第55章.あなたがわたしを助けてくれたから
「ちょっとアンタ!!勝手に行動しな………!」
「こちらは任せたでござる」
「へぇ。仰せの通りに」
走って行ってしまったカガリに気を取られたデンジャーの隙をつき、がら空きの頭上を軽々と飛び越え、長船はあっという間に商店街の奥へと進んでいってしまう。
「しま…っ!!ミッドナイト!」
「り、りょうか……うわ!!?」
「よそ見は禁物やよぉ?」
デンジャーの合図でミッドナイトは背を向け走り去る長船に銃を構え引き金を引こうとしたが、ミッドナイトが撃つ寸前に白雪嬢の鎖によって銃は弾き飛ばされてしまった。
「長船はんに任されてもうたからにはしょうがないし、あんたらのお相手はうちの仕事や……せやから、お二人さん真剣にお気張りやす。じゃなきゃほんまに、ほんまに不本意やけど…死ぬことなるえ?」
狙いを定めた蛇のような眼で二人を見つめる白雪嬢は不敵な笑みを浮かべ袖から出る鎖を鳴らした。
_________
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……!!」
誰もいない商店街をただひたすらにやみくもに走った。捕まらないように、殺されたくない一心で。
息も絶え絶えになりながら隠れるように路地へ逃げ込み、誰も来ていないかとそっと顔を覗き見る。追ってきている人影はない。
「はあはあ…撒いた…のか?」
誰に聞くわけでもなく声に出た言葉にホッと息を吐き、壁に背をもたれさせ座り込む。
一体どれだけ走ったのだろう。どれだけ走っても商店街の出口は見えてこない。それどころか。商店街の中をいつまでも通路を走らされている気さえ起きた。
「ワケわかんねぇよ…」
ここはどこか。彼女たちはなんなのか。どうして守ってくれようとしたのか。どうして殺されそうになったのか。どうして自分はこんな場所にいるのか。何が起こっているのか。
どうしてなのか自分の事なのにまるで思い出せない。記憶が霞みがかっているように不明瞭であった。
「どうなってんだ…?なんだってオレがこんな目に……ッ!」
頭を抱え踞っていると耳にチリン、と鈴の音が聞こえてきた。反射的に顔を上げ、慌てて壁の向こうを見る。
「き…来た…!!」
鈴の音を足音代わりに無人の商店街を悠々と歩いてくる刀を携えた女性の人影。
見紛うことなく、先ほど襲い掛かってきた女性であり、その姿を見ただけで背筋が凍り付く。
逃げなければ…。そう衝動に駆られるまま一目散に走り出す。
「どこへ逃げようおつもりか」
「っ!?」
ほんの刹那ほどの間、十分な距離があったにも関わらず、亡霊のごとく突如と目の前に長船が現れた。
音もなく先回りした長船に思わず呼吸が止まり、尻餅をついた。
「すでに白雪嬢が結界を張った。逃げ場などどこにもござらんよ」
「っぁ…は…っ……!!」
見下ろす長船の穏やかな瞳が心臓を射抜くような気持ちにさせる。
肺に酸素を取り込もうとしても上手くいかない。パクパクと金魚のように口を開くだけで無意味に浪費されていく。
「ひぃ……っ、ぎゃぁ!?」
「いたぶる趣味は持ち合わせておらぬが……とは言え逃げ続けられるのも困るゆえ」
逃げようと地面を引っ掻いた程の僅かな動きを見せた瞬間、灼けるような鋭い痛みが全身に起こった。
激痛に自然と涙が流れる。痛みがする箇所に触れるとぬるりとした感触があった。
________血だ。血が流れてる。
「ぁ………ぅげ……」
喉から嗚咽に似た悲鳴が溢れる。ぽたり、と目の前に雫が落ち地面に赤い滲みを付けていく。刀がゆっくりと添えるように首筋に向けられ、赤く濡れた刃の切っ先から血が滴り首筋を濡らした。
すぐそこまでやってくる死。最早助けを求める声も動く事すら出来ない。
「さて、予定より少しばかり遅れてしまったが…此れにて御役目御免、でござる」
そう言って刀を振り下ろす。空を切る心地よさすら感じさせる音が聞こえて消える。
「___!!」
意識はまだ消えない。痛みすら感じずに死んだのか。見るのが怖く強く瞑った目を開くことが出来ない。だが、流れる血の熱はまだ感じられる。
「…なんとまあ」
「逃げて!!」
「っは…!!?」
長船の意外だと言う声。その後すぐにつんざくような叫びが耳に響く。
その声で自分はまだ生きているのだと自覚し、深く息を吸い込むと同時に飛び起きるように目を見開く。
瞬間、長船の体を横から取り押さえつける少女の姿が目に映った。
(な、なんだ…?)
「に、逃げてください!!」
少女の鬼気迫る叫び声にびくりと肩を跳ね上がる。
________にげる?
長船を手から刀を奪おうと取り巻いている少女と目があった。
「早く!!立って走ってください!!!」
_____たって、はしって?
少女の必死の形相が如何に危機的状況なのかが理解出来る。だが、何を言っているのかが理解出来ない。
斬られた身体でどうすれば良いのかわからない。
一体この身体で何が出来ると言うのか…?だが、それ以前に全くわからないことがあった。
「どうやって、動くんだっけ…?」
目に映る自身の身体らしき下半身が何なのかわからなかった…
なんだこれは、と触れると触られたと言う感触があるも、これが何の部位なのか全くわからないようになっていたのだ。
「なんだっけ?身体…なのか?あれ。なんでわからないんだ…?なんで…あれ??」
「な、何を言って……きゃあ!!」
「あ……お、おい。大丈夫か…?」
首を傾げていると目の前で取り巻いていた少女が突き飛ばされ自身の前に倒れた。
慌てて少女を起こすと身体を強く打ったのか。少女はうめき、顔を苦痛で歪ませた。
「な…なんで、逃げないんですか…?このままじゃ…殺されちゃいますよ…!」
「ころされ…?にげる、って……??」
「え、いや、と…轟さん?何を言って……しっかりしてください!一体どうしちゃったんですか…?!」
「………とどろき??」
少女が口にした言葉のどれもが、何故か全くと言って良いほどわからない。どの言葉も、最後に言った名前のような単語でさえも_____
全てがまるで、うまれて初めて聞く言葉のようにさえ思えた。
「轟さ……」
「呼び掛けても無駄でござるよ」
少女の言葉を目の前の知らない女が静かに遮る。一体彼女は誰だ?
「彼女は何も覚えておらぬし、もう何一つとして動くことは叶わぬ。このままゆるりと消えゆるのみでござるよ」
「消え…っ。あなたは一体……と、轟さんに何をしたんですか!?」
「おや。魔力の薄いわりには妙な娘とは思っていたが、その口ぶりからしてただの知り合いではござらんようでござるな。…と言っても、魔力の質から見て願望者ではなさそうでござるが…」
「魔力…願望者…って、あなたも、レイちゃんと同じ……轟さんと同じ魔法を使う人…!!」
「魔法も願望者の存在も知るか…いやはや。一体お主らの間にどんな相知らぬ繋がりがあったのかは存じぬがそこから手を引くでござるよ。退かぬ場合は……ややむを得えんでござる」
女が刀を向ける。何を話しているのかわからずボーッと見つめていると少女が庇うように前に出た。
「おまえ……何、を…?」
「逃げて下さい…!轟さんは逃げて下さい…!!」
少女が目の前で体を広げて叫ぶ。その体はひどく震え、声も恐怖でうわずっている…されど、少女は女の前に立ち塞がった。
「にげろって…なんだよ?なんで、そんなことするんだ…?」
何も思い出せない。自分と少女との間に何があったのかすら覚えていないのに。どうして彼女は自分を守ろうとするのか。
何故、少女の姿を見ていると心臓がずきりと痛むのか……何もわからない。
「ま、守ってくれたから……」
_____まもった?だれが?だれを?
妙に視界が薄れていく。何も考えられなくなっていくような、意識が霧散していく感覚。立っているのか横になっているのかすら曖昧になる中、少女の声だけが聞こえる。
「わからなくてもあなたは……怖いお化けにも、レイちゃんにもあなたは逃げ出さなかった…怖くて動けなかったわたしを……あなたがわたしを助けてくれたから……!だから、今度はわたしが!!!」
「猶予は与えたでござる」
少女の言葉を言い切られる寸前。女が刀を振るう。
風を切る音。真っ直ぐに振り抜かれた刀身は一片の曇りはない。
すべての時間が止まって見える世界で目を閉じ歯を食い縛る少女の姿に心臓の鼓動が大きく高鳴った。
「ふざ…けんな……ッ!!」
喉から思わず出た声は自分でも驚く程大きく。同時に、弾かれるように動いた身体は少女へ右手を伸ばしていた。
遅くなった世界で伸ばした手のひらが少女の背を掴む。勢いよく自分の元に引き寄せるもすでに振り抜かれている刃は少女に迫っていく。
そうはさせない。させるものか。防げ。自分の腕がどうなろうと……
「やらせてたまるかぁぁぁぁ!!!!!!!」
血飛沫が散る。脳に電流を流されたかのような激痛が駆け巡る。
だがそれだけだ。少女を庇うように割り込ませた右腕はまだそこに在る。僅かに刃は腕に食い込んではいるが、腕に巻き付いているイバラが防いでくれたおかげで斬り落とされていない。
「なんだ…!?」
「なんと…!」
自身も、目の前の女も、突如現れたイバラの存在に驚愕に目を見開かせる。
「と、轟さん…。ッッゥ!カガリさん!!」
驚き戸惑っていると、後ろから少女が誰かの名前を叫んだ。
誰かわからない。だが心臓の鼓動が三度強く鳴り響いた。
「とどろき…かがり……ッ!?」
思わず口にしたその瞬間、今まで霞み掛かっていた記憶が、その全てが、まさに雷に打たれたかのような感覚で脳を、全身を覚醒させる。
「思い出した……」
「ムッ…?!!」
今まで何故思い出せなかったのか。だが、全身に力が漲り、胸が滾るように熱くなりその理由すらどうでもいいと思えた。
女が、驚愕していた長船が刀を引こうと力を込める。しかし、それを許さないと言わんばかりにイバラが複雑に刀に絡み付き固定する。
「おい」
「っ!」
イバラで抜けなくなった刀に表情歪ませる長船が顔を上げると、長船は再び目を見開かせる。
「歯ぁ食い縛れ…!!」
今までの思い全てを乗せるが如く。青く煌めく閃光を纏った拳で長船の顔面を殴り付けた。
「ぐッッッッッ!!?」
「…へっ、やっっっとテメェの顔面に一発入れてやれたなぁ…。どうだい?ちったぁ効いたか。この…」
刀から手が離れ重い拳の一撃に吹き飛んだ長船の脳がぐらりと揺れ、着地はしたものの大きく体勢が崩れ片膝を地面につけた。
今まで掠りもしなかった長船にようやく攻撃を与えたことに、仕返しとばかりに少女はニヤリと笑みを浮かべてみせる。
「轟カガリ様の一撃はよぉ?」
そう言って、奪った刀を肩に掛けながら轟カガリは大胆不敵に笑って見せた。
「轟さん…!元に戻ったんですね…!!」
「…ケッ!あぁ、テメェがオレの名前や連発ばっかすっからな。ったく!相変わらず恥ずかしげもなく思い出を語るやつだなテメェはよぉ!」
「は、恥ずかしくなんかないです!怖かったけど、素敵な思い出ですよ!!」
「バァカ!そう思ってんのはテメェだけだターコ!一人で言ってろ!」
「バカでもタコさんじゃないです!巫女です!」
「いやはや、参ったでござるなぁ…」
巫女と言い合っていると膝をついていた長船が口から流れる血を袖で拭いながらゆっくりと立ち上がった。
「よもや、拙者の術中に掛かっていた者に一撃見舞うとは思いもせなんだ…一体全体どうやって拙者の願望を解いたのやら。しかし、白雪嬢にも執拗に顔に傷を作るなと念を押されていたが…ははは、これは後でどやされてしまうなぁ」
「ケッ、嘘付くんじゃねぇよ、ござる野郎。大して効いてねぇくせに忘れてシラを切る気だろうが白々しい…!」
「心外でござる。拙者、シラを切るつもりなど毛頭ござらんよ。ただ拙者はもの忘れする質でなぁ…記憶に残らぬのござるよ。何も覚えておけぬのだ」
自身の頭を指で突っつき、悪ぶれた様子もなく飄々とした調子で長船は笑って見せた。それに対しカガリは鼻を鳴らし奪った刀を向ける。
「いい加減ハッキリしようじゃねぇか。テメェ、マジで何者だ?なんでオレを狙いやがった」
「はははは、さーてなぁ。仕事と言う以外依頼主が誰であったか、どんな依頼であったかのすら覚えておらん。しかしまぁ…何者か、と聞かれれば願望者である、としか言えぬなぁ……残念だが拙者に質問は無意味でござるよ。無論冗談ではござらん…嘘偽りなく事実でござる。」
「だろうな」
困った困った、とそう言ってわざとらしく肩をすくめて見せ戯ける長船にカガリは知っていたと言い、それと同時に刀を勢いよく長船へ投げつけた。
矢の如く飛ぶ刀は向かって飛んでいく。しかし長船は身体を少し逸らさせるだけでそれを軽々と躱し、そのまま掴み取るとふむ、と訝しむように眉を潜めた。
「え、えぇぇぇ!!?轟さん、なんで!?」
「…これは何の真似でござろうか?」
驚き騒ぐ巫女に揺らされても尚、表情を崩すことなく見据えるカガリの真意を探るようにしばしの沈黙後、長船がゆっくりと口を開かせるとカガリは腕を組みながら再び鼻を鳴らした。
「別に何でもねぇよ。ただマジのあんたを本気でぶっ飛ばしたくなっただけだ」
「………それはまた豪気な…。では。こちらも本気でお主を斬るとしようか」
「へっ……おい、くそ女!テメェもいつまでもボサッとしてんじゃねぇよ!さっさと立って下がってろ!巻き込んじまっても知らねぇぞ!!」
「は、はい!!」
慌てて立ち上がり後ろに下がっていく巫女を見届け、カガリは足を開き拳を構える。腕に巻き付くイバラががさがさと音を立て震える。
それに応えるように長船もまた刀を静かに構え、カガリを見据える。そして、巫女が安全な場所まで下がり切ったとほぼ同時に、両者は放たれた矢の如く動いたのだった。




