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息詰まる森で 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 お前はさ、自分の呼吸に異常を感じることはあるか? はっとした時に息ができないっていうのは、結構びびるもんだ。こういう苦しみを伴う感覚は、ややもすると忌避されがちだが、身体が発してくれる貴重なシグナルでもある。下手に逃げたりせず、受け止める勇気、我慢って奴も必要だろうな。

 昨今じゃ個性の尊重がうたわれがちだが、周りが平気で、自分だけダメ。自分だけが平気で周りがダメって時には、一度、身辺をよく見てみるべきかもしれん。

 呼吸に関する、昔話。少し、耳に入れておかないか?

 

 むかしむかしのこと。

 山に囲まれたその村では、緑あふれる森の中というのは遊び場でもあり、狩りが行われる仕事場でもあった。村人はしばしば、子供たちに生きる術を教え込んでいく過程で、森の中を歩き回り、周辺の地理を身体になじませていったという。

 すでにこの地で生きてきた先祖たちにより、危険な地帯として伝わっている場所もいくつかある。

 底なしの沼、千尋せんじんの谷、危険な動植物の生息、繁殖地帯……。百聞は一見にしかずとばかりに、それらの被害に遭う一歩手前まで、近寄って教授していく大人たち。

 その日。危険地帯にまたひとつ、新しいものが加わることになった。

 

 しばしば野生動物用の罠をしかけていた、山の中腹。いつも通り罠を設置しようとした狩人のひとりが、大きな地面の陥没を発見した。

 落とし穴と呼ぶにはいささか広く、浅い。直径部分は、大人が一列に十数人は寝そべることができそうな、すり鉢状の穴。昨日まではなかったそれの周りには、不自然に多い落ち葉の姿が見られ、何かが降ってきたものと推測できた。

 もっとよく確かめようと、狩人が一歩、くぼ地の壁面に足を踏み入れた途端、彼はすぐに自分の口と鼻に異常を覚えた。

 

 息が吸えない。まるで栓でもはめられたかのように、吸う動作をしても一向に体の中へ空気を取り込むことはできなかったんだ。

 あわてて、穴から出る狩人。息苦しさはぱっと消えて、大きく深呼吸。とまどっていた肺が大いに酸素を吸い込み出す。十分に息を整えた狩人は、改めて穴の中へ足を伸ばす。

 やはり、くぼ地内にいる時のみ、満足な呼吸ができなくなってしまうらしい。穴の縁を境目にして、空気のみを遮断する幕のようなものが形成されていると、狩人はあたりをつける。

 彼は村へ取って返し、男衆を集めて現場へ急行。息が詰まることを体感してもらったのち、木の柵で周りを囲い、その柵にもしめ縄を巻いて、生者を締め出す方針にした。罠の設置場所のひとつを失ってしまったのは痛いが、安全面の確保が最重要課題だったんだ。

 

 しかし、彼らの目論見は、わずかに半月ほどで崩れ去る。

 定期的に狩りに出ている、狩人の男たち。彼らは昼のうちに狩りを終えて、村に戻ってくるのが常だったが、そのうちのひとりが帰ってこないんだ。すでに陽は西に傾きかけており、この時間帯であれば成果を問わずに帰還するのが、彼らの間での決まり事だった。

 捜索に出た彼らは、件の穴からやや離れた場所で、下生えに身を横たえたメスのシカと、その数歩手前に倒れ伏す、彼の姿を見つける。助け起こそうと先行した者が、「うっ」と声をあげた。


「みんな、存分に息を吸ってから近づけ。あの、空気がない場所だ」


 確かに彼の倒れた地面の周囲、息が吸えない空間となっていた。彼らは息を止めながら、彼を救助。気つけの酒を飲ませたところ、彼は意識を取り戻して話す。シカを見かけて用心深く近づいたが、不意にシカが倒れて、間もなく自分も息が吸えなくなってしまい、たちまち昏倒してしまったとのことだった。

 後日、件の地点の調査に向かった面々は、やはり突然の窒息に見舞われる。あの柵が意味を成していないことが知れたわけだが、更に調べる日を重ねると、もっとやっかいな事態が浮かび上がってくる。


 息の吸えない範囲は、着実に広がっていたんだ。

 調査を始めた初日。窒息の境界をはっきりさせるべく、同道していたひとりが、手近な樹に石で傷をつけた。しかし後日、もう一度その場所へ向かおうとしたところ、印よりも十数歩手前から、すでに満足に息を吸うことがかなわなくなっていたという。

 これはなおさら、安全確保に気を配らねばならない。大人たちは子供たちを連れて、実際に息が詰まる箇所を案内し、日に日に、これまでの危険地帯のありようを無視して、勢力範囲を広げていく窒息空間の存在を、徹底的に教え込んだんだ。

 

 しかし大人の注意というものは、しばしば子供の興味関心を惹いてしまうもの。


「大人たちの示した目印。もう意味を成していない、奥まったところにある奴も多いはずだ。どこまでいけるか、勝負しようぜ」


 かつて大人たちが、命を守るためにつけた警戒の印たちは、いまや子供たちにとっての勲章となった。大人たちの目をかいくぐり、子供たちは己の力を示すために、窒息空間の中へと足を踏み入れるようになったんだ。

 これで誰かひとりでも犠牲者が出たのであれば、また違っていたのかもしれない。だが、子供たちは意外なほど、自分たちの限界についての引き際をわきまえていたそうだ。いや、実際には火事場の馬鹿力で、「何としても、戻ってやる」という執念が生み出した、結果だったのかもしれない。

 時を追って広がる範囲、更新されていく警戒の証、その新しめの印の近辺には、子供たちがつけた無数の削り跡もくっついていく。それはたどり着く者が多いことを示し、奥まった場所ほど、傷が少なくなっていった。

 それこそが、自分が何より優れている証拠。持ち帰ることは不可能でも、いつか誰もがこの空間に踏み込めるようになった時、自慢して回ることができるはず。その思いが、子供たちに挑戦を続けさせていた。


 その中で特段、窒息空間の中でも息を止めることなく、動くことができた子がいたという。

 みんなに知られないよう、あたかも苦しむふりをしていたが、実際にはいつも吸っている空気とさほど変わらぬ心地で、その空間を過ごすことができていた。

 本来ならば、ずっと奥深くまで潜り込むこともできたが、その子はあえて二位にギリギリの差を持っての首位を守り続けていたそうだ。

 出る杭は打たれる。それは子供たちの間でも同じこと。

 あえてほとんど差を生まない「ギリギリ」を装うことで、相手の健闘をたたえる余地を生む。ほぼ同着が数人いることで、自分ひとりだけの場合、厳しく刺さりがちな周囲からの敵意、その矛先の鋭さをやわらげんとする策……彼は本能で、その在り方を実践していたという。

 しかし、明らかになったということは、彼が白状したということ。その告白のきっかけとなったできごとは、このようなものだったらしい。

 

 その日も彼は、他の子どもたちが知りえない、窒息空間の奥深くへ潜り込んでいた。

 周囲の小動物たちは、そのいずれもが微動だにせず、息をしていない。その気になれば彼でも好き放題の手柄を挙げられただろう。

 そして彼は、自分以外にもこの窒息空間に適応した、村の者たちがいるのを知る。一緒に行動していたわけじゃない。存在がバレれば咎められるのは明白ゆえ、身を隠しながら様子をうかがっていたんだ。

 狩人の若い衆、そのうちの二人だ。彼らはここのところ、自分の収穫の多さを村のみんなの前で誇らしげに見せびらかすことが、多くなっていたんだ。狭くなる猟場の中、どうして彼らがこれまで以上の成果を挙げることができるのか、疑問に思う者はそれなりにいた。

 だが、何ということはない。彼らにとっての猟場は、まったく狭まっていなかった。かえって動物たちの逃亡、抵抗がなくなったことで、たなからぼたもちを得ているに過ぎなかったんだ。

 その子が見守る狩人たちは、ずっと奥へ。当然ながら、村の他の者たちはついてきていない。「どこまで欲張る気なんだ」と、その子も興味が湧いて、こっそり後をつけていったそうな。

 やがて彼らの足は、かつてのくぼ地。すべての始まりともいえる、巨大なすり鉢状の穴の縁までやってきた。

 それなりに離れた位置にいたその子からも、柵の周囲には小さめのシカやイノシシたちが、行儀よく並んで倒れているのが見えたという。よほど彼らは手慣れているのか、倒れている獲物たちへ遠慮なく手を伸ばしていき……。

 

 いきなり、柵そのものを壊しつつ、穴に近い側から長い手が伸びた。腕だけでも六尺(約180センチ)を越え、手のひらは寄り添って走っていた狩人たち二人の胴を、まとめてつかむことができる大きさだったという。

 そのまま持ち上げられた狩人たちは助けを求めて叫ぶが、その子はもはや鳥肌を立ててぶるぶる震えるばかり。一目で敵うどころか、近寄ってはいけない相手だと、身体が教えてくれるほど。


「見つけたぞ。我らのクニで生きていけるだろう者を……。お前たちを招こう。我らのクニを救う、最後の戦士として」


 地響きを伴う重々しい声を響かせ、腕は二人をつかまえたまま、その図体からは想像できない俊敏さで、引っ込んでしまう。息を呑みながら動けないその子の耳に、再び声が。


「どうも、まだ戦士たり得る奴の匂いが、するな」


 その子は弾けるように駆け出し、一度も振り返ることなく、村へ逃げ帰ったという。


「あの手の主にとっては、息ができない空間こそ、僕たちが普段生活する空気に満たされたのと同じもの。そこで生きていける奴を、この世界で探していたんだと思う。

 自分たちのいるクニの外にいて、自分たちと共にいられる、助っ人たちを得るために」


 その日より、窒息する空間はウソのように消え去った。

 やはり狩人二人は帰ってこず、件の穴へ近づいて行った大人たちは、その子の言う通り、大いに壊れた柵の姿と、倒れ伏した獣たちの姿を認めたという。



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― 新着の感想 ―
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