第15話『答えを聞かせて、ひなた』
虹雪学園に着いたのは夕陽が沈む直前だった、慌てて駆けつけた式姫と合流し、急いで屋上へと向かう。途中で何人も先生とすれ違ったが、何故か何の言葉もかけられず、険しい顔をするだけだった。
「私と一緒にいれば、声をかけられる心配は無い。姿を消す訳じゃないけど『話しかけたくない』風に誘導する事はできる」
そういう式姫は、ひなたを生き返らせた時のとんがり帽子を被っていた。あの時もその応用だったのだろうか、今はそんな事はどうでもいい、朝灯は屋上に向かって駆け上がる。
勢い良く屋上への扉を開ける。
朝灯が屋上に出ると、一人の女の子がそこに佇んでいた。それはとても絵になる光景で、朝灯は目が覚めたように目を開く。
「ひなたっ!!」
朝灯は思い切って声をかける。あの時の、初めて出会った状況とあまりに酷似している。
「え、あ……朝灯くん」
ひなたは振り返り、朝灯を見る。いや、似てなんかいるもんか。自分のひなたとの間には、積み重ねてきた時間がある。
誰もいない教室で、笑い合いながら野球拳をした。
式姫と朝灯とひなたで、童心に返ったように海で遊んだ。
ラブホテルで無理しながらも触れ合って、朝まで話が弾んだ。
言葉にすると笑ってしまいそうで、すごく下品な事かもしれない。けれど、そうして触れ合って、距離を縮めて、今ここに立っているんだ。
誰にも文句は言わせない、それが弐々村朝灯と明星ひなたの胸を張れる恋路なのだから。
「俺はひなたに伝えなきゃいけない事があるんだ」
放っておけば消えてしまいそうで、存在が希薄に見えてしまうひなた。けれど朝灯の目には確かに見えていたし、消えるはずもなく鮮烈にそこにひなたは在った。
「ごめん、なさい」
「謝らなくてもいい」
「私にそんな資格なんて無いです」
「人と人の間に、資格なんてあるもんか」
ひなたは一緒にやってきた一夜の姿を見て身を竦ませる。けれど朝灯は一夜がここにいるべきだと思っていた。
「私は、私なんて」
「みんな、なかなか自分の事を好きになんてなれないよ。だからひなただけがそうやって自分を責めなくたっていい」
ああ、自分は何を言っているのだろうか。遠回しに考えを述べていてもひなたには届かない。
ひなたの心に届ける為には、一番大切なのは弐々村朝灯が何を想い、明星ひなたに何を伝えるか、それだけだった。
だから言わなければならない。目の前のひなたは一夜みたいな以心伝心じゃ伝わらない。想いは言葉にしないと伝わらない――だからこそ俺も手を伸ばすんだ、愛しいから。
「俺は、ひなたの事が、好きなんだっ!!」
「う、そ……です」
ひなたの瞳に僅かに熱が灯る。それが引き金だったのだろうか、ひなた足元がぐらついたように危うくなり、倒れそうになる。
ぐらりと揺れる。
朝灯は目の前の悪夢のような光景を思い出す。今自分は屋上の地面にしっかりと立っているが、今度は違う、ひなたが、いまだ修理が行われていないフェンスに……まるで導かれるように、偶然といえばあまりに残酷に手の支えを求めた。当然のようにフェンスは倒れていく。
倒れていく。
朝灯は迷わずに駆け出す、絶対に間に合わせる為に、駆け出す。
『私なんかで弐々村くんの代わりになれたのなら、私も嬉しい、です……』
違う、ひなた。ふざけるな、代わりになんてなれるはずがない。
世界中でたった一人のひなたを求めたのだから。
だから朝灯は、代わりになろうなんて思わない。一緒に駆け出した式姫と、一夜という世界で一番の味方が隣にいるから。
手を伸ばす、朝灯。
それを支える一夜、式姫。
「手を伸ばせ! ひなたっ!!」
ひなたの瞳にようやく光が灯る。ひなたは朝灯の伸ばされた手を取った。
ろくに身体を支えていない状態での無謀な救助――なんかじゃない。フェンスだけが屋上から落下していき、ひなたはぐっと朝灯に引き寄せられる。
二人はお互いの名前を呼び、抱きしめ合う。同時に一夜と式姫が思い切り屋上に引っ張り、四人で屋上の地面に転がった。
誰も代わりになんてならない、そんなことはさせない。自分を犠牲にするのは尊い事かもしれないけど、一番いいのはみんなでちゃんと生きる事に決まってる。朝灯はいつかのひなたの悲しい微笑みに対して、強く強くそう思った。
「はぁっ……はぁっ……ひな、た、ひなた、大丈夫かっ……!? 怪我は、無いか……」
「はい、あの……迷惑かけて、ごめんなさい……」
ひなたはすぐに朝灯の腕の中から離れる。それは極度に、他人との接触を恐れているように見える。
「ふぅっ……ま、なんとか、間に合ったみたいね。危なかったけど」
式姫が腰を抜かして、いつもの調子を取り戻したように呟く、一夜も珍しく息を切らしてぺたんと屋上に座っていた。
「でも朝灯君、救えたのは肉体だから、心はまだ暗いまま。だから屋上に残された術に引かれたの――分かるよね、私の言いたい事」
ああ、と朝灯は力強くひなたの前に座る。ひなたは俯いたまま、びくりと身体を跳ねさせる。
「……一夜も、聞いていて欲しい。二人に伝えたい事だから」
一夜も座ったまま静かに頷いた。夕暮れの沈む太陽が海面に触れ、屋上にいる四人を照らす。
「ひなた、聞いてくれる? これは俺からの告白でひなたに伝えたい事なんだ」
「ごめんなさい」
ひなたはそれしか言えなくなったかのように、ごめんなさいを繰り返す。けれど瞳だけは、小さな光がすこしだけ宿っている。朝灯は真っ直ぐ見つめ、臆病なひなたと目を合わせる。
「俺はひなたの事が好きなんだ」
ぽろぽろ、とひなたの瞳から涙が零れる、表情は変わっていないのに涙だけが流れる。
「……嬉しい、です。けれど、私は……私は、朝灯くんと一緒にいる資格なんて無いんです」
ごめんなさい、の呪縛から離れたひなたは、それでもまだ拒絶するように言葉を紡ぐ。
「一夜さんの言う通り、私は、自分が満たされたいだけなんです。私から、朝灯くんに何かをしてあげられたことなんて一度も無いんです。ただ甘えるだけで、自分から、一歩を踏み出す事なんて、一度も無かったんです」
感情が宿る、心が降り積もる、ひなたは言葉に感情をのせ心の温度を上げていく。
「ずっとずっと、朝灯くんに憧れていて、自分に無いものを全て持っていて、尊敬していて、そんな朝灯くんと一緒にいられたら、壁の向こうの、朝灯くんと一緒にいられたら……自分も凄く、価値のあるような、そんな存在になれるんじゃないかって……」
表情が戻り、思考が戻り、一番大切な感情が戻る。
「朝灯くんを好きでいる私が、何よりも嬉しくて。朝灯くんが振り向いてくれる私が、すごく満たされていくのが分かって……っ!!」
ひなたは必死に、必死で人に何かを伝えようと言葉を紡ぐ。
「でも、本当の私は、ちっぽけで、何も知らないのに、人を選べる立場に無いのに、いつもいつも人を避けて、誰かを嫌うような小さくてどうしようもない私だったから……!! 朝灯くんと一緒にいる資格なんてないですよ! それなら単に、朝灯くんに依存しているだけじゃないですか……ただ、自分の為じゃないですか……」
「そっか、ひなたはそんな風に考えてたんだ」
朝灯は穏やかな声色でひなたに答える。ひなたは言葉を伝え終えると、もうすでに生に溢れる瞳をしていた。
「分からないから、伝えたいと想うから、自分の気持ちを知って欲しいから。その為に俺にこうやって気持ちをぶつけてくれるのはさ、凄い事だよ。ひなたは小さくなんてないよ」
何にも言わずに伝え合うなんて出来るのは、それこそ朝灯と一夜みたいな関係じゃないとできない。
「誰かと繋がろうとする事、誰かと温め合おうって思うのは……死ぬ事の反対側にあるんじゃないのかなってさ、先輩が言ってたじゃん。だからひなたは精一杯進もうとしているんだ」
式姫が微笑み、朝灯の肩を優しく叩く。
「だから俺が保証する、ひなたは小さくなんて無い。立派に誰かと逃げずに繋がろうとしている。それって結構難しい事で、できないやつだってたくさんいるんだ」
朝灯はそこで少しの間黙り、しっかりと言葉を探す、見守る一夜の顔を見て、その言葉を探し当てる。
「……うん、そうだ、ひなたと一夜に一番言いたかった事があったんだよ。それをまず言わなきゃな」
それは近過ぎる双子に向けた言葉。
それは臆病で可愛らしい、自分が好きな女の子へ向けた言葉。
「自分が満たされたいだけって、それでいいじゃん」
ただの開き直りで、あまり上手い答えじゃないのかもしれないけど。
「きっとみんな、弱くてちっぽけで、それでも毎日過ごさなきゃならないんだ。だから少しぐらい自分勝手でもいいんだと思う」
笑ってしまいそうになるぐらい未熟で、情けないけど。
「自分が幸せになる為に、誰かに寄りかかってもいいんじゃないかな?」
それが朝灯の、自分なりの答えだった。
「自分の為に誰かを好きになって、自分の為に誰かを守ったり愛したりする。無償の愛なんて俺達にはまだ難しいからさ、きっとそれでいいんじゃないかな」
許す事、認める事、それはちっぽけな自分を認めるという事。それらはとても痛みを伴う。一夜とひなたみたいに純粋で意地っ張りな奴は、それが中々できなかったんだと思う。
「それじゃもう一度告白する。ひなた、俺は俺が幸せになりたいから、満たされたいから、ひなたの事が好きだよ」
回りくどくて、めんどくさくて、それでもひなたの気持ちをきちんと受け止めた朝灯の告白が紡がれる。
一夜は朝灯の言葉を受けて、目を真っ赤にして涙を堪えていた。おそらくひなたの前で泣きたくは無いのだろう。
式姫は青臭いなぁ、と口悪く言っていたが、満面の笑みで朝灯の答えを祝福してくれていた。
「答えを聞かせて、ひなた」
ひなたはすでに朝灯の告白に頬を赤らめるぐらいに回復している。繋がり、伝えたいという願い。純情とはまた別の源泉に近い感情で心が潤っていた。
それは当たり前で、誰の心にも宿りえる感情。
「私、私はちっぽけで、ずるくて、すぐ逃げて……嫌な所たくさんあって、自分の事しか、考えられないような女の子だけど……」
「好きだよ、俺は」
「――あ、うぅっ……私は、ずっと、ずっと前から、それで、多分、いや絶対、この先もずっと、ずっと……」
朝灯がずっと待っていた言葉の続き。それがようやく、ひなたの口から紡がれる。
「朝灯くんの事が、大好きです」
朝灯は待ちかねたその言葉を聞いた瞬間、ひなたの両肩に優しく手を置いた。
目と目で合図して、ひなたの瞳に一点の濁りも無い事を朝灯は確認する。
「んっ……」
唇と唇で触れる。痺れたように朝灯の全身に幸せが流れ込んだ。自分がこんなに幸せなのだから、ひなたもそうであればいいなぁと朝灯は思う。
柔らかな唇は甘く、幸せで心地がいい。目の奥や身体がカッと熱くなるのを感じて、甘美なその感触から逃れられなくなる。
高らかにひなたの携帯から音が鳴るものの、二人はその感触から離れようとはしなかった。
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