第2話『公園と仲間たち』
隆志とちづるが共に暮らしはじめてから、十日目の朝のこと。
「隆志さん、」
朝食の最中、ちづるは新聞を読んでいる隆志に言った。
「後で、公園に行きませんか?」
「ああ、いいよ。」
スポーツ面に目を通しながら、隆志は頷いた。
その後昼過ぎに二人は家を出、公園に向かった。
外は綺麗に晴れて空気も澄んでいたがその分肌寒かった。
隆志は茶色の冬服と灰色のマフラー姿、ちづるは黒のセーラー服に赤のスカーフ姿だった。
隆志宅から公園までは1kmほどある。
二人は並んで道程を歩いた。
「…早いものだな。」
歩きながら隆志はちづるに話しかけた。
「お前と出会って、そして共に暮らしはじめてからもう十日か。」
「はい。」
「何故だか、依然としてお前に関する情報も人も現れないな‥。」
「‥。」
少し表情を曇らせ俯いたちづるに、
「でも気にするな。」
隆志は微笑んで言った。
「不思議と、お前とは自然に生活出来ているからな。最近では、このままずっとお前がうちで暮らすことになっても良いとすら思うようになってきた位だ。」
隆志の言葉に、
「本当ですか。嬉しいです。」
ちづるは笑顔を見せて言った。
その笑顔に隆志は心が和らぐ感じがした。
「それにしても、」
隆志はちづるの服装を見ておかしそうに言った。
「お前いつもそれ着てるな。」
ちづるは赤いスカーフに指先を触れながら答えた。
「この服装が一番好きなんです。」
「そうか。ま、うちは女物の衣類がおふくろのしか無いからな。」
言いながら隆志は腕を組むと、
「今度、お前用の衣類を買いにいくか。」
思いついたようにちづるを見て言った。
「それ一着だけだと色々不便だろうから、せめて部屋着位は何着か買おう。」
「‥良いんですか?」
恐縮そうにちづるが言うと、隆志は笑顔で、
「良いんだよ。お前しばらくこの町にいるんだろ?」
「はい。」
「なら決定だ。‥金なら心配するな。うちは裕福な方だからさ。」
きっぱりと言った隆志に、ちづるは笑顔で、
「ありがとう隆志さん!」
嬉しそうにお礼を言った。
喜んだちづるを見て、まるで実の妹のようだと隆志は思った。
やがて二人は、公園‥二人が十日前に出会った『桜木公園』に着いた。
そんなに広い公園ではないが、文字通り桜の木が多数ある公園だ。
既に幾つかの木々は桜が開花しており、公園は一年で一番綺麗な時季を迎えようとしていた。
公園に着くと、ちづるは桜の木々が立ち並ぶ遊歩道に所々設置してあるベンチの一つに座った。
そしてセーラー服の胸ポケットから、持参してきた一冊の本を取り出した。
隆志はその隣に座りながらその本に目を向けた。
「あれ、その本‥。」
「隆志さんの部屋の本棚からお借りしました。」
「そうか。」
隆志は本の題名を見た。
「‥『坂の上の渚』か。これ大分前の小説だけど気にいったのか?」
「はい。とてもいい本です。」
ちづるは笑顔で答え、ページをめくった。
それからちづるは『坂の上の渚』を読み耽った。
一方隆志はその隣で昼寝を始めた。
しばらく経ち、目を覚ました隆志は、飲み物でも買おうかと公園の入り口付近にある自販機を見て腰を上げた。
すると、
「タカシー!」
元気な女の子の声がした。
声の先を見ると、幼い青色の制服を着た、大きな両眼がたまらなく可愛い七歳位の少女が此方に走って来た。
「おお、カオリ。」
来たのか、と言うように隆志はその少女を見て笑った。
「久しぶりっ、タカシ!」
カオリと呼ばれた少女は走って来ると隆志の腕に飛び込むように抱きついた。
「とっとっと‥。」
隆志は危うく片足で体のバランスを保ちながら、
「“久しぶりっ”て、お前、ついこの間ここで会っただろ。」
「ん?そうだったけ?」
少女は抱きついたまま小首を傾げた。
「いいから手を離せ。」
隆志は苦笑しながら、少女を振りほどこうとした。
そんな二人のやりとりを見て、ちづるは本を閉じ尋ねた。
「隆志さん、その子は‥?」
「ああこいつか?」
少女を腕から引き剥がすように離してから、隆志は親指で少女を紹介した。
「こいつはカオリと言って、いつも公園にいる超じゃじゃ馬少女だ。」
「誰がジャジャウマだっ。」
言うが早いがカオリは驚くほどの敏捷さと跳躍で隆志の鳩尾に飛び蹴りを食らわした。
呻き声を上げて吹っ飛んでった隆志を無視して、カオリは大きな両眼でちづるをじっと見つめた。
「‥‥。」
ちづるもその大きな両眼を静かに見つめ返していた。
十秒程見つめあった後、カオリが先に口を開いた。
「私カオリ。片仮名三つでカオリ。あなたは?」
ちづるは長い後ろ髪を軽く払い、
「私はちづる。隆志さんの家で一緒に暮らしているの。よろしくね。」
笑顔で挨拶を返した。
「へー、ちづるっていうんだ。」
カオリは大きな瞳でちづるの顔をまじまじと見て、やがて笑顔で言った。
「ちづる、カオリとオトモダチになろ?」
「ええ、お友達になりましょう。」
ちづるは即答した。
「わーいありがと!」
カオリは嬉しそうにちづるに抱きついた。
すると、仲良くなった二人の後ろから、
「‥‥痛かったぞ‥。」
カオリに吹っ飛ばされた隆志が、鳩尾を抑えながらよろよろと戻ってきて恨めしそうに唸った。
カオリはちづるに抱きついたまま隆志を見て、
「タカシがか弱い乙女をジャジャウマとかいうからだよー!」
アカンベーして言った。
隆志はその小生意気な頭をガシと掴んで、
「‥か弱い乙女は飛び蹴りなんかシネエヨ‥」
顔を近づけて言った。
カオリはプイと顔をちづるに向け、
「もー。ちづるさー、タカシは時々バカシになるから困るんだよー。」
口を尖らせて言った。
それを聞いた隆志はボソと呟いた。
「‥お前だって時々カオリからガオリになるじゃ‥」
「誰がガオラだっ」
みなまで言わせずカオリは再び鳩尾蹴りを炸裂させた。
再び吹っ飛んでった隆志を無視して、カオリはちづるの手を握り公園内にある遊具の広場を指した。
「一緒に遊ぼ!」
可愛く笑って言った。
「ええ。」
ちづるもカオリの小さな手を握り笑顔で頷いた。
その後、ちづるとカオリは遊具の広場で仲良く遊んでいた。
まるで姉妹のようだなと、隆志はベンチで缶コーヒーを飲みながら二人の様子を眺めて思った。
ふと隣を見ると、ちづるの読んでいた『坂の上の渚』が置いてあった。
何気なくそれを手に取りページをめくった。
自分もこれ結構好きだったなと、隆志は読み流しながら懐かしく思った。
「あれ、隆志じゃん。」
再び自分を呼ぶ声を聞き、隆志は顔を上げた。
声をかけたのは公園内を歩いていた隆志と同年齢位の二人の男子だった。
「おう、朝也に伸太郎。」
隆志は本を閉じ、二人を見て笑顔になった。
隆志に声をかけた二人の男子。
一人は七三里朝也という名前の、前髪が長くて背が高く、ややクールイケメンな男子。
もう一人は関本伸太郎という名前で、背は隆志と同じ位の剽軽そうで笑顔の明るい男子。
二人とも、隆志と同じ御崎坂高校に通っている同学年の生徒で、三人は中学生時代からの親友同士だった。
「ここで何してんの?」
ベンチにもたれかかりながら、伸太郎が隆志に尋ねた。
隆志はブランコにカオリと並んで乗り遊んでいるちづるを指差して答えた。
「あいつと散歩しに来たんだ。」
朝也と伸太郎は隆志が指差した先の少女、ちづるを眺め見て、
「‥そうか、あのセーラー服の少女が、例の居候している子か。」
頷きながら言った。
親友同士であった為、隆志がちづるという少女と居候している事は二人共隆志から既に聞いていた。
「見知らぬ少女と暮らしてて大丈夫なのか?」
ちづるを眺めながら、朝也は隆志に尋ねた。
隆志は腕を組んで、
「始めは当然違和感バリバリだったけどな。でもそれもほんの数日で、いつの間にか家族みたいになってたさ。‥両親が居なくて幸いだったよ。」
おかしそうに笑いながら答えた。
「でもさ、」
笑った隆志に、今度は伸太郎がこめかみのあたりを掻きながら尋ねた。
「家族じゃない人が暮らしてたら、近所から妙な目で見られない?」
素朴な質問に、
「そこも大丈夫だ。」
隆志は即答した。
「あいつは自分の従兄妹って事にしている。」
「従兄妹?」
掻いていた指先をふっと息を吹きかけながら妙な顔をした伸太郎に、隆志は続けた。
「家族の事情で、一時的に居候していると近所には話している。みんな簡単に信じたから大丈夫だ。」
「ふーん、なるほどねー。」
伸太郎は納得したように頷いた。
すると、
「ただ‥。」
隆志は不意に表情を難しくした。
「どうした?他に悩みでもあんのか?」
朝也の尋ねに、
「ああ、」
隆志は頷くと、口調も真剣にして答えた。
「ちづるの苗字をどっちにしようか悩んでいる。」
「苗字?」
「どちらの親戚の苗字を使おうか、まだ決めていない。」
隆志の真剣な言葉を聞き、朝也は笑いながら言った。
「そんなの大丈夫だろ。両方の親戚とも海外とか遠くに住んでるんだろ?なら苗字を使っても別に迷惑はかけないだろうさ。」
朝也の言葉に、隆志は腕を組んだまま再び真剣な口調で、
「迷惑かけるとか、そういうので悩んでるんじゃない‥。」
「?じゃ何なんだ?」
「豊田か達川か、ちづるに相応しい親戚の苗字はどっちなのか悩んでるんだ‥。」
「‥‥。」
どっちでも良いだろうがと、朝也はアホらしく思った。
「あ、トモヤとシンタローだ!」
ちづると広場で遊んでカオリが、隆志と一緒にいる朝也と伸太郎に気付き、笑顔で駆け寄ってきた。
カオリの後を追って、ちづるも三人のもとに来た。
「隆志さん、この方達は‥?」
朝也と伸太郎を見てちづるは尋ねた。
「二人共高校の同学年で親友だ。お前の事も二人には話している。」
「そうなんですか。」
ちづるは微笑むと、二人を向いて礼儀正しく挨拶した。
「こんにちは。私ちづるといいます。平仮名三つでちづるです。宜しくお願いします。」
「おう、俺は七三里朝也だ。七五三の上下に、郷里の里でナミサト。早朝の朝とセの一本余計でトモヤだ。」「ボクは関本伸太郎。関係の関に、絵本の本でセキモト。シンは記録更伸の伸、タロウは桃太郎の太郎だ。宜しくね。」
伸太郎のその自己紹介を聞き、
「は?」
朝也は首を傾げた。
「記録更伸の“伸”って、“新”の方じゃないのか?」
「えっ!そうなの?」
伸太郎は驚いた。
「‥知らなかったのか?まあなんかそっちの字の方も意味深に読めるが‥」
呆れたように朝也が言うと、伸太郎は頭を抱えて、
「‥やっばー。いつもこの自己紹介をしてたのに‥メッチャ恥ずかしいよ‥。」
心底困ったように呟いた。その様子を見て、
「いや、大丈夫だろ。」
隆志が安心させるように言った。
「お前のアホさを見事に表現してると考えれば、立派な自己紹介だ。」
「はあ?」
伸太郎が妙な表情をしたのを見て、カオリは笑顔でちづるに言った。
「あのねちづる、シンタローはアホなんだよ!」
それを聞き、
「誰がアホだ!少なくともお前よりは頭脳は大人だ!」
声を上げた伸太郎に、朝也が真剣とも憐れみともつかない表情と口調で、
「いや、わからないぞ‥。実際お前はアホだしな‥。」
朝也のツッコミに、
「‥‥うっさいな‥。」
伸太郎は苦々しく笑うと、カオリをつかまえて、
「このやろこのやろ生意気だゾ。」
コツンコツンとカオリの頭を小突いた。
「うふっ。」
四人の一部始終を見ていたちづるが、思わず微笑みを洩らした。
それから皆を見て、
「皆さん、すごく仲が良いのですね。」
心底楽しそうに言った。
その微笑みが、傾きかけた夕日に鮮やかに照らされ眩しく映った。
その後、隆志、ちづる達は公園でそれぞれの時間を過ごした。
やがて時計の針は16時を回り、日は暮れ気温も大分下がってきた。
「そろそろ帰るか。」
マフラーを巻き直しながら隆志はちづるに言った。
「はい。」
ちづるは頷くと、持ってきていた『坂の上の渚』を胸ポケットにしまいこんだ。
「もう帰っちゃうんだ‥。」
帰り支度を始めた二人を見て、カオリが少しさみしそうに言った。
するとその様子を見て伸太郎が、
「へ~、さみしそうだねカオリちゃーん。」
ドカン。
大砲並みの威力を込めた鳩尾蹴りで伸太郎を沈めてからカオリは、
「また遊ぼうねちづる!」
大きな瞳を輝かせ、明るく挨拶した。
「うん。またねカオリ!」ちづるも明るく挨拶を返した。
「じゃあな。」
隆志も親友の二人に手を上げて言った。
「ああ、またな。」
朝也も手を上げて答えた。
「次会うのは、始業式だろうな。」
「そうだな。」
「さよなら。朝也さん、伸太郎さん。」
ちづるも二人に挨拶した。
「おう。また会おうな。」
「‥じゃーね‥、‥ちづるちゃん‥。」
カオリの必殺飛び鳩尾蹴りを食らって悶々と地べたを転がっていた伸太郎も、鳩尾を抑えながら何とか挨拶を返した。
そして、隆志とちづるは公園を去っていった。
公園を出た後、春の夕焼けに染まる県道沿いの帰り道を隆志とちづるは並んで歩いていた。
道中、北風が何度も音をたてて二人に吹きつけた。
隆志は時折寒そうに手に吐息を吹きかけていたが、ちづるは全く寒そうではなかった。
「お前、寒さに強いんだな。」
一旦立ち止まってマフラーを巻き直しながら、隆志はちづるを見て感心したように言った。
ちづるはそれを手伝いながら、
「寒さには、強い方かもしれません。」
少し微笑って答えた。
「そうなのか。なら、何であの時倒れていたんだ?」
マフラーを直すと隆志は不思議そうに尋ねた。
するとちづるは少し俯いて、
「‥あの時は、すごく疲れていたので‥。」
小声で答えた。
「‥そうか。まあ疲労プラス寒さには誰も叶わないだろうからな。」
隆志は笑ってそう言うと、再び歩き出した。
ちづるも表情を戻し続いた。
その後、二人が家の近くにまで戻った時、
「そうだ、」
隆志が思い出したようにちづるに言った。
「お前、苗字どうする?」
「苗字、ですか?」
妙な表情をしたちづるに、隆志は説明した。
「今日会った朝也、伸太郎、カオリ以外の人には、お前の事は自分の従兄妹だと紹介するつもりだ。だから念の為、お前に親戚の苗字をつけようと思ってるんだ。」
「‥そうですか。」
不思議そうに頷いたちづるに、隆志は腕を組んで言った。
「‥自分も大分考えたけど、きりがないからお前に決めてもらう。‥豊田と達川、どちらの苗字が良い?」
隆志の問いに、ちづるは少し考えてから答えた。
「日野が良いです。」
「日野?」
驚いた隆志に、ちづるは笑顔で続けた。
「私、この町に長くいます‥。その間、苗字だけでも隆志さんと家族で居たいんです。」
ちづるの言葉に、隆志は少し思考しやがて、
「分かった。」
頷き、笑顔で言った。
「今日からお前の名前は日野ちづるだ。いいな?」
「はい!」
ちづるは満面の笑顔で頷いた。
寒気の中、暖かい風が吹いた気がした。