第4話『嫌がったら私、死んじゃいます』
潮風が朝灯の頬を撫でる、天気の良い爽やかな朝の通学路。七月の気温は上機嫌に高く、歩くだけでじっとりと汗が滲んでいた。
海沿いに面した虹雪市は便利で住みやすく、自然が多い理想的な環境であった。朝灯と一夜は県で一番の進学園、虹雪学園に通学している。
とくに朝灯は頭が良いわけでもなく、運動神経がある訳でもない。しかし双子の一夜の教えにより、進学園である虹雪学園に入学する事が出来ていた。
「朝灯、明星ひなたと一緒に通学しなくていいの? 付き合い始めたんでしょ?」
「だから違うって、明星とはそんなんじゃない」
朝灯はぎゅっと一夜に握り締められた自分の手に、さらなる加圧を感じる。どうも昨日の携帯の一件から一夜のスキンシップが過激だった。
「百歩、いや千歩、万歩……無料大数歩譲って、朝灯がボク以外の女性と付き合ったとするね、もしその場合は少なくともボクより優れた人間じゃないと認めないよ」
「一夜より優れた人間?」
家族という贔屓目補正を抜きにしても、朝灯は一夜という人間より優秀な人間を探し出せない。偉人を引き合いに出せば良いのだろうが、いまいち実感が沸かない。
「あ、弐々村兄妹おはよー、今日も暑くて……アッツいねー」
「おはよう、うん、今日もラブラブ」
破滅的な性格も、朝灯だけに向けたものであり、朝灯以外の人にはとても人当たりが良い。現在手を繋いで通学路を歩いているのも、それがヘンな事ではないぐらいにいつのまにか周囲を慣れさせてしまっている。
それからも次々男女問わず、一夜は次々と挨拶されていた。弐々村一夜は人間関係も優秀な人間なのである。
「おーい、朝灯、妹をオレにください」
朝灯の友人の柳、通称ヤナも気軽に声をかけてきた。
「兄さんも一緒で良かったら」
「うわ……究極の選択……やっぱいいや……」
一夜もさらりと冗談を言って受け流す。朝灯がこの笑顔の裏で相当苦労しているなんて誰も思っていない。
清楚な黒髪、凛々しい瞳だが、よく笑い硬い印象を与えない。細身で脚が長く胸も順調に膨らんでいる。子犬のような可愛さのひなたと比較すると、一夜は可愛いよりも綺麗という言葉が似合う。正真正銘の美少女であり、男子からの人気も高い。
といっても、何故か常時隣にそれによく似た朝灯がいる為、どうこうできるとは男子連中も全く思っていなかった。
「ま、朝灯以外の男にあまり興味は持てないんだけど」
「いつまでそんな事言えるんだろうなぁ」
朝灯は呆れながらも、この好意を心地良く思っている。
可愛い妹であり、頼りになる姉でもある。行き過ぎた愛は重すぎるが、朝灯もその純粋な好意は嬉しく思っている。
けれど、一夜はどうしようもなく近過ぎる存在だった。
「ずっとだよ、ずっとね」
こんな関係もいつまで続くのだろうか、そう朝灯がぼんやり考えていると、多くなってきた生徒の人ごみの中でひなたを見つける。
「おは――」
よう、と続けようとして、朝灯は硬直する。この状況でひなたに挨拶しようものなら隣の獣が今にもひなたに飛び掛るような気がしたからだ。
「――ぐろ」
「マニアックだなぁ、朝灯が望むのならしてもいいけど」
ひなたは朝灯を見て、瞬間湯沸かし器のように頬を染め、同時に繋がれた手を見て複雑そうな顔をする。弐々村兄妹のクラスでは見慣れている光景だが、今からの関係で意味合いが違ってくる。
『これは、違います、家族の、スキンシップです』
朝灯はパクパクと口パクとジェスチャーで必死にひなたにそれを伝える、ひなたは苦笑して。
『分かっています、大変ですね』
と口パクでそれを伝える。なんだか朝灯はその以心伝心が嬉しくて微笑んだ。
「朝灯、面白い事でもあった?」
獣――一夜がひなたに視線を向けそうになる。朝灯は一夜の頬を両手でがっしりとホールドした。
「……やだ、こんな朝から、公衆の面前で……」
だー、とだらしなく一夜の口から涎が滴る。朝灯が絡むと途端にポンコツになる一夜だった。
「今日も可愛いよ、一夜」
素早くハンカチで涎を拭き取り、朝灯は神妙な顔で通学路を歩む。危なくひなたが捕捉されるところだった。
「えー、それだけ、ねぇねぇ」
一夜は朝灯からのじゃれ合いに機嫌を良くしたのか、ニコニコと繋がれた手を振る。朝灯はそれを可愛いと分かっているのだが、何となくひなたの顔が浮かんでちくりと胸が痛んだ。
朝灯、一夜、ひなたは三人とも同じクラスである。血縁関係にある生徒はなるべく同じクラスにならないように調整されるのが通例だが、一夜がどうやら上手く教師陣に取り入ったらしい。
その時朝灯は一夜の口から『世の中の三割はコネでどうにかなる』と怖い事を言われた事を覚えている。
教室に入り朝のホームルームが終わった所で、朝灯は英語の日本語訳の課題を終えていない事に気付いた。教科書を取り出し、課題を片付けにかかる。
「あっれー? 珍しいな。朝灯が課題やってないとか」
「いやおい、当然のようにノートを持ってこられても困るんだが」
野郎友達のヤナが朝灯の机に椅子でジョイントしてきた。真っ白なノートが清々しい。
「まぁ夏はムラムラするもんな、夏だし」
「人を盛った猿のように言わないでくれるか」
「オカズは? オカズは?」
朝灯はとりあえずシャーペンの芯ショットガンを炸裂させた。ヤナは怯むが気にしていない様子。
「やっぱあれだけ綺麗だから一夜ちゃん? よくリアル妹には欲情しないと言うけどさ、あれって嘘なんだろ? ギンギンなんだろ?」
「課題が進みやしねぇ!!」
三人でぎゃんぎゃん騒いでいると、自然と教室にいた生徒が朝灯をからかい始める。女子生徒まで揃って朝灯をからかっていた。
「弐々村は節操が無いなぁ、そういやお前昨日も女の子を口説こうとしてたんだって?」
「また?」
「あさひっち絶倫すなぁ」
「こいつどんだけ手を出すんだよ」
「爆発しろ」
「これで何人目だよ」
「爆発しろ」
「そこんとこどうなんですか一夜さん」
「イオ○ズン」
進みやしない課題に頭を悩ませながら、いつのまにか形成された人の輪に向かって朝灯は吼える。
「うるせぇうるせぇ、話しかけて何が悪いんだよ、友達は多いほうがいいだろ!」
「朝灯、お前ってやつぁ」
「キャーあさひっち抱いてー!!」
バカにされているのだか、愛されているのだか。朝灯はからかわれながらも心地良い居場所を確かに感じていた。ふと朝灯は窓際で文庫本を読むひなたを見るが、黙々と一人の世界に浸っているようだった。複雑な気分になったが、朝灯は彼女の世界を尊重しようと思った。
◆
それから朝灯は一夜がひなたに何かしないかとヒヤヒヤしていたが、じっと見ているだけで接触はしようとしなかった。
そして放課後、朝灯は難関に立ち向かう。
「一夜、先に帰っておいてくれない?」
「どうして? 何か用事があるのなら、いくらでも一緒に待つけど」
朝灯はひなたと一緒に儀式を行う為に、一夜と離れる必要がある。
「どうしても……どうしてもビーフストロガノフが食べたいんだ……一夜が作ったビーフストロガノフが食べたい」
朝灯は凄まじく手間のかかる料理をねだり、時間を稼ぐ作戦を遂行する。
「季節感をまるで無視したメニューだね、暑い日に熱い食べ物を食べたくなるのは分かるけど」
「一夜の洋風の煮込み料理は大好きだよ、ケーキも買って帰るからさ」
「……昨日の今日で、ちょっと怪しいね」
「一夜が作った料理が食べたい、一夜じゃなきゃ駄目」
「……もう、しょうがないなぁ」
朝灯の一夜との交渉に使える最強のカードである『自分の為に何かしろ』。複数回使えば流石に疑われるが、朝灯は久しぶりに使った為、効果は抜群だった。一夜は笑顔が止まらない様子で教室から出て行く。
「本当に弐々村くんの事が好きなんですね」
一夜が教室を出て行ったのを確認して、ひなたが小声で朝灯に話しかける。眼鏡をかけているのでまた地味な外見だった。
「ごめんな、厄介なやつで」
「そうですか? 綺麗でスタイルも良くて頭も良くて、すごいなって思います」
「そう見えるんだろうなぁ、家でのあいつを見てないと……さ、先輩を待たせちゃ悪い、行こうか」
「は、はい」
照れて小さくなったひなたを連れて、三年生の学び舎の空き教室へと向かう。
「本当に俺が相手でいいのかな、嫌だったらすぐ言ってくれよ」
「嫌がったら私、死んじゃいます」
珍しくひなたが冗談を言う、朝灯は気を使わせているな、と思う。
「俺はひょっとして恩を売って明星にひどいことをしてるんじゃ」
「と、とんでもないですよ! 命を助けてもらった上にこんなに図々しい事をお願いするなんて……」
「命を助けてもらったのはお互い様なんだけどなぁ」
意識的に冗談を言い合う朝灯とひなた。これからする精神の回復への照れ隠しだった。
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