第3話『動きはじめた三日目』
翌日。
この日は曇り空だった。
沙月は昨日に引き続き学校に登校した。
昼休憩の時間。
観鈴と沙月は、校舎の屋上にあるベンチで昼食を食べていた。
「観鈴のお弁当、随分と緑が濃いね。」
持参してきた弁当を並んで食しながら、沙月は観鈴の弁当の中身を覗き込んだ。
「うん。私、基本野菜類しか食べられないから。」
箸を動かしながら観鈴はそう答えつつ、同じように沙月の弁当の中身を見た。沙月の方も、随分と野菜類が多かった。
「沙月も野菜好きなの?」
「うー、まあまあね。」
沙月は満更そうでもないような表情をした。
「身体の事もあるから、暫くは健康に負担のない食事をした方がいいからね。」
「…身体の事ねえ…。」
なら、好きな物を食べた方が良いと思うけどと思いつつ、観鈴はパクパクと箸を進めていた。
「ご馳走様でした。」
十分後、二人は弁当を食べ終えた。
時計を見ると授業までまだ時間があった。二人は此処でもう少し時間を過ごすことにした。
「沙月、」
水筒の水を飲みながら、観鈴は沙月に話しかけた。
「川辺で会ってから半月位経ったけど、随分明るくなったね。」
「そうかな。」
「クラスにいる時とか、誰とも話したりはしないけど。」
「そう?さっき廊下で生徒の誰かと話しているのを見たけど?」
観鈴の言葉に、沙月は少し顔を俯けた。
「ああ、あの子はD組の生徒でね、一年生の時私と唯一親しかった子なの。…私が病気になってからは疎遠になっちゃって、今日久しぶり会ったんだけど、…何か前と違ってたの…。」
「そうなんだ…。」
観鈴はちょっと可哀想に思った。
本来、沙月の性格からして友達も出来やすいタイプな筈。
でも長期間休んだせいで、沙月は親しい人達と距離が出来てしまい、言い知れない孤独感に苦しんでいるのだと。
「…大変なんだね。」
観鈴はリボンに触れ、ポツリとそう言った。
その後午後の授業の時間も過ぎ、やがて放課後となった。
朝也はこの後所用がある為一足先に帰ってたので、観鈴と沙月の二人で下校した。
「なんとか、今日も無事に学校で過ごせたね。」
下校路を歩きながら、沙月はほっとした表情を浮かべていた。
入学式以降、学校へ登校し始めて今日で三日目。
身体への不安やクラス内での過ごし辛さもあるが、それでも少しづつ回復していることが嬉しそうだ。
やがて、いつもの川辺に着いた。
「今日も綺麗だね…。」
川の流れとせせらぎを前に、沙月は膝を抱え川辺に座っていた。
「そうだね。」
その隣で観鈴は膝を崩して座り、手に一輪の花草を弄んでいた。
いつ見てもこの川は美しい。
淀みも穢れも全くない、大自然そのものの川。特にそのせせらぎが、夢のように心を癒してくれる。
「…沙月。」
川の流れを見つめながら、観鈴は何気なく口を開いた。
「昨日始めて会ったけど、あなたのお姉さん、すごくいい人だね。」
「玖実さん?」
「うん。いかにもお姉さんって感じだった。沙月との姉妹仲も凄く良さそうだし、羨ましいなー。」
口元に、くるくると花を回していた。
「…。」
姉のことを褒められ、沙月はちょっとだけ笑った。
「…結構衝突するけどね。」
「衝突?喧嘩ってこと?」
「実際言うと、そんなに姉妹仲も良くないよ。」
「…えー。」
観鈴は驚いた表情で手を止めた。
沙月はそれきり何も言わず、黙念と川の流れを見つめていた。
その後日が暮れる頃に、二人は別れた。
(…姉妹仲、良くないんだ…)
沙月と別れ自宅への道を歩きながら、観鈴は意外の念を胸に思っていた。…沙月も玖実さんも、とても感情が昂ぶる様子が想像出来ないのに。
「…へーんなの。」
そう夕空に呟きながら、うーんと背伸びした。
そういえば最初から気になっていたが、沙月はずっと玖実のことを姉と呼ばず“さん”付けで呼んでいる。
(…へんなの…)
それは別段珍しいことでもないし、嫌悪感とかそんなニュアンスもないのだが、聞いててどこかつっかかるのだ。
…明日、そのこと尋ねてみよっかな…。
観鈴はそう思った。
*****
その日の夜。
この日所用の為、観鈴・沙月らとは下校しなかった朝也だが、彼はその帰り道に、偶然玖実と会った。
玖実は朝也と話がしたいらしく、近くの公園、桜木公園に誘った。
朝也も少し気にかかることがあったので、良い機会だと思い承諾した。
園内の遊歩道にあるベンチに座ると、玖実は自販機で買った缶珈琲を手渡した。
「まだ夜は冷えますね。」
「…はい。」
朝也は軽く会釈し、それを開けてごくりと一口飲んだ。
玖実も両手で缶を包み、ほっと一息飲んだ。
園内は所々にある蛍光灯が薄白い灯りを落とすのみで、しんとした夜闇に包まれていた。
勿論玖実と朝也以外誰もいなかった。
最近は夕刻頃までちづる・カオリや学校帰りの隆志達が此処にいることが多いと学校で聞いた。
流石に夜にはもういないか。
そんなことを朝也が考えていると、
「あの、」
玖実が口を開いた。
「沙月のことですが…、学校での様子はどうなんでしょうか?」
「あー、小野坂…沙月さんは、…今んとこ大丈夫そうですよ。クラスの連中とはまだ馴染めないようだけど、休憩中は神崎と楽しそうに過ごしてますし、あと一年の時の知り合いもいるようですから。」
「身体が辛そうな時はありませんか?」
「ないです。かなり元気ですよ。会った当初と比べて顔色もかなり良くなってますから。…それより、沙月さん、家ではどんな感じなんですか?」
質問に答えつつ、少し気にかかっていたことを朝也は尋ねた。
「…沙月は、家では一人で居る時が多いですね。」
玖実は缶珈琲を膝に抱え、やや重たい口調で答えた。
「アニメ観たりとか、絵を描いたりすることが好きなんです。」
「はー…。じゃあ、玖実さんとはどんな感じで接しているんですか?」
歯切れ悪そうな返答に、朝也はやや直球気味に尋ね返した。
「…まあまあです。」
玖実は曖昧に答えた。
その返答を聞き、朝也は内心察した。昨日小野坂宅で感じた、二人の間の違和感。
(…なんか、妙な溝があるな…)と。
そう察しはしたものの、
「…そうですか。」
朝也はそれ以上は尋ねなかった。
親友とはいえ、その家族関係にまで踏み込むのは良くないと思ったからだ。
と、その朝也の思考を感じたのか、玖実が再び口を開いた。
「…実は、私と沙月は、あまり良い関係ではないのです…。」
重たく口にした玖実のその言葉を聞き、まさか彼女の方から言うとは思わなかった朝也はやや驚いた。
「…やっぱりですか。薄々感じちゃいましたが…。」
「神崎さんも、分かっておられましたか?」
「いえ、あいつはそういうのは鈍いんで。…ただ、これを渡された時には流石に妙な感じを受けたようですが。」
答えながら、朝也は昨晩渡された合鍵を鞄から取り出した。
「…。」
それを見て、玖実は重たく吐息した。
ずっしりと、朝也にもその重さが肌にきた程だった。
「…大丈夫ですか?」
思わず声をかけると、玖実は薄く微笑し、
「…もう、私にはどうすれば良いのか…。」
手を額に当てて、どうしようもない諦めのような思いと責念がこもった呟きを洩らした。
「…小野坂との間に、何があったんですか…。」
聞こうとは思っていなかったが、想像以上の玖実の反応を目の当たりに、聞かずにはいられなかった。朝也は真剣な眼差しで、玖実を見つめた。
「…ええ。」
玖実は頷き、再び口を開いた。
「…私と沙月の間にある深い溝…。それは、ずっと以前から始まりました。」
「ずっと以前から、ですか。」
「はい、まだ沙月が生後間もない時からです。」
「…は?」
その台詞は聞き間違いかと朝也は思った。
が、
「それは、十六年前の出来事です。」
玖実は、目を伏せつつ静かに語りだした。