第41章.カンテラの中へ
《???》
_____暗い。静かで真っ暗だ…
最初に浮かんだ言葉はどこか他人事のような感想であった。
目を開けているのか。それとも眠っているのか。その境界線すら曖昧で、まるで深海に沈んでいるのでは?と錯覚すら思える。
「ヒャ~ハ~…?」
そう思っていた矢先に静寂であった暗闇に人らしからぬ機械的な声が響く。
「う……ぅ…モラ…ン…?」
「ヒャーハーヒャーハー!」
「わっ!び、びっくりした…お前か…よしよし…心配、してくれてた…んだな…良い子だ」
聞き覚えのある声と体を揺さぶる小さな手に杏は意識を覚ます。
ボーッとする頭を擦りながら体を起こすと寝起き早々にモランが杏に抱きついてきた。
まだ意識が覚醒し切っていなかった杏は少し驚きはしたものの、すぐに心配してくれていたモランを撫でた後、ふと、辺りを見渡した。
「ここは……どこ、なんだ?」
そこは見たこともない見慣れぬ古い屋敷の廊下であった…
中世の貴族が住んでいたかのようであったが、人の気配はなく、まるで神隠しにでもあったのでは無いかと思うほど、辺りは静寂に包まれていた。
(……ここ、どこかで見たような…?)
埃の被った家具や絨毯。割れた窓ガラスから吹き抜ける冷たい風…壊れて動かない古時計に壁には何かの肖像画などが描かれた油絵。
そのどれもがどこかで見たことがあるような内装に首を傾げた杏は、あることに気がついた。
「モラン、お前…トットはどうしたんだ?」
「ヒャーハー?」
杏の疑問に、モランは首を傾げさせるのであった。
>>>
「わ~い!♪ハルの大勝利~!♪あはは♪あはは!♪」
狭い路地で一人、カンテラを両手で掲げながらクルクルと回る少女の姿があった。
少女の名は小春。先の戦いでミッドナイトスター、杏との戦いに勝利した彼女は無邪気に笑い、一頻り喜んだ後、自身の魔法である『カンテラ』を見つめるとうっとりと目尻を下げ微笑んだ。
「うふふ…ジメジメ団の幹部さんを倒したって聞いて最初はびっくりしたけど…何だかガッカリだよぉ…♪鶏お姉さんは警戒心ゼロだったし…モジャモジャ髪のお姉さんは動きが素人そのもの…ねぇ、そこのお姉さん。ハルが相手にする必要があったと思う?」
カンテラの中にある淡い光を放つ紫色の光から目を離し、背後を振り返った小春は誰もいない路地に向かって質問を問い掛けた。
しかし、彼女の質問に答える者はいない。当たり前だが、誰もいないのだから当然である。しかし、笑顔であった小春の表情は一変し、冷たい氷のような、冷酷な表情で言葉を続ける。
「そこに隠れているのは分かってるよ♪早く出てきたら?♪」
再び投げ掛けられた言葉を返事する者はやはりいない。
痺れを切らしたのか。小春は小さくため息を吐くと同時にカンテラを片手に手斧を出し、大きく振りかぶると路地の曲がり角目掛けて放り投げた。
小春の手から離れた手斧は空を切り裂き、勢いよく回転しながら真っ直ぐに曲がり角の壁へと飛んでいき、大きな音を立てて突き刺さる…
_____そして、壁に突き刺さると同時に彼女は悲鳴を上げた。
「ヒイィィィィィィィ!!!!!!?ご、ごめんなさい!!出ます!出ますから殺さないでーー!!!!」
驚愕と恐怖が入り交じる悲鳴の後、曲がり角から飛び出した令奈は出てくるなり大慌てで小春の前でひれ伏し、何度も頭を下げ命乞いをし始めた。
その形振り構わない平伏っぷりに小春は口をポカーンと開け、唖然とするのであった。
「お姉さん…誰?あのお姉さんたちのお仲間さん?」
「めめめ、滅相もございません!!違います!断じて違います!あ、アタシは【不可視夜祭】に所属してます。“女王蟻”と言うただの弱小願望者でございますぅぅ!!!」
「“女王蟻”…?お姉さんがあの…?」
地面におでこを擦り付けん勢いで頭を下げまくる令奈に、唖然としていた小春の眉がピクリと動いた。
その後、令奈の言葉に冷めていた表情を向けていた小春は土下座する令奈の前に屈むとニッコリと笑った。
「ふふふ…ねぇ、“雀蜂”さんは元気?あの人、いっつもハルを避けるんだもん。失礼しちゃうよね!せっかくハルがお話してあげようとしてるのにさ~!」
そう言い、不機嫌そうに唇を尖らせた小春は令奈の頭を軽く叩きながら、“雀蜂”っと言う願望者に大して愚痴を溢す。
頭を叩かれた令奈は短い悲鳴を上げるが、すぐに口を抑え、すぐさま表情を取り繕い、小春同様に笑ってみせた。
「あは、あははは……!ど、どうでしょうねぇ~?あ、あの人は寡黙な人ですし…不可視夜祭でも…ひ、人と話している所はお見かけしなかったものですから…あ、アタシには判断のしようが…あ…で、でも元気だとは思いますよ!?」
頭を叩かれる度に令奈は今にもガチガチと鳴り出しそうな歯を噛み締め、喧しく騒ぐ心臓と震えの止まらぬ体で、だらだらと額から汗を流し続けるが…いつ、彼女の気まぐれで命が終わっても可笑しくない。
「ふ~ん…♪“雀蜂”さんってホント、ミステリアスな人だな~♪知らないことだらけだよ♪」
「え、えへへ…そ、そうですよねぇ~…あはは…!」
だが、令奈は少しでも小春の機嫌を損なわぬよう、必死に表情を取り繕い続ける。
しかし、次の瞬間…小春の言葉に、令奈は一瞬で表情を凍りつかせたのだった。
「でも…ハル、お姉さんの事は知ってるよ♪元幹部候補さん…♪」
「ッ…!!!!!?」
「お姉さん、有名人だよ…?♪どっち付かずのズル賢い嘘つきさんだって♡」
愛らしく小首を傾けた小春であったが…その目は蛇が嘲笑ったかのような冷酷な光を宿しており、顔を青ざめ戦慄く令奈が見つめる顔は、無邪気さとは程遠い笑みで嗤っていた。
「い…嫌ですねぇ~、アタシが幹部候補?ご、ご冗談を!た、確かにアタシはズル賢い嘘つきの卑怯者ですが…幹部候補だなんてそんなわけ…あるはず……が………」
両手を擦り、必死に愛想笑いをしながらへりくだるも、小春は表情を崩さず、笑顔のままジッ、と令奈を見据えたまま眉ひとつ動かさない。
無言の中に交じる殺気…それはまさに令奈を蛇に睨まれた蛙のような気分にさせ、その場しのぎの言葉が引っ掛かったように喉から先に出ていかない。
「冗談を言ってるのはどっちかな?弱小願望者…なんて♪嘘つきにも程があるよぉ~、女王蟻さん♪お姉さんがしたことは今でもハルたちの組織でも有名なのは……あなたがいちばん知ってるでしょ…?♪」
そう言うと小春は令奈に見えるようにベロりと舌を出すと、その舌にはある紋様が描かれていた。
それは剣を掲げる首無しの聖女の刻印…それを見た令奈は表情を更に青ざめさせ息を飲んだ。
「あ、暗殺組織…【血狩り異端者】………は、はは…あ、あの、同族殺しと言われた…あの【血狩り異端者】………?し、知りません…い、一体、なんの事やら……」
「とぼけてもダメだよ…♪あなたはハルたちの組織の情報をジメジメ団に売った♪ってことはバレバレ…お陰で2年間、ハルたちは情報の先回りされてお仕事にならなくなっちゃったんだから…♪」
告げられた言葉に、令奈の心臓がドクリと大きくはね上がった。同時に自然と息が荒くなり過呼吸のように苦しくなる。
乾いた笑い声。耳元で脈打つ心臓が今にも口から飛び出してしまうばかりに激しく鼓動を鳴らす。
______今にも逃げ出したい気持ちでいっぱいになった…
「じ、情報を売りさばいたのは悪いとは思ってます。で…でも、仕方なかった……そう、仕方なかった!アタシの魔法は自分より弱い者を操るだけの低俗な魔法で…!!不可視夜祭の中で生きるには仕方なく……!!!」
「仕方なく…?ふふ、あれだけ堂々と情報を奪っておいて面白い冗談を言うね♪ジメジメ団の“雀蜂”さんがあなたの後ろにいるみたいだけど…ハルたちには関係ない。売られた喧嘩は買うよ?♪それがたとえ、組織同士の戦争に繋がるとしても……ね♡」
「ひ、ひぃぃ…!ゆ、許して…殺さないでください!!」
「ふふふ、でも安心してお姉さん♡今回は許してあげる♪ハルたちは人殺しだし…お姉さんみたいにハルたちを恨む人たちはいっぱいいる♪当然だよね♪その分ハルたちも何倍も何十倍、何百倍も人を殺してきてるから…♪他の人だったら見逃さないんだろうけど…ハルはお姉さんの事、見逃してあげるよ♪」
冷酷な眼差しを消し、両手を広げ花の咲いたような笑顔で笑って、小春は震える令奈に過去を流すと言い、優しく抱き締め頬を子犬のように令奈の頭に擦り付けた。
小春のコロコロ変わる態度に令奈は肩をビクつかせるが、殺される心配はないとホッと胸を撫で下ろした…
「でも…今、邪魔したら殺すよ?」
頬を擦り付けていた小春が突然、令奈に囁いた。
その声色は酷く、冷たいものであった。
______その時である。
______ドスッ…!
「………ぇ?」
小春の囁いた言葉を脳が理解する前に…肩にほんの小さな衝撃が起きた。
______一体、何が起きたの?
令奈は恐る恐る震える瞳で肩を見つめると…そこには肩周りの衣服を真っ赤に染める程…深々と刺さるナイフがあった…
「ぃ……ギャァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!」
「あはははははははははははは!!!!!!♪」
遅れてやってきた痛みに令奈が泣き叫ぶと小春は愉しげに嗤い、突き立てたナイフをより、深く突き刺していく。
ナイフが肩を抉る度、肩から大量の血が溢れ、令奈は更に悲鳴をあげる。
「あぐぐぅぅあぁぁ…か、かた…!!肩がぁぁ…!!いだい…いだいぃぃぃぃ!!!!」
「もう、刺しただけで大袈裟だなぁ♪それくらい魔力で治せるんだから死なないよ♡」
「ギャッ!!」
グチャリ…!と令奈の肩からナイフを引き抜くと小春はナイフの先から垂れる血の糸を小さな舌で舐めとる。
そして、小春は血で染まった舌を出しながら、出血が止まらない肩を手で抑え、痛みにうずくまる令奈の頭を踏みつけ踏みにじる。
「ぐ…ぅぅ……や、やめて…な、なんで……ウギァ!!」
「ごめんね、お姉さん♪【不可視夜祭】の“雀蜂”さんを後ろ楯に、他組織を裏切りに次ぐ裏切り行為で騙し続けたうそつきなお姉さんを放ってはおけないの♪【血狩り異端者】もそれで情報を奪われたわけだし♪ハルもこれ以上、邪魔されたくないもの♪」
「そ、そんな…!!邪魔なんてするわけない…!!アタシはアイツらの味方じゃないです!むしろ被害者…!!恨みすらあるわ!!」
「それが本当ならごめんね♡でも、どちらにせよ…あなたがあの二人が関わっているのは間違いない…念には念を押さなきゃ♪万が一の為にも…お姉さんにはここであの二人が完全に死ぬまで…大人しくしといてね♡」
「ひ、ヒィィ!!?!?」
血で染まったナイフを令奈の目の前に突き立て、小春は元気よく立ち上がると怯えきった令奈ににこやかに笑う。
「大丈夫♪ハルはお姉さんと違って嘘つきじゃないもの♪殺さないって言ったら殺さない♪でも、邪魔したら殺す…♪お姉さんとハルの大切な約束…♡」
不気味に口角を吊り上げ、小春は令奈に背を向けるとゆっくりとカンテラを掲げる。すると、カンテラは再び紫の光を放ち辺りを包み込む。
目の前に突き立てられたナイフが壁となり、令奈の目からは見えなかったが、紫の光によって路地の壁に映し出される影に令奈は戦慄する。
____それはカンテラから伸びる無数の腕の影。
次々とカンテラから飛び出す腕は小春の体を掴むとカンテラの中へと引きずり込んだ。
所有者を失ったカンテラは音を立てて地面に落ちると紫の光は消え、辺りは静かになったのだった…
>>>
《???》
____体が重い。息苦しい…真っ暗だ。
一体どれ程の時間が経ったのだろう。気がつけば意味も無く薄暗い廊下を歩いていた。
その手足は鉛のように重い、そして、その後をじゃらじゃらと鎖が擦れる耳障りな音が響き渡る。
鬱陶しい。この鎖はなんだ、と引きずっている鎖に手を伸ばすが、そこにあるはずの鎖は無く、その手は虚空を掴むだけであった。
「くそ……なんなんだよ…」
煩わしそうに手を払い、カガリは再び、意味も無く暗闇を歩きだす。
____出来損ないめ…
突然…背後から男の声が聞こえてきた。
だが、聞こえてきた声にカガリは耳を傾けず、足を止めること無く暗闇の中を歩き続ける。
____何故、お前は不出来なのだ…
(……うるせぇ)
____無能…
(…うるせぇ)
________少しは期待に応えようとしないか…
「うるせぇ!!うるせぇうるせぇうるせぇうるせぇうるせぇうるせぇうるせぇ!!!うるせぇんだよ!!!!!!」
____お前の顔など見たくもない。
次第に大きくなる男の声に、ついに足を止めたカガリは耳を塞ぎ喚き散らす。
だが、脳に直接響く男の声は一向に消えてなくならない。まるで呪詛のように、カガリの耳にベッタリと張り付いて離れない。
____お前は誰にも必要ない…
「うるせぇって言ってんだろうが!!!!消えろ!!オレに話しかけんじゃねぇ!!!」
____役立たずめ…
「黙れってんだよ!!!!ぶっ殺すぞ!!」
____お前に何ができる…
「ッ…!!!!」
男の憎悪に満ちた声が消えると同時に、暗闇の奥から強い光が広がり、カガリは眩しさの余り目を瞑る。
光はやがて消え、恐る恐る目を開くと…そこは小さな子供部屋になっていた。
「こ、ここは…?」
____ガチャ…
一体、いつの間に移動させられたのだろう。カガリが困惑していると後ろにあったドアから小さな女が入ってきた。
カガリは驚き、咄嗟に身構えるが…少女にはカガリの姿は見えていないのか、ひどく悲しそうな顔をしながら机へと向かっていく。
「………一体、なんなんだよ……ッ?!」
無言で勉強に勤しむ少女の背中をカガリはおぞましいものを見るかのような目で見つめていると…背後に気配を感じ勢いよく振り返ると、カガリは戦慄した。
____またテストの答えを間違えたのか…?
カガリの背後にいたのは先ほどの男の声である、男の影。人の形をした黒いモヤがそこ立っていた…
「ご、ごめんなさい…」
だが、男の影の声に真っ先に反応を示したのは少女である。
少女は怯えたように身を縮ませ、目を涙で潤ませた。
____何故、お前はいつもそうなのだ。
「ごめんなさい…次はちゃんと……」
____言い訳など聞きたくない…
「は、はい……ごめんなさい…」
(……やめろ)
少女を叱る男の影…その光景にカガリは胸のうちを抉られるような痛みに襲われた。
影は次々と少女に心無い罵声を浴びさせる。その度に少女はごめんなさい、ごめんなさいと顔をうつむかせ、涙を懸命に堪えながら謝り続ける。
見たくない。言い表せぬ不快な気持ち悪さにカガリは堪らず、影に殴りかかる。
「消えろ!!こんなもの、胸くそわりぃもん見せやがって…消えやがれ!!!」
____消えて欲しいのはお前の方だ…
怒声を喚き散らし、やみくもに影を殴るも拳はモヤをすり抜け、影は一向に無くならない。
そればかりか、影は少女に向けていた憎悪の感情をカガリへと向けてきた。
瞬間、再び辺りは光に包まれ、周囲は木の板が引き締められた道場へと変化する。
目の前で揺らぐ影の手には竹刀のような影があり、カガリは嫌悪感に表情を歪めた。
____お前は私の汚点に他ならない…
「うるせぇ…勝手に決めつけてんじゃねぇよ…!!くそ野郎!テメェの価値観を押し付けんじゃねぇ!!!!」
____お前には心底、失望した…
「期待を押し付けてんじゃねぇってんだろが!!!!」
男が言い切ったのを合図にカガリは勢いよく影へと殴りかかる。
影は竹刀を振るい、向かってくるカガリを打ち負かす。そして、倒れたカガリを徹底的に打ちのめしていく。
それでもカガリは懸命に影へと挑みかかり、殺意とも言える怒りをぶつけていく。
「そんなことしたって無意味だよ、お姉さん…♪」
その様子を椅子に拘束されたカガリの前で見ていた小春はクスクスと笑い、意識を無くし項垂れているカガリの頭を指先でソッと触れた。
「お姉さんは後、どれだけ…自分の恐怖に堪えられるかな…?うふふふふ!!♡」
カガリを見つめる小春は不気味に笑うと、指先に魔力を込めるのであった…
>>>>
「イ…ッ……!!アイツらとなんか、一緒にいなきゃ良かった……そうしたら…こんな目にだって遭わなかったわ…ッッ!!!」
ドクドクと血が流れる肩に魔力を当て、止血しながら令奈は忌々しくその場に放置されたカンテラを見つめ、恨めしそうに呟いていた。
朝からとんだ災難だ。昼食は取られ、好き勝手に連れ回されたと思えば怪魔に襲われた…挙げ句の果てには肩をナイフで刺された。
「全部、アイツのせいよ…アイツが全部悪いのよ…!!」
轟カガリ。そう、彼女だ…彼女と出会ったあの時から完璧であった自分の人生が大きく狂い始めた。
「アイツさえ現れなければ……アタシは【不可視夜祭】を追い出されることもなく、惨めな思いもせずバカにされることもなかった…!アイツさえ…轟カガリさえいなきゃ…!!」
込み上げる怒りに令奈は突き立てられたナイフを引き抜き、カンテラに向かって半場ヤケクソに放り投げる…が、ナイフはあらぬ方向へと飛び音を立て地面に落ちた。
「くそ……くそ…!バカにして…!!勝てるはず無いって分かってるくせに何が大切な約束よ…何が万が一よ!!!バカに…しやがって……アタシを…誰だと思って……!!イッ…?!」
小春に言われた言葉を思いだし、令奈は手に握り拳を作ると地面に叩きつけ、その痛みに表情を歪める。
轟カガリに負け…魔法少女になって3日も経たない杏に庇われ…自分より小さな子の小春には侮辱され相手にもされない…
悔しさを通り越し、己の無力さに絶望し涙が溢れた。惨めさでいっぱいであった。
「ッ…だ、ダメよ…泣いちゃダメ…泣いたら…余計に惨めになるじゃないのよ…」
自分にそう言い聞かせながら必死に手で流れる涙を拭う。その時であった。
「イーハー?」
「っ!?な、なに?!って……」
突然、令奈の横から声が聞こえてき、驚いた令奈はすぐに足元を確認すると、そこには令奈を見上げるトットが立っていた。
警戒していた令奈はトットを煩わしそうに見つめると呆れたように深く嘆息して見せた。
「なんだアンタか…脅かさないでよね…全く…転んで相方に置いていかれるなんて……アンタもマヌケね」
「イ~ハー!!」
「…なによ。転んだアンタを拾ってここまで連れてきてあげたのはアタシなのよ?おかげでほら、見なさいよ。アタシはあのナイフで刺されたんだからね」
怒ったような動きを見せるトットに、令奈は血で染まった肩を見せつけるが、分かっていないトットは首を傾げさせるだけでまるで理解していない。
「ハァ…分からないなら別に良いわよ。それよりアンタの主人と相方はあの中よ、あの中…さっさと追いかけるなりなんなりしなさい。アタシはもう…帰るわ…」
首を傾げさせるトットにため息を吐き、理解していないトットに杏がいるカンテラを指差すとゆっくりと立ち上がり、商店街の出口に向かって歩き出す。
「イーハー?イーハーイーハー!」
「はいはい、イーハーイーハー…好きにしなさい」
去っていく令奈の後ろで何やらトットが騒ぐが、令奈は知ったことじゃないと振り返ることなく歩いていく。
何をしようと手遅れだ。それにもう彼女たちに関わりたくない。
このまま何もしなければ、小春は見逃してくれると約束した。なら逃げてしまえばいい。そうすれば狙われることも、敵対することない…
例え、哀れと言われ笑われても…自分の命を守れるのは自分だけなのだ。
令奈は早足にその場を去っていく…が。
____ガシャガシャガシャ!
「へっ?」
「イ~~ハーー!」
「ちょっ!?何持ってきてんのよアンタ!?」
令奈の意思に反して、何を思ったトットはカンテラを担ぎ上げながら令奈の後をついてきていたのだった。
「何考えてんのよ!?好きにしろとは言ったけど、持ってこいなんて一言も言ってないわよ、ポンコツロボ!!!」
令奈は慌てて、トットからカンテラを奪い離れた場所に置き、トットを怒鳴るが…やはりトットは分かっていないのか。令奈の怒りを他所に「イーハー?」と首を傾げさせる。
「良い?!アタシを巻き込むな!!!アレに触るならアンタ一人になってからにしなさい!分かった!?」
「イ~ハ~?」
「ちがぁぁう!!持つなって言ってるのよ!そしてそれを持ってくるな!!!!そこに!置いて!!早く!!」
言うことを聞かないトットに苛立つ令奈はカンテラを置くよう指示をする。
トットはカンテラを適当に置かれていたレンガの上に置き、令奈の前で褒めて欲しそうに両手を振る。
「褒めないわよ。アンポンタン!!良い?もう一度言うからよ~く聞きなさい。アタシは帰る。アンタがアレに触るのはそれから、OK?」
丁寧に何度も説明をする令奈にトットはコクりと頷く。
「よし、じゃあもう一度復習よ。やって見せて」
「イ~ハー」
トットは令奈に言われた通り、令奈を指差し出口の方へ向けると令奈は「うん」と頷く。
「イーハ~」
「うんうん、その通りよ」
次にトットはカンテラを指差し、自分を指を指す。令奈は満足そうに頷く。
「やれば出来るじゃない。じゃあ、後は分かるわよね?」
「イーハー!!」
そして、トットは最後にカンテラを令奈に手渡した。
「だからちがぁぁぁぁぁう!!何回言わせれば分かるのよアンタは!!!!」
カンテラを元の場所に戻し、令奈はトットの頭を掴み離れると怒りの形相でトットに言う。
「アンタ、さっきから何がしたいのよ?!アタシは嫌だって言ってるじゃない!アンタまでアタシを巻き込む気!?」
「イハー!!イーハーイーハー!」
「あん?なによ、その指と態度は?まさか、怒ってるつもり?怒ってるのはアタシの方よ!!!もう良いわ、だったら好きにしなさい!アタシは意地でも帰ってやるから!!」
怒ったように手足をバタつかせるトットを放り捨て、令奈は足取りを荒々しくさせ、出口に向かって大股で歩き出す。
後ろの方でトットが騒いでいるが令奈は耳を貸さず、見向きもせずに進んでいく。
「知ったことじゃないわ…!!アタシには何の関係もない……ジャベッ!!!!?」
「イ~~~ハ~~!!!」
「いたたたぁ~~…こんの、ポンコツ!!!!何すんのよ!!?」
足を掴まれ、見事に転んだ令奈は打ち付けた鼻を抑えながら、トットに振り返り怒鳴り付ける。
が、トットは令奈の袖を引っ張りながら懸命にカンテラを指差し、引き返せと令奈に訴えかける。
トットの行動に…令奈の堪忍袋の緒がついに切れた。
「いい加減にしてよッ!!!!いくら助けて欲しいからってアタシを頼らないで!!もう嫌なのよ!アンタの主人たちとこれ以上、関われば今度こそ命が無いの!!それを分かってよ!!!」
堪忍袋の緒が切れた令奈は大声でトットを怒鳴ると乱暴に掴み上げ、鬱陶しげに睨み付け、怒りのままにわめき散らす。
「あの小春って願望者は【魔女狩り】って呼ばれた狙われたらどんな奴も殺すって噂のとんでもない奴なの!!魔力も、戦い方も、何もかも…!!!アタシの魔法じゃ太刀打ちなんて出来ない。次元が違うのよ!!!」
小春の恐ろしさを目の当たりにした令奈は叫びながら、ガクガクと体を震わせた。
「見なさいよ!アンタの主人は果敢に戦ったって言うのに…!アタシの体はみっともないくらいに震えてるわ!!ナイフ一本でこうなるアタシが、アイツらを助けに行ったところで何にも変わらない!!アタシは手も足も…声すら出せずに確実に殺される!!死にたくないのよ!!」
叫ぶ令奈の震える手に一滴の涙が落ちた。言っていて、酷く惨めになった。自分で哀れだと涙し、失望してしまうほどに…
握り締めていた手に力が入らなくなり、トットが手の中から滑り落ちる。
「アタシなんか…何の役にも立たない。アタシの魔法なんかじゃ…」
「イーハー…イーハーイーハー」
「…今度は何?」
令奈が顔を俯かせたその時…トットが心配そうに顔を覗き込んでくると、何故か令奈の手を引き始めた。
令奈は怪訝そうにトットを見つめると、トットはシャッターの降ろされた店に向かって指を差した。
「…何よ、ただの模型屋じゃない…あの店がどうかしたの?」
「イーハー!」
「はぁ?着いてこいって…いきなり何を…ちょっ、そんなに引っ張らないでよ!分かったわよ、行くから引っ張らないでったら!!」
トットに引っ張られ、令奈は渋々プラモ店の前に行くと今度はシャッターを開けて欲しいと言いたげに令奈に向かって両手を上げて見せた。
「無理よ、鍵が閉まってるもの。素手じゃ開けられないわ」
諦めろ、と令奈が言うとトットは突然、指をいくつもの細長い針金状に変形させ鍵穴に突っ込み…シャッターはガチャリ!っと音を立て難なく鍵が開いたのだった。
これには驚き目を丸くさせた令奈であったが…トットに開けろと催促され、なくなくシャッターを開ける。
シャッターを開け、店の中に入ると…そこは戦艦や船、バイクの模型に玩具の銃など、ミリタリー系を中心に置かれた味のある。くたびれて埃まみれの店であった。
「何よこの店、汚いわね…潰れてるんじゃないの?」
「イハー!」
「あっ、こら!!勝手に入るな!」
あまりの埃臭さに顔をしかめているとトットが一目散に店の奥へと入っていってしまい、令奈は慌ててその後を追いかけていく。
「ちょっと!勝手に入ったらダメでしょ…って?アンタ何やってんのよ?」
店の奥へと入っていくと、奥の棚にある通路で何やら、トットが何かを探すように辺りを見渡しているのを見つけた令奈は訝しむように眉を寄せ、首を傾げさせた。
「イーハー…?」
「なに探してるか知らないけどこれ、立派な不法侵入だから……ってアンタに分かるわけないか…と言うか、【魔女狩り】の張った結界があるからバレやしないか…」
「イーハー!」
トットの不可思議な行動に呆れ返っていたその時、トットが平たい板のついた船が入った模型の箱を引っ張り出すなり、中身を取り出すと…トットの口と思しき箇所が開くと模型を中に放り込んだ。
「って、アンタまた何やってんのよ!!?あっ、こらまた!?やめなさいって!!そんなことしたら流石にバレるわよ!!!!」
令奈は止めさせようとトットに掴みかかるが、トットは素早い動きで令奈の手をかわし、次々にバイクの模型や玩具の銃、壁に飾られたミリタリーグッズ。果てには展示されていたロボットモノのプラモデルにまでも手を出し、中に取り込んで行ってしまう。
「あぁぁぁ!!!!ダメって言ってるでしょ!!?今すぐ返しなさい!!」
「イハイハ」
「イヤイヤみたいに言うんじゃないわよ!あぁもう、どうすんのよこれー!?後、こら待て!!勝手に行くなっての!!」
空き巣に入られたかのように荒れた店内に令奈が頭を抱えていると、トットは満足したのか。気にもせずに店を出ていってしまう。
「なんなのよも~!!自由奔放過ぎでしょ?!まんまガキじゃないのよ!!」
嘆く暇なくトットに翻弄され、令奈も外に出るとトットは一人、カンテラの扉を開けようとしているのが見えた。
それを目撃してしまった令奈は短い悲鳴を上げ、慌ててトットの手からカンテラを取り上げた。
「アンタ、なにしでかそうとして……!!!!!」
______キィィ……
トットの手に届かないように左手に持つカンテラから…小さな軋んだ音が響いてきた。
その耳を疑うような音に心臓が胸を突き破らん勢いで跳び跳ね…令奈は恐る恐る、カンテラの方を向くと…
______そこには…カンテラの扉が、ゆっくりと軋ませながら開いていくのが見え、紫の光が強まっていっていくのであった。
「う、そ……?」
「イーハー♪」
みるみる内に青ざめていく表情の令奈が無意識に呟くと、トットは令奈の肩にしがみつく。
______瞬間、カンテラの扉が突然、勢いよく開かれた。
「ヒ…………!!!!!!!!」
カンテラを捨て、逃げようとした令奈であったが、すでに開かれたカンテラの中から紫の閃光が迸り、光の中から無数の血塗れの人の手が飛び出した。
無数の手は逃げ出す令奈の体を捕まえると、令奈は悲鳴も上げる間もなく、カンテラの中へと引きずり込まれていったのだった…
「いやあああぁぁぁぁ…………!!」
そして、泣き叫ぶ令奈とトットを引きずり込み終えたカンテラは地面に落ち、商店街は静まり返ったのだった…




