第46章.弱いアタシは 前編
__________令奈ちゃんって、テレビのヒーローみたい。
小学生の頃、ある日突拍子も無く言われた言葉。
それは真面目に言われたわけでもなく、さして重要な事でもない。ほんの気まぐれのような会話で、半分上の空で聞いていたのを覚えている。
ただ、あまりにぼんやりとしていた為、その言葉に対してどう応えたのかまでは覚えていない。
だが、子供の頃にした話だ、本当に他愛のない会話であったのだろう……
なのに、それなのに、今でもふと、その時の事を思い出す。
言われて傷ついたわけでもない。不愉快だと怒りを覚えたわけでもない。それなのにふとした瞬間、その時の事が頭に過るのだ。
________あの時……自分は、その言葉に一体なんと答えたのだろうか…
◆◆◆◆◆
_____ピピピ、ピピピ、ピピッ…
「………夢…」
懐かしい夢を見た気がする。何度も鳴り響くアラーム音の中、アタシは寝惚けた意識で呟いた。
「はぁ……いっっ!」
携帯のアラームに起こされ、まだ眠り足りないと訴える体を無理やりに起こした瞬間、全身に痛みが走った。
刺すような痛みに寝惚けていた頭が一気に覚醒し、アタシは昨日の出来事をすぐに思い出した。
「くそ……飛蝗の奴、加減を知らないんだから……」
アザが出来ていないか確かめながら愚痴をこぼす。アザが無いことを確認するとアタシは真っ先に洗面台へと向かう。
洗面台に立つなり、鏡にはやや疲れた顔の自分が映し出され、自分の顔なのに心底嫌気が差した。
「……はぁ」
寝起きは悪い方ではないが、ここ最近の出来事のおかげですっかり気が参ってしまっている。
陰気な気持ちも洗い落としてしまえと、冷たい水で顔を洗い、アタシは改めて目を覚まさせる。
ついでに寝癖のついた髪を整えながら、時間を確認しそのまま台所へと向かう。時刻は六時半きっかり。
うん、まだ時間に余裕がある。
冷蔵庫を明け、適当な材料と一緒に取り出した牛乳をコップに注ぎ、一気に飲み干す。
「……さて…マコトー、ハヤトー。朝よ。さっさと起きなー」
ふぅ、と一息入れた後、調理を開始すると同時に寝室にいるアタシは年の離れた弟妹、すやすやと寝息を立てながら眠るマコトとハヤトの二人に声をかける。
「んぅ~…おはよ~…お姉ちゃん」
「はよ~…」
「おはよ。ご飯、すぐ出来るから顔洗ってきな。マコト、ハヤトを見てあげて」
「はぁ~い…」
布団から這い出て、寝惚けたまま洗面台へと向かう二人の背中を見届け、アタシは手早く二人の朝食と弁当を作っていく。
手頃な目玉焼きに焼いたトースターにバターを塗ってあげ、テーブルに並べておくと、顔を洗い終えた二人が台所へと戻ってくる。
「洗ったよ~。お姉ちゃん。ハヤトもちゃんと出来たー」
「はいはい、ありがとーね。ほら、ご飯置いといたから食べなさい」
「はーい…って、また目玉焼き?最近、ずっと同じだよ」
_____うるさい……
「……起きてすぐパンと目玉焼きが食べれるだけありがたいと思いな。あんま文句いうと作ってやんないわよ」
席に座り、置かれた朝食を見るなり不満げな顔をする年の離れた次女のマコト。
素直なハヤトと違って、何かあればすぐに文句を言う子で、最近少し小生意気な性格で手を焼いている…人の気も知らないで良い気なものだ。
「……ボクはタマゴすきだよ?」
「ハヤトは美味しかったら何でも良いんでしょ!」
こっちの一人勝手に、マイペースに目玉焼きを食べる子は一番年下の弟、ハヤト。
生意気なマコトとは違いのんびり屋で、おっとりとしている性格の持ち主。
その為か。マコトとは相性が悪く、いつもマコトに怒られているがいつも何故、不満があるのか不思議で仕方ないと言った顔で首を傾げさせている。
今日も理解していない為、呆れ気味になってしまっているマコトは唇を突きだし、更に不満を漏らす。
「ハヤトは好きでもわたしは好きじゃないの!後いただきますって言わないとダメじゃない!」
「ハイハイ、もうわかったっての!うっさいからケンカするな!明日、違うの作ってあげるから我慢して食べなさい!」
_____うるさい……
人の苦労も知らないで好き勝手言う妹にうんざりしながらも二人のお弁当を作り終え、アタシは時刻を確認する。
時計の針は七時を指していた。いけない。そろそろ行かないと。
「これ、アンタらのお弁当。アタシは先に行くから……食べ終わったら、ちゃんとお皿を水に浸けといて。後、戸締まりはしっかりお願いよ」
「は~い……いってらっしゃ~い」
「お姉ちゃん、いってらっしゃーい!」
調理と片付けを終え、手を振る妹たちが食べ終わるのを見届けることなくアンタは玄関へと走っていく。
すると……
「令奈」
髪を再度整え、靴を履き、玄関の戸に手を伸ばそうとしたその時、背後から名を呼ばれ、アタシは振り返る。
そこにはアタシなんかよりも疲れきり、やつれた顔の女性……アタシの母さんが立っていた。
「……なに母さん?アタシ、学校行くんだけど…」
「そんな冷たく言わなくても良いでしょ?……昨日、どうして学校早退してきたの?ここ、最近…怪我とか夜遅く帰ってきたりしてるみたいだけど……学校で何かあってるの?最近は変な事件が多いみたいだし…心配だわ…」
_____うるさい…
母さんは心配性な性格をしていて、アタシの変化に気づいては何かある度におろおろとする一面がある。
その度に、母さんは長たらしく不満げに言うのだ。
_____うるさい…!
「……何も無い。ただのバイトの都合よ都合…それじゃ、遅刻するとまずいから行くね」
「バイトって……あんたいつの間に…ちょっと、令奈…!」
母さんの制止を振りきり、アタシは家を出て学校へと走っていく。
_____何かあったのなら教えて欲しい。そう訴えかけるような母さんの目は優しい色をしている…だが、アタシは……そんな心配性の母の目が苦手だった。
夜遅くまで仕事をし、へとへとになって帰ってきては疲れた顔の母親。
朝起きてすぐ、文句や好き放題喋る妹たち。
そんな妹たちのために朝早くから弁当を作り、学校から家に帰れば家族の為、家事に追われる。
_____全てがうるさい。髪を搔きむしりたくなるほどに。
どうしようもなくダサくて惨めでうんざりする日々、それがアタシの毎日だ。
(いっそ、全部投げ出してしまおうかしら……?)
なんてね、と、出来るはずもない愚痴を心の中でこぼし、アタシは学校へと向かっていく。その時だった。
「よー、令奈ちゃぁ~ん。奇遇やな~」
「っ……!」
曲がり角を曲がったアタシの目の前に、待ち伏せをしていたように塀にもたれ掛かった見たくもない飛蝗がそこにいた。
何が奇遇だわざとらしい。アタシは心底嫌そうにため息を吐いた。
「なんやなんや。そんな嫌そうな顔すんなや。朝から親友に出会えたんなら喜ばんとアカンやろ?」
嫌なのよ!!と出そうになった言葉を必死に飲み込む。
だが、飛蝗はせめてものと睨むアタシの顔を見るなり、ニヤニヤと嗤っては馴れ馴れしく肩に手を回す。
アタシはコイツが嫌いだ。何故なら……
「朝早うからお出かけか?もしかして~、彼氏とデートとか?エェなぁ~。うちにも紹介してぇや!カッカッカッ!」
こういうところだ。飛蝗は見下した相手に遠慮すると言う言葉は無い。
あるのは分かりやすいくらいの利己主義者で暴力的、昔からよく絡まれ、正直言って関わり合いを持ちたくない相手。
何よりこのノリが鬱陶しい。
「……下手くそな嘘ね。そんなわけないでしょ。学校よ学校」
「なんや、可愛げのない。心配して見に来たった言うんにつれん奴やのぉ…と言うかおまえ、まだ学校なんて通ってたんか?願望者あろう者が真面目なこって」
「バカね。学校は通う所じゃなくて学ぶ場所よ。知らないで済むことなんて世の中には無いんだから……それに、心配ですって?冗談。アンタが心配することなんて何も無い。ブラックローズはアタシが始末する」
「いやいや、心配するやろ。おまえの魔法はブラックローズには効かんのやし。いくら殺す言うても殺す手立てがないならアカン。そんなら……便利なモンをおまえに渡しとこう思てな」
飛蝗はそう言って、アタシに小瓶を見せつけてきた。
ガラス越しに中身を見ると、中には黒い小さな塊のような生き物が数匹蠢いていた。
表情をしかめるアタシに飛蝗はケタケタと笑う。
「エェやろこれ?コイツらはな。扱いはムズいけど暗殺すんには便利なんや。なんせ張っ付けるだけでエェし手間もいらん。コイツらをブラックローズに……」
「必要ないわよ。そんな悪趣味で気持ち悪いの……そんなのが無くたってもアタシは平気。暗殺なんて……いくらでもやりようはあるわ。もう放っておいて」
飛蝗の手を払い、アタシは距離を取るように離れると彼女はハン、と少し不機嫌そうに言う。
「ほんま、可愛げ無いなおまえ……でもまあ、そうや。うちはおまえがブラックローズを消さいしてくれればそれでエェ…成功さえすりゃあ…その生意気な口もチャラにしたる」
からかい飽きたと言わんばかりに小瓶をしまう飛蝗。
だが、その目と口は厭らしく歪がめられ、流し目で見る彼女の視線にアタシは堪えきれず、目を反らした。
「カカッ…!ま、期待してるで令奈ちゃ~ん…いらんプレッシャーかもしれんが、失敗したらどうなるか……分かってるな?」
「……分かってるわよ。何度も言わせないで」
「カカカ、ほなせいぜい頑張ってくれや…ギャーハッハッ!!」
アタシの心情を見抜いてか否か。卑しく嘲笑う飛蝗は一方的にそう言い残すとボン!っと空気が爆発したかのような音と突風と共にアタシの前から姿を消したのだった。
「……何が頑張ってくれよ。クソバッタ」
鞄を握る手を強く握り締め、アタシはひとりぼやく。
すると、遠くの方でチャイムがなる音が聞こえてきた。
……急ごう。アタシは言い表せない感情を胸にしまい、せめて学校だけは遅れてしまわないよう、走った。
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《柳森高校廊下》
_____ブラックローズ。
監視の怪魔を打ち破り、女王蟻と呼ばれていたアタシや不可視夜祭の幹部“今宵坂星司”をも倒した。
そして、昨日の戦いでは《魔女狩り》までもが彼女の手によって倒されている。
彼女は強い。願望者たちがどんな手を使ってこようとも、彼女はそれを打ち砕くだろう。
今、この町にブラックローズ、轟カガリを倒せる人物はいない。
_____アタシひとりを除いて…
アタシならアイツに容易に近づくことが出来る。油断している隙を狙えば、殺すまではいかなくても致命傷くらいなら与えられることは出来るかもしれない…
(でも…)
どうやって彼女に近づく?近づいたとしても自分に出来るのか?そもそも、殺せたとしてその後はどうする?
それに、彼女には今宵坂杏がいる。迂闊な真似は出来ない。
(考えが、まとまらない…)
考えれば考えるほど、頭が真っ白になりそうになる。頭痛がする。
どれだけうまく話を纏めようとしても、不安は拭えない。
失敗すれば…全部おしまいだ。
轟カガリは今度こそアタシを許さないだろう。あの時のように、顔を殴られるだけじゃすまないかもしれない。
そう思うと、急に怖くなってきた。
(ダメよ…弱音なんて吐いてる場合じゃない…)
頭を振り、決意を固め直すが…震えは止まらない。気分が悪くなってきた。
(あぁクソ……最悪……)
「あの……顔色悪いけど、大丈夫…?先生、呼ぼうか?」
おそらく、自分の顔は今、真っ青になっているのだろう。
前から来た名前の知らない女子が心配げな顔で話しかけてきた。
_____あぁ、本当に最悪だ…
「……大丈夫、平気…ちょっと、頭痛がするだけ。保健室でも行けば治るわ」
「え……じ、じゃあ、一緒に…………」
「別に良い…だから……」
_____『アタシに構わないで』
「………………はい…」
アタシの魔法に、心配そうな顔をしていた女子は急に冷めたような顔で短く返事をするとさっさとその場から離れていく。
本当に人払いに使うには便利な魔法だと改めて思う…だが、人の善意を潰してしまうのは心苦しかった。
少し前の頃ならいくら人に魔法を使おうと何とも思わなかった筈なのに、今では使う度に自分に嫌気が差すようになってしまっている自分がいる。
飛蝗の言う通り、自分は…思っている以上に弱くなったのかもしれない。人を操るこの魔法が…疎ましくさえ思うのだから。
(……外の空気が吸いたい)
とにかく、どこか静かな場所に行きたい。そう思った途端、アタシは…教室に向かうことなく、ふと思い付くままに屋上へと向かっていく。
階段を上がり、鍵の掛けられていない屋上の扉を開け外に出た瞬間、風が隣を吹き抜けていった。
清々しい程の雲の無い青空。屋上へと出たアタシはゆっくりと息を吸い、吐き出す…それだけでほんの少し、心が安らいだ気がする…
その時だ…
「あれ。お姉さん?こんな時間に何してるの?」
「へっ?」
聞き慣れた子供のような声に反射的に振り返った瞬間、落ち着きを取り戻し掛けていた心が一瞬にしてざわめき、顔中の穴と言う穴から嫌な汗が一気に吹き出した。
そこにいたのは…昨日、轟カガリに倒された筈の願望者…
_____《魔女狩り》。鬼灯二葉小春だった。
「あ、アンタ……!!何で……昨日と、轟カガリにぶっ飛ばされた筈じゃあ……!!?」
「?変なの。ハルがニワトリお姉さんに負けたの……お姉さん、見てたよね?何をそんなに驚いてるの?」
「驚くわよ!!アンタ!アイツに顔面殴られたくせに傷一つ無いじゃない!!」
そうだ。コイツは昨日、確かに轟カガリの拳をまともに受けた。それなのに、小春の顔には一切の傷は見当たらない。
すると、鉄柵の上に座っていた小春はクスクスと笑い、鉄柵から降りるとアタシに近づいてくる。
「言った筈だよ。あれはハルの悪夢……あの中で起こった出来事はみぃ~んな夢の話。だから、たとえハルが殺されていてもハルの体には傷はつかないの。リスクはあるけどね♡」
ヤバい……直感的に危険を感じたアタシは慌てて屋上の扉に向かって走り出す……だが、アタシが逃げることを予想していたのだろう。
小春はアタシの腕を素早く掴み床に引き倒した。
「いたっ!ヒッ!!?」
「もう、そんな良い顔しないでよ。ハル、お姉さんに何かするつもりは無いよ」
一体、どの口が!!
不満げに頬を膨らませていながらも引き倒したアタシに馬乗りをする小春の表情は童顔とは思えぬ冷やかな目をしている。
すると、何を考えているのか。小春はアタシの制服を捲っていくと空いた手をゆっくりと腹に滑らせていく。
「ちょっ……!!?なに!?なにする気よ!!」
甦る恐怖にアタシは馬乗りする小春を退けようと必死に抵抗するが……小柄な見た目のくせに力の強い小春を引き剥がすことは出来ず、冷たい手の感触にぞわりと背筋が凍った。
殺される……!そう思ったのだが……
「お姉さん、この傷誰にやられたの?」
「へっ!?」
傷?なんのこと?
「ほらここ…青くなってる。最近この辺に現れるって噂の怪魔にやられちゃった?」
小春に言われ、服が捲られた脇腹を見つめるとそこには痛々しく青紫色に青じんだアザがあった。
おそらく、昨日、飛蝗に蹴られた際に出来た傷だと思っていると、小春は指でそのアザを突っつく。瞬間、激痛に襲われた。
「痛ッッッッッたぁ!!!!な、何すんのよ!!?」
「痛いならちゃんと治さないと……いくらお姉さんの体が頑丈だからって自然に治る傷じゃないよ」
「う、うっさいわね!!アンタに言われなくても治すわよ!って、あれ……無くなってる?」
あまりの痛さに悶えたアタシの体から小春が離れ、アタシはすぐさま、腫れていないかアザを確認するが…すでにそこにアザは無く、痛みも消えていた。
アタシは慌てて小春の方を見つめると、彼女はイタズラじみた笑顔をしていたのだった。
「……紛らわしい真似しないでよね」
「ふふふ、素直にお礼くらいしてほしいな♪」
「ふん……それで?何でアンタがここにいるのよ。まさか、轟カガリに復讐でもするつもり?」
「ブッブ~、違いま~す!ニワトリお姉さんの依頼は失敗したので新しいお仕事中で~す♡それに、暗殺組織は復讐なんて私情を挟むのは禁止なんだよ」
そう言って、小春は指でバツ印を作り、アタシに向かってニコッ!と輝かんばかりの笑顔を向けてくる。
あざとい。見た目の幼さと相まって無害さを見せているのがより腹黒さを増している気がする。猫被りめ。
「……新しい仕事ってなにしてるのよ?」
「ふふ、それも内緒♡暗殺組織は情報漏洩も禁止されてま~す♡お姉さんこそ、授業サボってどうしたの?常人の前では良い子のふりしてるんじゃなかったの?」
「な……何でアンタがそんなこと知って……!てか、どーでも良いでしょ!アタシだって……気分が乗らなきゃサボったりするわよ」
「ふーん、あの二人みたいに?」
「えっ?」
小春が鉄柵の方を指差しそう言うと、アタシは恐る恐る鉄柵の下を覗き込んだ。
すると、そこには上級生らしき男子の胸ぐらを掴む轟カガリの姿があった。その後ろには今宵坂杏の姿もある。
「アイツら……何して…カツアゲ?」
「さぁ?あの人が何したかなんて、ハルにはどうでも……あっ、殴った。ふふふ、いたそ~♡」
何を言ったか知らないが、あの男子は轟カガリの機嫌を損ねたのだろう。一方的に殴られ、蹴りつけられている。
その様子を見ている小春は楽しそうに笑って見ているが…アタシは最低だと、胸くそが悪くなっていた。
「アイツには…弱いものの立場ってのがわからないのね。本当……最低…」
「弱いもの……お姉さん、ニワトリお姉さんに何か言われたの?ケンカ?」
「……違うわよ。喧嘩なんて……アイツにとったら、アタシなんか喧嘩の相手にすらならないわ…」
「ふーん…じゃあ、何で昨日は一緒にいたの?ハル、てっきり仲良しさんなのかなぁ~って思ってたけど」
「そんなんじゃないわ…でも……さあ、分からない。何で一緒にいたのかしらね…」
最初は成り行きだった……不可視夜祭の幹部を探す手伝いをさせられ、いつの間にか、アタシは気が付くと嫌いな筈の轟カガリの後を追いかけていた。
殴り飛ばされ、願望者として敗北したあの日から……二度と関わりたくないと思っていた筈なのに…
(……本当、ワケわかんない…)
「…弱いものの立場って、どう決めるの?」
「はぁ?そんなの……決まってるじゃない。自分より勝っている奴が自分より劣っている奴を気に食わないと思い始めたらよ…」
自分でそう口にして、酷く惨めな気持ちになった。
彼女等には分かるはずもない。強い奴は弱い奴が逆らうことを許さない。
弱いもの事なんかこれっぽっちも考えない。力で押さえつけ、気に食わなければ寄って集って痛め付ける。
お前は弱い存在だと、徹底的に知らしめさせる。
この世界は強いものがすべてを欲しいままにする。そう言うものなのだ。
「見た見た今のキック!ニワトリお姉さんって体柔らかいよねぇ~!あの人、一瞬で気絶しちゃった!」
その証拠に、自分で聞いておいてすでに興味を無くしている小春は轟カガリがのした上級生をケラケラと指差して笑っている。
(ほらね…強い暗殺者もアイツと一緒……弱い奴の気持ちなんかどうだっていいのよ……)
飛蝗の言っている事は間違っていない。力の無い者はどれだけ惨めでも堪えるしか出来ない。
自分が生き残るには……言われるままに従うしか道は無いのだ。
「やっぱりハルはお姉さんの事好きじゃないなぁ~」
「……え?」
「弱いのは諦めるしかないって決めつけてる所とか…ほんと、アリさんみたいに小さいよねぇ~」
不意を突くように、いつの間にかアタシの方へ視線を戻していた小春は、何故か呆れた表情で見つめていた。
突然の冷めた表情に驚いていると、それを見た小春は今度はやれやれとわざとらしく嘆息してきた。
その態度が何故か、思わず声を荒立ててしまうほど…妙に腹が立った。
「アンタにバカにされる筋合いは無いわよガキんちょ…!弱い奴の気も知りもしないくせに!!」
「そんなの知らないよ。だって、ハルはお姉さんより強いもの♡諦めるしかないって決めつけてる人の気持ちなんて、考えるだけでも無駄だもん♡」
「な…!!?そ…そんなわけ………あ、アタシは諦めてなんか……!!!…ッッ!」
違う、違うそうじゃない。アタシは諦めてなどいない。
頭の中で何度も何度もそう叫ぶ……だが、声が出ず、何も言い返せない。
アタシより小さく、アタシより幼い筈の彼女の言葉を、アタシは拳を強く握り、下を俯くしか出来ず。反論すらまともに言い返すことが出来なかった。
「……あーぁ、お姉さんって、ホ~ント…鈍い人…ニワトリお姉さんが怒っているのも無理ないよねぇ~」
「っ…?そ、それってどういう意味……」
俯かせていた顔を上げ、小春の方を向くと……アタシが言い終わる前に小春の姿は屋上から忽然と無くなっていた。
どこに消えたのか、辺りを見渡すと彼女の姿が遠く民家の屋根の上を飛んでいるのを見つけた。
_____ニワトリお姉さんが怒っているのも無理ないよねぇ~
(轟が……怒っている…?どういうこと…?)
言葉の意図が分からないまま、見えなくなった小春の姿をいつまでも見つめながら……授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く音をアタシは鳴り止むまで静かに聞いていたのだった。
>>>>
あれからクラスに戻り、小春の言った意味を…轟カガリが怒っていると言う理由をずっと考えていた。
(アイツが怒ってるのなんていつものことじゃない…)
轟カガリが不機嫌な顔をしているのはいつものことだ。だから、みんなから歩く暴力兵器だとか、鬼女などと呼ばれ恐れられている。
それに、小春のデタラメかもしれない。もし、そうならば悩むだけ無駄だ。
気づけば授業も終わり、皆早々と教室を後にしていく。
移動なのかと思い、隣の席の男子に聞くとどうやら近くでなにやら事件があったらしく、今日はもう授業は無いとのこと…
授業が無ければ学校にいる必要はない。アタシは鞄を手に取り教室を後にして、早々と家に帰ることに決めた。
一人下駄箱へ向かう自分とは違い、他の生徒たちは各々仲の良い友だち同士で他愛の無い話をしたりして教室に留まっている。
(巫女……元気かな)
そう思い、頭を振った。彼女には会わないと誓った筈だ……
だから、羨ましいとは思わない。一緒に帰りたいと思う程、これと言った友人が学校にいるわけでもないが、当たり障りのない関係。挨拶をし、時たま話の輪に入る程度の関係は出来ている。
アタシは、誰に話し掛けること無く、校門を抜けていく。
(……なんで、アイツは怒ってたんだろ)
道を歩きながら再び、小春の言った言葉を思い出す。
やはり昨日のことで怒っているのだろうか?だとしたら、轟カガリはアタシに対して怒っている?
(……謝るべき…かな…)
そんな事を考えながら、公園の前を歩いていた時だった……
____お姉ちゃーん…
公園の方からマコトとハヤトの二人の声が聞こえてきた。立ち止まり、公園の方へ向くと、遊具で遊んでいた二人が手を振っているのが目に入った。
「マコト…ハヤト……?アンタたち、何で……」
驚くアタシが二人のいる公園に足を踏み入れようとした瞬間……背筋が凍りついた感覚に襲われた。
「い、今のは……ッ!!!」
公園内に漂う異質な空気に気づいた刹那、二人の背後にある遊具の影から怪魔がゆっくりと姿を現した。
そして、驚いているアタシに気を取られ、気づいていない二人に怪魔は服の袖のような平たい手を静かに伸ばし始める。
____最近、変な事件が多いみたいだし……心配だわ…
__最近この辺りに現れるって噂の怪魔にやられちゃった?
脳裏に過る母と小春の言った言葉が確信させる。
______そうか。学校が休校になった理由はコイツか…!!
「マコト!ハヤト!!!逃げなさい!!!!」
「「えっ?」」
アタシは悲鳴のような声で叫ぶと同時に、走り出し二人に手を伸ばす。
だが、それが間違いだった。
突然のアタシの行動に二人は驚いてしまい、逃げるどころか固まってしまった。動かない二人の肩に怪魔の手が迫る___
させるものか……!とアタシは魔力を込めて叫ぶ。
「『命令よ!!走って二人とも!!』」
「わっ!?」
「えっ?!」
怪魔が二人の肩に触れる寸前、魔法の掛かった二人はその場から走り出す。だが、何故か魔法の掛かりが浅い。
意識とは別に体が無理やり動かされたような形になり、二人は怪魔にこそ捕まらなかったが大きく転んでしまった。
(な、なんで!?)
「いたた……今のなに?」
「うぅ……痛いよぉ…」
「ッ!!『二人とも早くソイツから逃げなさい!!』」
「「え?」」
____再び魔法を使う…だが、今度は全く効果がない。
(な、何で……魔法が効かない…?!)
「うわぁぁぁぁぁ!!!!」
「きゃぁぁぁぁ!!!!」
「くっ!!!マコト!!ハヤト!!」
それに、叫んでしまったせいで二人は後ろを振り返ってしまい、怪魔の存在に気付いてしまった。
怪魔の右手が二人に狙いを定め大きく振り上げられる……間に合わない…
____ダメだ、それだけはダメだ……!
憎たらしくても、生意気でもアタシの家族に手出しはさせない…!!
限界まで振られた腕を、足を更に動かし怪魔に向かって走る。
「やめろぉぉぉぉ!!!!」
右手を振り抜こうとする怪魔に向かって、アタシは走る勢いを殺さぬまま思いっきり飛び付いた。
「イッ…!!アンタたち逃げなさい!!」
「あ……あぁ…」
「お、オバケ……」
布のような体型をした怪魔の体は予想以上に軽く、飛び掛かったアタシの勢いに、簡単に体勢を崩し地面を転がった。
一緒になって地面を転がったアタシはすかさず、立ち上がり二人に叫ぶが……怪魔に怯えきってしまった二人はガクガクと足を震わせうまく立ち上がれないようだった。
「ッ……ほら!さっさと逃げるわよ……ッッ!!?」
「「お、お姉ちゃん!!」」
怪魔が起き上がらないうちに逃げなければと、アタシは二人の元へ駆け寄り、手を引こうとしたその時……怪魔の腕がアンタの足に蛇のように絡み付き、二人から引き剥がされてしまった。
____ヤバい……!!
怪魔に対してアタシの魔法は通じない。魔力で出来た鞭をとっさに作るが怪魔の腕はとぐろを巻くようにアタシの首まで上り、物凄い力で締め上げ地面に叩きつける。
「カ…ハッ…ァ”、ァ”……グ…!!!」
メキメキと圧縮されるような感触に必死に抵抗するが張り付くように巻き付く怪魔の腕を引き剥がす事が出来ない。
苦しいのに、だんだんと意識が遠くなる。二人の叫び声が聞こえる…守らねば……立たねば……アタシが二人を守らないと……
(ダメ……意識が…………)
暗い海の底に沈んでいくような感覚が徐々に、徐々に手や足に広がっていき、鉛になったかのように体が重くなり、力が入らない。
____死ぬ…そう思った瞬間だった…
____ズドン!!!
(なに……?いま…の……お、と…………)
意識が消えていく寸前、何かを蹴り飛ばしたような鈍い音が聞こえた気がしたが……アンタの意識はそこで完全に無くなったのだった。




