第四話 染まる心
旧校舎一階の部室棟。
薄汚れたプラスチック製の板に、科学研究部と書かれた部室がある。
何をする部活なのかと聞かれたら、世界の不思議を解き明かそう、みたいな部活だと答える。つまり方向性の定まっていない部活ということだ。
各部員は、自分の興味ある事を調べるために、部活動に勤しんでいる。
この学校が、部活動を義務化していなければ、俺は素直に帰宅部として生活していたことだろう。
真面目に部活を考えてない俺だからこそ、このなんとも言えない部活に所属しているのだ。
部活メンバーが、俺含めて三人しかいないのに、部室が貰えてるところとかもポイントが高い。
流石に来年はメンバー五人にしないと、部室を取り上げられるらしいので、部長は頑張って部員を増やす方法を、考えているが……今年も一名は入部したのだから何とかなるだろう。
古く立て付けの悪い扉を開けると、金具が軋む音を立てながら開いていく。
部室内には、冷蔵庫と起動中のパソコン音が、唸るようになっている。
机の上には、専門雑誌などが、乱雑に置かれていて、お世辞にも綺麗とはいえない環境だった。
「キョウ先輩~遅いです~」
開閉早々に、パソコンに向き合っている少女が声を上げる。
主にこの部屋がこんなに汚くなってるのは、この少女、柊木沙也加が原因である。
サヤカは小学生と見間違うぐらい幼い容姿と身長で、腰辺りまで赤毛を伸ばしていた。
低身長なのが、コンプレックスらしく、髪の毛を伸ばすのは、背が少しでも高く見せるためという涙ぐましい努力をしていたりもする。
ブーブーとむくれた顔で、俺のことを不満気に見ていた。
「別に俺が居なくても、問題ないだろう」
俺がこの部室に顔を出すのは、お茶とお菓子を食べる為で、部活内容に何一つ貢献していないから、遅れたところで実害はないはずだ。
「話を聞いてくれる人が居ないと、暇なんです~」
確かに周りを見る限り、サヤカしかいない。部長もまだ来てないみたいだった。
今は、部長も部員集めの対策で忙しいし、しょうが無いな……そうなるとサヤカの話に、俺が付き合わされることになるのか……。
この様子を見ると、何か話題があるのだと思うが、サヤカの話は、普通の女子高生の話とは、全然話題が違う。専門的な話が多く、クラスでもそれが原因で浮いた存在だというのを、耳にしている。
いわゆる変人に分類される人種ということだ。そんな人間に話題を合わせる自信はないが、聞くだけなら聞こう。
「なんか、面白いものでも見つけたのか?」
椅子に腰を下ろすと、サヤカは嬉しそうに、パソコンの液晶モニターを向けてくる。
液晶モニターには、英文表記のサイトを、翻訳した状態で表示されていた。
もしサヤカに犬のような尻尾があったら、パタパタと尻尾を振っているだろう。その様子から早くこのサイトを読めと、言いたいのが伝わってくる。
不本意ではあるが、読まないと先に進まなそうなので、読むことにした。
このサイト“地球浄化計画 ”と出だしに書かれた文面から、既に怪しさがにじみ出ている。
読んでみると、内容は大気汚染などで、汚れてしまった地球を綺麗にする為の計画みたいで、人間を宇宙に移住させて、誰もいなくなった地球を、ロボットが環境保全に務めさせる。その様子をモニターして……簡単に言うと、地球のシュミレーションゲームみたいなことが書かれていた。
トンデモ科学な内容に、失笑しか無い。
だが、此処最近、地球環境問題が、ニュースなどで重要視されていて、この様なトンデモ科学を考える、学者が増えているのは確かだった。
もちろんまともな話もあるが、どうしてもこちらの方が、悪目立ちしている。ネット上では、“僕の考えた最強の環境計画 ”とかで、盛り上がっているみたいだった。
「今回は、随分と気の長い話だな」
「綺麗になるまで、大半の人類をコールドスリープさせるそうですよ」
「穴だらけ過ぎて、笑えてくるな」
地球環境の一番の問題である、戦争を止めようとする意見は、何処にもないのが、現状の凄いところだ。皆が皆、戦争はなくならないと、考えているのだろう。
人は争う生き物だし、増え続ける人口もその一端になっている。
人が増えれば資源が減る、資源は有限だからこそ、取り合いが始まるのだ。それを防ぐことは、不可能であり、議論に出したとすれば、解決策などない、不毛な話し合いになる。
本気で解決を願うなら、このトンデモ科学と同じで、宇宙に進出するしかないが、今すぐ出来る訳でもない。結局話は、進まない状態だということだ。
二人で話してる途中で、再度金具の軋む音が部屋に響いた。
俺とサヤカは、話を中断し扉を開けた人物を、黙って見ていた。
切れ長の瞳と、癖毛の髪を後ろに束ねた、どこと無く冷たい印象の女子高生が立っていた。
身長は平均的だが、胸のサイズは人一倍目立っていて、そのことを気にしてか、一サイズ大きめの制服を身に着けている。
俺とサヤカの視線に、女子高生は気恥ずかしそうな面持ちで、部室内入る。
「二人してどうしたの……。そんなに見つめられると、恥ずかしいんだけど」
まるで、この部屋に来るのが、当たり前という振る舞いと、俺達のことを知ってる風に、話すのは当然、なぜならこの部活の部長、日野森杏里だからだ。
顔に似合わず、人見知りで、人の目を見て喋れないという弱点を抱えてる。どうしてそんなやつが、部長なのかと言えば、やる部員がいないからとしか言えない。
「なんだ、見たらいけないのか?」
「え? あ……うん、駄目じゃないけど……」
俺の言葉に、困った感じにアンリは答える。これ以上見すぎると、どこかに逃げてしまいそうだから、止めてやろう。
そもそも同級生とは言え、女子高生をガン見してたら、駄目だろう。アンリには、もっと強く否定するように、教えないといずれ大変な目に合いそうだ。
アンリは、何処か申し訳なさそうに席に着く、これでいつもの面々が揃ったことになる。
「アンリ部長どうなったんです? 大丈夫みたいですか?」
「え? あ!! あ――……いたい……。えっと、うん……協力してくれるみたいだよ」
席についた瞬間、サヤカに話しかけられ、ビックっとアンリが反応し、椅子のバランスを崩して倒れてしまった。事故かと思われるが、サヤカの左手にはスマホが握られていて、カシャッと言う音が聞こえたから、確信犯だと思う。カメラの位置的にパンチラショットを狙ってるみたいだった……俺は何も見なかったことにした。
「協力? 何かあったのか?」
「えっとね……実験の資材が足りなかったから、ロボ研の人達が……協力してくれることになったの」
腰をさすりながら、再度席につくと、アンリは話しはじめるが、相手の目を見て話そうとするが、その度に気恥ずかしそうに目線を泳がせ、声もか細くなっていく様子が、じれったく感じる。
俺は、無理させないように適当な雑誌を手に取り、雑誌を見ながら聞くことにした。
こんな奴が、交渉なんて出来るのかと最初は思っていたが、意外にもロボ研からは好評らしく、なにかある度に、アンリを行かせている。
関係ない話だが、この部室内に、サヤカが用意した交渉用衣装と書かれたロッカーもあるが、俺は怖くて中身を見ていない。今のところ使われたことはないようだ。
「実験って、来年に向けて何をやるか決まったのか?」
「う、うん……前にも話したと思うけど、視覚共有体験をやろうかなって考えてるの……詳しく話すとね、人間は電気信号によって、様々な情報を脳に送ってるんだよ。……それでね、自分のイメージした視覚情報を、他者の脳に共有することで、そこにない物が見えるようになるってことなんだけど……。その為にまずね、視覚情報の共有化についてなんだけどね」
最初はたどたどしく会話が始まったが、次第に説明に熱が入り、専門的な話に広がろうとしていた。
このまま聞いても、わけが分からず、俺は両手を上げて降参の意志を示す。
「楽しそうなところすまん、全然わからん」
「キョウ先輩は、想像力が乏しいからですよ~」
俺の完璧な降参を煽るように、サヤカが言うので頭を小突くと、涙目になりながらアンリに抱きついた。
俺達のやり取りを見て、クスクスと笑っていたアンリも、急にサヤカに抱きつかれたので、どうすれば良いのか解らずに戸惑うが、抱きついた本人は気にもせずに、胸に顔を埋めて、柔らかさを堪能していた。
コイツはレズっ気があるのかと思ったけど、この光景は、どう見てもエロ親父が、女子高生の胸を、揉みしだいてる様にしか見えなかった。
そんなやり取りの中、時刻は十七時半になろうとしていた。
「じゃぁ帰るか」
俺の言葉を切っ掛けに、部活の面々な帰宅する準備をはじめるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
夜に近い夕暮れ時の学校からは、部活帰りの生徒達が疎らに居るぐらいで、人通りは極めて少なく、寂しさを感じてしまう。
校門を抜けたところで、サヤカと別れ、アンリと二人並木通りを歩いて行く。
「……実験が上手くいったら、新しい人来てくれるかな?」
来年に向けて準備を続けているアンリは、部長としての役割をプレッシャーに感じているのか、何処か自信なさげの表情で言う。
「凄いものを見たら、興味を示す奴はでるだろうな。まぁ来年のことを心配しても、しょうがねぇし、何とかなるさ」
今日コウスケから学んだ事を、口にする。将来を考えすぎて、手が塞がるなら、大雑把に未来を見据えて、行動した方がいい。でも、そんな事を真面目に答えるのも、気恥ずかしいので、あっけらかんと口にする。
街灯の明かりが、夕闇の空を染めていく。
人家から聞こえる家庭音が、静かな並木道に響いている。
夏の暑さが、夜が近づくに連れて、やんわりとしていく。
何も変わらない、日常が過ぎていく。
そう思っていたが、急に背筋を凍らす悪寒を感じる。
先程まで、街灯に染まっていた夕暮れの空は、青い色に染まり、周りの景色も時間を切り取ったかの様に、静止していた。
隣を歩いていた、アンリすら微動だに動かず、息遣いすら聞こえてこない。
薄っすらと青みかかった景色に、俺だけが取り残されていた。
「おい、どうしたんだ急に?」
呼びかけても、アンリから返事は聞こえない。
揺すっても、声をかけても、反応一つ返って来ない。
何が起きているのか、理解できない……これは、まるで昨日の出来事のようだ。
急に大蜘蛛が頭によぎり、周りを確認するが、大蜘蛛の姿は、見当たらない。
「嘘だろ……」
だけど俺は絶句した。
確かに大蜘蛛の姿はなかったが、人間の子供サイズぐらいの蜘蛛が、数匹の群れをなして近づいてくるのが見えたからだ。
数にして七匹ぐらいだが、蜘蛛にしては大きすぎる……そしてなにより、近くの人を鋭い牙の生えた口で切断しながら食べているのだった。
食べられてる人は、抵抗も反応もしていない。ただ黙って食べられているだけだった。
腕を引き千切られ、腹からは内臓が飛び出して、血で地面を赤く染めていく。首がもげて落ちた弾みで顔がこちらを向くが、その表情は、穏やかそうだった。
それが酷く不気味で、グロテスクな光景に、たまらずに胃の内容物を地面に吐き出した。
人を食べていた子蜘蛛の一匹が、俺の事に気づき青色の八つの目がこちらを見ていた。
逃げるべきか……たしかに動かない、アンリを置いてけば逃げれるかも知れない。
動かない、人間というのは、逃げる時にはどうしても足手まといになる。引きずって逃げるわけにもいかない、だからといって見捨てるのか?
論外だ。此処で見捨てて逃げたら、俺という人間を、否定して生きなきゃいけない。
手足は震えている。当たり前だ、人が初めて食われる所を見たんだ……。
でも、人が死ぬ所を見るのは、初めてじゃ……無い気がする。もっと昔にも……。ダメだ今は、そんな事を考えてる場合じゃない。
幸いこっちに来ている、子蜘蛛は一匹……。動きは人の子供と同じぐらいの速さみたいだ。これで、俊足だとしたら、手に負えなかっただろうが、あれぐらいの動きなら何とかなりそうだ。
俺は手に持った、鞄を構えて向かってくる子蜘蛛に、叩きつけるべく前に出る。後ろのアンリが巻き込まれる訳には、いかないからだ。
最初は一歩、一歩遅い足取りだったが、そのうち勢いを付けて走り出していた。
「うおおおお!!」
自分はやれると言い聞かせ、気合を入れて立ち向かう。
その勢いで、まずは子蜘蛛に鞄を叩きつける。子蜘蛛は、避ける動作をしなかったので、簡単に当てることが出来た。
鞄の当たった子蜘蛛は、体をバウンドさせながら後ろに跳ねていくが、起き上がると鋭い牙をこすり合わせけたたましい歯ぎしりを鳴らして、何事もなかったかの様に、前に進んでくる。
ダメージば、受けてないみたいだ。
「なら、蹴り殺すまでだ!!」
俺はまた前進する、今度はあの子蜘蛛を蹴り殺す為に、攻撃が当たるなら出来ると思った。
確かに蹴ることは出来たが、先程は避ける動作をしないで後ろに跳ね飛ばされた、子蜘蛛だったが、今度は俺の蹴り出した足に、引っ付くように飛びついてくる。
俺の右足に、子蜘蛛が引っ付きながらギチギチと歯を鳴らしている。
「クッソ! 離れろ」
そう叫びながら、子蜘蛛を殴るが、びくともしない。
むしろ鉄でも殴ってるみたいで、俺の拳の方が血を流しダメージを受けていた。それでも殴るのを、止める訳にはいかない……先程見た光景を想像してしまうからだ。
このまま何もしなければ、食われてしまう……それは嫌だと、だからこそ全力で抗うんだ。
殴り続ける俺を品定めするように、子蜘蛛の八つの目は、俺を見ている。すると、何か考えが浮かんだのだろうか、子蜘蛛は口から白い糸を無数に吐き出す。吐き出された糸は、俺の右腕に絡まっていく。
たかが蜘蛛の糸ぐらい、簡単に引きちぎれると思ったが、糸の絡まった右腕が、びくとも動かない。まるで鎖で拘束されているみたいだった。
次に俺の左腕が、蜘蛛の糸に拘束される。これで俺の右腕と左腕は、自由に動かせない状態になった。
「ちくしょう! 放せこの野郎」
そう言ったところで、子蜘蛛に俺を開放する意志は、無いと言うことだけ伝わってくる。
そもそも交渉出来るとも考えていない。
このまま抵抗できずに、食われるのか? 嫌だ……。嫌だ……。
絶望が広がっていく……何処までも暗い感情、色にすると黒い色が、じんわりと心に広がっていく。
だが、予想外に子蜘蛛は、俺を食べようとはしなかった。俺を観察し続けているだけで、他に何もしてこない。
助かったと、心の中で思った。それは、安堵の気持ち、色にすると白い色が、黒に染まろうとしていた心を、和らげるような感じだ。
そのうち、他の子蜘蛛も人を食べ終わったのか、俺の前に群がってきていた。
七匹の子蜘蛛同士が、ギチギチと歯を合わせ、何かを話し合ってるようにも見える。
すると結論が出たのか、鳴らしていた歯音が止み、静けさがあたりを包む。
「待て……俺を食うな、まずは話し合おう」
俺も何を言ってるのか、解らなくなっていたが、子蜘蛛は少なからずコミュニケーションを取り合ってるみたいに見えるので、交渉を試みたのだろう。
そもそも蜘蛛語とか習得しているわけもなく、体の動かせない俺に何かを伝える手段など、どこにもない。
だが予想外にも、子蜘蛛達は俺に何かすることはなく、先に進んでいく。
「どうなってるんだ?」
何故助かったのかの慰問が、頭のなかで交叉する。すると、すぐに答えは出た。俺は助かっていないという答えが……。
子蜘蛛の向かった先には、アンリがいる。
「やめろ!!」
俺はこれから起きる出来事を、まるで予想するかのように叫んだ。だが、その叫びを子蜘蛛は気にする様子もなく進んでいく。
あいつらは、たぶん初めて反応を示す人間を見て、遊ぶことを考えている。そんな醜悪な思想の持ち主だとしか思えない。
だからこそ、俺の目の前でアンリを食おうとしている。
心に怒りが満ちてくる。赤い色が心の中に広がりを見せる。
俺は玩具じゃねえぞ! そう思い、拘束された腕を引き千切らん勢いで、引っ張る。足を前に踏み出す度に、腕からは激しい痛みが、伝わってくる。
例えどんなに強い信念を、持っていても、不可能な事はある。今まさに蜘蛛の糸から抜けようとしている光景も、不可能でしか無い。人間の腕はそう簡単に千切れるものでもなく、仮に千切れたとしても、無意識に庇う行動に出てしまうものだ。
だからこそ、何も出来ない。無力でしか無い。
目の前で、アンリが殺されていく光景を見るしか無い。
彼女の表情は、変わりなく微笑んでいる。
何で笑ってるんだ……お前もう……体が……。
臓物が、地面にぶちまけられる。手足はバラバラに引き千切られる。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
その光景を見て、俺は壊れた。心の中は色々な色をぶちまけたみたいに、ぐちゃぐちゃになっている。この状態……俺は昔に体験したような気がするが、そんな事は今はどうでも良い。
もうわけもわからない、考えがまとまらない。その時、頭に女性の声が響いてくる。
『アレを殺したいか?』
俺はその問いに答える。答えはもちろん「殺したい」と……。