序章篇最終話『香る春風、それは始まりの花奏』
四月初め。
桜が鮮やかに咲き誇る中、御崎坂高校は新学期の始業式を迎えた。
始業式後、学年のクラス分けが発表された。
隆志はC組、朝也と伸太郎はE組だった。
新学期一日目終了後、親友三人は校舎玄関で待ち合わせ、校舎を出た。
「あーあ、ついてないな。」
桜の花びらが舞う校舎玄関~校門間の道を歩きながら、朝也が欠伸してぼやいた。
「ついてないって、何がだ?」
隆志の問いに、朝也は、
「またこいつと同じクラスなったからさ。」
顎で隣の伸太郎を指していった。
「‥‥。」
伸太郎は無言でふくれた。
「確かに。‥二年連続だもんな‥。」
笑いながら隆志は同情した。
「ああ、全くだ。」
すると伸太郎は朝也を指先でつつきながら、
「ツンデレは良くないよ朝也クン。」
からかうように言った。
朝也はその頭に抱えていた鞄を思いっきり叩き下ろした。
「ハハ…、そういえば、」
ぶっ叩かれた頭を痛そうにおさえている伸太郎を見ながら、隆志は思い出したように言った。
「ウチのクラス委員長、紗奈になった。」
「‥姉貴に?」
「ああ。」
「へー。新学期早々エンジン全開だね姉貴は。」
感心したように伸太郎は言った。
「まあ双子とはいえ、アホのお前と違って紗奈は次期生徒会長候補筆頭と噂される程成績優秀で人望も篤いからな。」
「うるさいなー。」
朝也の毒舌に伸太郎は苦笑した。
やがて三人は校門を出、下校路である県道沿いの桜並木道に入った。
桜の木々は見事な程満開に咲き誇っていて、風が吹くたび花びらが雪のように舞い散っていた。
「お前さ、今後ちづるちゃんとはどうすんの?」
桜並木道を歩きながら、伸太郎は隆志に尋ねた。
隆志は舞い落ちる花びらをひとつ手にとりながら答えた。
「ああ、あいつは自由にさせるつもりだ」
「自由?いいのか?」
「一応、毎日夕方に自分と公園で待ち合わせして帰ろうという約束はしている。」
隆志は指先で花びらを弾いた。
そしてまたひとつ花びらを手にとった。
「ま、最近あいつは、ほぼ毎日のように公園でカオリと一緒にいるようになったからな。仮に一人でどっか行ったとしても心配は要らないだろう。」
「ずいぶん信頼してるんだな。」
桜の木々を見上げながら朝也は言った。
隆志はふっと笑い、
「あいつ、雰囲気が年不相応な程年季があるように感じるからな。‥伸太郎は勿論、恐らく自分よりも性格は大人だろう。」
「ボクより、は余計だよ!」
伸太郎のツッコミを聞き、隆志はおかしそうに笑いながら手の花びらを吹いた。
花びらは隆志の手から離れ、地面に落ちている花びらの上に重なり落ちた。
******
その頃、二年C組の教室。
殆どの生徒達が帰りがらんとしている室内では、ストレートの長髪で背が高く、整った容貌に鋭いがやや幼さも漂う眼光をした一人の女子生徒‥伸太郎の双子の姉で、クラス委員長の関本紗奈が初業務であるクラス日誌をつけていた。
(…いよいよ、新学期が始まったか‥)
日誌をつけながら、紗奈は口もとを引き締めて思った。
紗奈は七月にある次期生徒会長選挙に立候補する事を決めていた。
クラス委員長になったのも選挙戦を見据えての事だった。
(…必ず、生徒会長になってみせる…)
日誌をつけ終えると、紗奈は立ち上がって窓の外を見た。
校門を出て行く生徒達を眺めながら、
(…私の為‥伸太郎の為にも、あいつらの為にも…)
心に誓うように思った。
******
また場は変わり、校門前。
一日目を終えた生徒達が次々と出て行く中、短めのショートヘアの髪型をした、癒しの雰囲気を感じさせる一人の女子生徒が、桜の花吹雪に吹かれながら門前で静かに立っていた。
どうやら、彼女は誰かを待っているようだった。
やがて、
「お待たせしました、美春さん。」
眼鏡をかけたやや暗い雰囲気の男子生徒が、無表情で女子生徒に駆け寄り声をかけた。
美春と呼ばれた女子生徒は、声をかけた男子生徒を見て、
「お待ちしてました、速人さん。」
にっこりと挨拶すると、一緒に校門を出た。
「新学期始まりましたね。」
桜並木道を並んで歩きながら、速人と呼ばれた男子生徒は無表情で言った。
「前学期とは違いクラスは別々になってしまいましたが、お互い頑張りましょう。」
「はい。」
二年C組・藤井美春はにっこりと頷いた。
その笑顔を横目で見ながら、二年D組・坂上速人は続けた。
「あと、例の『喫茶室』の件ですが、許可される事がほぼ決まったようです。」
「本当ですか。」
「ええ。恐らく今月中に生徒会から承認の報告が出るでしょう。」
速人がそう言った時、不意に強い風が吹き大量の桜の花びらが吹雪のように二人舞い散った。
「‥‥。」
速人は眼鏡を外し、眼を瞑りながら前髪や制服についた花びらを落とした。
美春も隣で体のあちこちについた花びらを丁寧に取りながら、ふと速人を見つめた。
眼鏡を外し前髪を上げて整えた速人の顔は、先程の彼とは別人のように美しかった。女子の美春よりも美しい、満月のような美しさがあった。
「速人さん、」
美春は速人の美しい顔を見ると、穏やかな口調で言った。
「やはりそちらの顔の方が、速人さんに相応しいのではないでしょうか?」
美春がそう言ったものの、速人は無言でせっせと前髪を下ろし度の入って無い眼鏡もかけ、元の暗い無表情に戻してから言った。
「この顔で良いのです。目立つ容貌など何の意味も無いので。」
「‥そうですか。」
速人の言葉に美春は反論せずただ微笑んだ。
美しく咲き誇る桜よりも心が癒される力を、速人はその笑顔に感じた。
******
大気中に美しく舞う桜の花びらは、校舎玄関の中にも春風と共に舞い落ちた。
校舎玄関内で靴紐を結んでいた二年A組・佐々木黎埜は、足元に舞いおりた花びらを思わず拾い、指先に見つめた。
見つめながら、
(‥懐かしいな‥)
幼い頃兄妹で仲良く遊んでいた記憶を脳裏に蘇らせていた。
やがて、ふわっと花びらを手離すと腕時計を見た。
針は12時を少し過ぎている。
彼女は13時から、兄とその仲間達で花見に行く約束をしていた。
(…まだ、十分間に合うな…)
黎埜は靴紐を結ぶと、軽やかに校舎玄関を出て行った。
******
校内の一階、玄関入ってすぐの場所に設置してある生徒専用掲示板。
そこには様々な部活の勧誘・広報・説明会等の情報が掲示されていた。
その掲示板の前で、
(‥‥やっぱり、演劇部はないみたいだなー…)
広報を片っ端から確かめていた、短めのポニーテールで元気そうな女子生徒、二年B組の真柴柚希は残念そうに腕を組んだ。
だが、
(…大丈夫だ!部員を新たに集めればまた演劇部は再活動出来る!…史菜や啓作君もいるから…)
そう心で言うと、鞄を肩に下げ掲示板を後にした。
彼女には一つの夢がある。
(…必ず、今秋の文化祭で演劇を上演させてみせる!…)
柚希は、元気よく校舎玄関へ走り出した。
******
再び場は変わり、桜木公園。
園内の桜はほぼ全て満開に咲き誇り、公園を一年間で最も美しく彩る時を迎えていた。
その園内にある遊具広場のブランコに、ちづるとカオリが並んで乗っていた。
ちづるはブランコに乗ってはいるものの漕ぎはせず、時折ゆらゆらしながら『坂の上の渚』の創立者祭篇を黙念と読んでいた。
その隣のカオリは、元気を爆発させるような勢いでブランコを漕いでいた。
「チヅルー!見て見て高いよー!」
カオリの大きな声を聞いて、ちづるは本から隣のちづるに目を向けた。
そして、
「あら‥」
ちょっと驚いた。
ちづるの漕ぐブランコは一回転するのではないかと思う程の高さまで上がっていた。
なのにカオリはますます勢いつけて漕いでいる。
砂埃が舞い上がる程の勢いだ。
「‥それ以上勢いつけると危ないよカオリ。」
ちづるがたしなめると、カオリは笑って、
「大丈夫だよ!私高い所怖くないから!」
「そうじゃなくて‥。」
ちづるが何か言おうとした時、勢いよく漕ぎ過ぎたせいかカオリの履いてる黄色い靴の片方が足から離れ、ヒューンと十m程先の遊歩道まで飛んでいった。
「あー!」
困ったカオリを見て、
「もう‥。」
ちづるは大人の微笑みを浮かべて、ブランコから下りると飛んでいった靴を取りにいった。
すると、遊歩道を歩いていた三十歳位の女性がちづるより先にカオリの靴を拾った。
そして、
「はい。」
優しい笑顔でちづるに渡した。
「ありがとうございます。」
ちづるは受け取ると丁寧に頭を下げてお礼を言った。
女性はそれを見て、
「礼儀正しいのね、お嬢さん。」
感心したように言うと、ケンケンしながらこっちに来るカオリとちづるを交互に見た。
「二人は姉妹さんかな?」
女性の質問に、
「違うよ。」
カオリが靴を履きながら答えた。
「チヅルと私はここで出会った友達だよ!」
答えながら靴を履くと、ちづるの腕に抱きついて、
「ねっ、チヅル!」
可愛く笑って言った。
「ええ。」
ちづるも穏やかな笑顔で頷いた。
そんな二人を見て、
「そう。」
女性も笑顔になり、
「じゃ、またね。」
二人に優しく手を振り、去っていった。
女性が行った後、ちづるはカオリを見て、
「次は注意しないとだめよ。」
穏やかにたしなめた。
「はーい。」
カオリは笑顔で、再びブランコに飛び乗った。
******
一方、ちづる・カオリと別れた女性は、公園を出て県道沿いの道を歩いていた。
「‥公園で出会った“親友”か‥」
歩きながら、女性はカオリの言葉を口に呟いた。
脳裏には過去の事と、先程の二人ではない少年と少女が浮かんでいた。
(‥速人君と美春さんが運命的な出会いをしたのも、公園だったわね‥。‥そして、私も‥。)
女性…御崎坂高校の生徒寮の寮母をしている池田一美は、三年前の出来事を脳裏に思い出しながら、寮への帰り道を歩いていた。
******
また場は変わり、御崎坂高校から1km程離れた所を流れている川、芳野川。
市内を流れているその川は50m程の川幅があり、両側の川沿いの道はかなりの長さで桜の木が並ぶ道となっている。
その為市内の人達は“桜川”や“並木川”と呼んでいた。
川沿いの桜並木も当然満開の花を咲かせていた。
その内の一本の桜木の下に、やや長めのショートカットに、紫色の飾り状のリボンを付けた一人の女子生徒‥御崎坂高校二年E組・神崎観鈴が足を止めていた。
(…また、七三里君と同じクラスになれて良かった‥)
昨年度に続いて同じクラスになった朝也の事を思い浮かべ、観鈴はひとり嬉しそうに微笑みながら桜並木道と芳野川の風景を眺めていた。
やがて観鈴は、家に帰る為川沿いの桜並木道を再び歩き出した。
その途中、歩いていた観鈴の視線に、
(…あれ、誰だろう?…)
観鈴と同じ制服姿の、ツインテールの女子生徒が、川辺に一人ぽつねんと座っているのが見えた。
何を思ったか、観鈴は川辺に下りその女子生徒のもとに歩み寄った。
「何してるの?」
観鈴は笑顔で女子生徒に声をかけた。
女子生徒は観鈴はちらと見て、すぐに視線を川に戻した。
「川の流れ‥観てるの。」
特に感情のない声で答えた。
「‥ふーん。」
観鈴は不思議そうに頷くと、女子生徒の隣に自分も同じように腰掛けた。
そして女子生徒を見て尋ねた。
「あなたのお名前は何て言うの?」
「‥‥。」
女子生徒は川の流れに視線を向けたまま、観鈴を見ずに答えた。
「‥小野坂沙月。小さい野の坂でオノサカ。さんずいと少いに月でサツキ。」
あまり愛想の無い口調で答えた。
だが観鈴は嬉しそうににっこりして、リボンを撫でながら、
「私は二年E組の神崎観鈴。神戸の神に宮崎の崎でカンザキ。観鈴のミは観光の観、スズは鈴虫の鈴。よろしくね。」
自分も自己紹介した。
すると沙月は観鈴を見て、
「私と同じ学年だ。」
少し驚いたように言った。
「そうなの?あなたは何組?」
観鈴の問いに、
「私はB組なの。」
答えながら、沙月は初めて笑顔を見せた。
******
御崎坂高校から5km程離れた所の丘の上にある医院、能登医院。
その一室に、小野坂玖実は座っていた。その向かいには白衣を着た医師の能登治史が、某人の検査結果が書かれた書類を手に座っていた。
「予断はできない、」
書類を玖実に手渡すと、治文は感情のない事務的な口調で言った。
「正直、覚悟もしといた方が良い。」
「‥そうですか。」
あらかじめそう言われる覚悟はしていたのか、玖実も特に感情を出さずに頷いた。
僅かな間沈黙が流れた。
だがすぐ玖実が口を開いた。
「この事は、決して誰にも話さないで下さい。」
「ああ。」
治文は機械のように頷いた。
玖実は書類に目を通しながら、
「‥沙月にこれを教えるかどうするかは、私が決めます‥。」
感情のない、冷静な口調で言った。
「‥。」
治文は何も答えなかった。
その後、医院を出た玖実は歩いて自宅に向かった。
(…どうであろうと、私の使命は変わらないわ…。)
県道沿いの歩道を歩きながら、玖実は悲しみを堪えつつ考えた。
(‥沙月を必ず幸せにする…)
玖実の頬に、ひとひらの花びらが舞いついた。
「‥‥。」
玖実はそれを手に取り、ふと市内を眺めた。桜の花びらが大気中に舞い吹いており、春の美しさを感じさせた。
(…最後の‥春…)
そうなるかもしれない。
「…いけない。」
玖実は打ち消すように花びらを握った手を胸にぐっと当て、美しい春の空を仰いだ。
そして、
(…あの子‥沙月の人生を幸せなものとする為に…‥。)
何度も心に誓った。
******
玖実が帰った後、医院の外では白衣を脱ぎワイシャツ姿になった治文が、無表情でパイプを吸いながら春の町並みの風景を眺めていた。
と、その足元に黒と白の模様をした一匹の猫が駆け寄って来て、治史の足首に顔を寄せた。
「おうノック。そろそろ飯の時間か。」
パイプから煙を吐きながら他人には見せない笑顔でそう言うと、治文は猫と一緒に医院の方へ戻っていった。
春。
新しい季節が始まろうとしていた。
序章篇 終わり