若すぎる執事、勤労
日下部 悠馬君。七歳。
これから一週間、彼が私の執事として働くのは間違いないらしい。
ちなみに彼は小学二年生。
既に秋口に入りかかっている現在、当然ながら夏休みなど終わっている。
なので彼は義務教育を受けるべく、小学校に赴くのが当然の筈だ。
(……事情は聞かない方がいいんだろうか……)
学校に行け! と言いたいのは山々だが、私は人の事を言えない。
何せ大学など入学式しか行ってないのだ。あの悲しい事件以来。
「お嬢様、タオルです」
「あ、うん……ありがとう……」
私は朝食の前に歯を磨き、口を濯いだ直後のナイスタイミングでタオルを差し出される。
彼の振舞いは完璧だ。とても七歳とは思えない。
バッチリ小さな燕尾服を着こなし、子供っぽい言動は一切しない。
もしかしてこの子は……大人にならざるを得なかった子供……という奴だろうか。
高校の時、数学の教師が授業を脱線させて世間話を始めた。
最初は何のことの無い、自分の趣味の話。
そこから話はどんどん変わっていき……その話は始まった。
「大人にならざるを得なかった子供」
最初は一体何の話だと思ったが、要は親の虐待、または行き過ぎた教育によって子供らしさを無くした子供達。何か子供っぽく駄々を捏ねると虐待を受け「大人にならなければ」と思った子供達は自分を押し殺すようになる。次第に自分の人生はつまらない、と悟り……最悪自殺を選ぶケースもある。そういった子供達は年々増えており、事実、自殺した小学生は数百人を越えている。
(私には無縁の話だと思ってたけど……)
そうだ、決して無縁では無い。
小学生が人生をつまらないと悟る? そんな話があって良いわけが無い。
まだ世界の百分の一も知らない子供が、人生を諦めるなんて……
「お嬢様、パンツは白ですか。子供っぽいですね」
「あん? って、ふおぁあぅ! 何スカート捲ってんねん!」
「いえ、少し……元気が無さそうでしたので。何か心配事ですか?」
なんだ、この子は!
私のパンツを覗き見るとか十年早くてよ!
というか……私の顔色を窺っていたのか?
七歳の子供が……
「え、えっと……悠馬君? 君はその……」
ちょっと待て、親の事とか聞いていいのか?
もしかして、グアムに行ったあの男は……この子を親から取り上げたんじゃ……
「なんですか? お嬢様」
「え、いや……なんでもないですわよ。とりあえず……ご飯を食べにいこうではないか」
そのまま悠馬君の肩に手を置きつつ、共に食堂へ。
むむ、家政婦さんが居ない。いつも朝食を作ってくれる人が……
「ぁ、家政婦さんも一緒にグアムに行ったみたいです。なのでこの家には僕とお嬢様しかいません」
「あ?」
にゃ、にゃんだと!
あいつら……何を考えている!
私を餓死させる気か! 我が家にはインスタントラーメンとか置いてないのに……!
「なので朝食は僕が作りました。本日の献立はフレンチトーストにサラダ、カボチャのスープです」
よく見るとテーブルの隅っこに湯気立つ朝食が。
しかもかなり美味しそう。というかカボチャのスープって……
「え、これ……悠馬君が作ったの?」
「はい、僕が作りました。お口に合うかどうか……ご賞味下さい」
椅子を引いて私を座らせる悠馬君。
というか一人分しかないぞ。君は食べないのかね。
「僕は後で頂きます。お気になさらないでください」
「いや、ちょっと待って……一緒に食べようよ、寂しいですたい」
「……お嬢様がそう仰られるなら……」
そのまま悠馬君は食堂の奥からカートを引いて自分の分の朝食を持ってくる。
しかし献立が随分と質素だ。これは……トーストにバターを塗っただけでは……?
「それ……悠馬君の朝食?」
「はい。これが僕の朝食です」
そのまま私の隣に座り、朝食を食べ始める悠馬君。
いやいやいや、何だ、何なんだ私。
こんな小さな子に朝食を作らせて……当の本人はトースト一枚って……
「悠馬君……もっと食べなきゃ……」
「気にしないでください。僕はこれで十分ですので。それよりお嬢様、ご飯が冷めてしまいます、どうかお食べになってください」
「…………」
そっとスプーンをとり、カボチャのスープを一口。
途端に涙が出そうになる。
美味しい。美味しすぎる。
しかし美味しいから涙が出そうなのでは無い。
一体、七歳の子供がどんな経験をすれば……こんな美味しい気の利いた朝食を用意できるのか。
悔しい、悔しくてたまらない。
私は一体、今何をしているんだ。
「お嬢様? 泣いているのですか?」
「…………美味しい……美味しい……」
泣きながらスープを一気飲みする。
悠馬君が作ってくれた朝食を、私は貪欲に吸収していく。
悔しい、自分が愚かで情けない。
私はこんな美味しい料理は作れない。
親から虐待を受け、大人にならざるを得なかった悠馬君……。
そんな彼のこれまでを想像するだけでゾっとする。
私にはちゃんと無条件で愛してくれる存在が居た。
両親、兄弟、近所の犬。
でも悠馬君は……
「お嬢様、知ってますか? カボチャのスープにカマキリの卵を入れると、まろやかに……」
「ぶほうえぇ! ちょ、ちょぉぉぉ! 何?! カマキリ?!」
思わず吹き出してしまい、口元を手で拭う私!
入れたのか?! カマキリの卵、入れたのか?!
「冗談です。お嬢様が泣いていらしたので……どうしたのかと思いまして」
そのままハンカチで私が吹き出したスープを拭う悠馬君。
胸元についたスープを拭いながら、悠馬君は少し赤い顔に。
「お嬢様……中々に立派な……」
「お前ホントに小学生か! 私の胸に興味を持つなんて十年早くてよ! っていうか悠馬君……自分でやるから……」
「いえ、僕はお嬢様の執事なので。僕がやります」
そのまま床まで拭きだす悠馬君。
膝を付き、私が零したスープを……
「待って、待って! お願いだから……待って……」
私は床へと座り込み、代わりに悠馬君を立たせていた。
そのまま七歳の少年を抱き寄せる私。
もうダメだ……私は……もう限界だ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「何を謝っているのですか、お嬢様」
そうだ、何に何を謝っているんだ。
私は……悠馬君に甘えているだけだ。
ただ不甲斐ない私を、どうか慰めてと……
「悠馬君……私がやるから……」
「だからそれは僕の……」
「……じゃ、じゃあこうしよう。ご飯を食べた後で……二人で掃除しよう……それでいい?」
なんか物凄く不満げに頷く悠馬君。
よし、そうと決まれば……
「とりあえず悠馬君はもっとご飯食べて……お昼は私が作るから! っていうか作らせて!」
「どうしたんですか、お嬢様。お嬢様はもっとダラダラ食っちゃ寝する方だと聞いていたのですが」
あの野郎!! あのグアム野郎!
何を吹き込んでんだ! 間違っちゃいないけど!
もう正にそのままなんだけど!
「では早く朝食を済ませましょう。お嬢様のトースト、半分頂きますね」
※
朝食の後、私と悠馬君はバケツと雑巾で食堂を掃除した。
もう隅から隅まで。完璧なまでに。なんならワックスもかけた。
「これで良し……美しい!」
「ですね。掃除をすると自分の心も洗われるようです」
とても七歳が言う言葉では無い。
もっと子供っぽくしてほしいのだが……いや、待て。
そもそも、私が子供っぽいからダメなのでは?
もっと私は頼れる大人! と、この子に思わせなくては!
「悠馬君、汗掻いたでしょ。お風呂に入ろうではないか」
「はい、では準備をしてきま……」
「ちょっとまたれい! 風呂掃除なら私がするから!」
「いえ、それは僕の仕事です」
な、なんだとう!
ここでも立ちはだかるか。しかし譲れん! ここは決して譲らない!
「よし、じゃあ……何か勝負しよう。その勝負で勝った方が風呂掃除って事で!」
「受けて立ちます。勝負の内容はどうされますか?」
ふふふ。いくら大人っぽいとはいえ、彼は小学生!
庭を使って短距離走で勝負だ! いくらなんでも私が負ける要素など無い!
※
《十分後!》
「ちょ、まって……もう一本……」
「もう十一回目の“待て”ですよ。お嬢様。足遅すぎです」
ぐあぁぁ! 腰が……腰が砕けそうだ!
普段ベッドでゴロゴロしてるから……足腰が悲鳴を上げている!
「ちょ、休憩しよう……それからもう一本……」
「はいはい。お嬢様はもっと体を鍛えるべきです」
そのまま芝生に横になる私。
隣に悠馬君も寝転がってきた。あぁ、いい天気だ。
寒くも無いし暑くも無い。ちょうどいい気候だ。
やっぱり……秋が一番最高だなぁ……。
「お嬢様……あの雲、シロクマに見えませんか?」
「ん? あぁ、なんかそれっぽい……雲は白いから、シロクマになっちゃうな……」
「じゃあ……あっちの雲は……白いワンちゃんですね」
ふむぅ、そういわれてみれば……なんかマルチーズっぽい。
モフモフで目がクリンクリンの……
「それであっちは、白いウミヘビ……」
海……ヘビ?
「で、あっちは白いアリ」
白……アリ?
「そんでもってあれは……白い……イカ」
「ちょっと待って、イカって元々白いでしょ」
「いいえ、世の中は広いです。黒いイカも居るかもしれません」
黒いイカって……そんなもん居るわけないだろうが。
【注意:コウイカ、というイカは黒っぽく見えます。ちなみにイカには種類が多く、色のバリエーションも豊富です】
「お嬢様……なんだかこうしていると……眠く……」
そのまま青空の下、悠馬君は寝息を立て始めた。
むむ、寝ちゃったのか。
そっと寝顔を拝見する私。恐ろしく可愛い。なんだったらファーストキスを奪いたいくらいだ。
「……こうしてると……普通の小学生なんだけどな……」
私はそっと悠馬君を抱っこし、家の中へと。
そのまま燕尾服を脱がせ、私のベットへと寝かせる。
その時、燕尾服のポケットからロケットペンダントが落ちた。
「おおぅ、今時ロケットって……珍しいな」
落ちた拍子に開いたロケットを、つい見てしまう。
そこには若い夫婦らしき男女が二人。
もしかして……悠馬君の両親だろうか。
「…………」
私はそっとロケットをポケットに戻しつつ部屋を後にする。
さてさて、風呂掃除して……昼食を作るぞ!