強い『弱者』
2020年5月、米ミネソタ州ミネアポリスで、黒人のジョージ・フロイド氏が白人の警察官に首を8分46秒圧迫されて死亡した。
これによってBlack Lives Matter(BLM、黒人の命は大事だ)と呼ばれる抗議活動が全世界に広がっていった。
なぜ一人の一般人の死によって全世界を巻き込む騒動になったのか。
背景にはいまだに根深い人種問題がある。
歴史上、特にアメリカにおいて黒人は白人から長らく差別された。差別された理由としては、「よそ者」、奴隷としてのルーツ、宗教など様々な理由が複雑に絡み合っている。この差別は、リンカーンの奴隷解放宣言の後も続き、第二次世界大戦後、今日まで尾を引いている。
さて、白人と黒人の取扱いの差別に対してついに黒人(とリベラルな他の人種)がついにキレたBLM2020はその原因、動機ともに非常に理解できるものである。しかし、この運動は途中からおかしな方向へと向かって行く。
・車に手をついておとなしくしろと言われていたにもかかわらず、抵抗した黒人に白人警察官が発砲したのはけしからん
・ヨーロッパで「白人の命も大切」と言った女優が大炎上して干される
・白人だらけの警察署なんか解体してしまえ
・「BLM」と自宅の外の壁にチョークで落書きしたフィリピン人に注意した男性が会社を解雇される
黒人に対する不当な扱いに反発して始まったはずの運動なのに、合理的な理由であっても黒人に都合の悪いことがすべて「差別」として扱われている。
中世ヨーロッパで、人々が存在するはずない「魔女」を狩るために無実の人々を殺しまくったように、あらゆる物事に対して「差別的」というレッテルを貼り攻撃しているのだ。
黒人の一見我儘な主張に対して、アメリカの州知事や市長は屈服した。「確かに差別は良くないよね!うん、黒人の意見に従おう」と平伏した。
しかし、それもそうである。「いや、警察官の安全のため武力を行使するのは当然であり、今回は被害者がたまたま黒人だっただけだ」なんて言おうものなら、たちまち「差別主義者」というレッテルを張られ、次の選挙は当選どころか立候補すらできないだろう。
何度も繰り返して言うが、私は黒人差別には当然反対である。それに、現在でもアメリカ南部を中心に黒人に対して差別的な地域があることも承知しているし、被害者が白人だったら死ななかったであろう白人警察官の対応があることも承知している。
こういった念入りなフォローをしないと、私も「お前は黒人を射殺した白人警察官の肩を持つのか!黒人差別主義者だ!」というレッテルを貼られてしまうだろう。それほどまでに差別の問題はピリピリしていて慎重に考えなければならない。
黒人が白人を射殺してもニュースにならないが、白人が黒人を射殺すれば大騒ぎになる。
今まで書いてきたことを一言で言えばそういうことである。
差別は黒人差別だけではない。女性差別、少数民族差別、少数派差別、この世界にはたくさんの差別が「作られて」いる。
差別の問題で厄介なのは差別された側の気持ち次第なのだ。
数年前、「大晦日ガキの使い」の番組で、ダウンタウン浜田が顔を黒く塗って黒人のモノマネをした。これが、黒人差別であるとして海外で非難された。これは、100年前くらいのアメリカで、白人が顔を黒く塗って黒人の真似をしてバカにしていたことが起源らしい。
だが、日本人の多くは「顔の黒塗り」が黒人差別なんてことは知らなかっただろう。差別しているつもりはなかったのに差別になっている。これが差別の怖いところだ。
朝田理論と呼ばれる恐ろしい理論がある。
部落解放同盟の委員長であった朝田善之助が確立させた部落解放理論だ。
「不利益と不快を感じさせられたら全て差別」
「差別か否かというのは被差別者しか分からない」
つまり「差別」と感じた者に全ての決定権と主導権があるという考え方なのだ。
ものすごくざっくりと言う。
就職活動で不採用になった。
↓
不採用にしたのは俺が黒人だからだ!
この会社は黒人差別をするぞ!!!
↓
会社はイメージ低下を恐れて採用や賠償の要求を呑む
この理論を身につければ「弱者」は無敵である。
なぜなら、自分にとって不利益なことについては「差別」と騒げばいいんだから。
女子テニスの大坂なおみ選手が2018年全米オープンで優勝した時、対戦相手のセレーナ選手は「男性審判が私に不利な判定をしてきた!!女性差別だ!」と喚き散らした。
プロ野球で伸び悩んでいる黒人系ハーフの選手がいるが、練習をせずに遊びまわり、コーチが注意しようとすると「黒人差別だ!」と騒ぐため手が付けられないそうだ。
日本も他人ごとではない。
女性、母子家庭、非正規労働者、生活保護、ホームレス、在日外国人
この国にはたくさんの「弱者」がいる。
では、彼らにとって不利益なことはすべて「差別」になるか。
東京医科大学が女性受験生を不当に扱っていた。
私はこれは差別だと思う。同じ点数でも女性は不合格で、男性は合格するのは論外である。
だが、世の中は点数のように簡単ではない。
男子トイレをおばちゃんが掃除することは男性差別か。
女性専用車両やレディースデーは男性差別か。
肉体労働が男性労働者のみを採用するのは女性差別か。
一つ一つの不利益について慎重に判断していく必要がある。
この世界が差別を根絶しようと努力していることは本当に喜ばしいことだと思う。
しかし、「差別」という悪を滅ぼす「差別狩り」のような状態になり、本来は差別ではないただの「区別」であっても、差別のレッテルを貼られ、炎上するケースをよく見る。
差別は本当に差別なのか
その弱者は本当に不当な扱いを受けて困っているのか。弱者であることを盾にして我儘を言っているだけではないのか。
叩く前に一度深呼吸をして慎重に見極める必要があるだろう。
賛否両論あると思いますが、皆さんの評価を星の数で示していただければありがたいです。
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