第10話『ホテルってこんなに安いんですね、休憩と宿泊ってどう違うんですか?』
週明けの月曜日、授業を終えた朝灯は大きく背中を伸ばす。いつもとは違う雰囲気に身体が硬くなっていた。一夜の様子がおかしいのだ。騙してビーフストロガノフを作らせたあの夜からずっとおかしい。
「朝灯、じゃあボクは帰るから」
朝灯の返事も聞かずに一夜は先に帰ってしまう、これだけ長い間一夜が自分と距離をおいているのも珍しい。
「朝灯くん、行きましょう」
ひなたは朝灯ににこやかに声をかける。教室でも眼鏡を外しており、今朝は随分と騒がれていた。
「あっさひーん、ばいばいー……なぁ、明星と付き合ってんの?」
ヤナが冷やかすように朝灯に話しかける、こいつはある意味ブレないなあ、と朝灯は安心するように冗談で返す。
「すでに籍を入れた」
「マジか!? すげぇな、あれ? じゃあマジで一夜ちゃんもらっていい?」
「ヤナじゃあ返り討ちにあうんじゃないかな」
「確かに攻略難度は高そうだもんなぁ、うーむ……なぁなぁ明星、朝灯から乗り換える気はない?」
「えぇっ!? あ、お気持ちは嬉しいのですけれど、わわた、私はもう……じゃ、じゃなくてそんな、私が朝灯くんと付き合っているだなんて」
「下の名前で呼んでいる、だと……!?」
ああもううるさいどっかいけ、と朝灯はヤナのケツを軽く蹴り飛ばした。アッ――と定型文のようにヤナは喘ぎ、楽しそうに手を振って帰っていった。
「あ、あの、ごめんなさい、その誤解されるような事を」
「別に誤解されても困るような事じゃないさ。俺はそういう風に冷やかされてもいいぞ」
ひなたは慌てて、あわわそんな図々しい事をををっと言いながら机に腰をぶつける。痛そうな仕草がいちいち可愛らしかった。
「あさひっちばいばいー、明星さんもばいばい、ヨロシクやれさー」
「おーばいばい。ちなみにヨロシクって何」
「き、く、な、よ♪」
「俺のクラスはなんだ、発情期なのか」
ひなたも控えめに、けれど凄く一生懸命手を振って挨拶をしてくれた女子生徒に手を振り返す。少しずつひなたも人に慣れてきているようだ。別に朝灯は自分が何かしたとは思っておらず、ひなたに何か心境の変化があったのかな、と漠然と思うだけだった。
二人は教室を出て今日の儀式の為に歩き出す。
「そういえばひなた、お家の人からちゃんと外泊の許可は取れたの?」
「はい、父は最後まで渋っていたんですが、母が協力的になってくれて。外の空気を吸うことは何より大事だって言ってくれましたから」
朝灯はひなたの家が門限や遊びに対して厳しい事はなんとなく察していた。物腰や言葉遣いでひなたがいいとこのお嬢さんだというのは分かっていて、携帯で長めに話している場面を何度か見たことがあったからだ。そんなお嬢さんと、放課後とても人には言えない妖しい儀式をしているだなんて、朝灯はちょっとした罪悪感に苛まれた。
明日の火曜日は創立記念日によりお休み、多くの生徒は平日にぽっかり空いた休日を友人とともに過ごすようだった。確かに交通機関や娯楽施設は比較的に空いているだろうし、遊びやすい日であるといえる。
昨日二人が受信した式姫からのメールには『必要なもの、外泊許可、私服、着替え、恥じらい』という大雑把な指定と集合場所が書かれており、詳しい儀式の内容は書かれていなかった。とりあえず二人は必要なものを持ち、虹雪学園から出て集合場所に向かう。
「っと、そういえば集合場所に着く前に着替えてこいって言われてたっけ」
「確かに昨日と違って補導される可能性もありますからね」
割と物騒な事を言っているはずのひなただが、結構楽しそうであった。このような経験はあまりないのだろう。
二人はトイレを見つけ着替えることにした、補導されるような悪い事は滅多にしない朝灯だったが、ちょっとワクワクしてくる。着替えを終えてトイレを出て、しばらくすると私服姿のひなたが現れる。
思わず朝灯は頬を緩めた。制服姿とはかなり印象が違って見えたのだ。淡い色彩のTシャツは普通であるが、ひなたの豊かな胸で強調されているし、制服よりやや短めのスカートは太股をちらちらと色気たっぷりに魅せていた。
「お洒落さん! あー俺ももっときちんとした格好をしてくればよかった」
朝灯はさりげなく予防線を張った。もちろん物凄く気合を入れて手持ちの服から選抜して選んできたのだ、昨夜の私服王決定戦は非常に熱い戦いだった。
「朝灯くんもかっこいいですよ、いっつも制服だから……あの、すごく」
朝灯はそう言われてもう飛び立ちそうな感情に襲われる。それをぐっと抑えてありがとう、とクールに囁き、集合場所である繁華街に向かった。
◆
「なんだかちょっと変な雰囲気ですねー」
「ご丁寧に地図まで添付されてるからな。間違いないだろう」
二人は虹雪市の繁華街を進む、最初は賑やかな町並みを私服姿のひなたと歩んで楽しかったが、そのうち何やら妖しい通りに入ると朝灯は黙り込むしかなかった。
『いたずら子猫』『どどんこプリンセス』『おしえてムーンナイト』『ちちくり部屋』などとふざけたネーミングセンスのホテルが立ち並ぶ区画に入っていってしまうのだ。集合場所はどう考えてもその中心点に位置している。
「ホテルってこんなに安いんですね、休憩と宿泊ってどう違うんですか?」
「……どうなんだろう、早いか遅いかの違いなんだろうか」
「何がですか?」
「なんでもないなんでもない! 全然なんでもない! すごくなんでもない!」
ひなたはこういったホテルの使い道を知らないようだった。朝灯も実際に使ったことがあるはずもなく、なんだかすごくいけない事をしている気分になる。
「外観がすごくユニークですね。全然町並みに溶け込んでません」
「デスヨネー」
祈るように繁華街を進み、ようやく朝灯は式姫を見つけた。何やら大きなバッグを抱えている。見つけた瞬間にぶっ飛ばしてやろうかと思った。
「先輩いったいぜんたいどういうつもりでこんな場所に!」
「やん、一人で待ってるのは寂しかったわん」
「こ、この……いくら先輩でもここまで変態だとは思いませんでしたよ! この鬼畜!」
「何を怒っているんですか? 先輩今日もよろしくお願いします」
ひなたは状況が飲み込めていない、朝灯はとりあえず知り合いに見られたら大変な事になるので、とっとと立ち去りたかった。
「本日の儀式はこのラブホテルで行う。んふふ、地下室でも良かったけどそれじゃああんまり雰囲気がでないしね」
「わーっ! わーっ!」
式姫がとんでも無いことを口走るので、慌てて朝灯は式姫に詰め寄る。
「今まで散々遠まわしにエロいことやってきたというのに! いきなりここにきてなんでド直球のエロに走るんですか!?」
「いやいや、最後まではやらんさ。それどころかおままごとのようなもの。っていうか最後までやるんなら私の知らない所でやってくんない?」
ひなたは蚊帳の外の状況が気に入らないのか、ぐっと朝灯の腕を抱き式姫から引き離す。
「……なんですか、もう」
「え、あ、ひなた?」
「うひょーアツいアツい。これならもう私がいなくなってもすぐに純情溜まっちゃうかもね」
朝灯は抱かれた腕に柔らかい二つの果実がふにょんと押し付けられる感触に翻弄されていた。お父さんお母さん、自分はもうっ……。
「……あーあ、だらしない顔しちゃって、こりゃー一夜ちゃんも大変だわ。私もずいぶん恨まれることをしちゃったかな」
式姫は何かを思い出し、これみよがしに溜息をついた。
「あぅっ……ハァフっ……せ、先輩、一夜が何か……?」
「なんもねーよ、ばぁか」
◆
『おしえてムーンナイト』に三人連れ立って入る。朝灯は内心ヒヤヒヤしたし、心臓が口から出そうな気分だった。式姫は手慣れた様子で何やら部屋の表示されたパネルのボタンを押す。
「先輩、ここで平気な顔をされるとすごく引くんですが」
「日本のラブホテルって珍しがられるのよ。よく結社の女の子と宴会したりする時に使うの、ここのホテルは私の同僚が経営してるからあんまり固くならなくていいわよ?」
式姫は受付でちーっす、と気軽に挨拶だけする。会計はいらないようだ。朝灯はいよいよ式姫の人間関係が分からなくなった。
「私達の他の人はあんまりいませんね、平日だからでしょうか」
「そうなんじゃないかなー」
朝灯はそう薄っぺらく返事する。ひなたは楽しそうにホテルのラウンジを眺めていた。いまだこの施設の使用目的が分かっていないようだった。人と会いにくいように設計されている事など知らないだろう。
エレベーターに乗り、三人は部屋に向かう。式姫がいなければとっくに朝灯は逃げ出していた。まさか自分が、こんな可愛い女の子と連れ立ってこのようないやらしい施設に来ようとは全く思わなかった。
「わぁっ……すごい、可愛いっ!」
部屋に入るとひなたが歓声をあげる。天井には明るいステンドグラス風のカラフルなガラスがはめ込まれており、壁はきらきらとしたピンク色だった。
「どっせーいっ!」
式姫は野太い声をあげて柔らかく丸いベッドにダイブする。着地時の衝撃でぽよーんと垂直に飛び跳ね、楽しそうにケタケタと笑った。
「回……転っ!」
すぐに枕元のスイッチを押すと、ウゥイ~ン、という間抜けな音とともに丸いベッドが回転しだす。朝灯は頭が痛くなった。全体的に桃色の内装はいかにも頭が悪そうであり、使用目的を考えれば正しいのだが、朝灯は照れて動く事ができない。
「ま、まったく合わせ鏡があるじゃないか、風水的には最悪なんだろうな、この部屋」
「安心して、このホテルはマジックミラーも監視カメラも無いから」
「当たり前だ!」
「うわぁ、見てください、お風呂もすっごく可愛いですよ」
朝灯はひなたが何か致命的なものを見つけてしまわないか、とヒヤヒヤしながら風呂に向かう。ひなたの言う通りに可愛らしい小物がたくさんあり、大きな風呂がそこにあった。
「なんだか変わったイスですね」
「スケベイッ……!?」
これは、噂には聞いた事があるスケベイス……!! うぉおおおお、なんか生でみると生々し過ぎてすごく引いてしまうっ……!? 朝灯はもう先程からいっぱいっぱいになっていた。
「スケベイスあるじゃん」
「さも平然のようにズバリ言わないでくださいよ!?」
式姫が笑顔を浮かべスケベイスに座る、挑発的に朝灯を見つめるが、ただただ朝灯は引くばかりだった。
「ノリ悪いやっちゃなー」
「ここで俺が急激にテンション上がったら収集つかなくなるじゃないですか」
朝灯は大きく溜息をつく、ひなたの私服姿を見た時は普通にデートみたいでそれなりにワクワクしたというのに、蓋をあけてみたら式姫のセクハラ無双だったのだ。
「で、今日は何をするんで――」
朝灯が腹をくくってそう本題に取り掛かろうとした瞬間、ベッドのある部屋から物凄い音量で嬌声が聞こえてきた。
『や、は、っ! っ! あっ! んっ! らっ! めぇっ! もうっ私、わたしぃっっ!』
「ひなたちゃんが一人でおっぱじめた!?」
「ちげぇよ! どう考えてもテレビつけちゃっただけだろ! 多分!」
慌てて朝灯と式姫はベッドのある部屋に向かう、するとそこには。
『んあ、ひゃあっ……もう、もう、だめ……壊れちゃうっ、私、壊れちゃうからぁっ』
クライマックスを迎えるセクシー女優様のファイナルラッシュの映像。それを凝視するひなたがベッドの上で真っ赤になりながらフリーズしている姿があった。
「ストップ! みちゃダメ! えんがちょ! えんがちょーっ!」
朝灯は急いでTVの電源を落とす。きっと前の客がイタズラに音量を上げていったのだろう。
「あ、う、え、あ……の、これ、これってあの、あのう……っ」
過去最大級に混乱した様子でひなたが朝灯を見る、その瞳は信じられないものを見た、と言わんばかりだった。
「ふふ、リアクションがいまいちだったねひなたちゃん。けれどやっぱりこのままだったら楽しくないものね、それなら言わなくちゃあいけないでしょうっ」
「やめろ先輩、それ以上はっ」
「このラブホテルっていう施設はね、先程ごらんになったような事をする為の施設なのよっ!」
ひなたは口をパクパクさせてその宣言を聞く。
「いくらなんでもさっきの行為が分からんというカマトトは通じない! ひなたちゃんは読書家、つまりそういうシーンはいくらでも目にしてきたはず! 昔のほうがその辺の表現がは過激だったからね、ようするにひなたちゃんはむっつりスケベなのだよ!」
「読書家をあんたは何だと思ってるんだ!」
「読書っ子はたいがい淫乱なんだよ!」
「テメェいい加減にしろよ!!」
ひなたは深呼吸し、胸を押さえる。流石にこの状況を理解する。
「でも、その、そんな……朝灯くんが嫌がるんじゃ、私なんかじゃ」
「ひなた、いやまて落ち着け、常識的に考えろ。何の為に今までそれ以外の方法で純情を集めてきたんだよ。きっと式姫先輩が今回もちゃんとした儀式を」
「今日はSMに励もうと思います!」
「あ、駄目だこいつ」
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