第三話 血塗れの男
気がつくと自室に居た。
先程の光景は夢だったのだろうか? 大蜘蛛に追いかけられて、白髪の少女がいて、何か独り言を呟いていた。少女の後ろには、俺を追いかけてきた大蜘蛛がいて、この少女が元凶だと思ったが、どうにも違う感じもする。
一つ一つ整理しようとするが、上手く纏まらないが、あの出来事はもう終わったことなんだと、改めて認識すると涙が溢れてくる。
「た、助かった」
抉られた左肩に目をやると、着ていたシャツはズタボロに切り裂かれていた。
あの出来事は、夢では無いと警告しているみたいだった。
自分の姿を部屋に置いてあった全身鏡で確認すると、体中血まみれの男がそこには映っていた。
鏡に映る男は十七歳の百八十二センチぐらいの長身で、短髪の黒髪と人を殺してそうな目付きの悪さが目立つ……たしかに血まみれなのを除けば、俺の姿で間違いなかった。
この体に付着してる血は、先程の少女のだと思うと、罪悪感より、酷い姿を見たという嫌悪感が強まる。そもそも罪悪感を抱く以前に、何故あの様な目に、合わなければいけないのか、という気持ちしかなかった。
血で汚れた衣服を、脱ぎ捨てて乱暴に、ゴミ箱に放り投げる。
……事件沙汰にならないよな、と小心者の考えが浮かぶが、他にどうしたら良いのか解らずそのまま捨てることにした。
血で汚れた体をシャワーで洗い流しながら、この時だけ自分に両親がいない事を安堵した。仮に両親が生きていて、この光景を見た場合、何を言えば良いのか解らなかっただろう。
両親と妹は、俺が小学二年の時に、死んでいる。
何故死んだのか……その時の記憶が曖昧で、良く思い出せない。
両親が残した財産は、叔父夫婦に奪われ、俺はその時から大人というものが嫌いだった。
だから、高校入学を機に、六畳一間のアパートを借りて一人暮らしを始めている。
奪われた財産も少ないながら取り戻し、何も不満のない日々を満喫するはずだったのに、最悪だ……何もかも最悪だ。
時計を見ると、時刻は午前三時半を回ったところだった。
今から寝ても、悪夢しか見ないだろうな……。と考えるぐらいまでは、冷静さを取り戻していた。
「明日は……七月十八日火曜日か……学校行きたくねぇな……」
休み明けにしては、最悪の気分で、明日から夏休みなら、学校に行かなくて済むのに、学校に行くと、先程の光景を思い出しそうで、憂鬱になる。
だがそんな理由で、休んでもきっと自分の足をひっぱる結果しか残らない。
先程も言ったが、俺には両親がいない為、面倒を見てくれるのは自分自身しかいないからだ。好き嫌いで、選択する自由は、どこにもない。
「これから先、もし同じ目にあうかもしれない……いや、そうそう同じ目にあってたまるか」
自分に言い聞かせるように、口にした。
もちろん根拠なんて何処にもないが、鼓舞しなければ暗い気持ちに飲み込まれてしまうような気がしたからだ。
試しに同じような事を体験した人がいないか、ネットで検索しても該当する項目はなかった。
色々調べてる間に、セットしていたスマホのアラームが、ピッピッピと音を鳴らす。
ついに学校に行く時間が来た事を知らせる合図だ。
……行くか、そう心に決めて、学校に向かった。ただ、食欲はわかなかったので、朝食は食べなかった。
通学路を、俺以外の学生達も歩いている。
進学に不安を抱える人、何も考えていない人、楽しげに友人と会話する人、色々な人がいる。この中で、俺みたいな気持ちの人はたぶん誰一人いないだろう。
友人にこの事を、話してみたら気が紛れるだろうか? いや、信じられる話でもないし、馬鹿にされるのが目に見えている。俺がこんな話を聞いたら、病院を進めるだろう。
「はぁ……」
知らず知らずのうちにため息が、口から漏れ出していた。
「おっす恭弥、なに朝からため息なんて出してんだよ」
背中を叩かれ、振り向くと、数少ない友人の一人、萩原康介がお気楽な笑顔を俺に向けていた。
年齢は十六、俺と同じ高校二年生、百七十伍センチ、童顔の顔と同じように頭の中もお気楽な性格をしている。
このお気楽野朗を、朝から見るなんて、ついてねぇなと心から思った。
「お前には関係ねぇよ」
苛立ちを隠さずに、言葉にする。
ようは、今機嫌が悪いから話しかけるなという、無言の知らせである。ただ、このコウスケはそんな空気を読める奴ではない、というか読んでもお構いなしな奴だ。
「なになに、こんないい天気に、朝から不機嫌とはお前……欲求不満か?」
「……殺すぞ」
人を睨み殺しそうな目線を、コウスケに向けるが、全く動じないし気にもとめていない。
「そんな怖いこと言いっこなし、それより早く行こうぜ」
全く、今の心境には疲れる奴だ。
だが、コウスケと友人になったのも、こういう奴だからこそだった。
俺は自分の境遇と顔立ちから、あまり人付き合いが上手いわけでもない。むしろ教室では不良と間違えられて、避けられている。
そんな俺に、コウスケは動じず、あっけらかんと話しかけてくる。
コイツもこんな性格だから、周りからはウザがられ、友達が少ないらしい、だからこそ、あぶれた二人でよくつるむ関係になった。
学校に着くと、嫌な汗が背中を伝ってくる。心臓も激しく鼓動を響かせ、手も少し震えていた。本当に此処は、学校なのか、それとも……廊下を歩いてる最中に、後ろで気配がすると振り向いていた。
「……はぁ」
後ろを振り向いて、大蜘蛛ではないとわかると、安堵のため息が口から出てくる。
「なに、お前何かに狙われてんの? 映画の見すぎなんじゃね?」
「……なんでもねえよ」
何かに狙われてるのかと聞かれた時、少し動揺するが、何とか平常心を保って返答する。
その様子にコウスケは、おかしな顔をするけど、あまり気にしてはいないようだった。
教室の扉を開いて、教室だと確認すると、今までの緊張から開放されて、椅子に座ると同時にそのまま、机に突っぶした。
「教室があった……」
「あはは、変なやつだな」
俺の言葉を聞いて、コウスケは笑っていた。
知らぬが仏、お前も俺と同じ事になったら、笑っていられないだろうな。
そうこうしていると、担任の川島先生が朝から不機嫌な顔をして教室に入ってきた。
今年二十七歳の長髪を後ろ手にくくり、一見おしとやかに見せるための服装だが、生徒たちは中身がヤンキーだということを理解しているが言わない。たぶん不機嫌な顔をしているのは、また彼氏にフラレたのだろうと誰しもがわかっていた。
「あ――席に付けよ」
気の抜けた声を出しながら、カワシマ先生が生徒達に注意を促すと、先程までガヤガヤと騒がしかった教室も静まり返る。
「じゃぁ出席をとるよ――」
「なぁかわちゃん、彼氏にフラレたんかね? 喋りがもう魂抜けてる感じだぜ」
カワシマ先生の様子を見て、前の席に座っているコウスケが俺に話しかけてくる。そんな事を聞かなくても、見りゃ分かるだろうと言いたくなったけど、俺は何も言わずに、コウスケに同情の目を向ける。
するとコウスケの頭に、出席簿が勢い良くぶつけられる。
誰がぶつけたかは言うまでもなく、カワシマ先生だ。
「フラレてねえ~し、フッたんだし、それより何喋ってんだ?」
般若と見間違う形相のカワシマ先生が、コウスケを睨みつけていた。さすがのコウスケもこの状況をすぐに察知して、誠心誠意を籠めた土下座を教室で披露した。
その土下座は無言の土下座であった。カワシマ先生もこれ以上傷口を広げるわけにも行かず、出席の続きを取るために、教卓に戻っていった。
教室の誰もが、何も言わず、呼ばれたら返事をするだけの機械とかしていた。
「榎宮? 休みか……いねえならいねえって言えや」
スゴイ理不尽な事を言っているけど、いつも通りの光景ではあった。
俺は思う、こんな人でも社会に出れるなら、招来は心配ないんじゃないかと。
「あーあと、進路相談のプリント提出明日までだから、忘れた人は……忘れないようにね」
ニッコリと表情で朝のホームルームは終わり、忘れた人はどうなるのか、誰も聞かずに忘れないようにしようとだけ、皆は心に決めた。
ただ俺は、今だに自分の進路を決められずにいた。
将来何をすれば良いのか、とりあえずお金を稼いだほうが良いんだろうけど、大学に出たほうが、良いのか、それとも就職した方がいいのか……相談する相手も、目指す目標もなくただ決めあぐねている間に、時間だけが過ぎていく。
授業を受けて、あるべき日常を消化していく。
放課後になっても、答えが見つからない。いや、金曜日にプリントを貰ってからこの日まで、見つかっていないのだから、しょうがないんじゃないか?
見つける気が無いわけじゃない……そもそも将来ってなんだよ。
物思いにふけていると、コウスケが俺の肩を叩いた。
「何黄昏れてんだよ」
教室の窓から外を見ていた俺は、振り返らずに答える。
「……世界平和とか、考えてるんだ」
今日はコウスケのペースに、付き合わされていたから、意趣返しと言わんばかりに、回答しづらい答えを出してみる。もちろんそんな事を考えたことはない。
「ふっ……さすがアジアだな」
もう意味が解らなかった。
掛ける言葉もなくしと言うか、何を答えれば良いのかわからないので、その話を切り上げることにする。
俺は机から、進路相談の紙を取り出し、コウスケに聞いてみることにした。
こいつの事だから、今だに何も考えていないだろうと思っていたからだ。
「コウスケは、もう書いたのか?」
「もちろん書いたぜ! 俺の進路は大学希望だ」
予想外の答えに、思わずコウスケの顔を見てみると、凄い自信満々に答えていた。
こんな奴でも、将来の事を決めているのに、自分が情けなくなる。
「何処の大学に行くんだ?」
参考までに聞いてみようと思った。
もし答えが見つからなければ、もうコウスケのをそのままパクれば良いだろうという打算的気持ちがあったからだ。
俺の問に答えるように、コウスケが自分の進路相談のプリントを見せてくる。
見てみると、たしかに進学希望ということは伝わってきた。なぜなら、第一志望から第三志望まで全て大学とだけ書いてあったからだ。
「……おい、これ何処の大学希望なのか書かないと意味ないだろう」
もしかしたら、記入ミスかもしれないから、このプリントは完成してないぞという意味で、伝えたが、どうやらこれで完成しているみたいだった。
「あれだ、何処の大学に行くか、まだ決めてないから、とりあえず進学希望だという事さえ伝われば、一応形にはなってるだろう?」
「いくらなんでも、適当すぎるだろう」
「馬鹿だな~世の中適当な方が、上手くいくもんだ」
確かに言われてみれば、一理ありそうな気がする。
俺は真剣に考えすぎていたのかもしれない……適当すぎるのもどうかと思うが、これぐらいゆるい考えで良いのかもしれないな。
そう思うと、書けそうな気がする。
「たまには、良いこと言うな」
「たまには余計だろう! 俺は良いことしか言わねえよ」
調子に乗って喋るコウスケだが、コイツのおかげで一つ悩みが解消されたのは、心の中で素直に感謝することにした。
その後適当な雑談を済ませると、俺は部活に行くことにする。
手短に別れの挨拶をして、二人で教室を出ていった。
誰もいなくなった教室は、何処か寂しさが含まれているような気がした。