第4章.高鳴る鼓動の名前を知ってるか?
“ペタペタペタペタ!!”
「はぁ…はぁ……はぁ………!!」
冷たいコンクリートの床に鳴り響く素足の足音。
その足音から逃がしはしないと言う邪悪さがひしひしと伝わってくる。
どこへ逃げれば良いのか。迷う足取りに困惑と絶望が入り交じる少女の息づかいが冷たい通路に響き渡る。
“ドチャドチャドチャ…!!”
「ヒッ…!!い、イヤ…!!たすけ……たすけて…誰か……!!」
背後から迫りくる不快な音に少女の表情はより恐怖に染まり、必死に助けを求める少女は今にも泣き出しそうになる。
(ダメ…ダメ……ダメ………!!!)
振り返ってはいけない。何度も繰り返し繰り返し頭の中で決意させていた少女であったが…
恐怖による揺らぎは少女の中から冷静さを奪い、決意とは裏腹に…目は迫り来る背後の存在へと向けられていく。
そして、少女の目は……
少女には分かる筈もない。怪魔と呼ばれる巨大なバケモノの不気味でカラフルな瞳と口が映った。
「キャァァァァァ!!!!!!」
戦慄の悲鳴が少女の喉から上がる。恐怖で足が一瞬強張ったその瞬間、あろうことか足がもつれてしまい、少女は受け身も取れずに盛大に転んでしまった。
「あ、あああ!!うそ…ダメ、ダメ…!!た、たたない……はや…逃げなきゃ…早くにげ………!!」
取り乱した少女は慌てて立ち上がろうと顔を上げるも、目の前の光景に、少女の体は凍りついたかのように動かなくなった。
少女の目の前には…転んだ少女を見下ろす怪魔の無数の瞳がまじまじと見つめていたのだった。
「あ……ぁ…」
圧倒的な死の絶望に直面した人間は悲鳴すら上げない。
少女のそれはまさにその通りであった。
酸素を欲して水面下で口をぱくぱくと開け続ける金魚のように、少女は自身を見つめる怪魔の瞳をただただ、呆然と見上げているのだった。
無数の瞳の中心から、ニチャリと不快な音を立てながら人と同じ形をした怪魔の口が現れ、開いていく口からは異臭と涎が滴り、そのまま少女へと近づいてくる。
だが、絶望の前に立たされた少女の脳裏には、今朝までの平穏な出来事が鮮明に映っていた。
いつも通りの朝、学校に行く身支度を済ませ、家族と他愛ない会話をしながら食べた大好きなフレンチトーストがあった朝ごはん。
いつものように、先に家を出た父にいってらっしゃいと言い、学校に行く時には母にいってらっしゃいと言われた朝。
何も変わらない毎日。いつものように。いつも通りの毎日。
ただ、違ったのは…変わらない筈の通学路にあった建物の間に不可思議に出来ていた裏路地への道。
それだけが、違っていた。
たったの、たったそれだけの間違いだけだった。
気づいた時にはもう、周りは冷たいコンクリートで出来た建物の中にいた。
あれからどれだけの時間を逃げ回ったのだろう。
やっと思いで“バケモノ”から逃げたし、人に助けを求めることが出来たと思えば相手が悪く、乱暴な不良に殴られた挙げ句、気づけばまたここにいた。
「た……す……け………」
絞り出した声は自分でも驚くほど、とても小さかった。
(これじゃ……誰にも助けてもらえないなぁ…)
そんなのんきな事すら思い付くほど心は諦め、呆然と“バケモノ”の口を見つめていた瞳から涙が溢れた。
少女は乾いた笑みを浮かべただただ自身に迫る死を待った。
______その時であった。
「しぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃにさらせぇぇゴラぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
引き裂くかのような怒号の咆哮と共に少女の背後からやって来た爆発的な衝撃に“バケモノ”の無数の瞳と口が少女から急激に遠ざかるように吹き飛んだのだった。
そのあまりの出来事は絶望のどん底にいた少女の目にはスローモーションのように映り、吹き飛ぶ“バケモノ”の最後には…凛々しくも荒々しい表情で飛び蹴りを放っている金髪の少女が映った。
その少女の正体はあの____助けを求めた不良少女であった。
◆◆
話はほんの数分前に遡る。
「怪魔の欲の元を探すだぁ?!」
「そうだ」
怪魔の元へと先導して飛んでいたデ・アールに言われ、背後を走っていたカガリは驚いた声を上げる。
「ここの建造物は全て、怪魔が潜伏する為の言わば、欲望の領域。主さまのお力を持ってしても探し出すには御苦労なされたこの建物の空間そのものに怪魔自身の根強い欲がどこかに根付いている可能性があるのである」
「あー、ぁんん…?つまりなんだ?デキもんの塊みたいなものがあるってことか?」
「デキ……まあ…貴様の出来の悪い頭で理解出来ているならそれでいいである……何せよ、何の欲に蝕まれているか分からない以上、貴様らを襲った怪魔を倒すにはそれしかないである」
「誉めてねぇだろテメェ…ってか、たかが“バケモノ”一匹シメんのにそんなめんどくせぇ事はしねぇからな!?」
猛反対で抗議をするカガリにデ・アールは呆れたように嘆息し、羽ばたきながら振り返り、やれやれと体を振った。
「走りながら愚痴を溢すでない。と言うか貴様…今から怪魔と戦い人助けをすると言うのにめんどくさいって…」
「一発だ、その一発に全力を込めて目の前のくそったれバケモノ野郎にぶちかます!!それだけで充分だろ!」
「なっ!?おい貴様…待て!!」
少女の前で大口を開いている怪魔を見つけた瞬間、カガリは前で羽ばたいていたデ・アールを追い越し、制止も聞かぬまま勢いよく怪魔へと跳躍したのだった。
◆◆
「ヒュー!アイツ、スッッッゲーーーー飛んで行きやがった!これが魔力って奴か?!なかなか爽快もんじゃねぇか!!すげぇな!」
「バカ者ーーーー!!!」
飛び蹴りから着地し、カガリは自身の身体能力の変化に興奮していると後から慌ただしく飛んできたデ・アールは顔面を真っ青にさせ、カガリに体当たりしながら怒鳴りつけた。
「主さまの魔力のお陰で貴様の肉体は常人のそれとは比較できぬほど強化されているだけだ!だが、貴様の今のは魔力でも何でもない!ただの力任せの蹴りだ!!貴様のその荒っぽさはなんなのだ!?強化されているとは言え、怪魔を生身の体で一蹴するなど常軌に逸しているぞ?!!」
「あー、あー、あー、うるせぇうるせぇー!!!聞こえねぇーー!!!」
「あ……あの…!」
「あん?」
体当たりを食らわせてくるデ・アールをカガリが片手で押さえつけていると下から怯えきった声が聞こえき、見下ろすとそこにはカタカタと体を震わせながら涙をこぼし続ける少女がいた。
「安心したまえお嬢さん。わが輩たちが来たからにはもう大丈夫だ。この無礼で無鉄砲の単純脳みその不躾な単細胞のこやつがそなたをまもぶぎゃっ!!」
「テメェ、相手みて態度変えてんじゃねぇよ!!」
怯える少女にカガリと喋っている時とは違って、紳士的態度を見せるデ・アールに脳天チョップを食らわせ、叩き落とすとカガリはキッ!と少女を睨み付けた。
少女は体をビクつかせ、体を震わせるとカガリは舌打ち、少女の頭を両手で左右から押さえるつけるように掴むと涙でくしゃくしゃになった少女の顔を睨んだまま自身の顔と無理やり向き合わせた。
「た……けて……くだ…い……うっ、ううぅ…!!」
「……嫌だね」
睨み付けてくるカガリを恐れながらもようやく絞り出した言葉は掠れかすれに発せられたが…非情にも、その助けてを断りジッと睨み付けたまま言った。
「勘違いしてるみたいだがな、クソ女。例え今テメェがあの“バケモノ”に食われようがバラバラにされて天井に吊るされようがオレはテメェを助けねぇ。テメェはオレを巻き込んだ。巻き込んでおいて助けてください、ってのは虫の良い話過ぎんだろ?」
カガリの言葉に、少女の表情は瞬く間に絶望した顔に戻るがカガリは一切表情を変えることなく言葉を続ける。
「あの“バケモノ”をぶっとばしたのはアイツがオレにちょっかいを出しやがったからで、仕返ししてやったってだけの話だ。助かりたきゃ、自分で何とかしな」
「そ…そん、な……!!さっきは…助けてく………ぎゃな!!」
「……一つ、言い忘れてたがな。クソ女…オレを巻き込んだテメェにもむかっ腹が立ってんだわ」
不意打ちの頭突きをもらい、少女はくったりと気絶したのを見たカガリは静かにそう言った。
少女から手を離し床に落とすと吹き飛ばされた事に怒ったように瞳を真っ赤にさせながら向かってくる怪魔へと向き合った。
「何がなんでも人助けをするつもりが無いのだな、貴様…」
パタパタと翼膜を羽ばたかせ、カガリの隣に移動するなり頭にたんこぶを作り、ふて腐れた顔で睨むデ・アールがそう言うとカガリはフンと鼻を鳴らした。
「同じことを何回も言わせんな、クソこうもり。オレは怪魔とか言う“バケモノ”と戦う気もそこで勝手に寝そべってるクソ女を助ける気なんざ少しもねぇよ。全部、やられた仕返しとあのクソッタレバケモノジジイをぶっ飛ばす為にやってるだけだ」
指の関節を鳴らし、向かってくる怪魔を睨みあげながらカガリは意地悪く笑う。
決して人助けはしない。それはカガリが決めたポリシーでありプライドである。
勝手に助かってようが知ったことではない。
(こやつ、最初からこうするつもりだったのか?ふーむ。わからん…何故、このような理解しがたい行動を起こす小娘に主さまは魔力をお与えになったのだ…?)
デ・アールはカガリを見つめながら頭を捻るが、今主の頭の中を探っている場合ではない。今はその時ではないと頭を振りカガリに言う。
「魔力とは“心の力”と願望の欲の二つから成る。魔力を使う際は想像するのだ。欲した力を使う想像をな……そして唱えるのだ。変身、と…」
「変身、ねぇ…ガキ向けのテレビみてぇーで釈然としねぇが…やるきゃねぇか…」
カガリは深く嘆息した後、両足を開き、怪魔に構え静かに見据える。
そして、右手の甲が青い光を発し輝き始めると同時に悪魔的笑みを浮かべ、カガリはキメ顔で叫んだ。
「変身っ…!!」
______瞬間、右手の甲で青い光が輝く。
しかし、光はカガリの体を包み込むことなく消えたのだった。
「は?」
「なぬ!?」
“バチン!!”
「うぎゃぁぁぁ!!!」
「小娘!!」
________一体、何が起きたのか。
カガリが呆けているとその隙に薙ぎ払われた怪魔の巨腕がカガリの体を捉え、物凄い力でボールを投げ飛ばすが如く、壁を貫き吹き飛ばされてしまった。
予測していなかった事態にデ・アールは急いでカガリが吹き飛ばされていった壁の穴を通り、羽ばたいていく。
「いっっっ…!!」
「小娘!無事か!?何故、変身しなかった!?」
「ふざけんな!あんな顔、決めといて変身しねぇわけねぇだろ!!?」
「なら、何故!?」
「オレが知るかよ!!」
あれだけ強く攻撃されていながら額から血を流すだけで大したダメージを受けていないカガリであったが、キメ顔までしておきながら変身出来なかったショックと怒りで顔を真っ赤にさせ、デ・アールに憤慨する。
右手の甲は淡く輝いてはいるものの、輝いているだけで何の変化も無く、デ・アールは不測の出来事に困ったように首を傾げさせた。
(魔力が足りていない…?いや、主さまの魔力を授かってそんな事はあり得ない!!では一体何故…?!!)
「変身!変身!!ダメか!なら、こうか?!へ~~んしんっ!!だぁぁ~!なんでダメなんだよ!?」
やけくそだとばかりに色々な変身を試すカガリであったが、向かってくる怪魔の足音に気づき、表情を焦らせる。
「おいおいおいおい…!!!?どうすんだよ、この事態…!?あのジジイ!力無くして怪魔には勝てねぇとか言ったくせに、全然魔力使えねぇじゃねぇかよ…!!」
「も、もっと強く思うのだ!!イメージを強めるである!!」
「さっきから想像してんだよ!!っうか、変身道具とかねぇのか?!」
「そんな物は無い!!あれば“最初から主様が貴様に……ッ!!!?」
そう言いかけて、デ・アールはあることに気がついた。
(まさか…主様はこうなることを見越して我輩をこんな小娘に……!!?)
「繧?k繧九&縺ェ縺ェ縺ェ縺ェ縺ェ縺?f繧?k縺輔↑縺?>縺?o繧上?√◆縲√o縺溘o縺溘?√o縺溘@縺励@縺励?縺ィ縺倥§縺倥§縺薙a繧九k縺代¢縺代¢縺代¢縺」縺励@縺励※縺ォ縺後′縺後′縺後&縺ェ縺ェ縺ェ縺ェ縺」
デ・アールが主の意図に気づくとほぼ同時。
悲鳴のような不快な音が鳴り、天井一面から怪魔の無数の瞳が浮かび上がり二人を捉えた。
「ッ!?なんかやべぇ!!」
「こっちである!!小娘!」
カガリとデ・アールはすぐさま危険を察知し隣の部屋へと移動する。
瞬間、先程まで二人がいた場所から巨腕が床を突き破り、そこから怪魔が現れるとカガリはさらに表情を青ざめさせた。
「最初の時とは比べもんになんねぇくらい殺る気まんまんじゃねぇか…!!なんか方法ねぇのか!!?」
「貴様が怪魔に飛び蹴りなど食らわせなければ、こうも不本意な選択はしなかったである…!」
「は!?一体なんのこイデーーーーッ!!?」
怪魔を見上げていたデ・アールは意を決したような顔で慌てていたカガリの元へと弾丸の如く速度で向かい、何を思ったのか。突然カガリの首筋に牙を立てたのだった。
「て、テメェ何しやがる!?このくそこうも……な!!?」
引き剥がそうと首筋に噛みついたデ・アールに右手が触れた瞬間、燻るように輝いていた青の光が眩しい程の輝きがほとばしったのだった。
その変化に気づいた怪魔はそれを阻止しようと両腕の巨手を叩きつけようと振り上げる。
「想像して唱えろ!小娘!!」
「お、おう!!こうなりゃ、やるだけやってやるよ!!」
デ・アールに右手を触れたまま、カガリはもう一度、両足を開き心の奥底から想像し強く叫ぶ。
「変身ッ!!!」
その言葉と共に右手の甲から溢れる青の閃光が部屋中を照らす程の強い輝きを放ち、光はカガリの体を包み込み姿を変化させていく。
◆◆
____胸の鼓動が、血を、肉を、全身くまなくたぎらせる感覚。
(この気持ちはなんだ?)
夢見る幼い子供がヒーローに目を輝かせるような純粋な思いに、戸惑いを感じているカガリは脳裏でその感情の答えを探し出す。
____強いヒーローのようになれるから?魔法を扱えるようになったから?
____違う、この柄にもなくワクワクするこの鼓動は、ヒーローに憧れている子供のような純粋な感情ではない。
(力が……体のそこから沸き上がってきやがる…!!)
胸が熱く高まって張り裂けそうな程のこの心臓の高鳴りは___
◆◆
青い閃光が消えるより速く、怪魔の両巨腕が光ごとカガリを叩き潰し、碎けたコンクリートの砂塵を巻き上げる。
勝利を確信した怪魔の雄叫びは部屋全体の空気を震わせる。
________だが。
「高鳴る鼓動の名前を……テメェは知ってるか。バケモノ野郎…!」
声と共に舞う砂塵の中から一つの影が揺らめく。
怪魔の振り下ろした両腕の下から拳を突き上げ、砂塵の中から眼光を鋭く光らせ悪魔の笑みを浮かべた一人の少女のシルエットが現れその姿が露となる。
闇夜に浮かび輝く黒星のマークが描かれたタンクトップとパンクなズボン。
袖の無い。濃紺色のフードの付いた太もも程の長めコートに両腕にイバラが巻き付かれた漆黒色の中世の騎士を思わせる強固さ、不良らしさを際立たせる凶悪で残忍さを表した手甲が禍々しくも勇ましい光を輝く。
そして、何よりも一際目立った邪悪なグリーブの装備が対峙するモノを威圧する。
まさに、不良である轟カガリの心が生んだ“悪としての武装”。
砂塵が消え払われると同時に、ジャキン!と鋭く尖ったカッコいいサングラスが装着され、変身を終えたカガリは挑発的な笑みを浮かべ、片手で防いでいた怪魔の両巨腕を一蹴りで弾き返し、怪魔にその禍々しい姿を見せつけた。
「さあ、泣いて喚いてテメェの罪を後悔しろ!!」
目深に被ったフードの中から飛び出す自慢のアホ毛とサングラスをギラリと輝かせ、カガリは蹴りの勢いで後ろに倒れた怪魔に自然と出た決め台詞を轟かせる。
最凶最悪の“魔法少女”、轟カガリの誕生である。
「テメェの願いを、踏み砕く!!」
轟カガリは高鳴る鼓動と共に言い放つのだった。