第1話『倒れていた黒き少女』
三月某日、御崎坂市。
北風がまた吹いた。
冬から春の季節に入っているとはいえ、まだ風は肌に冷たい。
(…寒…)
所用へ出かける為、街灯照らす夜道を歩いていた御崎坂高校一年生の日野隆志は、思わず首をすくめた。
隆志は寒いのはやや苦手だ。
さっさと所用を済ませて家に戻ろうと、手に吐息を吹きかけながら隆志は思った。
その後、所用を済ませた隆志は帰り道を小走り気味に歩いていた。
先日、高校一年目の終業式が終わった。
月が変わるとすぐ新学期になり、隆志は二年生になる。
その始業式に向けて、ある程度準備はしておこうかと隆志は歩きながら考えた。
帰り道を歩くうち、隆志は公園の前を通りかかった。
すると、
(…ん?)
ふと公園内を見た視線の先、電灯の下にあるベンチの側に、黒い妙な物体があるのが見えた。
「…何だあれは?」
隆志は立ち止まり目を凝らしてその物体を眺めたが、何かは分からなかった。
結局彼は公園内に入り、その黒い物体に近づいた。
そして、
「おい、どうしたんだ!」
思わず声を上げた。
その物体は、黒いセーラー服を着た髪の長い十二、三歳と思われる少女だった。
倒れているのか眠っているのか、うつぶせに地面に伏せていた。
「おい、しっかりしろ。」
隆志は少女を揺すりながら声をかけた。
「ん‥‥。」
少女はすぐ目を覚ましたが、どこか意識がはっきりしていないのか、目元が虚ろに見えた。
その様子を見て隆志は即座に決断した。
「自分の家が近い。少しそこで休め。」
「…。」
隆志の言葉に、少女は無言で頷いた。
隆志は少女を背負い、自宅へ急いだ。
自宅に着くとすぐに、少女を毛布にくるみ熱いお茶を出したりと介抱した。
しばらくすると、少女は少し元気を取り戻した。
少女の容態が落ち着いたのを見て、隆志はまず自己紹介した。
「自分は日野隆志。日野市の日野に、タカは隆盛の隆、シはこころざしだ。現在この家に一人で住んでいる。」
自己紹介を終えると、隆志は少女に尋ねた。
「どうして公園で倒れていたんだ?」
少女は正座して、小さいが澄んだ声で答えた。
「‥道に迷ってしまって‥。」
隆志は更に質問した。
「どこに行こうとしてたんだ?」
「‥‥。」
少女は答えずに俯いた。
「‥まあいい。家はどこなんだ?」
その質問に、少女は俯いたまま答えた。
「‥ないです。」
「ない?」
怪訝な表情を隆志は浮かべた。
「‥はい。」
「おい、真面目に答えてくれ。」
「本当なんです‥。」
少女は俯いたまま繰り返した。
隆志はやれやれと頭を掻きながら、質問を続けた。
「名前は?」
「ちづるです。」
「苗字は?」
「‥ありません。」
「‥お父さんとお母さんは?」
「‥いますが、会えません。」
「はあ?」
隆志は遂に呆れた声を出した。
そんな彼に、ちづるは真面目な口調で続けた。
「私は、この世界で一人なんです。」
(…こいつ、頭おかしいのか?家出か、それとも記憶喪失か?…)
心を落ち着かせようと一口お茶を飲んでから、隆志は頭を抱えて思った。
隆志が思考していると、
「隆志さん、」
再びちづるが真面目な口調で言った。
「もし良かったら、私を一定期間家族にしてくれますか?」
「は?」
再び呆気にとられた隆志に、ちづるは表情も真剣にして続けた。
「私、この町に長くいます。この町でやらねばいけないことがあるので‥。よろしいでしょうか、隆志さん。」
「‥あのなあ‥。」
(‥こいつ、いよいよおかしいな‥)
半ば、というかもはや完全に呆れた隆志はしばらく思考していたが、やがて決断して言った。
「分かった。お前をうちに居候させる。」
「居候?」
首を傾げたちづるに、隆志は説明した。
「ここに住ませてやるって事だ。‥こんな寒い中頭のおかしい少女を外に追い出すのも気がひけるしな‥。」
ボソと呟いてから、
「幸いうちは、以前から両親とも仕事で海外に行ってて自分以外は誰も居ないからな。自分の自由に出来る。ただ、」
今度は隆志が真面目な口調で、
「お前に関して何か情報が入った時、あるいはお前を探している人等が現れたら、直ぐに出て行ってもらう。それまでの事だ。分かったな?」
隆志の言葉に、ちづるはこくりと頷き、
「はい。ありがとうございます、隆志さん。」
ほっとしたように、笑顔を浮かべた。
その笑顔に見て隆志は溜息をつきながら苦笑し、湯呑の中のお茶を一気に飲んだ。
******
その日から、隆志とちづるは共に暮らしはじめた。
彼女に関して、すぐに情報とか何か入るだろうと隆志は思っていた。
だが何日経っても、ちづるに関する情報もちづるを探している人も現れなかった。
隆志の見た所、ちづるは温厚で明るさも備えている性格で、礼儀も正しく清廉な感じの強い少女だった。
また雰囲気もどこか大人びいており、見た目とは違う年季を感じた。
不思議なことに、共に暮らしはじめてから日が経つにつれ、隆志はちづるに対して他人という違和感を感じなくなってきていた。
やがて二人は自然に生活をするようになっていた。まるで元々の家族のように。
そして暦は四月間近になり、隆志が通う御崎坂高校の新学期が迫った。