第49章.素直な気持ち
「勝った…………本当に、勝った…ッ!?」
宿敵飛蝗を倒し、沸き上がる歓喜に一人浮かれていた令奈であったその矢先。
突如、身体中に痺れるような痛みが襲いかかり、令奈は膝から崩れ落ちた。
「な…なに、よこれぇぇ……!?」
「ゆ、油断………しよった…な!!」
「んなっ!?」
まるで体全体が鉛になったかのように重くなり、指一本動かすことも出来ない状況に呻いていたその時。
意識を失っていた筈の飛蝗が体を震わせながらゆっくりと立ち上がり始めていた。
「あ、アンタ…!まだ…!!?」
「な、舐めんなよ…令奈ぁ……!!おまえの攻撃なんぞ………痛くも、痒くもないんじゃ…!!」
「ッ!な、何が痛くも痒くもないよ!意識を無くして倒れてたくせに何言ってんのよこの強情バッタ!」
「ほざけ…!!!勝負なんぞ勝てばエェんや勝てば!その為の手段や方法はぎょーさんあるんやからのぉ……!!」
「な…まさか!?」
息絶え絶えの飛蝗の不敵な笑みに、令奈は慌てて自分の胸に目線を向ける。
すると、令奈の目に飛蝗の手下に付けられていた。どうやっても取れなかった黒い塊が蠢き始めているのが映った。
「な、なんで…時間はまだ…ッッ…!?」
「クカカカカ……!!!」
蠢く黒い塊の不気味さよりも、体に巡り始めた毒の速さに驚愕する令奈。
すると、黒い塊が大きく蠢き始め、再び全身に電流のような痛みが駆け巡りだした。
「がぁ…!!ぐぅぅ…ッッッ!!あ、アンタ…何をしたの!!?」
「カカッ、一つ言い忘れとったけどなぁ。そいつにはウチの血を混ぜられとんのや…!くっつけた相手をいつでも殺せるようになぁ…?!!ギャハハハハ!!」
毒により浮かべる令奈の苦痛の表情に飛蝗は醜悪に満ち足りた笑みを浮かべた。
もはやなりふり構わない飛蝗の剣幕に、令奈は悔しさに歯を食い縛る。
「卑怯…者………ッ!」
「そいつはおまえの方や…!裏切り者のくせに、変身やと!?おまえみたいな奴が姐さんの真似事なんぞ百年早いんじゃ!!」
「ッ…誰が…姐さんの真似よ…!!」
堪忍袋の尾が切れたと、令奈は毒でやられている体に鞭を打ち、無理矢理にでも体を立ち上がらせ、飛蝗を指差した。
「何でもかんでも姐さん姐さんって…いい加減、うっさいったらありゃしないわ!!アンタの勝手な妄想押し付けるんじゃないわよ!!アタシはアタシよ!姐さんは関係ない!!!」
「じゃあかましい!!!何を言おうがおまえはおしまいじゃ!!妹弟共々、死にさら………」
せ!!!、立ち上がった令奈に憤り、飛蝗が怒声混じりの言葉が言い切られる、まさに瞬き程の瞬間。
飛蝗が立っていた真横の壁から轟音響かせ、勢いよく何かが壁を壊しながら突き抜けてきた。
「なっ…グハァ!!!!?」
「きゃ!?」
漏れた令奈の悲鳴や、突き抜けてきた何かに巻き込まれ吹き飛ばされた飛蝗の叫びすら掻き消す衝撃と壁が崩れ落ちる音。
「ゲホゲホ!!け、煙た………なんなの一体…!?」
「わりぃわりぃ。勢い付けすぎちまった」
飛び散る瓦礫のせいで舞う砂ぼこりで何も見えなくなり咳き込んでいた令奈の耳に詫びれの無い声が聞こえてきた。
その反省する気配の無い笑い声に令奈は勢いよく顔を上げると、そこには黒いローブをはためかした少女が佇んでいた。
「と、轟…!!!」
「よぉ、遅くなった…と言うか。お前、その格好…?」
半面だけ振り向かせニッと笑ったカガリは、安堵している令奈の見慣れない変身スーツ姿に気付き、まじまじと見つめているとイヤリング姿のディアが『ほぅ』と意外げに呟いた。
『やはり先ほどの魔力は令奈どのの魔力であったか。杏殿に続き、令奈殿まで魔法少女になるとは驚きである…』
「………オレも人のこと言えたことじゃねぇが…今宵坂もお前も魔法少女の印象から欠け離れ過ぎじゃねぇか?大丈夫かこの先…」
「な、なによ…!変なら変ってハッキリ言いなさいよ!!」
「ケケッ、安心しろよ。あいつよりはイカしてる」
顔を半分だけ向けながらそう軽口に笑い、カガリは見てみろと正面に顎を軽く突きだし令奈に促す。
「…確かに、ね…」
「ブラック、ローズぅ…!!!!」
令奈は素直にカガリに促された方角へ視線を向けると、そこには瓦礫から体を起こす怒りに震える飛蝗の姿があった。
「あとちょっとってところで邪魔しよって……!!お邪魔虫が!!」
「虫はテメェの方だろ。テメェんとこの手下共は全員のしてやったぜ。今頃うちのモジャ頭が全員ふん縛ってる頃だろうよ」
「ッ…!!どいつもこいつも…使えんゴミ虫共が…!!ウチがどんだけ高い金掛けた思っとるんや…!せっかく、願望を使えるようしたったちゅうのに……!!!」
『使えるように…?どういうことだ?』
「…アイツの手下。全員アンタたちみたいに誰かに願望者にしてもらったらしいの。ディアさんのご主人様と違ってタダじゃなかったみたいだけどね…!」
『なんだと!?そんな芸当が出来る者が我が主人以外モゴゴ!!?』
「そう言うのは後だ後。それよりも、だ………テメェの為に頑張った手下だろ、少しは褒めてやるべきじゃねぇのか?」
「アホ抜かせ!!たった二人相手に負けるようなゴミ虫なんぞいるか!おまえらを始末したらあのクズ共全員、ズタズタになるまでウチが蹴り……!!!」
倒された手下を労うばかりか、罵り蔑み叫ぼうとした次の瞬間、カガリは目にも止まらぬ速さで飛蝗の足を蹴りつけた。
カガリの速さに驚きのあまり声を失った飛蝗は唖然とした表情で転がるようにしりもちをつく。そこでようやく遅れてやってきた痛みに声をあげた。
「ひぎゃぁぁぁぁぁ?!!あし、足がぁぁぁ!!」
『レディー!?』
「アンタなにを!?」
「目障りなんだよ。こう言うテメェだけが強ぇって自惚れてる奴を見てるのはよぉ…」
突然のカガリの行動に動揺し令奈が止めに入ろうとしたが、手を払いカガリはそう小さく呟いた。
そして、折れた足を押さえながらうずくまる飛蝗の髪を無造作に掴み上げると、カガリは目を鋭く、ギロリと睨み付けた。
「お、おまえ!!こんな事してタダで済むと………ぶぎぁ?!!!」
髪を掴まれ、怒りに喚く飛蝗が抵抗をしてみせたその瞬間、カガリは無言のまま間髪いれずに顔面に拳を叩きつけた。
容赦なく叩きつけた拳はゆっくりと戻され、真っ赤に潰れた鼻から血の糸が引いていく。
予想だにしなかった顔面の一撃に飛蝗の意識は飛びかけていたが…カガリは再び拳を振り上げた…
「轟!」
「そこまでだ」
令奈が止めに入ろうとしたその時、部屋の奥から凛とした女性の声が響き渡った。
突然の制止の言葉に、飛蝗に当たる寸前で拳を止めたカガリは表情を険しくさせ、部屋の奥の暗がりに潜む声の主を睨み付けた。
「誰だ!邪魔しやがってこのやろう…!出てきやがれ!!」
「……騒ぐな、言われずとも出ていく」
「その声…まさか…!?」
「あ?」
声の主である女性は淡白にそう言うと…ゆっくりと足音を響かせ、暗がりからその姿を現していく。
悠然とした歩みで姿を明らかにしていく正体不明の人物に警戒するカガリの背後で、同じく警戒していた令奈は何かに気がついたように声をあげたのだった。
「…知り合いか?」
「し、知り合いなんてもんじゃないわよ!あの人は…!!」
驚く令奈を見た声の主は小さく鼻で笑い、遂にその姿が暗がりから出ていき明らかとなった。
「ほ…《雀蜂》…さん…!」
艶やかな金色の髪にすらりとした出で立ち。近寄りがたい大人びた雰囲気を纏った女性、そして一際目を引く右手に装着された蜂の腹のような籠手が異様に目立たせていた。
明らかにただ者ではない空気を纏う女性に、令奈は息を飲んだのだった。
「ど、どうしてアナタがここに…あっ!?」
「誰だか知らねぇがバッタの次はハチの登場かよ。不可視夜祭の連中ってのは得体の知れねぇ奴らだけじゃなくて、テメェみてぇな変な奴ばっかなのか?それともただの嫌がらせがしたいだけの暇人共かよ…?」
「ちょっ!アンタ、なに言ってるのよ!?その人は不可視夜祭の幹部よ!挑発なんてことしたら………!!」
「あん?ヘッ!どのみち不可視夜祭の幹部はもう倒してんだ。今さら頭下げてもおせーよ。だろ、昆虫幹部さんよぉ?」
「………」
不用意に雀蜂に近づこうとした令奈の前を遮り、カガリはわざと挑発し凄んで見せる。
しかし、雀蜂は向けられた敵意に表情を変えることはなく、まるで意に介さない。
「チッ………澄ました顔しやがって…テメェもこのバッタ女みてぇによわっちい部下はいらねーってか?薄情なもんだな。なぁ、アリンコ女?」
「ちょ、アタシにふらないでよ!」
言葉を発しない雀蜂に苛立ち始めたカガリは気絶してしまっている飛蝗を顎で差してみせる。すると…
「………バッタ…?」
ようやく言葉を発した雀蜂は、表情を変えぬまま首を傾げさせ、カガリの足元で横たわる飛蝗を一瞥した。
そして、無表情に近かった表情をわずかに怪訝そうに眉を潜めさせたのだった。
「………どうりで……いた…か…」
「あん?何だって?!ボソボソ喋ってんじゃねぇよ!大人ならハッキリ喋れオラ!!」
「………か…」
「聞こえねぇーってんだろ。ハチ野郎!まともに喋れねぇのかテメェは!!?」
「ちょっ、バカ!!?やめろバカ!このバカ!!雀蜂さんになんてこと言うのよ、バカ!!挑発するなってんのよバカ!バカなのアンタ!?」
『そうだぞバカ者!いくら幹部を倒したことがあるとは言え、今度も勝てるとは限らんのだぞ!?幹部相手ならもっと警戒心を持たんか愚か者!!』
「おっ、おお?!なんだよお前ら!!?」
「…お前がこの辺りで暴れていると言う、ブラックローズか」
上手く聞き取れない程の小声で喋る雀蜂は、顔を青くさせた令奈に騒がれているカガリに少しだけ声を張りながら静かに言う。
「…そうだって言ったらどうする気だよ?テメェもやり合うってか?」
カガリは騒ぐ令奈を押し退け、じっと睨むように見つめてくる雀蜂に負けじと睨み返す。
「………邪魔をするな…」
氷のような冷たい声でそう言うと、雀蜂は二人に向かってゆっくりと歩み始めた。
一触即発、いつ戦いが起きようとおかしくはない。はりつくような空気の中、カガリは雀蜂から目を離さず、静かに拳を握り直し、蹴りを打ち込みやすいように足を開かせる。
(なにするか知らねぇが、先手必勝…!くらいやがれ!!)
無防備に近づいてくる雀蜂の体が蹴りの間合いに踏み込むと同時にカガリは全力の前蹴りを放つ。
弧を描くように振り抜かれた前蹴りはカガリより長身である雀蜂の胴体を正確に捉えた…だが、カガリの放った蹴りを雀蜂は僅かな動きでかわした。
(チッ…!やっぱ、避けるよな…だが、これならどうだ!!?)
そう簡単に倒せる筈がないと予測していたカガリは空振りに終わった前蹴りの勢いを利用し、飛び上がり本命である二段蹴りを、そのまま雀蜂の首目掛けて振り抜く。
しかし、雀蜂は避けるばかりか、今度は姿そのものが消えてしまった。
(な…!!?)
「………躊躇がないな…」
「がッ…!?」
「………けど、所詮…」
姿を見失い焦っていたカガリの真下から、雀蜂の手が伸びてくるや顔面を鷲掴みされ、抵抗する間もないまま、カガリは勢いよく地面に後頭部を叩きつけられてしまった。
「ぐぅ…て、テメェ…!」
「う、動いちゃダメ轟!雀蜂さんの針には………!!」
「………蜂の毒は痛いじゃ済まないぞ…」
起き上がろうとしたカガリを制するように喉元に向けられた右手の毒針。
そして、雀蜂の淡白な言葉とは裏腹に明確な殺意にカガリは息を飲んた。
(やべぇ…こいつ、今までの奴らと違ってマジで強い…!)
数日前に戦った不可視夜祭幹部の《今宵坂星司》より遥かに強い。
まだほんの一部しか見せていないであろう。雀蜂との力の差に、手も足も出ないカガリは冷や汗を流した。
「……やっぱり…あいつ………たな…頭が良いくせに……でもまあ、仕方ない…………経営…担当だったし……今……やるか…」
「ッ…なにぶつぶつ言ってやがる!テメェ!!気味悪ぃんだよ!殺すならさっさと……!!」
「殺す気はない…………あるのは…」
「ッ………きゃっ!」
そう言って、雀蜂はチラリと横目で令奈を一瞥する。
その雀蜂の射竦めるような目線に、令奈は思わず後退り、瓦礫に足を取られ尻餅をついてしまった。
「いたた…!!」
「ッ…!なに転んでんだ!?さっさと逃げ………!!」
「女王蟻…」
逃げるよう叫ぶカガリの口に毒針を咥えさせ無理やり黙らせると、雀蜂はゆっくり、尻餅をつく令奈の方へと顔を向けた。
「………組織を追放された時……言った筈…………接触した場合…私に対する裏切りに等しい、と…それなのに……迷惑……」
「ッ……!」
「……今、楽にしてやる…」
「うおっ?!」
感情の無い虫のように、ぶつぶつと表情一つ変えず淡白に呟き、雀蜂は咥えさせていた毒針を引き下げると同時に、押さえていたカガリを放り投げ、令奈の元へと近付き始めた。
「ペペッ!!て……テメェ!なにする気か知んねぇがさせ…ッ!?ああ?!」
地面に転び、慌てて立ち上がったカガリは令奈の元へ駆けつけようとしたその時突然、カガリの足首を誰かの手が掴みかかり、引き留められてしまった。
カガリは慌てて足元に振り返ると、そこには気絶していた筈の飛蝗の姿があった。
「て、テメェまだ!!?しつこいんだよ!!」
「か、カカカッ…!!姐さんの邪魔は、させん…!!」
「チッ…!!離せってんだよこのクソ野郎!!」
満身創痍である筈の飛蝗だが、雀蜂への忠誠心にその手は力強く、カガリがいくら抵抗しようとも執拗に離さず、焦るカガリの表情にゲタゲタと下卑た笑みを見せ嘲笑った。
(くそ…!このままじゃ…!!)
飛蝗の妨害に足止めを食らっている最中に、すでに雀蜂は令奈の目の前に立っており、尚且つ、雀蜂の手は令奈へとゆっくりと向けられていた。
「ッ、伸び…!!」
「させるかボケぇ!」
「な?!しまっ………!!」
身動きが取れないのなら…!そう思ったカガリは離れた場所にいる雀蜂に向かって手甲のイバラを伸ばそうと試みたが、すかさず足止めしていた飛蝗に足を引っ張られ、狙いの外れたイバラはあらぬ場所に巻き付いてしまった。
「………騒がしい奴だ…」
「ッ…!」
騒ぐ二人を横目で見つめた後、雀蜂は逃がさぬよう令奈の肩を押さえ、まっすぐに右手を構えた。
「れ………!!」
目をギュッと強く瞑った令奈に逃げろと叫び声をあげようとしたが………カガリの喉から声が出るより早く、雀蜂の手は令奈の胸を突き立てた。
そして、雀蜂はすぐさま手を引くと令奈の体はガクリとその場に崩れ落ちた。
「て…テメェェェ!!」
「ギャハハハハ!!!良かったなぁ、女王蟻!姐さんの手で葬られるとは羨ましいかぎりやで!!ギャハハハハ………!!!」
「そうか、私の手で死ねることは羨ましいことなのか」
「ギャハハハハ!そりゃとーぜん………へっ?」
ゲラゲラと嗤う飛蝗の目の前にボトッ、と赤く濡れた何かが上から落ちてきた。
怒りを爆発させていたカガリも、飛蝗同様に何が落ちてきたのかと目を向けると、そこにあったモノに………カガリは驚愕した。
「ひ、ヒギャァァァァァァ!!!!?」
_____喉が張り裂けんばかりの悲鳴が上がる。飛蝗の目の前にあるそれは………太ももから切断された飛蝗自身の右足であった。
「い”、い”ぎぁ”ぁ”ぁ”!!ね”、姐ざん”何でェ”ェ”ェ”!!?」
足を気づかぬ内に切断され、強烈な痛みに絶叫し悶えながら飛蝗は涙ながらに雀蜂に叫ぶ。
しかし、雀蜂は冷徹な瞳を向けるだけで血を流す足を抑える飛蝗に言葉を返さない。
雀蜂は右手から何かを飛蝗の目の前に放り投げた。
「!それは…!」
状況に追い付けずに取り残され、呆然としていたカガリであったが、飛蝗の前に落ちたモノを見て、思わず声をあげた。
だが、飛蝗だけはそれを見た瞬間、額から汗が滝のように流れだし、顔色は血の気が引いて真っ青になり、更には痛みを忘れる程に動揺し始めた。
「な、何で…姐さんがそれを…!?」
雀蜂が投げたそれは、飛蝗が令奈の胸に付けた黒く蠢く正体不明の塊。
目の前の黒い塊は投げ捨てられたせいか。蠢いてはいないが間違いなく、令奈の胸についていたものであった。
「そ、そんな筈は…!姐さんは、姐さんは知らん筈…!!」
「アタシから無理やり引き剥がしたからよ」
「!アリンコ女!?」
飛蝗がより一層顔色を青くさせ、雀蜂から逃げるように後退りしていたその時、雀蜂の背後から倒れた筈の令奈が現れた。
「お前、無事だったのか!?」
「無事じゃないわよ…無理やり引き剥がされたせいで気絶しかけたし、胸もスッゴく痛い……けどまあ、そのおかげで何とか生きてるわ。イタタ…」
「………すまない…」
痛みに苦悶の表情を浮かべる令奈を横目に、雀蜂は少し申し訳なさそうに表情を落ち込ませた後、すぐさまガタガタと怯え震える飛蝗に氷のような冷たい目で見下ろした。
「ヒッ…!!?」
「……上からの許可も無く、無断で組の名を語るとは大それた真似をしたな…この不祥事をどう片付けるつもりだ…?」
「そ、それは…!!こいつらの首を持って帰ればすべて収まります!それに、ウチらもとい、姐さんの蟲組の名が上がることも…全ては姐さんの為思てウチは…!!!!」
「必要ない」
「ぐえっ!?」
キッパリと断言した雀蜂は飛蝗の元へと近づき、胸ぐらを掴みあげた。
そして、息苦しさにもがく飛蝗の首元に毒針を突きつけて見せたのだった。
「私は今の立場から上を目指すつもりはない…今のままでも十分に満足しているし、名を上げる必要も無い………それよりも、早く残り二つも解除しろ」
「な…!!?な、何でそこまで…!?」
「何度も言わせるな……お前は黙って言う通りにしろ。さもなくばお前の首に風穴が空くことになる…」
「ッ…!!!わ、わかり………ました…」
偽りない殺意の視線を向けられ、言い訳など思い付く筈もない飛蝗は抵抗は止め潔く降参してみせると小さな二つの魔力を飛ばした。
「こ、これで良いでしょうか…姐さ、ッ!?」
それを見届けた雀蜂は投げ捨てるように飛蝗から手を離すと、何も言わずに無言のまま飛蝗に背を向け、令奈たちの方へと向かっていく。
「ぐぅ…うぅ!ね、姐さん…待っ…!」
「二度と…」
「へ…?」
「二度と私を姐さんと呼ぶな。お前は、現時刻をもって組織から追放する…」
「な………!!?」
「本気で言ってるの雀蜂さん!?」
突然の不可視夜祭追放宣告に飛蝗が口にするより早く、驚愕する令奈が叫ぶが……雀蜂は応えること無かった。
「そんな…待ってください!!それだけは、それだけは勘弁してください!!!ウチは…ウチはあなたの力なりたくて今まで頑張ってきたんです…!!身内のないウチが組織を無くしてもうたら………!お願いします!もう一度、もう一度だけチャンスをください!!お願いします姐さ……!!!」
「何度も言わせるなと言っている…」
遠ざかる雀蜂の背に、飛蝗は片足が無くなった体を引きずらせ、なりふり構わず手を伸ばそうとした次の瞬間…
雀蜂は振り返ると同時に構えた右手の毒針を飛蝗の肩に、容赦なく深く突き刺したのだった。
「ア…?え…う、嘘やろ…ね、姐ざ…アァァ…がぁ!!ギャァァァァァァ!!!!そ、そんな!!!姐ざん!姐ざん!!!ウチ、は……ウチはあぁぁァァァァ!!!!」
「………お前が私の何を思おうと勝手だ…ただ、私は一度でもお前を必要としたことはない。この先、お前がどれだけ組織に貢献しようとな…」
「ヒッ!!!!!!」
「姐さん止めて!!!!」
激しい痛みに泣きわめき、地面をのたうち回る飛蝗に雀蜂はそう言うと、再び右手の毒針を構えた。その時…
恐怖で悲鳴を上げた飛蝗を庇うように、雀蜂の前に令奈は飛び出した。
「………女王蟻…」
「もう良い…!雀蜂さんのおかげで妹たちは助かった!!だから、もう止めて…これ以上は無意味よ!」
「く、女王…ッッ!!!ヒィッ…ヒィィィィ!!!」
令奈のおかげで雀蜂が毒針を下ろした瞬時、飛蝗は肩と足から血を流しながら一目散に暗闇の中へと逃げ出した。
「あっ!テメェ、待ちやが………!!」
「追わなくていいわ、轟」
「アァ?!………チッ、良いのかよ見逃して…散々痛めつけられたんじゃねぇのか?」
「アイツは追放されたのよ。それに………あの怪我じゃもう何も出来ないわ…」
「………ケッ、そーかい。大層なお心遣いで…」
「……おい…」
飛蝗を見逃した令奈に、カガリは呆れたように肩をすかしていると、後ろで立ち尽くしたままの雀蜂に呼ばれ、二人は振り返る。
だが…雀蜂は二人を呼んでいながら無言で見つめているだけだった。
「…んだぁテメェ?何ガン飛ばしてくれてんだコラ!やるっうなら容赦しねぇぞ!」
「ちょっ!失礼なこと言うな!!すぐにケンカ売ろうとするくせ止めなさいよ!今に痛い目みるわよ!?」
「………か…?」
「あんだって!?聞こえねぇーよタコ!!」
「だから止めなさいっての!!」
二人のやり取りを見て、ようやく(小声だが)口を開いた雀蜂にカガリは令奈の制止も聞かずにあからさまに苛立ったように、今にも噛みつかんばかりに雀蜂を睨み付けた。
「ボソボソ、ボソボソとよぉ!!さっきから黙って聞いてりゃあ、小声で訳のわからねぇ話ばっかしやがって…!いい加減聞こえねぇしついていけねぇんだよ!!ハッキリ言えってんだろ!」
「……組織の問題だ。お前がついてくる必要は無い………ただ…小声なのは…すまん……昔から初対面の奴と話すのは苦手でな……迷惑をかけた…」
「おーう、その通りだテメェ!小声の自覚あんなら反省しろ反省!!言いたいことはちゃんと聞こえるように言え!」
「止めろ何様だアンタ!!?姐さ…雀蜂さんもコイツに頭下げる必要なんてないですよ。元々はコイツが幹部の一人倒したのが問題ですし………!!」
「んだとコラ!テメェだって幹部を探すの手伝ったじゃ…………」
「ちょっ、ばっ!!!?何言っちゃってくれてるのかしら!?アタ、アタシは手伝ってなんか!!アンタが脅すから仕方なくねぇ!?」
「……仲が良いんだな…」
「「どこがだよ!?」」
「……私には、そう見えた………ぷくく…」
互いに指差し声を合わせて否定する二人を見て、鉄のような無表情のまま雀蜂は小さいが奇妙な笑い声を上げたのだった。
「…んだこいつ。真顔で笑ってるぞ」
『ぶ、不気味であるな…』
「ね…雀蜂さんは表情が動かない人だから……本当はバラエティー番組とか好きな人なの…顔のせいで全然そうには見えないけど………」
「ぷくくく………でも、お前が元気そうでよかった…女王蟻…」
奇妙な笑い声を引っ込め、無表情だが雀蜂は僅かに口角を緩め、令奈の頭に軽く手を乗せ優しく撫でた。
「わわっ…!ちょっ、雀蜂さん!子供じゃないんですから恥ずかしいですって………アンタも笑うな轟!」
「……心配は…無用だったようだな…」
「え?」
「………ブラックローズ…」
「あん?」
「………お前は…この子の友達か?」
頬を赤らめ恥ずかしがる令奈をからかっていたカガリに、雀蜂は静かに問いかけたのだった。
「あ……あ?んだよ…いきなり」
「………良いから答えろ…」
「ハァ?んだよそれ…ったくよ……」
「………」
「……オレの…子分みたいなもんだよ」
「………なるほどな…」
雀蜂からの突然の問いに、面を食らったカガリはやや考えるように頭の裏を掻き、ちらりと令奈を見つめた後…
少し間を置いてから仏頂面で静かにそう答えた。
「な…なによそれー!?アタシがいつ、どこでアンタの子分になったって言うのよ!」
「るっせー!アリンコ女!!お前なんか子分で十分なんだよ!いや、やっぱちげぇ!手下だ手下!!こいつはただのパシリ、パシリンコだ!」
「パシリンコってなによ!?後、アリンコ女って言うな…っ!?あれ、雀蜂さん…?」
二人がいがみ合っていると突然、雀蜂は令奈の頭から手を離し、そのまま何も言わずに二人に背を向け歩き出した。
「…帰るんですか?」
「……今回の騒動を上に報告しなければならない…お前たちには迷惑を掛けた…」
「…そんなこと無いです。雀蜂さんの、ううん……姐さんのおかげで飛蝗に解毒させることが出来たもの…ありがとう」
「………お礼を言うなら…私じゃないだろう…?」
そう言って、雀蜂は振り返ることなく暗闇に消え、辺りはカガリと二人、最初の喧騒も嘘のように静まり返ってしまった。
「……姐さん…」
「…今なら組織に戻れたんじゃなかったのか?幹部だったんだろ、あいつ」
「…そんなこと出来るわけ無いでしょ。組織を追放された願望者はもう同じ組織には戻れないのよ」
頭の後ろに両手を組んだカガリの素っ気ない言葉に、令奈は呆れるように笑って言うのだった。
>>>
「アリ子~~!!!ぶ、無事だったかぁ~~!!」
「ちょっ、今宵坂杏!!そんなに強く抱き締めたら苦しいての!後、アリ子って言わないでって言ってるでしょ!」
「あっ…ご、ごめん。心配、のあまり…つい………大丈夫、だった…か?」
「おかげさまで、アンタもよく無事だったわね」
「こ、これでも轟とく、組み手とか……してるからな…えっへん!」
雀蜂と別れてすぐに外に出ると、外にいた変身姿の杏がやってきて、合流を果たした三人。
最初は令奈の無事に安堵と喜びを隠せず、勢いよく抱き締めていた杏。
その後、起きた出来事を説明をしていくうちに、杏は令奈の変身衣装にまじまじと見つめ、目を爛々と輝かせたのだった。
「ほぉー……ほぉー…ほぉぉ~………こ、これが…アリ子の、変身姿…か……」
「ふふん、そうよ。ついにアタシもアンタたち二人と同じように……」
「断定!!!!エッッロ過ぎだぞアリ子ぉぉ!!!」
「………え」
目をカッ見開き、大声で断言した杏の純粋足る衣装への第一声に、令奈はショックのあまり思考を停止させた。
「上から下に流れるセクスィーなボディーラインがオレンジの線のせいでよりエロい!!なんだそのミニミニなパンツ!?エロ過ぎだぞエロ子!!なによりケツが良い!!他は普通でもケツから太ももにかけてはすごくエロい!!私が男ならそのケツを見てるだけでイタッ!!?」
「ケツケツケツうるせーよ!女の体見て興奮してんじゃねぇ、モジャ頭。それよりも他の願望者どもはどうした。逃げたのか?」
「あ、うぅ…えっと、それ、はその………はい…ちょっと見てないうちに…その、逃げられ…ちゃいまちた……」
「はぁ…そんなこったろうと思ったぜ。ったくよぉ…」
「ご…ごめん、なさい……」
「気にすんな。もう終わったんだし、謝ってもしゃーねぇだろ」
「………ねぇ、どうして助けてくれたの?」
「あ?」
肩を落とし落ち込む杏の頭をカガリは嘆息しながら乱暴に撫でていると、二人を見ていた令奈が突然、神妙な面持ちでカガリに訊ねてきた。
その真摯な眼差しに、カガリは杏の頭から手を離し、令奈と向き合う。
「アタシ…アンタに酷いことしてきた筈よ。今日だって…たくさん酷いこと言ったわ。金輪際アタシに関わるなって…そう、怒鳴り付けたのに…」
ためらうように口にしながらも令奈は真っ直ぐにカガリから目を逸らさず、言葉を続ける。
「教えて轟。どうしてアタシなんかを助けてくれたの?」
「………ケッ、ったくよ。メンドーな野郎だなオメェは…そんな性格じゃ、この先苦労するぞ」
「な…!よ、余計なお世話よ!性格云々のことだけはアンタに言われたくないわ!!と言うか、質問に答え……あたっ!?」
素っ気ない態度で話を逸らされ令奈が腹を立てようとしたその時…カガリは令奈の頭に軽いチョップを振り下ろしたのだった。
「な…な………?!」
「何でもかんでも聞きだしゃ良いっうもんじゃねぇだろ。こっちは助けたつもりはねぇんだ。くだらねぇーことばっか気にしてんじゃねぇよ、気にしたがりめ」
「うへへ。し、しょうがない…よ。アリ子は心配性、だもん…ツンデレだし…」
「ケケケッ、ちげーねぇ」
「だ、誰がツンデレなのよ!?笑うな!もう!!」
あまりに突然の出来事に目を丸くし言葉を失う令奈を意地悪くからかうように笑い合う二人。
話をはぐらかされ、その上何故か笑われてしまったことに、令奈は顔を真っ赤にさせながら二人に怒るが、二人は全く笑うのを止めない。
「笑うなって言ってるのよバカコンビ!!…ふふ、ほんっとバカなんだから」
「オメェにだけは言われたかねぇよ。ケケケ!」
「ふふふ、うっさいわよバカカガリ!」
だが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。怒っていた筈だったのに、自然と笑いが込み上げ、いつの間にか令奈も二人につられて笑みを溢していたのだった。
「にひひ!んじゃま、腹もへったし帰るとすっかな…オメェも早くガキ共の所に帰れよな」
「え、あ…う、うん。そうね。何も言わず、出てきちゃったし…心配してるかも…」
「ヘッ…行くぞ、モジャ頭」
「う、うん…じゃあ、またな。アリ子…」
少しうつむいた令奈にカガリはそれ以上何かを言うことも無く小さく笑って見せ、二人は令奈を残して早々と夜の空へと跳んでいってしまった。
「………やっぱり、ダメね。我ながら素直じゃないわ………あれだけ好き勝手言ったくせに、お礼も言えないままアイツらの仲間面しようとするなんて………そんな虫の良い話…あるわけないのに…」
一人取り残された令奈は誰に言うわけでも無くそう呟いた後、妹たちが待つ家へと走っていったのだった。
その日、ようやく家に帰ってきた令奈は妹たちの無事に心の底から喜び安堵したのだが…
お礼を言えなかった二人に、令奈の気持ちが晴れることはなかった。
今さら二人に対して素直になれない自分が、どうすれば二人に言えるのか。令奈は悩み続け末、あることを閃いたのだった。
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_____次の日。
いつもと変わらない学校。この日も昨日と変わらず空は青空が広がり、清々しい程の風が吹いている。
お昼を告げるチャイムが鳴り、各教室から様々な話し声が響き渡る。
人気商品を我先にと購買店へ急ぐ学生や友だちと一緒に過ごす学生たち…そんな楽しげな声が微かに聞こえてくる屋上で、カガリと杏の二人はのんびりと過ごしていた。
「ふぁぁ~~…たい、くつ…」
「ゲームしながら言うんじゃねぇよ。少しは勉強しろ。後腹を枕にすんな」
「不良のセリフじゃないな……で、でもしょうがないだろ…?表も裏もクリアーしちゃったし、ハイスコア取りすぎてもう己との戦いだし、お腹減ったしタバコ臭いし寝心地悪いし、トロフィーも集め終えたし、やることと言えば素材周回だけだし、お腹減ったし………つ、つまらない…ピザ食べたい………」
「さらっとディスんじゃねぇよ、ったく……そんなに腹へったんなら購買でも行けよ…いい加減重いんだよ。早く退け」
「うぇぇ~………め、面倒だからヤダ……人も、多いし……ふむ、良い肉付き…ず、随分絞ってますね…いてっ」
「摘まむな。モジャ頭」
寝転がるカガリの腹を枕にだらける杏を軽く叩き、無理やり退けるとカガリはタバコの煙を吐き、火を消した。
「………しゃあねぇ、なんか買いに行くとするか…」
「そんな風には見えないわよ」
「あん?」
モウモウと立ち上る煙が空に消えるのをぼんやりと眺めていると、呆れ果てた調子の声が不意に聞こえてきた。
聞こえてきた方へ二人が顔を向けると、そこには呆れ顔の令奈が立っていたのだった。
「…なんだよ、アリンコ女かよ……一体何の用だよ?」
「え?いや、べ、別に……?大した用事があるわけじゃない……無いことも無いけど………」
「あ?んだそりゃ……お前一体何が………?」
「これ…!」
言い淀む令奈の妙な態度にカガリが小首を傾げたその時、令奈はカガリに向かって手に持っていた可愛らしい絵の付いた風呂敷を勢いよく突き付けてきた。
「………は?これ………って……は?え、な…?は?」
「おぉ~~……お~…おん?え、どしたの?アリ子………?」
「な、なによ!これは………別に、その………アンタらのことだからどうせ、ご飯食べてないだろうなって……思ったから持ってきたのよ…」
「………え…じゃあ、まさか…こ、これ……?!」
「あ、アリ子の………手作り弁当!?」
突然突き付けられた衝撃の弁当箱。髪を指で弄り、照れくさそうに顔を僅かに逸らす令奈。今までの令奈からは想像も出来ない令奈らしからぬ行動に、困惑の色を隠せない二人は心の底から驚愕した。
「お、おま………テメェ!何企んでやがる!?毒か!毒入ってんだろ!?騙されねぇぞ!」
「偽物だ!アリ子は今どきそんな正統派ツンデレヒロインみたいなことするはずないぞこの偽物!!アリ子をどこにやった!!!」
「う、うっさいわよ!!らしくないのはわかってんのよバーカバーカ!!い、良いからつべこべ言わず………さ、さっさと受け取んなさいよバカコンビ!」
「うぇ?!お、おい!アリンコ女!!?」
「ふんだふんだふーーんだ!!!!」
あまりの二人の疑われように顔を真っ赤にさせた令奈は弁当をカガリに無理やり押し付けるや、怒ったようにさっさと帰っていってしまったのだった。
「いや今どきふんだも言う奴もいないぞ………ど、どうする?轟…」
「ど…どうするってなぁ………食うしかねぇだろ…」
「………だな…」
互いに顔を見合せ、恐る恐る風呂敷の紐を解き弁当を取り出す。
見た目は普通の可愛らしい弁当箱。轟と今宵坂とメモされた紙以外違和感も特に無い。二人は互いに弁当を持ちながら、食欲とは全く関係ない緊張で息を飲んだ。
「………せーので開けるぞ」
「わ、わかった…!」
「「せーーの…!」」
息を合わせ、二人は同時に弁当の箱を開けた………そして…
「………ぷっ…んだよあいつ…ホント素直じゃねぇな」
「うぷぷぷ…!さ…さすがにこれは恥ずかしくて言えない…だろ。ウヒヒ!」
「ニシシ、確かにな。ここまで来ると筋金入りだな」
素直じゃない令奈の精一杯の素直な気持ちが入った弁当の中身に、二人は思わず笑い合う。
二人を笑わせた可愛らしい弁当の中には、令奈からの単純な一つのメッセージがあった。
『ありがとう』
白いご飯に掛かれた二つに向けたその一言には、令奈の感謝の気持ちが込められていたのだった。
__________とある別の日。
令奈は一人、ある人物を探して人気の無い裏路地を歩いていた。
日もあまり差し込んでこず、薄暗い場所ではあったが、それなりにキレイな場所ではあった。
しばらく歩いていると次第に道は開け、建物の間に出来た余分な場所をゴミ捨て場にしたような広場に着いた。
積み上げられた家電のゴミ。そこには沢山のネコが住みかにしているのか。気ままに過ごす数匹がちらほらと目に入った。
令奈はふぅ、と小さくため息を吐くと辺りを見渡し、探し人に聞こえるように声を上げる。
「出てきなさい。いるんでしょ」
令奈の淡白な声に反応したものはいない。いたのは先客であるネコたちだけ。
待てども待てども探し人が出てくる気配はなく、令奈は再びため息を吐き立ち去ろうとした。その時だった。
「誰を探してるの?お姉さん♪」
「…いるなら勿体ぶらず出てきなさいよ」
突然、聞こえてきた少女の声に驚くことなく令奈は振り返り、積み上げられた家電の上に腰かけ見下ろす小春に呆れたように言うのだった。
「ふふふ♡こんにちは、お姉さん♪ハルに何かご用?」
「当然でしょ。じゃなきゃこんな場所にまでアンタを探しに来たりなんかしないわ」
「よいしょっと…♪確かにね♡でもよくここが分かったね。魔力は消してた筈なのに……♡」
「それは残念ね。あんまりにも分かりやすかったから釣糸でも垂らしてるのかと思ったわ」
「…ふーん」
家電の上から飛び降り、うっすら笑みを浮かべ見つめてくる小春に令奈は皮肉を込めて一笑し返した。
最初に会ったときとは大きく変わった令奈の態度に、小春はつまらなさそうに目を細めると横倒しにされた冷蔵庫の上に腰かけた。
「…それで?お姉さんのご用って何?ハル、お姉さんに何かしたっけ?」
「忘れてるのなら思い出さなくて結構よ」
わざとらしく笑みを作り、小首を傾げさせる小春に令奈は手に持っていた紙袋を手渡した。
「………なにこれ」
「そんな警戒しなくとも平気よ。ほら、さっさと受け取んなさいよ」
突然、差し出された紙袋に小春は怪訝そうに眉をひそめたが令奈に急かされるまま受け取り、おずおずと紙袋を開けると警戒していた小春は目を輝かせた。
「ドーナツだ…!!」
紙袋の中身は色とりどりのドーナツ。どれもこれもが可愛くデコレーションされており、季節感の物もあればキャラクター物もある。
ドーナツの甘い香りに小春は嬉しそうに手に取ると早速、かぶりついた。
「むふぅ~~!!おいしぃ~~!♡」
「取りはしないから落ち着いて食べなさいよ…でもまあ、気に入ってくれて良かったわ」
「ありがとうお姉さん!♪でも急にどうしたの?何かハルに依頼でも頼みたいの?」
「そんなわけないでしょ。ただのお礼よお礼…」
「むぐむぐ………お礼?」
「そうよ」
頬一杯にドーナツを頬張り、足をパタつかせる小春にそう言って、隣に座ると令奈は小さく微笑んだ。
「アンタなんでしょ。轟カガリを呼んだのは…」
「…!………誰に聞いたの?」
「別に。ただ何となくそうなのかもって思っただけ」
「……意地悪だねぇ。お姉さんって…分かった上でハルを弄ぶんだもん。ズルいよ」
「アンタがとぼけるのが悪いんでしょ。でも、あの時は本当に助かったわ。本当、アタシ一人じゃ何も出来なかった…」
「………鶏お姉さんを呼んだのはたまたまだよ。お姉さんが行っちゃった後に見かけたからハルが声を掛けただけ…ハルは何もしてないよ」
「ふん、ホント生意気なガキねアンタ……ありがとうって言ってんだから素直に受け取んなさいよ」
「お姉さんには言われたくないな」
「うっさい。クソガキ」
ドーナツを齧りながらジト目で見つめる小春の視線を受け流し、令奈はケラケラと笑って言う。
「…お姉さん、随分変わったね。鶏お姉さんと仲良くなったせい?」
「え?んー、言われてみればまあ…そうかもね。なんか悩んでたことが小さく思えてきちゃったわ」
「弱い人の気持ちは強い人にはわからないってやつ?」
「今思えば本当に小さい悩みよねそれ……どっちにしたってわからないわ。アタシはアタシしか見えなかった…全部アタシの勝手な思い込みだったわ。アイツが全部ぶっ壊してくれなきゃ気づきもしなかったでしょうね」
「………なんかヒーローみたいだね」
「アイツが?ないない!だってアイツめちゃくちゃするのよ?殴るし蹴るし、誰彼構わずすぐ喧嘩売るのよ?もうまんま鉄砲みたいな奴なんだから」
「違うよ。鶏お姉さんがじゃなくてお姉さんが、だよ」
「アタシが…?」
にっこりと微笑ませる小春の言葉に、令奈は自分を指差しながら呆気に取られた。
呆気に取られていると笑顔を引っ込め答えを待ち黙る小春に令奈は…ぷっ、と小さく笑いを吹き出し言うだった。
「それこそ絶対に無いわよ。アタシはヒーローじゃないわ。アタシはただの堂坂令奈。ヒーローって言うのは………そうね」
そう言って、建物の間から覗かせる空を見上げながら令奈は胸を張り、自信を持って小春に答えた。
「アイツみたいな奴の事を言うのよ」
「………ふふ、なにそれ」
可笑しな回答に小春はケラケラと笑うが、令奈は腹を立てることもなく小春と同じように笑って見せた。
いつか聞かれた幼い頃に答えた言葉。自分はヒーローがどんなものかを知っている。
それはどんなに蔑まされようと失われることのない優しい心の持ち主のこと。またはどれだけ悪だと言われようとも決して折れることのない強い意思を持つ者……
そう言った愚か者がヒーローになれるのだ。自分は違う。違うのだけれど………同じようになりたい。
「………さて、アンタに渡せたことだし、そろそろ帰るわね」
「うん、また会おうねお姉さん♪」
「会うなら仕事以外で頼むわ。じゃあね」
立ち去っていく令奈の姿が見えなくなるまで手を振り、小春は紙袋からドーナツを取り出すとパクリと口に運んだ。
「………友達かぁ…」
甘い甘いドーナツを齧り、小春は一人退屈そうに呟いた。その時…スカートのポケットから細かな振動が起き、小春は考えることなくポケットから携帯電話を取り出し耳に当てた。
「………もしも~し…うん、ごめんね。連絡忘れちゃってた…ううん、ダメだった。たった今失敗しちゃった」
その言葉に電話の向こうにいる主は大声で怒鳴るが、小春は顔色一つ変えずに淡々と話を続けた。
「手を抜いたわけじゃないよ。もちろん油断もしてない……うん…わかってる。しばらくは帰れない……平気、当てならあるよ。ふふ、心配性だなぁ。ずっとハルと組んでたくせに信じてないの?……問題ないよ…うん、ハルは大丈夫」
電話の主はまだ喋っていたが小春は一方的に電話を切ると、携帯電話を空高く放り上げるやどこからともなく取り出した手斧で粉々に破壊した。
壊した騒音に周りにいたネコたちは驚き一目散に逃げ去り、辺りは小春一人となった…しかし、その小春もすでに無く、広場に残されたのはドーナツの残りが入った紙袋だけがポツンと取り残されていた。




