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二日月  作者: 疎遠
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朔日の空―2

 世の中働いてるやつが一番偉いんだよ。

 そう言い放った翌日からこれである。

「……世の中なんてもう何も信じねえ……」

 微妙に濁音が混ざる声で修介はぼやいた。

 隙あらばサボる同僚や上司によって皺寄せが来たオーバーワークに季節外れの寒さも影響したのだろう。

 結論から言って――――風邪を引いた。それも新学期初日に。

 世の中神も仏もないとはこのことだ。どうして真面目に生きている人間が一番割を食わなければいけないのだろう。政治家は予算審議会だなんだと喧嘩する前にこういう部分へ目を向けるべきじゃないのか、あんなに立派な建物まで貸切っているのだからもう少し分かりやすく国民へフィードバックしろ、と無暗に評論家ぶってみたり。

「うわー、すっごい顔。何人か殺ってきたでしょ、それ」

 横からかかった声に視線だけで応じようとして――――若干の軌道修正。軽く見上げるような形で目を向ける。

「……知らなかったよ。挨拶ってのはいつから罵倒のカテゴリに入ったんだ」

「荒んでるなあ」

 そう言って声の主は軽やかに笑った。外城賢一(とじょう けんいち)、修介のクラスメイト……つまり同い年なのだが、その身長差は優に十センチを超える。修介自身もそこまで低身長という訳ではないのに外城と並んだ構図はもはや先輩後輩のそれに近い。その上、容姿まで整っているとくれば女子からの人気も高水準の不動である。通学途中の女子達がやたら挨拶していくのがいい証拠だ。増加率は驚きの三〇〇%(当社比)。

 なんだっていいが、そうまで露骨にしてて人間関係の不和とか怖くないんだろうか彼女達。

「それは上谷にも問題あると思うけどなあ」外城は困ったように苦笑して、「普段から近寄りづらい雰囲気出してるじゃん。今日なんか声かけただけで刺されそうだよ?俺だって友達じゃなかったらちょっと避ける」

「……、お前はその、恥ずかしい単語を息するように放つ癖いい加減何とかしてくんねえか」

 で。なんの因果か修介はそんな校内アイドルの友人として認識されてしまっているらしい。経緯は謎。やたらと話しかけられるが邪険にする理由もないので適当に受け答えをしていたらいつの間にかそんな立ち位置を頂いてしまっていた。

「つーかお前、いいのかよ。割と全方位からの視線が刺さってんだけど。ファンの皆さんがご一緒したがってんぞ」

「ああ……、まあ、うん。あんまり目立っちゃってもアレだし」

「俺はちょうどいい人除けってわけな」

 一層困ったように苦笑する外城をチラリと見上げて、溜息を吐く。人によっては鼻につく物言いだろうが、それがただの自慢ではないのはその表情を見れば察せられた。外城は外城で苦労してきたのだろう。やっかみや僻みでもたらされる苦労というのが理解できないほど修介も子供ではない。

 あるいは、それが外城を邪険に扱えない理由なのかもしれなかった。

「それより上谷、体調悪いの?」

「見れば分かるだろ。病人じゃなかったらこんな鬱陶しいものつけねえよ」口周りを覆うマスクをこれ見よがしに引っ張る。

「いや、この時期にマスクだけで分かれっていうのは無理あると思うけど。感染症予防で皆つけてるでしょ、今時」

「…………、あー」

 言われてみれば確かに道理だ。去年から爆発的に広がった新型ウイルスの波は年をまたいでも収まる気配を見せず、もはやマスクはつけていて当たり前のご時世である。どうやら自分はかなり頭が回っていないらしい。

「バイト先でちょっとな。あと昨日の意味わかんねえ寒さ」

 下手したら感染症拾ったかもな。軽く脅してみるつもりでそう付け加えると、「じゃあ一応病院いったほうがいいな」と真顔で返された。伝染(うつ)るから離れようとか考えないのかコイツはと思ったが、そこに突っ込んだらまた恥ずかしさ満載のセリフが返ってきそうだったので口を噤む。

「ていうかそんなんなら休んだ方が良かったんじゃないの?今日なんて始業式とクラス替えがある程度なんだし」

「だからだろ。初日から休んだら目立つじゃん、どうでもいいところで変に注目集めたくない」

「考えすぎだと思うけどなあ」

「考えすぎなくらいでちょうどいいんだよ」

 人間はどんな些細なことからでも豹変しうる。それを上谷修介はよく知っている。特にこんなご時世だ、一日休んだだけでも学校という狭い箱庭にどんな噂が蔓延するか分かったものではない。

 目立たず、出過ぎず、穏やかに――――そんな些細なことを守るのすら、この箱庭では一苦労だ。

「上谷はもう少し他人を信用してもいいと思うけど」

 頑なな修介に、外城がまた苦笑。

「少なくとも、俺は根拠のない噂に振り回されるほど友達を軽く見てないよ」

 恥ずかしすぎるこの友人が、修介はたまに苦手だ。


     *


 電車で二駅。そこから歩いて約一〇分。

 始業式と新クラスでのホームルームを終え、修介が近場の総合病院へたどり着いた頃にはもう正午を回っていた。

「……しんど」

 こういう時、未成年の一人暮らしというのはとことん不便だ。車を使えば半分の時間でもっと楽に来られたのに、車もなければスクーターすらない。例え持っていたところで、免許がないのだから運転などできないのだが。

 普段なら気にすることもない一歩を重く引きずる。全体的に怠さが体を支配していた。

 院内へ入るまでに一〇分。受付を済ませ内科の待合へ行くまで更に一五分。老人並みの動きでモタクサやっていたら、待合に着いたと同時に診察室へと呼ばれてしまった。

 しかも、

「――――うん、多分風邪だね」

 一通りの診察を終えて言われたのはたったこれだけである。元からそうだとは思っていたし、大事にならず済むのならそれでよかった。よかった、のだが、

 せめてもうちょっとなんかあれよ畜生!

 修介はガックリと肩を下ろす。たかがこの一言を聞くためだけに三〇分以上重い体を引きずってきたのかと思うと、それはそれでやりきれないのだった。

「まあ時期が時期だからね、一応熱が引くまでは自宅で安静にしていてください」

 しかしその思いを医者へぶつけるわけにもいかず、そっけない言葉への返事は我ながらかなり曖昧なものとなった。


 お大事に、というお決まりのセリフを背中で受けて、病院を後にする。

 気分的にはもう一日中歩き続けていたような感じだが、自動ドアを抜けた先はまだ思いっきり明るかった。昨日とは打って変わって明るい陽光に満ちた空気は春先の暖かさも持っているらしく、熱で体が火照っている身としては少しばかり以上に暑いくらいだ。

 この中をまた歩くのか、と修介は玄関前でもう軽く鬱に入る。八つ当たりのように大きな溜息を地面へ落として、

「……?」

 それが目に入ったのは、落とした首の角度による偶然だ。

 恐らくタクシーなどの送迎用にだろう。病院の入り口前には簡易的なロータリーが作られており、それに沿うような形で質素なベンチが並んでいる。そのベンチの下、ちょうど陰になるあたりにそれは落ちていた。

 黒一色のプラスチックで構成された手乗りサイズの箱。一言で表すとそんな感じなのだが、持ってみると意外に重たい。ついでに、箱の上部と思しき部分は所々押し込めるようになっていた。どうやらスイッチやボタンの類らしい。

 ていうか、これ。

 …………テープレコーダー、だよな?

 修介は推定テープレコーダーをいじくりまわしながら唇を尖らせる。推定、というのは修介自身が実物を初めて見るからだ。要はそれくらいに現代のデジタル社会とは馴染みが薄いシロモノである。

 物珍しさからあちこち触ってみると、箱の前面(に、なるのだろうか?)がおもむろに開いた。中にはこれまた社会の資料集でしかお目にかかったことのないカセットテープが一つ。

「おお……」

 なんだか意味もなく感動。気分としては化石でも掘り起こした感覚に近い。

 老人の忘れ物ってあたりかな、とあたりをつけてみる。大方、ベンチに腰掛けている時にでも落としたのだろう。場所が場所だけにジジババの利用率は高いだろうし、そもそもこんなものを使う世代というのは限られるのでそれはいい。それはいいが、

「どうすっか……」

 貴重品という訳でもあるまいし、このままここに置いて帰っても問題ないといえばないだろう。本人が気づけば取りに戻ってくるだろうし、取りに来ないなら来ないでその程度のものだったという話だ。そもそも修介が見も知らない他人の世話を焼いてやる義理もない。

 片手でテープレコーダーを弄びながら少し考えて、――――どうしてそんな結論になったのか、修介自身にも分からない。

 持ち主を探してみよう、などと。

 普段なら見なかったことにしてさっさと立ち去るところだが、今日に限ってそんならしくもない思いが浮かんだ。熱で頭が回っていないせいかもしれないし、「多分風邪だね」という医者の素っ気ない言葉のせいかもしれない。わざわざ重い体を引きずってここまで来たのだから、せめて何かしら来た意味が欲しかったのだ、と思う。

 とはいえ、見渡す限り持ち主らしき人間はゼロ。老人というくくりで見れば該当するのはいるが、まさかその全てに聞いて回るわけにもいかないだろう。面倒くさいとかいうメンタル的な問題よりも先に修介自身の体がもたない。風邪こじらせてぶっ倒れましたとかはごめんだ。

 結果、帰る道すがらそれらしいの探してみるか、という何とも中途半端なところで落ち着いた。どうにもならなかったら駅前の交番にでも届けておけばいいだろ、というのが最後の一押しになった形である。

「……しんど」

 小春日和と表現するに相応しい陽気の中、サラリーマンや買い物帰りの主婦層といった人の波が穏やかに流れていく。どことなく彼らの表情が眠そうなのは時間帯よりもむしろ気候の影響だろう。それくらいには過ごしやすい日だということだ。

 どうしてわざわざこんな日に死にかけなきゃなんねえかな、俺は。

 周りが穏やかであればあるほど鬱々とした気分に拍車がかかる。歩き始めて数分、体調は悪化の一途を辿っており、小春日和が夏日に感じるほど体は熱いくせに芯だけは寒い。修介の表情が微睡んでいるのも、単純に眠いというより体力が尽きかけている故に気を失いかけていると言った方が近かった。

「……はあ。やめよ」

 病は気からと言うが、その逆もまた然りのようだ。放っておくと際限なく気分が沈んでいく。

 気を紛らわせるために、テープレコーダーを検分してみたり。

 どうもこの機械、録音だけではなく再生もできるらしい。かなり使い古されているのか、スイッチのラベルは半分かすれてしまっているが、それでもなんとか『再生』という白い文字が読み取れた。こんな小さな機械で録音も再生もできるのだから、何十年も前にしては革新的だったのだろう。それだけカセットテープという物が単純な作りをしていただけなのかもしれないが。

 つらつらと当時に思いを馳せながら駅のロータリーへと入る。

 結局このテープレコーダーの持ち主らしき人物とは行き会わずじまいだった。まあ世の中そんなもんだよなー、と元からそこまで期待していなかっただけに修介も大して思うところはない。

「気を紛らわす材料になっただけ上等か」

 後は交番に届けて終わり。これを落としていった誰かが探しに戻ってくれば、ここの駐在が何とかしてくれるだろう。まあ落とし主が交番まで訪れるかどうかは未知数だが、来ないなら来ないで終わりだ。そこまで修介が慮ってやる必要もない。

 そう言えば落とし物届けたらなんか書類書かされるんだっけ、嫌だな面倒くさいな、まあでも座れるんならまだいいか。あれ?交番って椅子あったっけ、あるよな、なかったら速攻で渡して帰ろう。などととりとめのない事を考えつつ足取りを進めて、


「あ―――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!!!!」


 なんだこの剣呑な大声量は!?

 真横。かなり近くから叩きつけられた時ならぬ悲鳴に反射で目を向ける。

 真っ先に浮かんだ言葉は事件か事故。『春先は不審者や犯罪が増える時期なので各自十分注意するように』という生活指導の言葉が頭を過る。二週間ほど前には都心の方で無差別な通り魔が出たというのも嫌なイメージを補強した。畜生こっちは絶賛大不調だぞ!と思わず身構える。

 ……のだが、どうもそういう物騒な感じではないらしい。

 どこを見渡しても不審者どころか刃物一つ見当たらない。昼下がりの長閑な街並みに居るのは突然の悲鳴に驚いた顔で立ち止まったり目を向けたりする、いたって普通の通行人ばかり。

 そして、修介含む彼らの視線は一人の少女に集中していた。

 年頃は修介と同じか一つ二つ下。制服姿なので学生だとは思うが、背格好からして中学生には見えない。高校なのにセーラー服って今時かえって珍しいよな、という感想が浮かぶ。

「返してドロボー!」

 続いたセーラー少女の言葉で状況は大体把握できた。あーそういえば引ったくりとかも増えてるって回覧板で回ってきてたなー、などと肩の力を抜く。ていうかわざわざこんな往来が激しいところで引ったくりとは、逃げ足に相当自信があるのかただのバカなのか。いずれにしても生でひったくり犯を見られる機会などそうないので拝めるだけ拝んでおこうと少女の視線を追って振り返ってみる。誰もいない。流石ひったくり犯、もう逃げ切ったのかと感心しながらもう一度少女の方へ目を向けてみるが、少女は未だに動かず同じ方向を睨んでいた。

 ……振り返ってみる。誰もいない。

 ……目を向けてみる。睨んでいる。

 ……振り返ってみる。誰もいない。

 都合三回ほど同じ動きを繰り返して、修介は思ったことをそのまま口に出してみる。

「――――え、俺?」

「しらばっくれてんじゃないわよ―――――――――――――――――――――――――ッ!」

「え?は!?ちょ、待てって!俺は引ったくりじゃねえしそもそも君みたいな子知らないしていうかファーストコンタクトも今この瞬間だし!」

「じゃああんたの持ってるそれ何なのよ!」

「それ……え、いやこのレコーダーはさっき拾って」

「やっぱり盗ったんじゃない!おまわりさん泥棒です現行犯です!!」

「おいこら待て!バカやめろ落ち着……、話を聞け―――――――――――――――――――!!!!」

 力の入りきらない体で必死に抗うが、問答無用とばかりに交番へ引きずられていく。 

 マジでか、こんな一方的な勘違いで前科持ちになるのか俺は!?とパニックに陥りかけて、

 ――――あ、やばい。

 ただでさえ体調不良。重ねてほぼほぼ歩き詰めな上にダメ押しの激しい動きだ。

 落ちる。そう自覚した次の瞬間、


 修介は呆気なく意識を手放した。

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