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二日月  作者: 疎遠
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朔日の空—4

「————なんていうか、上谷はあれだね。人生退屈しなさそうだよね」

 一通りの事情を聞いた外城の感想は笑みを含んでいた。

「好きでこんな厄介極まる人生送ってんじゃねえよ。変われるもんなら変わってくれ」

「ちょっと、厄介って誰のことよ」

「無自覚な人生って楽そうだよな、羨ましい」

 横から絡んできたサツキに修介は肉団子を割りながら皮肉をこぼす。

 風邪の時はとにかく熱いものを食うべしという外城の持論によって、本日の夕食は鍋と相成った。思えば今日一日ほぼ食うか寝るかしかしていない。それはそれで健全な高校生の姿としてはどうなんだと思わなくもないが、病人の姿としてはむしろ正しいのだろう。多分。

「この肉団子美味いな、何入れてんの?」

「ああそれ?ショウガ。風邪の時はとりあえずショウガいっぱい食べれば早く治るって母さんが言ってたから。出汁にも入ってるよ」

 とんでもなく自然な流れで鍋奉行の座を獲得した外城が具材を取り分けながら答えた。

「……なんだっていいけど、外城家のその風邪に対する手厚いバックアップはなんなの?」

「ウチの母さん看護師だからねー、風邪以外でも病気や怪我全般は大抵ウチの中で解決しちゃう」

 だから今まで一度も病院行ったことないんだよね、俺。外城はそう笑いながら適度に茹った白菜をまとめてサツキの小皿に放り込む。

「あ、ちょっとケンくん!あたし野菜要らないって言ったじゃん!」

「駄目だって、野菜食べないと太るよ?」

 遠慮なしのドストレートで投げた外城の指摘は女心にクリティカルヒットしたらしい。サツキは小さく呻いて、渋々白菜を口に運ぶ。よほど嫌いなのだろう、噛むたびに顔をしかめて、最終的には出汁と一緒に無理矢理飲み込む徹底ぶりだ。

 ていうか……「母娘(おやこ)?」思わず呟いた修介の横で、外城が困ったように苦笑した。

「この年でお母さん役はちょっとなあ。男としての沽券にかかわるよね」

「うぇ……、でもケンくん確かにお父さんって感じはしないよね。雰囲気もウチのお母さんそっくり」

 どうやら外城の方が旗色は悪い。サツキの追撃に若干外城の姿勢がかしぐ。この年で所帯じみているというのには忸怩たる思いがあるらしい。その気持ちは修介にも何となく理解できた。

「そういやサツキお前、いい加減帰らなくていいわけ?」

 修介がそう聞いたのは話の流れついでである。部屋の時計はもう一九時を回っている。高校生ともなればある程度の自由が認められるとは言え、既に知らない男の部屋に一泊しているのだ。どんな自由奔放な親だろうといい顔はしないだろうし、何より「今日も泊ってくとか言うつもりじゃねえだろうな」と修介は本気で嫌そうな顔をする。

「まさかあ。これ食べたらちゃんと帰るよ、漫画読むのも飽きたし」

「ていうか、昨日は親御さんになんて説明したの?」とこれは鍋に追加の具材を投入する外城の言葉。

「友達の家で試験勉強合宿って言ってある」

「それはまた……ベタな言い訳だねえ」

 学生の言い訳としては常套句ではあるが、実際それはかなり使い勝手がいい。世間の親というのはとかく勉強という単語に弱いのだ。都合よく学期始めで試験を控える時期でもある。

 いつまでも居座るつもりじゃないならいいか、と懸案事項にひとまず片が付いた修介は満足して鍋をつついた。


 食べたら帰るよ、という宣言通り、二〇時を回る頃にサツキは部屋を出て行った。

 それはいい、のだが。

「あいつは後片付けって概念を獲得してねえのか……」

 食い散らかされた皿を洗いつつ、修介はぼやく。

「まあまあ、しょうがないんじゃない?」鍋を運びつつ、外城が苦笑した。「親御さんからの帰還命令が出ちゃったんだし」

「お前変なところで甘いよな。だからお母さんみたいとか言われるんだぞ」

 揶揄じみた言葉は微妙な不本意が横滑りした形である。俺だって別に至れり尽くせりでいられるとは思ってねえけどさと眉を寄せる修介の脳裏には、「暇になったらまた漫画読みに来るねー!」と言い残していったサツキの声が残っていた。看病がどうのという最初の建前はどこに行ったと言いたい。

「それにしても、結構驚いたよ」

 鍋に残った出汁を流しつつ外城が面白そうに肩を揺らした。

「上谷がこんな短期間で他人と仲良くなってるの、初めて見た」

「お前の頭はイカれてんのか?あの説明のどこをどう切り取ったら仲良くなんて単語が出てくるんだ」

 呆れまじりに怪訝な目を向けるも、外城はどこ吹く風である。

「でもなあ、あの状況をして仲良くないっていうのは無理あると思うけど」

「あの状況っていうのがどの状況を指しているのか知らねえけど、眼科に行くことをオススメする」

 赤の他人、と呼ぶにはもう無理があるのは認める。それは認めるが……、

 ない!仲良くなんてことはあり得ない。それはヤツと俺から最も遠い地平の言葉だ!

 修介はサツキと自分が「オトモダチ」になっている姿を想像して激しく頭を振る。

「じゃあどうしてサツキちゃんを家に入れたのさ」

 何気ない口調で訊かれて修介は思わず口ごもる。

「それは……しょうがねえだろ、気づいたらもう居たんだから」

「それにしてもおかしいでしょ。俺が最初に遊びに来ようとした時なんか『警察呼ぶ』まで言ったのにさあ」

「…………、」

 基本的にどんな時も笑顔。絵にかいたような穏やかの化身。立って歩く聖母像————そしてたまに、隙一つない正論の使い手。

 やっぱり俺はこいつが苦手だ。修介は返す言葉を失って洗剤を手に取る。

「まあ他人嫌いの上谷に友達が増えるのはいいことだけどね」

 外城は仕方なさそうに微笑(わら)って矛を収めた。

「……だからお前はその恥ずかしい物言いをなんとかしろよ」

「いい加減諦めてよ、二年も付き合ってるんだから」

 けっ、と舌打ちして修介もそれ以上の追及はしない。

 水の流れる音とスポンジがたてる洗剤の音、自主的に洗い終わった皿を拭き上げる係へと回った外城がそれをしまう音だけがしばらく続く。

「……多分」呟いた修介の声は、水音の隙間から辛うじて拾える程度だった。「()てられたんだ————他人に土足で入り込む、身勝手に」

 主語は不在。意味も不明。届くかどうかもどうでもよさそうな声音。

 それ以上何も言わず、黙って皿を洗い続ける修介の背中を一度振り返って、

「そっか」

 外城は嬉しそうにまた微笑った。


     *


 一晩寝ると、体調はもう完全に通常営業へと戻っていた。一度は失神するまでこじらせた割に回復が早い。恐らく(認めたくはないが)サツキの言う通りにして一日寝込んでいたのが効いたのだろう。

 そして、体調と共に変わったものがいくつか。

「これは一体どういうことかね、外城クン」

 開口一番、登校するなり不機嫌ヅラを向けられた外城は困ったように眉尻を下げた。

「どういうことって?」

「少なくとも俺の記憶では一昨日までこんな窓際の席ではなかったはずだし、お前が隣にいた覚えもないんだが?」

 全国高校は数あれど、学期始めの席というのは決まって五十音順と相場が決まっている。修介と外城の間には一列程度の距離があったはずなのだが。

「昨日席替えがあったんだよ。津村先生好きでしょ、席替え」

 外城が挙げたのは担任の名前である。「クラスみんな仲良く」が信条の今時珍しい理想論者で、クラスの人気者が現実を知る機会もなくそのまま大学を出てきてしまった甘チャン新卒教師、というのが修介視点の評価だ。

 席替え好きというのもその信条からくるものらしく、人間関係で困ったことがなさそうな彼女ならさもありなんという所だった。

「ていうか上谷はどうして怒ってるのさ。窓際嫌だった?」

「そういうことじゃねえ」修介は自分の机にカバンを降ろして、「俺が聞いてんのはどうしてよりにもよってお前が隣なのかってことだ」

 男女問わず不動の人気を誇る外城だが、こと席替えともなると彼の周囲は倍率が低い————主に同性から。

 授業中にはひっきりなしに回ってくる紙切れと「外城くんに渡して」という小声、休み時間になれば女子達に強奪される机と椅子、というのがその理由である。うっかり邪魔だなどと言えば、その日のうちに「怖い」「ウザイ」などの陰口が女子ネットワークを駆け巡ることになるので手に負えない。

 今から先が思いやられる展開に重い溜息を吐きながら腰掛けて、そう言えば今日は女子の群れが居ないなと顔を上げる。気づけば修介の周囲には外城以外の人影がない。いつもはこぞって外城へと群がる女子達も遠巻きに挨拶だけして離れていく。

 まるで何かを避けるように、慎重に距離を取るクラスメイト達の姿を眺めて、修介は訝しげに眉をひそめた。

「……なんだこれ、ついにお前の人気も賞味期限切れか?」

「ああ、いや、これは……」

 珍しく言葉を濁す外城に、ますます首を傾げて————「マジ?盗み?」どこからか女子の小声が聞こえた。

「……なるほどね」

 納得、とばかりに修介は頬杖をつく。その単語は一昨日聞いたばかりだ。

 あの病院は学校と二駅しか離れていない。加えてサツキの大声だ、傍から見ていても大体の事情に察しはつく。

 大方、下校途中の誰かに見られでもしたのだろう。この分だと昨日休んだのも警察に捕まったことになっていそうだな、と鼻で笑う。

「……ごめん、俺も一応説明したんだけど」

「あ?ああ、別に気にすんな。この方が席奪われないし、むしろ気が楽だ」

 いくら人気者とはいえ個人の発言力などたかが知れている。この箱庭において最も強いのは「特定の誰か」ではなく「特定できない大勢」なのだ。外城一人が何を言ったところで広まった噂には大して意味が無い。それに、

「『男子高校生、白昼堂々窃盗事件!』か。話題としてはちょうどいいだろ」

 他人の起こした騒ぎの真偽などどうだっていい。大事なのはそれが面白いかどうか。要は、彼女達の大して面白くもない日常を潤すネタが欲しいだけなのだから。

「上谷はどうして……っ、」

「ハイみんな席ついてー」

 外城が堪えかねたかのように口を開くのと、件の担任教師・津村が教室の戸を開けるのは同時だった。

「ホームルーム始まんぞ。私語は慎めよ、委員長」

 外城はまだ何か言いたげな顔をしていたが、修介は教壇へ目を向けてそれを黙殺した。

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