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エルフとペンギン

作者: ユノ

 一体、あれから何日経ったのだろうか。


 おそらく山道を走っているであろう荷馬車に揺らされて私は考える。

 荷馬車は鉄格子に暗幕を掛けて少し細工を加えただけの簡易な物。それに加え悪路を走っていたため、車輪が一回転するたびに私の尻は硬い荷馬車の床に叩きつけられていた。きっと見れば真っ赤になっているだろう。



 ――だが、既にそんな考えをめぐらすのは無駄だ。



 エルフと呼ばれる私たちの種族の容姿は他種族の美的観念の頂点に位置するらしく、日々奴隷を目的とした乱獲の被害に遭っていた。

 そして、運悪く今回、私もその被害者になったわけだ。


 この荷馬車は奴隷商に向かっている。

 きっと私は小汚い人間共に嬲られ、その果てに惨たらしく殺されるのだろう。


 荷馬車の中には私だけでなく他にも女のエルフが4人乗り合わせていた。中にはまだあどけない少女のエルフもいたが、迎える結末は私と同じだろう。

 彼女と乗り合わせた時は彼女だけでも救ってやろうと企んでいたが、その高尚な考えも数日後には跡形もなく消え去った。


 元々非力なエルフではこの鋼鉄の手枷や檻を壊すことは出来ない。

 奪われた弓さえあれば、あの忌々しい男共の首を跳ね飛ばすことも出来ただろうに……。


 いや、もう考えるのはよそう。全て無駄な事だ。



 ***



 眠っていたのか気絶していたのか分からないが、大きな衝撃で目が覚めた。荷馬車が停止したようだ。


 どうやら男共の昼食の時間らしい。一方、私たちはもう二日は何も食べていない。

 私はまだ耐えられるが、少女はもう意識が朦朧としている。

 1人のエルフが少女の姿を哀れみ、男共に抗議した。だが、返ってきたのは暴言と躾と称したリンチだった。


 数分後、男共も飽きたのか、荷馬車から降りて昼食の続きに取り掛かる。暴力を加えられたエルフはなんとか生きており、すぐさま医術に心得のあるエルフが軽く手当てした。

 荷馬車の中に響くすすり泣きが大きくなった。


 男共の話に耳を傾けているとある情報を手に入れた。エルフの耳のお陰だ。

 どうやらあと数日中に私たちの引き渡しの場所に着くらしい。

 この楽しい荷馬車ライフも終焉を迎える。


 と、その時、男共が声を荒げだした。


「な、なんだこいつ!?」

「おい!と、鳥か!?やっちまうか!?」


 男共の声に紛れて別の音も聞こえた。鳥類に似た鳴き声だ。

 だが、森の鳥のさえずりにはほど遠い、醜い鳴き声であった。


「いや、待て!どうやら敵意はないらしいぞ」


 ただの鳥類に敵意も糞もあるか。貴様は手乗りサイズの鳥に(つつ)かれて命を落とすのか?

 バカだとは思っていたがここまでとは。


「なんか、可愛いな」

「こんな鳥、見た事ねえよ。こいつも売れるかもしれねぇ、荷馬車に乗っけよう!」


 ……勘弁してくれ。


 私の嘆きは虚しく、男共はなんとか謎の鳥の捕獲に成功したらしい。音を聞いている限りでは謎の鳥は終始大人しく、下品なさえずりを響かせるだけで羽ばたきは聞こえなかった。


 だが、鳥類の捕獲を道具もなしにやるとは……この男共も私たちを捕らえただけのことはあるのやもしれん。


「ほら、お仲間だぜ、エルフさん」


 男の1人がそう言って謎の鳥を荷馬車に詰め込まれてきた。男は再び荷馬車のカギを閉め、昼食に戻っていった。


「おっきい……」


 1人のエルフが静かに驚きの声を上げる。私は最早、眼にしたくもなかったので目を伏せていた。


 だが、他のエルフ達が次々に驚きの声を上げるので、ついに失われていた好奇心を取り戻してしまった。


 そして例に漏れず、私も驚嘆した。

 死んだ心が跳ねるように息を吹き返してしまった。



 謎の鳥はそこにいるのではなく、立っていたのだ。



 2つの足でどっしりと立っている。大きさも少女と変わらぬほどに大きい。

 こんな大きさの鳥類が?もし肉食なら大人でも空に連れ去られる可能性がある。

 私が外でこの鳥が空を飛んでいるのを見れば、間違いなく小便を撒き散らし家に逃げ帰るだろう。さっきまで感じていた恐怖とは桁違いの恐怖を味合わされるはずだ。


 謎の鳥の観察を続ける。全身には短い毛で覆われている。

 腹にかけて白い短い毛が広がり、首回りには淡い黄色。そしてそれ以外の場所が漆黒で覆われている。

 今まで見てきた彩色富んだ美しい鳥類とは違い、な配色。


 それにしても寸胴な体型。でっぷりした腹部を持ちながら真っ直ぐに伸びた背筋……



 ……クソ。



 鳥相手に威厳があるなどという感想を抱いてしまった。

 だが実際、ピンと伸びた背筋に鳥らしからぬ巨大な体格。それに加え、首周りの黄色はまるで黄金を首にかけているようにも見える。


 加えて、拘束されているとはいえエルフに囲まれたこの状況で、この鳥は怯みも警戒もしていない。まるで同族を目の前にしているかのように自然体を保っているのだ。



 ――鳥類らしからぬ高貴さと胆力。まさしくこいつは鳥類の王、皇帝に違いない。



「皆、離れろ……この鳥は危険だ」


 私は前に出て他のエルフ達に鳥から距離を取らせる。


「す……すごい……」


 だが、私の脇をすり抜けて少女が皇帝と接触を図る。


「あ、駄目だ!迂闊に近づくんじゃない」


 声を張り上げて少女の愚行を止める。だが、声だけしか出ず、鳥から発せられる威圧感からか私は体を動かせなかった。他のエルフ達も同様だ。


 少女が手枷を器用に動かして鳥との接触を果たす。

 そして一言。


「あ!硬い!」


 何!?硬いのか!鳥の羽なのに!?いや、それより皇帝の機嫌は!?


 視線を少女から皇帝へと移す。堂々とした姿勢を崩していない。

 ……良かった。少女の命がここで潰えることはなさそうだ。


 だが――


「っ……!」


 突然、少女が力なく皇帝の足元に倒れ込む。心配したエルフ達が少女に向かって殺到する。


「貴様!少女を手にかけたな!?」


 私の咆哮が馬車内に響く。

 こいつめ、これだけの神秘性を放っておきながら実際はただの畜生だったか!

 弱者を最初に狙うとは実に狡猾。

 数秒前までのこの目の前の畜生に感じた物は音を立てて崩れ去った。所詮は獣、生き恥を晒して食うことしか能のない木偶め!


 ずるずると他のエルフ達が少女をこちら側に引きずり寄せる。1人のエルフが少女の状態を診察する。


 一体どんな手で少女を……!


 エルフ達を守るように畜生と相対する。

 隙が無い。私の殺意を体中で感じているはずなのに目の前の畜生は微動だにしない。


「お、落ち着いてください!ただの栄養失調です。そこの……鳥?は何もしてないです!」


「何!?」


 診察していたエルフが畜生に飛びかからんとする私を制止させる。

 聞けば、少女は生きてはいるが、長く続いた絶食によりもう既に虫の息だという。

 ……おそらく、もう長くはない。


 荷馬車内に再び暗雲が立ち込める。もう私たちに出来るのは少女を安静にさせ天国へと見送ってやることだけだ。

 誰もが、再来した絶望感に押しつぶされ、動けなくなった中――


 1人、いや1匹が動いた。


「グエー!」


 皇帝が一鳴きするとドシドシと足を鳴らしてこっちに走ってくる。鳥が走るというのもおかしいのだが、私から見れば確かにその通りだったのだ。


 皇帝は少女の頭に近づくと頭を上げけたたましい鳴き声を上げる。



 ――そして驚きの行動を始めたのだ。

 くちばしを意識のない少女の口内、いや喉に突っ込んだのだ。



 突然の行動に私たちも面を喰らったが、すぐさま正気を取り戻し、どう見ても襲われている少女を救助するため、少女から皇帝を力づくで引き剥がそうとした。

 だが、長らく続いた絶食により体力は落ちており、大型とはいえ少女サイズの鳥を押しのける事すら叶わなかった。


 少女が襲われている最中、私達はそれを涙ぐみながら見ていることしかできなかった。


 数十秒後、皇帝は満足したのか。少女から離れ元居た場所に戻っていく。

 そして少女の姿は無残にも……



 ……いや、そんなことはなかった。

 口から白色の乳状の異物が垂れているだけでそれ以外は変わりなく、外傷すら全く存在しなかった。

 心の臓も動いており、脈も正常。だが、それだけでなく……



 ――驚くことに体調が回復していたのだ。



 それはもう目に見えて明らかであった。青白い肌は血色のいい艶のある肌にまで回復し、がさがさであった髪までも色艶を取り戻していた。

 そして少女は今まで見たことがない程の安らかな顔で寝息を立てて眠っている。


「なんなんだ!あの鳥は」


 もうこの時点で、私たちは目の前の鳥に畏敬の念すら抱き始めていた。

 あの鳥らしからぬ高貴さは見かけ倒しではないのだ。


 それから、私たちは少女を救って貰った礼にあの鳥、いや『彼』のお世話係を決めることになった。

 話し合いの結果、彼の傍に私が付くことに決定した。


「……その、さっきはすまなかった。そしてありがとう。お陰であの子は助かった」


 挨拶と共に疑った事と助けてもらった事とへの謝辞を述べる。

 獣に感謝を伝えるなんてバカげているが、私は必要な事と感じた。

 その鳥……いや、彼は私の言葉に答えるように鳴いた。



 ***



 彼と過ごして、3日。

 檻の中は獣臭くなり始めたが誰もそんな小さいことは気にしていなかった。


 この3日間私は彼のお世話をしていた。

 と言っても、相手は鳥類。特殊な事をするでもなくブラッシングの要領で彼の体を手枷越しに撫でるだけだった。特に首元を撫でると気持ちよさそうに鳴き声を上げてくれた。

 その姿は愛らしさを感じさせたが、甲高いいびきのような鳴き声がその心を潰した。


 そして、荷馬車内の状況も大きく変わった。

 最早、皆の顔に絶望の色はない。心を取り戻し、生きようと、生きたいと強く思うようになり始めた。


 そうなったのは誰がそうしろと言う訳でもなく自然に、夜な夜な順番にエルフ達が彼に夢を話すようになったからだ。


 里の狩猟部隊に入りたい。


 人里に降りて冒険者になりたい。


 森で出会った人間ともう一度会いたい。


 など皆思い思いの夢を彼に語った。それを彼は何を言うまでもなく、相づちを打つように鳴くだけだった。

 だが、それだけでも彼女達……私達の心は光を取り戻していた。



 ――そして、ついに今日。私達を乗せた荷馬車は奴隷商との引き渡しの場所に到着する。



 朝から彼と戯れる少女の楽しそうな声が響く。だが、それ以外のエルフ達の顔は険しかった。


 仕方のない事、今日が最期の日になるかもしれない。皆それを覚悟していた。

 関わったのは短い間だったが、再び私達を誇り高きエルフとして立ち上がらせてくれた彼には頭が上がらない。


 体力は回復した。万全とは言えないが、男共を足止めする事くらいは出来る。

 武器もない、数も不利。援護も見込めない。絶望的だ。

 だが、私達の心に絶望はない。


 馬の嘶き。

 それを号令に荷馬車がスピードを落とす。

 荷馬車内の緊張がピークに達する。少女もそれに気づいてか、彼に触れるのを止め、大人しく座り込んだ。

 完全に止まり、数分後、檻の鍵が開かれ……



 ――決起の時が来た。



 鉄格子が開くと同時に1人のエルフ――狩猟部隊への入隊が夢だったエルフが中に入ってきた男に飛び蹴りを食らわせる。


 それを合図に私は彼と少女を脇に抱え込み、外に出る。

 久方ぶりの日の光が容赦なく私の目を眩ませる。だが、そんなことを気にしている場合ではない。

 飛び蹴りを仕掛けたエルフが立て続けに男共を蹴散らしていく。しかし、どれも再起不能にさせるほどの攻撃ではない。これでいい、一瞬、一瞬で良いのだ。


 混乱する男共に一瞬の隙が出来、包囲網に穴が出来る。


 そこに駆け込む。

 包囲を抜け出し、ひた走る。だが、後ろから気配。

 ちらりと振り返れば斧を振り被った男が肉薄。



 ――だが、その斧が私の肉を割くことはなかった。



 とてつもない熱気と共に男が地に伏す。

 後方で、冒険者を夢見たエルフが杖を用いない炎の魔法を放っていた。


 助かった……。

 もう私達を追う男共はいない。

 それでも走り続ける。少女の叫びと彼の鳴き声を無視し、森を目指す。

 連れてこられたこの街の地理は分からない。

 だが、夢を持ちながらも命を賭して私達を逃がした彼女らの言葉を裏切る事など出来ない。



 ――私と少女が夢を抱くまで、死ぬわけにはいかない!



 ***



「……行ったようですね」

「だな」

「無事に森に着くでしょう」


 街の裏路地にて取り押さえられた3人のエルフの女。

 未来ある子供たちを逃がすため、命を賭した彼女たちの顔に後悔はなかった。


 年相応の可愛げのある少女、謎の大型の鳥……全てを背負い込もうとした意固地なもう一人の少女。


 3人のエルフは自らの身を案じるでなく、若きエルフの行方だけが気がかりであった。


 囚われた彼女達は死を持って罰とされる。

 長期間、心を挫かないその精神力では奴隷となっても主人に反抗する可能性があるためだ。奴隷商にとっては売り物にはならない。


 背中に酷い火傷を負った男が3人の目の前に立つ。

 怒りの炎を秘めた目で3人を睨みつける。そして、己の背中を焼きつかせた憎きエルフの首を両断すべく斧を振り下ろした。



 ――だが、その斧はまたしても肉を断つことは出来なかった。



 斧は、いや男の肘から先が千切れ彼方に飛ぶ。

 その状況を唖然とした目で見た男は次の瞬間には側頭部を矢で射抜かれ絶命した。


 そして、裏路地に響いたのは勇ましい号令であった。



「奴隷商のアジトを発見!迅速に盗賊共を掃討せよ!!」



 号令と共に弓の掃射が男共の命を的確に刈り取る。

 その様は圧巻であった。ものの数秒で威張り散らしていた男共の姿は無様な者になり果てた。


 エルフ達はその様子に呆然とする。

 自らを捕らえ、一時的に彼女らを絶望の淵に突き落とした男共がこうも簡単に屈服したのだ。


 彼女らに号令をかけた騎士が近寄る。兜を取り、エルフ達の安否を確認する。

 すると、美麗な騎士の顔から大粒の涙が零れ落ち、口を開いた。



「……また、会えましたね」



 ***



 森に着いたのは夕暮れであった。裸足で走ったせいで足の皮は剥け、血だらけだ。彼らを運んでいた腕も感覚すらおぼつかない。

 だが、どうにか私たちの聖域に帰って来られた。


 脇に抱えた少女は泣き疲れ、すでに眠りについていた。

 彼は何時と変わらないように首を回し、羽をバタつかせていた。


「私たちはこれから里を目指す。森は私の庭のようなもの。安全にこの子を連れ辿りつけるだろう」


「グエー!」


「アナタも来るか?里の皆はアナタをもてなすと思うが」


「グエー!」


 相も変わらず、いつもの鳴き声。

 だが、私は不思議と彼が拒否している事を察することが出来た。


「……そうか」


 正直言えば、寂しい。短い間にも彼に少なからずの愛着を感じ始めていたからだろうか。

 だが、彼を縛る訳にもいかない。


 背後から、数百の緑色の光が灯る。精霊たちが私達を迎えに来てくれたようだ。

 ……もう、行かなければならない。

 だが、私は1つ。どうしても彼に頼みたい事があった。


「……最後にアナタが飛び立つ姿を見せてくれないか?」


 この高貴な鳥はどのようにして自由な空を駆けるのだろう。その姿はさぞ胸を躍らせる光景なのだろう。

 彼には幾つも聞きたい事があったが、これだけは最後に聞いておきたかった。


 私のこの質問に彼は答えなかった。

 しかし、珍しく彼の表情が曇ったように見えた。


 そして、決心がついたのか勢いよく羽を広げ羽ばたく。力強い羽ばたきを見せる彼の姿はまるで……



 だが、幾ら羽を動かしても彼の足が地を離れることはなかった。



 ぱたりと羽ばたくのを止め、まるで恥じるように鳴く彼を見て私は苦笑する。

 だが、次の瞬間。彼はもう一度、大きく、そして美しく、決心に満ちたように鳴く。



「……アナタの、夢か……」


 夢を打ち明けてくれたこの会話が彼との最後の会話となった。



 ***



 とあるエルフの生物学者が書いた手記にこう記されていた。



 かの皇帝の羽ばたきはまるで……無邪気な子供が夢を叶えるために、高貴な貴族が果たせなかった夢を叶えるためにもがいているように見えた。



 ……と。

 この事から、かの鳥の皇帝を【人鳥(ペンギン)】と呼び、夢を追い求める人を指す言葉として世に広まった。


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