第40章.愛狂
「な…何者!?」
突然音もなく現れた少女に警戒し、身構えた杏が叫ぶ。
少女はそれに対し、嬉しそうにクスクスと笑って見せ、ペコリと元気よくお辞儀をする。
「ふふ、こんにちは!ハルのお名前は小春!鬼灯二葉小春だよ☆」
「ほ、ほおずき…ふたば……?」
「うん、そうだよ~♡お姉さんのお名前は?」
長すぎる苗字に呆気に取られている杏に、小春は表情を変えること無く頷くと今度は杏に問い掛ける。
「あ、あたしはあん…じゃなかった。わ、我が名は魔法少女ミッドナイトスター!闇夜に輝く反乱の星にみ………!!」
「そう言うのハル、いらないな~☆」
「ぬにゃ…?!!い、いらない…だと!?」
「うん、興味ないもの☆」
得意気に口上を述べている最中、小春に無邪気で無慈悲な一言でバッサリと切り捨てられた杏はショックのあまり膝をつく。
そんな落ち込む杏に、小春は口元を押さえ、今度は可笑しそうにケラケラと笑い出す。
「お姉さん、おもしろ~い♡でも…丁度良かったよ。お姉さんも噂の魔法少女だったんだね☆お仲間さんだったのかな?」
「も、だと…?!ま、まさか…お前が轟を!!!」
「お前じゃないよ。こ・は・る、だよ☆」
小春が轟カガリが消えたことに関与していると確信した矢先、杏との距離が5Mはあった筈にも関わらず、瞬き程の一瞬の内に言葉通り。目と鼻先の距離にまで警戒していた筈の杏の下から、現れた小春の大きくつぶらな瞳がまじまじと覗き込んでいた。
(いつの間に……ッ!!?)
小春が現れてから警戒は劣らなかった筈だと自負していた杏であったが、容易く懐に潜り込み接近できた小春の脅威さ。
そして、杏の表情一つ見逃さないとばかりに観察する笑顔とは矛盾した光無い大きな紫色の瞳に杏は得体の知れない恐怖心を抱く。
「ふふふ!お姉さんも良い恐怖するね!♡」
「は、刃物…!?ッ…!!?」
動揺している杏の強張った表情に小春は心底嬉しそうに、頬を緩ませうっとりと目尻を下げさせると素早く服の袖口から小さなナイフのような物を手元に出し、それを杏の喉に突き立てようとする。
銃の間合いを殺され、それどころかナイフが届く範囲まで侵入まで許している。
_____この距離は危険過ぎる!!
脳に直接鳴り響く警鐘に、杏は反射的に小春に反撃するのを後回しにし、後ろに体を仰け反られせ、何とかナイフの攻撃を回避するや間合いを取る為後ろに跳躍した…
___だが、その直後…!
「ギッ…!!!?」
突然、左足から体中に電流のような痛みが駆け巡り、杏はその激痛のあまり表情を歪めてしまう。
一体何が起きたのか。杏は苦痛で歪んだ視線の中、痛みの発端である左足に向けると驚愕に目を見開いた。
(こ、こいつ…!!?足を踏みつけて?!!)
杏が目を向けると、そこには逃がさないとばかりに杏の左足を踏みつける。小春の小さな赤い蝶の付いた可愛らしい靴があった。
だが、それはただ、踏みつけて杏の左足を固定している訳ではない。
小春が踏みつけるブーツからじわりと滲み溢れ出る真っ赤な血。
杏は瞬時に痛みの原因を悟り、青ざめた。
小春の目的はナイフによる突きではなく、靴裏に隠していた仕込みナイフによる初撃であった。
それを見事に成功させた小春は頬を高揚させ、にんまりと愉しげに口角を吊り上げる。
「つ・か・ま・え・たぁぁ~~~~♡」
「ぐがッ…!!!!?」
靴裏の仕込みナイフを突き立てられ、体が膠着してしまった杏。
その隙に小春はかわされ伸びきった手に持つナイフを捨てるや、流れるように伸ばした手で杏の後ろ頭を押さえ、動きを封じた杏の顔面を容赦なく膝を叩き込む。
「ぐぁ…ぎ……な、なん……の…!!!」
「あはっ!」
顔面に起きた強烈な痛みと目が焼けそうになる程の閃光に目を眩ませた杏は反動と距離を取るように体を跳躍した小春の蹴りで仰け反りよろめくも、何とか意識を強く保ち、跳んだ小春の着地点に銃を構え、狙いを定める。
だが、着地の寸前に放たれた魔弾を、小春は小柄な体からは思いもしない身体能力で体を空中で捻り、着地を狙った魔弾を躱す。そして再び跳躍するや今度は狭い通路の壁を利用し連続で放つ杏の魔弾を躱してしまう。
「くぅの…!!」
「そんな攻撃、ハルには効かないよ。お姉さん☆」
四足で壁々を飛び回る姿はまるで猫のようで、どれだけ杏が正確に予測し、魔弾を撃てど、小春は弾道が見えているかのように軽々とかわしてしまう。
(攻撃が……当たらない!!?)
「いくらやっても無駄だよ。ハルはお姉さんとは強さが違うもん」
「んなっ!?」
「はい。これ、いらないから返すね♡」
「ッ…!!?」
杏の攻撃を避けていた筈がまたも音もなく消え、慌てる杏の目の前に現れると小春は無邪気な笑顔で杏の前で差し出した握り締めた手を開く。
すると、バラバラと二人の足元に弾丸の残骸が散らばり、杏は短い悲鳴を上げ後退さった。
「ッ…お、おまえも…せ…星司さんと同じ……【不可視夜祭】、の願望者なの、か…?!」
「せいじさん…?あっ、もしかしてジメジメ団の《オリオン》さんこと?全然違うよ。ハルはあんなジメジメ団と一緒にしないで欲しいなぁ~」
どこにでもいる子供のような無邪気な顔で、前に戦った父、星司とは比べ物にならない威圧、否、暗闇にも似たどす黒い殺気じみたオーラのようなモノを放つ小春。
その威圧感に杏は身震いを起こした。彼女はまだ本気どころか、魔力すら使っていない…実力が違うのだ。
自分と相手の力の差は歴然。足が無意識に震え、額や背中からじっとりとした嫌な汗が流れ出る。喉は張り付き、ベタついて息を飲み込むことすらままならない。
「だ、だったら…お前は一体…?!」
「ふふふ、知りたいの?お姉さんも、あの鶏さんみたいなお姉さんみたいにハルが消しちゃうのに?」
「な…?」
「お姉さんたち、ジメジメ団の幹部さん倒しちゃったんでしょ?だから、ハル、この町にはお仕事をしにきたんだ」
「し、仕事…だと?」
「うん。そうだよ、ハルはね。暗殺組織の始末屋さん♡お姉さんたちを殺すお仕事を頼まれたんだ。そして…お姉さんをお片付けしたらこのお仕事はおしまいなの☆」
悪意の欠片も見当たらない笑みで言う小春の言葉に、杏の蒼白であった表情は更に青ざめさせた。
だが、同時に、胸の奥でふつふつと怒りが込み上げ、杏は恐怖を追い払うように再び距離を取り、銃を構えた。
「そ、そんな筈無い…!!轟が…お前みたいな子供にやられるわけない!!轟をどこにやった!」
「ハルは事実を言ってあげただけなのに…でも大丈夫!お姉さんも寂しくないように…すぐにハルが鶏お姉さんの所に連れていってあげるね!」
「くっ…!!」
表情豊かにコロコロと態度を変え、小春は言い終わるや否や、地面を飛ぶように蹴ると、手元に背丈以上もある大斧を出現させ、体を大きく振りかぶり、杏目掛けて振り下ろす。
杏は慌てて振り下ろされた大斧をかわすも、重量に遠心力が上乗せされた小春の一撃は地面を容易く打ち砕く。
「よ、幼女で怪力戦闘狂とか…属性盛りすぎだろ…!!?」
「あは♡逃がさないよ~!!」
空振りに終わり地面に刺さった大斧を抜こうともせず、逃げた杏に小春は背中から黒いナイフを取りだし投げ付けてくる。
(おまけに四次元ポケット持ちとか…チート過ぎだ!!)
小春の戦闘法に悪態を吐きながら、投げつけられたナイフを魔弾で弾き落とす。
「食らえ…!ゲームオー__ッ?!」
魔弾でナイフを弾き落とし、すかさず反撃に打って出るが…銃口を向けた先にはすでに小春の姿は無く、辺りを見渡せど見当たらない小春に杏は慌てて周囲を警戒する。
(くそ…あたしじゃ、接近戦は歯が立たない…かといって離れたら今みたいに飛び道具で目眩ましにされてすぐに近付かれておしまいだ……魔力はまだ余裕がある。けど…無駄撃ちはあまり出来ない………)
握る2丁拳銃の手に力を込め、杏は苦い表情で見つめた後、周囲に目を戻し警戒する。
小春の素早さに翻弄され、このまま魔弾を無駄撃ちし続ければ、あっという間に魔力は底を尽きるだろう。攻撃を失敗すればそれだけ杏は自らの首を締めることになる…
(あいつはまだ願望を使っていない。あたしと一緒で武器を出しているだけだ……焦ったら負ける……その前に……ッッ!?)
杏が周囲に目を配りながらも自身の心に落ち着けと言い聞かせようとしていたその時、杏は自身の体にある異変が起きていることに気がついた。
「な…なんだ?体が……痺れ、て…?!」
異変に気付いたのは最初の箇所は足、しっかり立っていた筈の足がガクガクと震え、足の痺れは徐々に足腰と力が入らなくなり膝をつく。
やがて、全身に痺れが及ぶと手に持つ銃を落とし、杏はなすすべなく倒れてしまった。
「く…そ………体が…動かな…い…」
「すごいでしょ?ハルの毒は特別製!死にはしないけど、暫くは動けなくするんだー」
痺れて指ひとつ動かせない杏の目の前に小春が降り立つと獲物を前にした猛獣のような目で口角を吊り上げ言う。
「お…おま、え……いつ、の間に、ど……くを…?!」
「ふふ、最初に攻撃した時だよ。お姉さんの動きはハルの飼ってる怪魔さんと戦っている時に観察してたの。お姉さん、戦い方は素人だけど頭が働くみたいだから、逃げられないように使わせて貰ったんだ♡」
「ひ…卑怯……だぞ…!」
血の流れる杏の左足を指差し、小悪魔じみた笑顔で説明する小春に、杏は目の前の小春をせめてもの抵抗と睨みつけるが、小春は高ぶる感情を抑えるように自分を抱き身をよじらせた。
「卑怯…?やだなぁ~…お姉さん…これは戦い、それも殺すのに卑怯も卑劣も無いよ。毒を盛ろうと。騙そうと。後ろから刺そうと。罠を仕掛けようと。首を絞めようと。寝込みを襲おうと。目を潰そうと。足を壊して逃げられないようにしようと。卑怯卑劣を承知で勝つ…それがハルのお仕事だもん♡ハルは暗殺者、何だってするよ♡それが分からないなんて…甘いなぁ、甘い甘い甘い甘い甘い甘いなぁ…戦いに夢を見るなんて健気だねぇ…健気だねぇ!健気過ぎてハル…お姉さんの事嫌いかも」
「っ…?!」
目を見開き、狂気を垣間見せた小春は杏の目の前にどこからともなく取り出した手斧を振り下ろすと、今までの愛くるしい笑顔を引っ込め、狂気を秘めた邪悪な笑みを浮かべた。
「あは、良い恐怖♡ハルね、怖いのが好きなの♡人が怖がる顔が好き。飛び散る赤が好き。悲鳴が好き。痛さで歪む顔が好き。恐怖に壊れる人が好き。好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで堪らなく大好きなの♡」
小春の理解できない歪んだ欲情に悪寒が走り戦慄する。
狂っている。彼女は決して暗殺者ではない。彼女は殺人に愛情を抱く狂人。殺人鬼となんら変わりない異常者だと杏は理解した。
「だから…沢山怖がってよ♡」
「ヒッ…!?や…やめろ!!」
「あは…あははは!良いよ、スゴく良い!もっと見せて、歪んだ顔、恐怖で歪んだ顔!!死なないギリギリまでいっぱい叫んでみてよお姉さん!」
目の前に突き刺さる手斧を小春が左手でゆっくりと引き抜いていくと、痺れて動かない杏の右腕を残った片手で押さえ出す。
瞬間、直感的に理解した杏は動かない体を懸命にもがき、声をあげるが小春は三日月のように口角を吊り上げ、ケタケタと嗤い悦び高く振り上げる。
「や、やめ……!!」
「やっ、めないよ~!!!」
「うわぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
杏の叫び声と共に勢いよく振り下ろされる手斧。
肉が斬れ上がる悲鳴!刃が肉を断つ時がやってくる心が躍り、今か今かと待ち遠しく高鳴る胸に呼応して小春の笑みはより深く刻まれていく。
_____もうすぐ斬れる。血が飛び出す。
「悲鳴ちょうだい!!!!」
「しかし断る」
「ほぇ…?」
堪らず声に出した小春の叫びに杏は不敵に笑ってはっきりと拒否をした。
その余りの変容ぶりに小春は間の抜けた声を上げ一瞬体を膠着させた…次の瞬間…
「ヒャーハー!」
「あぐっ…?!!」
杏の一言で生まれた小春の隙。その僅かな隙を狙いすましたように物凄い勢いで飛んできたモランが手斧ごと小春の体に体当たりを食らわせた。
砲弾のように突っ込んできたモランに小春の軽い体はいとも簡単に吹き飛び、地面を転がっていき、盛大にゴミ捨て場に突っ込んだ。
「うぅぅぅ~~!!!いたいたいたいたいたいいたぁ~~~~~~~い!」
「ひひ…油断、大敵……だ!」
「ヒャーハー!」
ゴミ捨て場に突っ込みじたばたと痛みに泣き叫ぶ小春に、モランの手を借りて立ち上がった杏は銃を構えながらニヤリと笑った。
「ひどいやひどいや!!その子、操作が効かないんじゃないの?!ハル、勝手に動き回ったの見てたんだよ!!?なんでなんでなんで?!!」
「ふっ…な、なら教えてやろう…こいつら、は確かに勝手に動く…だが!あ…あたしは一度だって、こいつらが命令を効かないなんて言った覚えはない!!」
「っぁ!!!!?」
ドン!と聞こえてきそうな程、杏がドヤ顔いっぱいで堂々と言いきった事に小春は心底、驚いた顔で衝撃を受けた。
「だ、騙した!!お姉さんがハルを騙した!!!嘘つき嘘つき!!そんなのずるいよずるいよ!!!!ひきょーーものーーーっ!!!!」
「戦いに…卑怯も何も無い、んじゃなかったのか?」
「むぁぁぁ~~~!!!怒った怒った!!ハルの頭はカチカチ山のカンカンカーーンだよ!!!!」
手足をバタつかせ、悔しげにゴミ捨て場から出てきた小春は手を前に出し、手のひらから一つの紫色の淡い光を放つ古ぼけたカンテラを出現させるとそれを素早く杏に向けた。
「ハルの願望で泣き喚いちゃえ!!」
「さ、させる…か…!!!」
淡い光を放っていたカンテラが徐々に強い光を帯び始めると同時に、杏は渾身の魔弾を放つ。
僅かに速く放たれた魔弾はカンテラへと向かっていく…だが、魔弾が到達するほんの数秒速く、カンテラの扉が開かれる。そして、中からとびきり強い紫色の閃光が辺りに迸った。
「うっ?!」
「ヒャイ!?」
余りの眩しさに目を覆う杏。その時、杏の体に無数の何かが掴んできた。残された聴覚に隣にいたモランが悲鳴を上げ、抵抗して暴れる音が聞こえてくる
だが、閃光はより更に強さを増し、目も開けられず、一体何が起きているのかすら訳も分からないまま、杏の意識は抵抗する間もなく光に飲み込まれてしまったのだった。
「…ふふふ、お姉さんは怖いのは好き…?」
静かになった路地で、小春は紫の光を灯すカンテラの中を覗きながら、そう囁くのであった。




