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童話・児童向け

フラミンゴ

作者: 村上ガラ

お時間いただけましたら是非お読みいただけますよう、お願いします。


【追記】

拙作「後藤君とスズメの子」をお読み下さった方へ


後藤君、チラ出いたしております。




 「五年生男子、用意。……スタート!」

 パアンとスタートのピストルの音がした。

 ぼくはあっという間に人波に飲まれ、そして取り残され、ただ一人、みんなの背中を見ながら走ることになった。

 今日は僕が通う小学校の持久走大会五・六年生合同開催の日だ。

 まず校内で校庭を一周して、それから裏門から出て、学校の周りを取り囲むように続いている桜並木を通り抜け、学校の周りをおよそ半周する。そして今度は正門から入って、最後にもう一度、校庭を一周する。三時間目と四時間目を使って、男女別に五年生が先に走り、次に六年生。そのあと給食。


 三年生の夏休み、僕は事故でけがをして救急車に乗った。

 治療が終わっても、右足に力が入らなくなり、曲がったままになった。

 誰のせいでもない。自分で自転車に乗っていて坂道を下るときスピードを出しすぎてコンクリートの壁にぶつかった。

 けがを治してくれた黒田先生も、リハビリの井原先生も、不完全マヒだからリハビリ次第で歩けるようになる、がんばろう、と言った。

 でも僕はリハビリや家の中以外は車いすに乗っていた。


 …………なのに。

 僕は持久走大会に出ると決めた。


「大丈夫かい。無理だと思ったら途中でやめていいんだからね。」

 担任の福山先生がさっきまで、何度も何度も、そういっていた。


 僕たち五年生は、この秋のはじめに全員で宿泊学習で山の中の学習施設に泊りがけで行った。五年生になったら家族と離れてよそで一泊するんだ、と一年生のころからあこがれていた行事だった。

 でも、僕はみんなに迷惑をかけた。バスの乗り降り、食堂への集合…………。施設は古くて、全面バリアフリー化しているとは言っても、細すぎて車いすの通りにくい場所もたくさんあった。

 そして、学習活動の時には、整備されていると聞いていた山は道が悪くて、そして坂道ばかりで、自分で車いすを動かすことができなかった。

 先生はずっと僕の車いすを押していた。おぶって歩いてくれた時もあった。

 二日目は先生からしっぷのにおいがした。

 先生はかっこいいけど、いつも自分で冗談めかして言っているように、もう若くはなくておじさんなんだ。いつも笑顔だけど、僕を背負ったり、車いすを一日中押す事はとっても大変なんだ、と、その匂いを嗅ぎながら思った。


 お母さんは事故の後、「私が出かけて家に一人にしていたからだ。だからあんな危ないことを。」と泣いた。

 お父さんは、「僕があんなスポーツタイプの自転車を買ってやったからだ。」と悔やんだ。

 おじいちゃんはもっと自分をせめた。

「わしのせいだ。わしが自転車の手入れをしたときに油を差しすぎたんだ。」と。



 僕は校庭を一周してやっと学校の裏門を目指す。

 もう校庭に残っているのは僕だけだった。先頭らしい二組の後藤君が正門の方から学校に入ってきて、女子の間から歓声が上がった。

 僕が今出たばかりの校庭に後藤君が入ってきたので、先生たちが白いテープを持ってゴールの用意を始めた。


 次に走る女子と六年生が待っている。六年生が終わらないと給食が食べられない。

 待機している六年生の前を通った時、「これ、いつ終わるんだ?」という声が聞こえた。

 五年生の女子が「まだまだだねー」とおしゃべりしているのが聞こえた。

 見にきているお母さんたちが「あの子、歩けたの?」と言っている。


 そうだ。ずるいのは僕だ。歩けるのに歩かなかった。

 お父さん、「こんな自転車買ったからだ!」なんて言ってごめんなさい。

 お母さん、「お母さんのせいだ。全部!」なんて言って八つ当たりしてごめんなさい。

 おじいちゃん、何度も言っているでしょう、僕は両手ばなしでカーブを曲がれるか、やってみてたんだ。だからブレーキは関係ないんだよ。


 二組の川口さんが見ている。三年生の時同じクラスだった。…………可愛いな、と思ってた。

 事故の後、車いすにのって登校した僕をみんなが珍しがって、「それ、ちょっと乗せて。」と取り囲んだことがあった。そのとき川口さんが、「車いすはおもちゃじゃない!」と怒って助けてくれたことがあった。「ありがとう。」と言ったけど、何も言わず、目に涙をためて、ぶるぶる震えていた。いつもおとなしい川口さんが大声を出したので、みんな驚いていたっけ。


 もう十一月というのに異常気象で、今日も日中は二十五度を超えると朝の天気予報で言っていた。お昼近くになって真上に来た太陽がまぶしく照りつける。心臓が口から飛び出しそうにバクバクしている。息が苦しい。



 事故の後しばらくリハビリをしてから、松葉づえをついて外へ出てみたことがあった。気が付かなかったけど、学校の誰かに見られていた。

 僕はかげで呼ばれる名前が付いた。僕が行くとさっと話を止める。くすくす笑いながら僕を見る。

 …………フラミンゴ。そう呼ばれていた。

 僕の右足は曲がったまま伸びない。まるで片足で立つフラミンゴ。

 歩くと僕の体は左右にふらふら揺れる。だから、「ふらつく」の「ふら」でフラミンゴ。

 どっちかな…………。たぶん、両方。

 「フラミンゴ」「フラミンゴ」「フラミンゴ」「フラミンゴ」…………。

 頭の中で、友達の声でその言葉が、何度も何度も再生される。

 ――――みんな僕を見て笑ってるんだ。病院の先生は僕には言わないけれど、きっと、この足は…………この足はどんなにリハビリしても、これから先もずっと変わらないんだ。 

 そう思い始めたら、家の外では車いす以外では動けなくなった。



 僕は一人で裏門を出、学校の外側に敷地を取り囲むように植えられている、今の時期には花を持たない桜並木を走り始めた。でも、裏門から出た桜並木は上り坂で、走る、という格好さえつけることができなかった。

 ただ、歩くだけ。それでも、足が上がらない。つんのめるばかり。目に汗が入って涙が出て、おまけに鼻水まで出てきた。

 こんなみっともない姿、川口さんに見られたくない。好きだなんて思っても、どっちみち、もう僕にはそんな資格もない。

 まだこの後、走る人たちだっている。五年生女子と六年生の男子、女子。みんな待ちくたびれて、もういい加減やめろって思っているにきまっている。

 …………もう、あきらめようか。その方がいい、その方が。これ以上人に迷惑をかけちゃだめだ。

「今日はここまで!」リハビリの井原先生の声が聞こえたような気がした。


 …………でも。


 でも、まだ走りたい。もう一度、走りたい。


 僕は上り坂を上りきり、下り坂に助けられながら、学校の正門前にたどり着いた。

 正門には、僕のクラスの男子が何人もたたずんでいて、遠くから僕の姿を見つけるとそのうちの何人かが門から中へ走って行くのが見えた。


 僕は正門をくぐった。ここから校庭を一周する。

 あと少し、あともう少し。


 気がつくと、隣に、もうとっくに走り終わっている倉田君が来て一緒に走っていた。事故の前まで同じ野球チームのメンバーだった。

 幼なじみのわたる君もそばに来て走り始めた。そういえば、渉君は僕が退院した日には家の前で僕の帰りを待っていてくれた。

 二人が走り始めると、それを機に、走り終わって待機をしていた五年生男子がどんどん僕の周りに集まり、一緒に走り出した。

「ハル、ラストスパート!」

「ハル、もう一息!」

「ハル!」「ハル!」

 …………僕は一人じゃなかった。

 一人になっていたのは、かたくなになっていたのは、僕の方だったんだ。

 みんながいる。そう思うと限界に来ていた体にもう一度、力が湧いてくるようだった。

 参観の保護者の人たちが拍手している。

 女子達がいつの間にか、運動会の時の応援の様に肩を組み、僕の名前を応援歌にのせていた。

っけー、行け行け、行け行け温人はると!行っけー、行け行け、行け行け温人!」

 その集団にいない女子や六年生は声を枯らして、「がんばれー」「がんばれー」と応援してくれた。

 川口さんも拍手しながら、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、声援してくれてる。

 おじいちゃんがビデオを撮るのも忘れて泣いてる。

 お母さんが、隣にいる渉君のお母さんに肩を抱かれて、支えられながら泣いてる。


 …………お母さんの服が砂だらけ…………。どうしてなんだろう…………。


 僕は自分が学校の周りを走っている間、学校の内側で何が起こっていたかも知らず、ともすれば遠のきそうな意識の中で、ぼんやりとそんなことを考えていた。


 それは何年もたって……僕が高校に入った年に、お母さんが病気で緊急入院した時まで僕がすっかり忘れていながら、心の隅っこにその光景は隠れ棲み、消えずにくすぶっていた疑問だった。

 その日、救急車で搬送されたお母さんに付き添って手術室の前の廊下で待っていた時に、ひょんなことから、おじいちゃんがその時のことを話し出したのだ。

 お母さんは、時間を取りすぎている僕にざわつく父兄の間を回って、「わがままなのはわかっています。それでもお願いします。許してください。あの子が立ち直るために力を貸してください」と地面に手をついて頭を下げて回ったこと。

 担任の福山先生も、校長先生や教頭先生、ほかの学年の先生に、お母さんと同じように手をついて頼んでくれていた事。

 それでも渋る父兄や先生たちを、いつの間に結束したのか、生徒たちがほぼ全員で「いいじゃん! 今日一日位、いいじゃん!」と押切り、僕を応援してくれたこと。

 そして、福山先生が「先生やお母さんが頼んだということは、温人には内緒にして欲しい」とみんなにお願いしていた事。そしてみんながそれきりそのことを僕に内緒にしていた事。

 僕は何も知らずにみんなに助けられ、守られていた事を5年もたって、その時初めて知ったのだった。

 あの時僕を見守ってくれていた福山先生はその翌年に登山中の事故で亡くなった。

 その知らせを聞いた時、僕はいつか先生のように強く、そして優しくなりたいと泣きながら思った。

 




 目の前に白いテープが見えた。本当は一位の人のためだけのゴールテープ。それを僕のために先生が引いてくれたんだ。

 僕は白いテープに手を伸ばし倒れこんだ。福山先生が僕を抱き取ってくれた。見上げると砂で汚れて涙にぬれた先生の顔から鼻水が垂れて糸を引いていた。

 先生の肩ごしに、校舎の東棟の壁に描かれた鶴の絵が見えた。西棟には亀の絵。

「つるかめってセンスない」ってみんなで言っていたけれど、今、その鶴校舎の壁の飛び立っている鶴の絵が、僕にはフラミンゴの飛び立つ姿に見えた。

 そしてふと、その絵の上にかかっている時計が見えた。十一時四十五分。僕一人のために三時間目どころか四時間目が終わろうとしている。五年生女子も、六年生もまだ走っていない。

 大変だ、大変だ。僕はやっと、自分が大変なことをした、と気が付いた。

 僕は福山先生の腕の中で力尽き、息をするのが精一杯の状態だった。

 でも、早く、早く先生に謝らないと。

 四月にこのクラスになってすぐの時、福山先生が僕たちを四時間目に校外に連れて行ってくれた。その時、学校に戻るのが予定より遅れてしまい、福山先生は教頭先生に、

「この時間が遅れるということは、大変なことで、シマツショものですよ」と、怒られていた。

 あのときも、”僕のせいで遅くなったのに”と思った。

 また、僕のせいで福山先生が叱られる。

「せ、先生…………」僕に振り返った先生の、鼻水の先の玉が光ってゆれた。

「きゅ……」僕はぜーぜーとあえぎながら声をしぼり出した。

「給…………食…お、そく……なる……ね、ご、めん……なさい。」


 先生が少し驚いたように目を見開いた。

 そして涙と砂で汚れた顔で、くしゃっと、笑った。   



貴重なお時間を取ってお読みくださいまして、ありがとうございました。_(_^_)_

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― 新着の感想 ―
[良い点] ずっと前に拝読していました。でもその時は上手く感想が書けなくて。 それからずっと気になっていたので、もう一度読み返してみました。 温人くんは自分の小さな好奇心が全ての引き金となったこと、…
[良い点] フラミンゴのお話かな?と思いながら読み始め、その意味の重さを知った今、目の奥が熱いです。 家族や先生の優しさ、温かさ。 応援してくれた友人達の存在。 多くの支えがあっての自分だと理解して…
[良い点] 涙が出ました。 素晴らしい作品をありがとうございました。
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