が来たなーって感じがするんです。」
驚くやら嬉しいやらで、ちょっと吃ってしまう。前にいる彼には見えないだろうけど、私は自然と頬がゆるむのを感じた。
気がついたら、散歩コースも折り返し地点に来ていた。交差点をまがって、橋を渡ろうとした、その時だった。
「……ごめん、ごめんなぁ。」
彼が、急に泣き出したのだ。
また私はびっくりして、車椅子を止め、彼の前に回った。既に彼の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「お前をひとりにして、ごめんなぁ。寂しいよな。本当、なんで俺だけ、残っちゃったんだろうなぁ。」
「こんな体じゃ、追いかけることも出来やしないんだ。迎えに来ておくれよ。頼むから……。」
流した涙を拭おうともせず、こちらに助けを求めるかのように、彼は手を伸ばした。
その手は、無情にも、私の首をすり抜けた。
「…………置いていって、ごめんなさい。」
彼が車椅子を停めた先の電柱には、色とりどりの、たくさんの花束が供えられていた。




